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zoom RSS 『災害ユートピア』メモ

<<   作成日時 : 2011/10/14 07:08   >>

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大好きな本「暗闇のなかの希望」のレベッカ・ソルニット本なのでいつか読もうと思っていて、やっと読了。

災害ユートピア―なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか [著]レベッカ・ソルニット

朝日新聞の書評を柄谷行人が書いている。
http://book.asahi.com/review/TKY201102080172.html

3・11前のことだ。

その結語には以下のように書かれている。

他人とつながりたい、他人を助けたいという欲望がエゴイズムの欲望より深いという事実を開示する。むろん、一時的に見いだされる「災害ユートピア」を永続化するにはどうすればよいか、という問題は残る。しかし、先(ま)ず、人間性についての通念を見直すことが大切である。



紀伊国屋の書評空間では長谷正人さんが
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hase/archives/2011/03/post_18.html

以下にも書評がある。

Kousyoublog
http://kousyoublog.jp/?eid=2573

シロクマ日報
http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2011/03/post-e4a9.html

書評テトリス
http://d.hatena.ne.jp/kojitya/20110414/1302741513
これらを読むとだいたい読んだ気になれそう。あらすじが知りたい人は上記をどうぞ。

そこに書いてない話を中心に抜書きとメモ。

冒頭近くに
「どんな信念であれ、それに基づいた行動は、世界をイメージどおりに変えられる」(13p)
とある。このオプティミズムはすごいと思う。ここにレベッカの核があるようにも思う。


災害直後に自然発生的に発生することが多いユートピア的なコミュニティが
果たして欠陥と不公平だらけだった以前の秩序に戻すか、それとも新しい秩序――より圧政的なものかもしれないし、あるいは災害時のパラダイスのような、より公平で自由なものかもしれないが――を実現させるかどうかの闘争が生じるのだ。30p

この本を読んでいると、基本的なところでは以前の秩序に戻ることが多いようだ。いくつかの部分的な例外もあるが。直接的に持続的な社会のラディカルな変化につながった例はなかったように思う。しかし、その記憶が人々を勇気付けるというようなことはあるだろうと思う。

今日のユートピア構想のほとんどが上から押し付けられたたった一つの理想形ではなく、多数の世界やバージョンを含んでいる。・・・デイヴィッド・グレーバーは「スターリン主義者たちは偉大な夢を抱いていたので人を殺したのではなく・・・自分たちの夢を科学的必然であると勘違いしたので殺したのだ。それゆえに、彼らは、自分たちには暴力という手段でもって自分たちの構想を押し付ける権利があると感じていた」と・・・35p

内ゲバで人を殺すのも同じ論理なんだろうと思う。内ゲバといえば、これまでのそういう行為をなんら反省してないグループが、そのことを隠して、NAZENとか九条連とかいう形で、いまでも平気で活動してるのをみるとうんざりするなぁ。


先住民の伝統に深く根付いてはいたものの、サパティスタの革命は過去に例のない真新しい結果を成就した。・・・地球規模の市民社会に向けてインターネットで速報を配信・・。・・・ローラ・カールセンは「サパティスタの運動は言葉のもつパワーを拒絶しながらも、同時に、言葉には抵抗運動のネットワークを世界に広げるパワーがあることを証明しました。過去にあった革命運動と違い、彼らは政権を奪って新しい国づくりをするとは宣言しなかった……サパティスタは支配したり、争ったり、政府と対決したりするよりむしろ、草の根から別の体制を作り上げる方向に深く傾倒していったのです。中心となったのは自治権の確立…」…
 サパティスタがチアパスに作った社会も、また彼らが世界中に配信したスローガンや文章に提案した社会も、災害コミュニティに非常によく似ていた。245-246p
確かにマルコスのメッセージは基本的に希望に満ちていた。しかし、チアパスの社会が本当にそうなのかどうか、ぼくは知らない。伝統的な先住民社会とどこが同じでどこが異なるだろう。

そして、そこには外部に敵が存在した。外部に敵を持つコミュニティが団結せざるをえないという側面は確かにある。災害コミュニティにもそれはいえるかもしれない。敵の姿が見えにくくなったとき、その求心力は失われていく。大切なのは、この本にも書いてあるように、革命の経験が「次世代への希望を増加させる」(36p)のと同様に、災害コミュニティの経験が「次世代への希望を増加させる」ということなのだろう。

と、思うと同時に、例えば、スターリン主義の革命の経験は人々に大きなマイナスの意識を植え付けたんじゃないかとも思う。

その話からは少し外れるのだけど、ここでキューバでの災害対策の話がでてないのはどうしてだろうと思った。カトリーナのときも、キューバはニューオリンズより、ずっとうまくやりすごしたはず。災害ユートピアの観点から見たキューバの防災活動・災害対処というのは面白いテーマになるんじゃないだろうか。プラスであれ、マイナスであれ、その現代的なリアリティをうまく描くことができれば、この本はもっと深みを増していたかもしれないと、いま、思った。


以下のPTSDの話、言われてみるとそうなのだが、忘れていた視点だった。

(911後に援助を申し出た精神科医の一人が『NYタイムズ』に)「人間の普通の反応が医学的な問題にされることについては、もっと危機感を抱くべきだ」と語った。つまり異常な状況の中で、普通とは違った心理状態になることは正常なことであり、必ずしも専門家の介入は必要としない。それにもかかわらず、推定9千人の心理療法士が・・・殺到し、手当たりしだい、見つけた人を治療した。『ワシントン・ポスト』は、惨事の体験者たちにPTSDが広く見られるという常識を、「この悲劇のあとに、精神衛生カウンセラーたちの一部が固定化させた虚偽」と呼んだ。これもまた、生き延びた人たちを、立ち直りが早いと見る代わりに、傷つきやすいと描こうとする手口の一つなのだ。社会学者のキャサリン・ティアニーは「わたしが生きている間に、トラウマ産業が生まれ、開花していくのを眺めているのは非常におもしろかった。災害がPTSDを広範囲に引き起こすという説は証明されていないどころか、むしろ真偽が問われている。災害の被災者が回復するのに、まわりのサポートではなく、何らかの専門家の助けがいるのかどうかも、大いに論争の的になっている」と語っている。305p
医療の過剰と産業化の話で、言われてみたらそうだなぁという感じなのだが、PTSDについては、なんとなく信じ込まされてたなぁ。大事なのは専門家よりも、横のつながりなんだろうなと思った、



革命について本質的な疑問の1つは、公的機関や制度レベルの変化で果たして十分なのか、それとも人々の心や日常生活における行動を変えることにこそ、そのゴールを置くべきなのかだ。キングはアメリカにおける公式な人種隔離や人種差別の撤廃と、市民一人一人の精神と想像力の変革両方を欲した。400p

難しいのは精神や想像力の変革を外から求めると、おぞましいものになることが多いということ。よかれと思って、そのおぞましさを自覚しない場合はより怖い。


410pで紹介されている組織「コモン・グラウンド」のモットー。「慈善でなく、団結」「『被災者のために働く』のではなく『被災者とともに働く』」

ここは大事なところで、いま、もっと語られなければならないと思う。ただ、留意しなければならないのは、『ともに働く』ためには待つことも必要なこと。そのあたりはけっこう難しい話でもあるなぁと思う。受動的な被災者を支援者が作ってはいけない。しかし、「ともあれ、支援が必要」という局面もあるし、力なくたたずみ、支援を待つ人もいるだろう。支援のコーディネイトの力が問われるところだ。

エピローグから
・・・。災害の歴史は、わたしたちの多数が、生きる目的や意味だけでなく、人とのつながりを切実に求める社会的動物であることを教えてくれる。・・・日常生活は一種の災難であり、それを妨害するものこそが、わたしたちに変わるチャンスを与えてくれることを示唆している。災害は普段わたしたちを閉じ込めている塀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのはたいていこれらだ。成功するのは市民社会のほうで、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性や機知を駆使する。427p
そこのところをどう公的機関に理解させるか。かなり、わかってきてる面もあるが、便利に使いたいだけという感じもある。



・・・。災害の中の喜びは、もしそれが訪れるとするなら、はっきりした目的の存在や、生き延びることや、他人に対する奉仕への没頭や、個人に向けられた個人的な愛ではなく市民としての愛からやってくる。市民の愛――それは見知らぬ者同士の愛、自分の町に対する愛、大きな何かに帰属し、意味のある仕事をすることに対する愛だ。
 脱工業化した現代社会では、このような愛はたいてい冬眠中か、もしくは認められていない。それゆえに日常生活は災難なのだ。というのは、役割を与えられて行動することこそ、社会を、回復する力を、コミュニティを、目的を、そして生きる意味を築く愛だからだ。429p
工業化と脱工業化も微妙だと思う。工業化した段階で、このようなコミュニティに対する愛は消されつつあるようにも思う。また、そして、この「自分の町に対する愛」は容易に愛国主義に変えられるという問題も見ておかなければならないはず。その二つをちゃんと区別しなければ、痛い目にあう。


OXFAMは「・・・人々を災害に弱くするのは貧困と無力感だ・・・」・・・後者(無力感)について・・・。・・・災害時に人々がどのように反応するかを認知し、一般大衆に対する公的機関の恐怖と敵意を減らし、さらに災害学者が「向社会性」と呼ぶ行動を災害対策の中に組み込むといった、もっと非物質的な変化も必要だ。432-433p
防災計画をたてるときに、このことがどれだけ考慮されてるだろうと思う。しかし、これを組み込むためには、その準備がなければならない、ともいえるかもしれない。日常的なコミュニティの形成の努力が、それを成功に導くのではないだろうか。

消防士「災害においては、物はもはや重要ではない。人だけが重要だ」437p




とりあえず、気になった部分を抜き出してメモを書いた。

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