今日、考えたこと

アクセスカウンタ

zoom RSS 『脱成長の道』読書メモその2 『〈脱成長〉の正義論』について

<<   作成日時 : 2011/06/10 06:14   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

2011年6月10日 5:17作成

読書メーターに少しずつ書いたメモをFBでまとめて、こっちに転載



[06/02 07:34] tu-ta

第 1部の2『〈脱成長〉の正義論』は中野さんの論文。ここで中野さんは祝島の状況を説明した後で、「祝島の住民が現在直面している問題は、経済成長優先の消 費社会が生み出した重層的な排除と差別の構造である」と指摘する。同時にこの見方が政府と中国電力の責任を免罪するわけではないという指摘も忘れてはいな いが。



[06/02 07:41] tu-ta

そ れに続いて、脱化石燃料・脱原発社会への移行という選択肢が(消費社会に暮らすわれわれ全員が歴史的かつ構造的に関与している問題として捉えなおすべきと いうような)「民主的かつ社会的な責任意識に裏打ちされた決断として真剣に考慮されるべき」だと中野さんは主張する。この「民主的」という言葉には特別な 含意がなければ成立しないかもしれないフレーズだ。



[06/02 08:06] tu-ta

こ の「民主的かつ社会的な責任意識」について中野さんは、「万人による責任の分かち合いが重要」という第V部1のジルダ・ファレルを援用する。上関原発問題 について、「日本の住民全体の責任として分かち合うことは、推進派と反対派の対立を超えて地域社会の新しい成熟の道筋を立てるための土壌を養うことにつな がる」というのだが、そのハードルの高さは想像を絶するといっても過言ではないのではないか。



[06/02 08:11] tu-ta

さ らに著者は、それに続けて、「われわれに必要なのは、祝島住民が直面している生存の危機を克服するための新しい社会正義の文法を、日本全体の課題として構 築していくこと」であり、それは隣接する他の社会問題にも応用可能だと問題を立てる。社会正義の文法を構築することも、それなりに意味はあると思うが、そ のことよりも、そのような社会正義が実現される環境をどう作るかということのほうにぼくは興味がある。



[06/03 03:39] tu-ta

こ こから先が、その「社会正義の文法」の解説になる。中野さんが次に提起する問いは「祝島住民が直面する生存の危機を克服する新しい社会正義を、どのように 構築していけばよいだろうか」(61p)というものだ。単純に疑問なのは、「祝島住民が直面する生存の危機」を克服するために必要なのは、本当に「社会正 義の再構築」なのだろうか、ということだ。




[06/04 09:15] tu-ta

とはいうものの、中野さんの論考にもう少しつきあおう。ここで彼は(アイリス=マリオン・ヤングとかいう政治学者にしたがって)「社会正義論の扱う範疇を、富や物財の分配の問題だけでなく、支配と抑圧を生み出す社会構造の問題にまで拡大させる」という。



[06/04 10:17] tu-ta

そ の次の文章も引用しよう。「原発依存型のエネルギー政策が生み出す構造的暴力を克服する規範を確立するために、原発政策において周辺化されている人びとの 尊厳を回復し、社会に暮らすすべての人びとの生存条件を公平に保障する原理原則を提案する」として、二つの前提と、二つの原理が紹介される。やっぱり違和 感を禁じえないのは、原理を提示して、そこから演繹的に考えるというアプローチってどうなんだろうということでもある。 削除



[06/06 05:30] tu-ta

「原 発政策において周辺化されている人びとの尊厳を回復し、社会に暮らすすべての人びとの生存条件を公平に保障する原理原則」を紹介する前に二つの前提が書か れている。その1、ラトゥーシュが述べるところの〈脱成長〉社会の構築を促進する社会正義。その2、それは地域固有の生存基盤「サブシステンス」を守るも のでなければならない。



[06/06 05:38] tu-ta

続 いて、二つの原理が紹介されるのだが、「サブシステンスを守るための二つの社会正義の原理」として紹介される。【原理(1)持続可能性の原理】 この原理 の下にABの2項目がある。A―社会はその文化的・生態学的な生存基盤(サブシステンス)を持続的に再生産していく構造をもたねばならない。B―持続的な 再生産を可能にするためには、社会が自らの生産・消費活動に対して量的・質的な側面からの節度を設けるシステムをもたねばならない(民主的な自主規制の原 則)。 削除



