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zoom RSS 「災害廃棄物を東京で焼却すること」について

<<   作成日時 : 2011/11/17 22:27   >>

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福島原発事故緊急会議/事故情報共同デスクのウェブサイトに掲載された
「災害廃棄物を東京で焼却することへの疑問と考え直すことを求める決議/10/8・日の出の森・支える会講演会参加者一同」
http://2011shinsai.info/node/919

これに関して、あるMLでIさんからこれへの違和感が提出された。この違和感にも同意できる部分があった。この決議文では必要な疑義が出されていると思うのだが、それにコメントを書いたので、ここに若干訂正して残しておく。

====

この問題、すごく悩ましいです。
しかし、考えなければならない課題をたくさん含んでいると思います。

小倉利丸さんはブログで「東京・首都圏で受け入れるべき」という主張をされています。

原発輸出と汚染瓦礫の処理---東京をゴミ捨て場に!
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=141

ぼくはこれを読んで考え込んでしまいました。

FBとに以下のようにメモを残しています。
===
過激だと思えるかもしれない。でも、考えなければならない話だと思う。原発の受益者は誰だったのか。とはいうものの、東京の社会運動がこの主張をどう考えるか、難問でもある
===

小倉さんは以下のように主張します。
====
私は、利益だけ取り、リスクを取らないという態度は許されない、と原発の事故以降繰り返し主張してきた。汚染瓦礫の問題は、まさに福島第一原発の電力供給の受益者(消費者、とりわけ大量のエネルギーを消費する経済界)がそのリスクを負うべき問題として処理されるべきだと思う。東電管内以外に汚染瓦礫を拡散させたり福島県内に溜め込むといったことは、受益者負担の原則に反する。電力消費の大きさに応じて、リスクも負ってもらうしかなく、そうとすれば、最大の瓦礫の引き受け手は東京や首都圏以外にありえないのではないか。大都市は原発の利益だけを享受し、この原発のリスクを地方に押し付けたのだが、廃棄物や汚染物質についても同様の態度を繰り返すことができるのだろうか。もちろん、第一に原発事故の責任は東電と政府が負うべきであるが、だからといって、日本中に汚染を拡散させることがもっとも理にかなった処理とは思えない。首都圏がまず第一にこの汚染というリスクを引き受けなければならない。

もし、そうでないなら、汚染は受益者以外の人々に負わされてもよいということになり、さらに、日本国内で引き受け手がいないなら、国外に、という発想を否定できないことになる。首都圏のような巨大な人口をもつ地域が汚染瓦礫などを引き受ければ、当然、この場所は住むに耐えない場所になるだろう。しかし、すでに福島第一の周辺は住むことができていないのだ。福島第一周辺は住めなくてもよく、原発の受益者である東京は住みつづけられる場所であるべきだ、というのはいったいどのような理由によるのだろうか?東京、あるいは首都圏は、別格なのだろうか?こうした特別視は、逆に地方への差別を内包させているのではないか。

言うまでもなく、上で述べたことは、福島第一だけでなく、他のすべての原発の廃棄物や使用済み燃料の処理についてもいえることであって、モンゴルや六ヶ所村に押し付けるべきではなく、それぞれの原発が供給する電力によって利益を享受している地域がそのリスクを引き受けるべきである。利益だけを取り、リスクを取らない、そのような特権的な構造がこの国の地理的な空間には存在しているから、ゴミ処理を日本中の自治体に押し付けるという発想に疑問をもたず、「受益者負担」というネオリベラリストが大好きな手法をこうした場合にはおくびにも出さない。都市と地方、メガシティと農村、近代資本主義が生み出した空間の差別と搾取の構造は、変わりなく存在しているということである。東京に原発を!というスローガンがあるように、東京をゴミ捨て場に!というスローガンもまた叫ばなければならない。(東京は大阪と読み替えてもいいし、僕が住む富山もまた、北陸電力の本社が立地する場所として、免罪されえない場所である)
====

受益者がリスクをとるべきだという主張は整合性があると思うのです。

ぼくも以上のような観点から、Iさんと同様の疑問も感じます。

そして、その先でどう考えるのか、が問われていると思います。

例えば、
東京に、と 言われて被害を受けるのは東京に住む比較的弱者の側の人になるのではないかとも思います。

また、多くの反対運動は、自らの被爆ではなく、こどもの被爆を問題にしていす。
そういう自然発生的な声とつながることも、運動にとっては重要なことだと思います。

では、東京・首都圏の運動は、どう考えるべきなのか。

これといった答えはでません。

どうするべきか、

最低限、必要なことは、原発で被害を受けている人たちの声と東京の運動が意見を交わすことではないかと思います。

Iさんが書いているように
===
私はがれきの焼却の件では焼却場の労働者の被曝の問題に関心を持っており、そして同時に、焼却場周辺の住民も被曝の可能性があることも憂慮しています。

 逆にいえば、原発労働者を含む労働者と、福島の人々を含む住民が共通に考え、連帯できる重要な課題と思っています。
 この問題で、人々の間に「分断」が起こるようではいけません。
===
という視点が必要だと思います。同時に、それを越えるのはそんなに簡単でもなさそうだとも思います。


その「分断」をどのように超えることができるのか。
福島、あるいは被災地の運動と東京の運動がこの問題をどう考えたらいいのか、
率直に意見を交わし、しかし、分断されないというようなことが可能になるような方法を考えなければならないのではないかと感じました。

まとまらないのですが、とりあえず、思いついたことを書きました。


追記

あと、別の観点として
瓦礫は本当に燃やさなければならないのか、

東京に持ってくる予定の瓦礫の放射能汚染のレベルが本当に低いのであれば、再処理して資源化する産業を地元に作ることはできないのか、などと愚考したりもしています。

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