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zoom RSS 【良い支援?】メモ その3

<<   作成日時 : 2011/08/09 13:20   >>

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その2
http://tu-ta.at.webry.info/201108/article_4.html
の続き 「第6章 当事者に聞いてはいけない──介護者の立ち位置について」 に関するメモ

メモ その1
http://tu-ta.at.webry.info/201107/article_16.html
で紹介したように前書きでは
…奇妙な本です。すぐに役に立つような事例集やマニュアルではありません。
とあるのだが、この章は、けっこう「すぐに役に立つような事例集やマニュアル」のようでもある。

目次は以下
==立岩サイトから、孫引きしたら、「はじめに」が抜けてたので訂正して採録==

第6章 当事者に聞いてはいけない──介護者の立ち位置について 末永 弘

1 はじめに

2 利用者と介護者が一緒に過ごす時間と空間

3 だらけていて、かつ緊張感のある関係

4 当事者に聞いてはいけない

5 金銭管理と健康管理の支援

6 介護者としての責任、介護の基準

7 介護という仕事、組織の役割


ここで、明確な二つの原則が提起される。
第1原則、生活の主体は利用者であること

第2原則、利用者と介護者という違う個性を持った二人の人間が一緒にいるということ


これらの原則が利用者の片付いていない部屋をどうするか、という例で示される。

そして、以下のように書かれている。
一緒にいる関係というのは形が重要なのではなく、お互いを尊重して、意識しながら一緒に時間を過ごせるという関係を作ることが重要なのだと思います。193p


また、この章のタイトルにもなっていて、4節の「当事者に聞いてはいけない」が興味深かった。

ここでは「言葉による質問」という行為の背景にあるメッセージがいろいろな意味をすでに持っていることが示され「質問してその人の考えを聞く」という行為が非常に難しいことだと書かれる。そして、以下のように書く。
つまり、もし本当に相手の考えや気持ちを理解したいならば、言葉で質問するよりもその人の顔や行動を何気なく見ていたほうがよほど正確に理解できるということです。201p
これも微妙だと思う。人によって、その顔や行動の解釈は違うことも多い。ぼくにとって、その行為の背景にあるメッセージは「明らか」だと感じても、それがそうでない場合も少なくない。

そのメッセージは言葉によるメッセージのように、気持ちと裏腹ということではないだろうが、読み取る能力あるいは感受性が必要であることは間違いない。

しかし、同時に当事者と非常にいい関係の介護者やベテランの介護者は質問を多用しても、当事者の気持ちに沿った答えを得ているという。そのポイントについて末永さんは3点をあげる。

(この3点、本文中では「上記の」となっているけれども、縦書きなら左記、あるいはそれを無視すれば下記の間違い。ちなみに、この本、介助者と介護者、著者によって違う表記。意味があると思うのだけど、解説はない。)
1、質問しながら、相手が欲しがっている情報も話すこと。

2、介護者が自分の考えを先に明らかにしれしまうこと。(*注)

3、いつもの流れで考えると違和感があることについて聞くこと。


ともあれ、やはり結論として、安易に聞いてはいけない、言葉だけのコミュニケーションに頼らないということが提示されている。

(*注) この2について、普通は、自分が考えを出してしまうと、引きずられてしまうのではないかと考える。

末永さんは悪い聞き方として「利用者に影響を与えないように自分の考えを隠して質問し、その結果返ってきた答えが自分の考えと違うと思わず不機嫌な表情がでてしまうパターン」だという。そして「このようなコミュニケーションをしていると、利用者は介護者がどう思うかが気になって素直な答えが出しにくくなってしまいます」という。さらに「近くにいる人に影響されてそれを自分の意見とすることは、誰にでもあるごく普通のことです」とし、意見が違ってもそれが認められる関係ができていれば、利用者は別の意見を普通にしゃべることができるという。その意見に引きずられない関係性、あるいは引きずられてもいいと思えるような信頼関係があればいい、ということなのかと思う。

そして、前述の「安易に聞いてはいけない、言葉だけのコミュニケーションに頼らない」という結論に続いて、
「自分が利用者に影響を与えることを恐れないこと。腰が引けた位置で利用者に関わっている介護者は、利用者から「意味がよくわからない人」というふうに見られてしまい、それがコミュニケーションの最大の妨げになってしまうのです」203p
と書く。

しかし、これもそんなに単純なことではないようにも思う。例えば、支援者がカルトの信者だったらどうするか。あるいはカルトに似た政治グループのメンバーだったらどうする、というようなことはあると思う。通常の宗教や政治グループなら、それなりの抑制は働くと思うのだけど・・・。心配しすぎだろうか? それらについては、もしかしたら本人だけではなく、親も納得するようなプロセスが必要なのかもしれない。

次に、金銭管理と健康管理の話が出てくる。これらへの支援については結論として、今のようにいわれる。
利用者の自由を前提として、それを利用者の自己責任に終わらせずに、結果として最低限の管理ができるように支援する。相当難しい話ですが、このことを両立させなければ地域での生活支援はできないのです。205p


あと、ちょっとうなったのが、212pの記述
・・・利用者からの指示または事業所のコーディネーターからの指示に基づく介護の場合には、介護者もある程度考えやすいのですが、そのどちらの方法でもない介護というのは、いったいどのような介護なのでしょうか?