[06/06 05:44] tu-ta

【原 理(2)多様性の承認の原理】ここにも2項目がぶら下がる。C―人間の生存基盤は各地域の生命系に組み込まれており、多様である。公正な社会は、生存基盤 の多様性の承認を前提とする。D―社会は民衆を辱めるようなことがあってはならない。生存基盤の多様性に尊厳を与える社会制度・社会構造でなけれならない (ディーセントな社会の原則)。



[06/06 05:48] tu-ta

ま ず、重箱の隅をつつくような指摘。タイプしてて、違和感があったのは「社会は民衆を辱めるようなことがあってはならない」という文章。これは自然な言い回 しとしては「社会が民衆を辱めるようなことがあってはならない」あるいは「社会は民衆を辱めるようなことをしてはならない」じゃないかなぁ。 削除



[06/06 05:59] tu-ta

こ の二つの原理、例えば、あるコミュニティを想定して、そこが自律的で持続可能なものかどうかを考える基準には使えるかもしれないと思うが、例えばBの「民 主的な自主規制の原則」をどのように、どのレベルでコミュニティの成員で共有することが可能なのだろう。人は基本的に利害というエンジンで動く。地域の持 続可能性は長い目で見れば、その人の利害と密接だが、その長い目をどう獲得するか。



[06/06 06:04] tu-ta

さ らに多様性の承認はマジョリティの利害には直接は影響しない場合が多い。さらにこの多様性をどこまで広げるか。人間だけで考えても、常に人工呼吸器などの 医療器具が必要な人や、地球の反対側で飢えている人、さまざまなレベルで多様性は存在する。コミュニティの成員は見える範囲を超えて、多様性を承認するこ とができるのかどうか? 削除



[06/06 08:24] tu-ta

「民 主的な自主規制の原則」というのは、これらの原理・原則を内在化できるかどうか、ということになるのではないか。外在的に、上から押し付けられた原理や原 則はたぶん長続きしない。そのこととコミュニティの適正な大きさということが密接に関係してくると思う。では、都市ではそれはどのように成立するだろう か?



[06/07 07:05] tu-ta

こ の原則の内容は、個々にその通りだと思うが、こんな風に原則を立てることによって見えてくる原則から外れた現在のありようを変えるために本当に役に立つの だろうか。また、あって欲しいと思える社会を規定するのは本当にこの4つで足りるのだろうか、という疑問は残ったままだ。 削除



[06/07 07:12] tu-ta

中 野さんはディーセントな社会に向けた政策の例として、ニートやワーキングプアの雇用政策をあげる。《その雇用に向けた政策を実施するにしても、彼らを社会 不適合者として扱い、既存の産業システムに一方的に適合させようとするのであれば、彼らを社会的に辱めることになる。「ディーセントな社会」という規範に したがうならば、ニートやワーキングプアの雇用政策は、彼らを囲む差別や社会的圧力を取り払い、彼らに尊厳を与える諸条件を整備するものでなければならな いであろう》64pという。



[06/07 07:18] tu-ta

し かし、既存の産業システムに一方的に適合させない雇用政策ってありえるのだろうか、ニートやワーキングプアと呼ばれる人たちへの差別や社会的圧力を取り払 うのもかなり難しいと思う。これだと、革命でも起きないと、雇用されることはない、ということにならないか。ま、書きたいことはなんとなくわかるような気 もするのだが、違和感は残るなぁ。そう、書き方に「上から目線」を感じるからだろう。ただ、中野さんのために弁護しておくと、彼もけっこう長い間高学歴 ワーキングプアを経験している。




[06/08 01:10] tu-ta

と もあれ、中野さんはラトゥーシュらの考えを敷衍して、「ディーセントな社会」とは、人間の生命だけでなく、人間の生存基盤である生命系全体に尊厳を与える 制度と構造をもった社会であらねばならない、と主張する。なぜなら、民衆の生命が産業システムによる搾取と支配から逃れるためには、労働と自然がともに経 済活動の手段としてのみでなく、それ自体固有の価値を有するものとして尊厳が与えられる必要があるからだ、とし、祝島の例はこれを例証しているという。 65p



