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zoom RSS よい支援? メモその4 (完結編のつもり)

<<   作成日時 : 2011/08/12 08:44   >>

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このメモ、これまでの経過

その1
http://tu-ta.at.webry.info/201107/article_16.html
では寺本さんの前書きについて記述し、

その2
http://tu-ta.at.webry.info/201108/article_4.html
では、
2、3、4章を飛ばして(4章については後述予定)
第5章 意思を尊重する、とは──ある「支援」論 (寺本晃久)について書き

その3
http://tu-ta.at.webry.info/201108/article_8.html
は、末永 弘さんの「第6章 当事者に聞いてはいけない──介護者の立ち位置について」 のメモであり、

この、その4に続く。
ここでは7,8,9章を飛ばして「あとがき」と岡部さんの第4章に少しだけ触れる。



まず、「あとがき」について。(これも寺本さんが書いている)
http://www.arsvi.com/b2000/0811ta.htm
でも、一部、引用されているが、ぼくは違うところを引用してみたい。
本書で主張するのは、「周囲の人々や支援が、目の前にいる障害をもつ〇〇さんのことを知っていく、慣れていく」という支援のかたち。

さまざまなところで「自立支援」が謳われていると思う。でもその中で、どれだけの人が"自立"できているのだろうか?

自立できないのは「できること」が過度に本人に求められているからだ。まわりに支援があること、行政の側面的財政的支援があること、家族の理解があること、それらをつなぐ人・支援があることが重要だ。ただそれだけだ。その上で、様々な支援技法が役に立つことがある、という順番であってその逆ではない。

支援の構成も、"自立"のために「できないことを支援する」とか「残存能力の活用」という言い方がしばしばなされる。それは当事者側からも・・。284-285p


障害者自立支援という法律ができてしまって、その下で行われることはなんでも自立支援なのか、ということが問われなければならないと思う。いいにつけ、わるいにつけ、その名の下で行われていることで「自立支援」から遥かに遠いところにあることは少なくない。

さらに問題をわかりにくくしているのが、この名前の法律の本当の隠された目的(あまり隠されてもいないが)が、政府の財政支出の削減であったということだ。この法律では自立生活のために必要な経費も抑えようとした。

ともあれ、ここの
自立できないのは「できること」が過度に本人に求められているからだ。まわりに支援があること、行政の側面的財政的支援があること、家族の理解があるこ と、それらをつなぐ人・支援があることが重要だ。ただそれだけだ。その上で、様々な支援技法が役に立つことがある、という順番であってその逆ではない。
という主張はとても大切だと思うので、繰り返し引用しておく。


そして、寺本さんはこのあとがきで、
自立生活をしたいという本人の意思に過度に頼っている
と主張する。そういう側面はある。親元をでて地域で暮らすことは、まだまだ特殊だ。普通にそれができるような体制は必要だと思う。と同時にこの「自立生活」ってなんだろうという問いもまた、ぼくの頭から離れない。


そして、「メモ その1」で書いた、親密圏の話が再び頭をよぎる。

同じ生活書院からでている「知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本」
http://www.seikatsushoin.com/bk/055%20chitekishogaisha.html
という本があり、その説明文には以下のように書かれている。
この本は、2007年6月に発行された『知的障害者が入所施設ではなく地域で暮らすための本』を増補改訂したものです。 2009年、私たちの仲間でこの本にものっている2名の女性の方が、若くして亡くなられました。今現在、まだ私たちの支援の失敗について、明確な整理をす ることができていません。この本の出版を見送ることも考えましたが、これから自立生活をしようとしている方は後を絶たず、また、現在自立生活をしている仲 間に対しても同じ失敗をくりかえさないためにも、制度の変更とあわせて、現段階で出きる限りの改訂を行ないました。

この失敗のエピソードを読んだが、ここでも必要とされていたのは「親密圏」なのではないかと強く思った。知的障害の人全員ではないが、その多くは「親密圏」をより切実に必要としている人と考えることができないだろうか。その親密圏、多くの知的障害者にとって、いままでは血縁家族だけがそれとして認識されてきたのではないだろうか。そうではない、新しい親密圏が知的障害者のためにこそ必要なのかもしれないと思う。それは新しい家族と呼んでもいいかもしれない。もちろん、古い形の家族が好きで、それを当事者と受け入れる家族が望む場合はそういう選択肢もあるかもしれない。しかし、親が死んだ後に、そんな形を作ることはすごく難しいと思う。

「新しい親密圏が知的障害者のためにこそ必要」とまで書いてしまうと、すごいパターナリズムの匂いもするのだが、ぼくが知っている数人の知り合いの知的障害者を見ていて、そう感じるというのは、ぼくにとって間違いのないことだ。もちろん、それが正しいとは断言できない。

とりあえず、ぼくが書きたかったのはそのことだ。あとのことは、もうどうでもいいような話にも思えてきた。

そして、問題はその新しい親密圏をどのように形成できるか、という話だと思う。

形としてはグループホームに似た形態になるのかもしれない。そこで、サポートする人とされる人がいっしょにいて、心地いいと思えるような関係と空間。それは親密な空間なのではなだろうか。

ラルシュという世界的な知的障害者のコミュニティがあるのだが、彼らはそれをめざしているし、そのように生きることが出来るという、そのしるしになることを自らのミッションとしている。また、それは分裂した世界の和解が可能だというメッセージまで含んでいるようにも思える。ともあれ、この問題を考えていく上で、とても重要な材料を与えてくれると思う。

そのラルシュの運営は、いまも試行錯誤が続いているようにもぼくには思える。いっしょに住むアシスタントを確保するのはそんなに容易ではない。そして、その小さな家を維持するためのさまざまな努力がある。障害のないアシスタントは数年すると、違う場所に行きたくなるし、行くことができるし、実際に出て行くことが多い。知的障害を持つコアメンバーは、アシスタントがいなくなるたびに感慨深げだ。もう慣れたということもある。しかし、家族のような少人数で生活する、その親密な空間は少なくとも知的障害を持つコアメンバーが生きていくうえでは不可欠なものなのではないかと思える。

そこでは新しい親密圏がめざされているのだということもできるのではないだろうか。その実験的な実践はつねにチャレンジングでもあるが、同時に、落ち着いた日常を求めている。ぼくはそこに流れる空気が好きだが、嫌いな人もいるあもしれない。

そして、そのコミュニティを維持するために「信じること」が必要だという。親密な空間を維持するためにスピリチュアリティが必要だというと、マテリアリストには批判されるかもしれない。このあたりの結びつきでも出来るだけ、理解可能な言葉で説明される必要があるのだと思う。






で、最後に岡部さんの
第4章 ハコに入れずに嫁に出す、ことについて──〈支援者としての親〉論
について触れよう。

岡部さんは、娘ではなく息子が障害児だから、こんな風に書いても、ジェンダー的にはそんなに抵抗がなかったのかもしれない。書くまでもないが、フェミニストが嫁に出すとか嫁を取るとかいう言説を批判していたのは、出されたり、取られたりする人の意思や人権が無視されているから、ということだろう。だとしたら、この「嫁に出す」という比喩はやはり不適切というか、問題ありと言わざるをえないのではないか。

正直、気持ちはわかるような気もする。知的障害のある息子を施設に入れずに、自立生活をさせるという親にとっての選択は、そんな気にもさせるような選択なのだと思う。それはこの章を読んでいても滲んでくる。しかし、その言葉が自分の気持ちと近いということで使うことの弊害はあるのではないだろうか。

親が「嫁に出す」という感覚と。知的障害者が自立生活を選ぶということのあいだに、何が隠れているのか、そこに何を見なければならないのかということこそを、もっと明確な言葉で岡部さんに語ってほしいと思う。



===
いろいろ書いてきたが、この本のメモ、以上。

意見とかあれば、出してもらえたらうれしいです。

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多摩市における重度知的障害者の自立生活
「良い支援?」 第3章 それぞれの自立生活への道と自立生活獲得のための支援 のメモ ...続きを見る
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2012/06/03 05:01
「知的障害者と親密圏 「知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本」に触発されて
よい支援? メモその4 (完結編のつもり) http://tu-ta.at.webry.info/201108/article_9.html に書いた話なのだが、読み返してみて、いいたいことがわりとまとまっていると思ったので、以下に独立させて公開。 〜〜〜〜〜 「知的障害者が入所施設ではなく地域で生きていくための本」 http://www.seikatsushoin.com/bk/055%20chitekishogaisha.html という本があり、その説明文には以下のように書... ...続きを見る
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「嫁に出す」は「感覚」というよりは「構造」ですね。ふりかえってみても、やはり「家出」でも「駆け落ち」でもなかったし。「本人の意思や人権」をいうならばこそ、支援者も親も「自立」や「自立支援」のなかに在る権力性・非対称性を自覚的に(割り切るのではなく)持続的に引き受けていかなきゃいけないんじゃないの、とも。じつは、このあたりは「支援vol.2」に書こうと思ってるので(笑)ひとまずこのあたりで…
岡部耕典
2011/08/12 10:51
岡部さん、どうも。
じゃ、「支援vol.2」楽しみにしています。
tu-ta
2011/08/13 10:18

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