介護者が利用者の希望をふまえ、さらにコーディネーターの意見も聞いて、それでも最終的には利用者との間で介護者が自分の判断で行う介護、このような形でなされる介護は「利用者と介護者の関係に基づく介護」と呼べるでしょう。・・・目指すべき場所は、そのような介護ではないかと思います。


前の章で「人間関係にもとづく介助」を寺本さんは半ば否定していることは、メモその2 http://tu-ta.at.webry.info/201108/article_4.html で紹介した。以下に再録
ていねいに指示ができる人だけが介助者を使えて自立生活ができるのではなく、介助を使うことはそもそも難しくたいへんなことなんだというのが普通であって、介助者の側もどれだけそれを理解し応えられるかという問題である。

では、何によって介助・支援すればいいのだろう?
「介助者手足論」に対して、たとえば「人間関係にもとづく介助」をもってくるのか? あるいは、別の”客観的な”基準をもってくるのか?

どちらも正しいと思うし、どちらでもない、なにか違う感覚がある。「人間関係」といっても、確かにビジネスライクなだけではやっていけない。かといって人間関係だけでは当事者の側によほどの魅力というかコミュニケーション的な能力が求められてしまうし、介助者側の独善や一方的な関わりになってしまう。 167-168p


しかし、ここでは同じように、「人と人との関係に基づく」という言葉が使われているものの、違うことが語られているようにも思える。

末永さんの「利用者と介護者の関係に基づく介護」



寺本さんが主張する「人間関係だけでは当事者の側によほどの魅力というかコミュニケーション的な能力が求められてしまうし、介助者側の独善や一方的な関わりになってしまう」

この2つの主張の関係をどう考えたらいいだろう。

寺本さんはビジネスライクな介助ではない介助という文脈で、この表現を使っているし、末永さんは介護にかかわる賃金とは別の文脈で語っているのは間違いないのだが、それでも「人間関係」をキーワードに使うと寺本さんが書いているように、「介助者側の独善や一方的な関わりになってしまう」危険は小さくないようにも思える。

「介助者側の独善や一方的な関わり」にしないために、どのような担保が準備できるのか、あるいはそんなものはないのか。複数の介護事業所が関わり、率直に議論し、連携するという形での複数性は、ひとつの担保になりえるのだと思う。

214p部分、抜粋・要約
自立生活をしている身体障害者の介護に入ると、いい意味で「待つ」ということの大切さを身に付けることができ、知的障害者の介護や支援を経験すると、一つひとつの行為について本人の希望通りではなく、介護者・支援者として主体的に考えて判断する姿勢が身に付きます。その上で、本人と「一緒に考える」という技術を身に付けた人は、良い介護者・支援者になることができます。

そして、事業所としては、両方の支援に関わることが、結果としてスタッフを育てていく上で大きな要素になる
、という。

経験を積むことはすごく大切だと思うが、それにプラスする何かも必要なのではないかと思う。とりわけ、知的障害者の支援で《本人と「一緒に考える」という技術》をどのように身に付けることができるのか。そこのところに踏み込んだ記述が欲しいと思った。ぼくが読み落としている可能性も小さくはないけど。

216pでは在障会系の団体と自立生活センターの違いが出てくる。

これ、http://tu-ta.at.webry.info/201108/article_6.html

にも少し似たようなことを書いた。
ここには以下のように記載されている。
新田氏らは・・・1980年前後からいくつかの制度による介護料を」まとめる形で、何人かの専従介助者を雇うというやり方で自立生活を維持してきました。この方式の基本的な考え方は、障害者と専従介助者がお互いに相手の生活に責任を負うというものです。この考え方はその後全国的に広がった自立生活センターが採用している消費者主義の思想とは大きく異なっています。自立生活センターでは、介護制度という金銭を媒介として、利用者である障害者が事業所や介助者を選択していくという考え方から、利用者が必要に応じて時間で介護者を雇っていくという時給制が採られています。その中で利用者はある介護者が気に入らなければ人を替える、逆に介護者もある利用者の介護が大変だと思えば別の利用者に移る、そのように双方がお金を媒介として選んでいくという現象が進行していきました。その結果、介護者は時給で働くフリーターに近い存在となって、2、3年で介護という仕事から離れていく人が非常に多くなってしまったのです。


これ、大筋ではそういう側面もあるかなぁと思えるのだが、CIL側からすれば異論は小さくないだろうと思う。

実際問題として、在障会の専従介助者は長く働いている人は多かったが、それがフリーターとどれだけ違ったかといえば、かなり心許ないような気がするんだが実際はどうだろう。また。CILと在障会系のグループって、こんな風にきっぱりわけられるようなものでもないと思う。その濃淡はグラデーションのようにあったのではないだろうか。

ただ、ここで末永さんが書いているように事業所の介助者について、常勤雇用で年収350万という線をめざすというのは、ささやかだが重要なことだと思う。350万がめざすべき金額かどうかは??だが、現実は厳しいのだろう。

そして、この章の最後のほうに末永さんが書いている、介護者は当事者ではなく、コーディネータや事業所のほうを向きがちなので、そこをきっちり当事者に向くようにしなければならないという指摘はとても重要だと思う。

この章は以下のように閉じられる。

たとえ事業所に雇われていても、介護者が事業所の方を向いて(意識して)介護するのではなく、利用者のほうを向いて介護していくのだという基本的な姿勢を、事業所のコーディネーターは常に伝えていく努力をしなければならないと思います。そのためには実は不親切なコーディネーター(笑)というあり方が結構重要なのだと思います。

この読書メモ、更に続ける予定。(あくまで予定だけど)

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2011/08/12 08:44

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