[06/08 01:15] tu-ta

内 山節がかなり以前の本で、「仕事」と「稼ぎ」を使い分ける彼が住んでいる地域の人の話を書いているのを思い出した。「仕事」は中野さんが主張するディーセ ントな社会を構成するものであり、「稼ぎ」はそのようではない労働、ということができるだろう。自分に即して考えると、同じ仕事が時に「仕事」になったり 「稼ぎ」になったりしているように思う。




[06/08 01:27] tu-ta

労 働が「経済活動の手段としてのみでなく、それ自体固有の価値を有する」ということ。例えば、小関智弘さんの旋盤の仕事はそのようなものとしてあると思う。 その例は《『移行期的混乱』メモ 》http://tu-ta.at.webry.info/201101/article_2.htmlの中にもいくつか書いている。ここで紹介してある 「池上本門寺の近くのテーラー」の話もそうだろうし、渡辺京二が『逝きし世の面影』のなかで紹介する労働もまたそこと重なる部分があるだろう。




[06/08 03:57] tu-ta

し かし、人間が社会を形成して生きていくうえで必要なすべての労働をそのようなものにすることは、果たして可能だろうか? 中野さんが主張するように、《労 働が「経済活動の手段としてのみでなく、それ自体固有の価値を有する」》ものであって欲しいけれども、それを社会の構成員全体に当てはめようとするのは無 理がありそうな気がする。




[06/09 23:20] tu-ta

で、 再び本に戻る。これに続けて「三つの基準」というのが出てくる。以下のように紹介している。==(上記の)二つの原理に基づく公正な社会へと転換するため には、現行の社会発展モデル政策を、さらに次の三つの基準に照合させて検証する必要がある。(1)民衆の安全が基本的人権に基づいて保障されているかどう か。(2)民衆のケーバビリティ向上と自然循環のエンパワメントに貢献するか。(3)説明責任。




[06/09 23:24] tu-ta

中野さんはこの本の中で、この3つについての説明をそれぞれしているが、なぜこの3つなのか、ということは書いてないと思う。少なくとも、ぼくは読み取れなかった。この3つで十分なのか、2つではどうして足りないのか。そのあたりのことは知りたいと思う。



[06/09 23:34] tu-ta

こ の中野さんの文章の最終節は《5〈脱成長〉社会へ》というもの。近代産業社会が生命の意味を経済化し、それに伴って生命の多様性に対する尊厳が失われ、生 存の危機が生じている、と断じ、結語近くでは、「祝島の住民が切望し、また日本、そして世界の多くの民衆が希求しているのは、まさにわれわれひとりひとり の生命の尊厳の承認ではないだろうか」と書く。



[06/10 05:00] tu-ta

そ して、「今日の肥大化した消費社会の暴力を抑制し、われわれの生命が新しい息吹を得るために」として、次のように続ける。「この社会に暮らすすべての人び とが責任を分かち合い、〈脱成長〉社会に向けて歩み始めることが重要である。本書で草案した社会正義のプログラムは、そのためのささやかな羅針盤である」 こんな風にこの論文は閉じる。



[06/10 05:01] tu-ta

社 会正義の文法の構築、そのための前提、原理・原則、さらに基準、最後に羅針盤、書かれていることは圧倒的に正しいような気がするのだが、その問題の立て方 に最後まで違和感が残る。そう、あまりにもリジッド。社会運動がもたらす豊かな経験は、もっと可塑的で、変化に富み、だからこそ豊かなのではないだろう か。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文

トップ頁の右上に広告が入るようになっちゃいました。それがいやな人はさらに追加してお金を払いなさいとのこと。というわけで、この広告クリックしないでください(なんて、けなげな抵抗)。==============ブログ内ウェブ検索

ブログ内 を検索
『脱成長の道』読書メモその2 『〈脱成長〉の正義論』について 今日、考えたこと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる