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zoom RSS 「「災害廃棄物を東京で焼却すること」について」にArisanが言及してくれてます

<<   作成日時 : 2011/11/20 09:12   >>

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「災害廃棄物を東京で焼却すること」について」について
Arisanのノート
瓦礫受け入れ問題を考える
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20111119

ここにArisanが書いている「こういう問いそのものが、原発という不正義・暴力によって、ぼくたちに押し付けられた、まったく不当な問いだ」という指摘は何度も繰り返されなければならないと思う。

22日には、前の記事で紹介した小倉さんのブログ記事がきっかけになって、集まりも開かれるそうだ。
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東京を放射能のガレキの山に? それでも逃げたい!? それじゃ喰えない! じゃあ、どうする?
By 地下大学東京
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=149
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これにも行きたいけれども、ちょうどこの日、大田区での育鵬社教科書採択についての集まりの打ち合わせがあるので、行けないのが残念。


Arisanのブログの話に戻ろう。

ぼくが表面的に違和感を感じて、そのままその表面的な違和感を表現しているのに対して、Arisanはさらに深く切り込んで考察してくれていると感じた。ぼくのブログがその考察のきっかけになったのであれば、うれしい。

で、Arisanの考察は、複雑なことを複雑なまま、しかし、わかりやすく書いていると思う。

短い文章なので、ぜひ、全文を読んで欲しい。

だけど、ちょっと引用する。
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・・・瓦礫の受け入れを拒むという行為(それは正しいと思う)の結果として、被曝の危険性が増してしまうであろう他人の存在をも、意識から消し去ることなく、関心を持ち続け、よりより対応を考え続ける。

それこそが、国や自治体や企業によって押し付けられる「分断」に抵抗することになるのではないだろうか。

これは決して、「リスク(被曝)を分かち合え」ということではない。

先にも書いたように、リスク(の分担)の押し付けに反対し、被曝から自分や家族、また子どもたちや弱者の健康を守ろうとすることは、元来、福島の人たちのために行動することと、ひとつながりのことであるはずだ。

このリスクを受容することからは、原発に対するNOを言うことは、したがって原発を維持し続けようとする体制を変え、福島の人たちを原発という差別的な存在から解放することは、決して可能にならないだろう。

だが、その原発体制(リスクの分かち合いを通して、原発への容認を社会に根付かせようとする権力)に対する抵抗と同時に、その同じ抵抗のもうひとつのあり方として、ぼくたちは、「移住する選択をした(しようとしている)人たち」と、「住み続ける選択をした人たち」とを、分かつことなく配慮し、想像する心を持つべきだと思う。
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例えば、昨日、池辺幸惠さん @ike_yukichan の以下のツイートを読んだ。
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除染なんてたかがしれてる。森と畑の福島を殺したのは誰?森の葉一枚一枚の除染はできない雨で風でバラまかれる。30年間50兆円の除染なんて無駄金またまた利権がらみ。そんなのやめようよ!そのお金で福島原発周囲の避難したい人たちの土地を妥当な値段で買い上げて、放射能瓦礫処分地にしよう。
2011.11.19 10:57
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すごい善意で書かれているのだろうし、避難したい人にはすぐにでも避難させてあげたいと思いつつも、これにかなり違和感を感じて、以下のレスポンスを書いた。
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「除染なんてたかがしれてる。森と畑の福島を殺したのは誰?」というのは確かに正論だと思うのですが、故郷を思う人の心の襞みたいなものもちゃんと見ていく必要があるのだと思います。  2011.11.19 11:04
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そう、避難したい人の土地を買い上げて、そこを処分場にしたら、避難したくない人、何かの事情でできない人がさらに危険にさらされることになる。

そして、できるだけ安全に除染する方法はもっと考えられなければならないだろう。早く故郷に帰りたいという人の気持ちにも寄り添いたいと思う。

前にも書いたし、Arisanも書いているように、ここでの原発の暴力による分断を最大限、避ける必要があるのだと思う。

そのために何が有効なのか、もっと考え続けることが必要なのかもしれない。

少なくとも、それは自分たちの安全だけを考えて、放射能汚染の問題は主張するけれども、原発には反対しないという立場ではないはずだ。

とはいうものの、現実に大量の瓦礫は存在する。それをどうするか、脱原発の市民を含めた公開の討議の場のようなものや、そういう市民を含めて、人びとが納得するような瓦礫の放射能汚染に関する測定が必要なのではないだろうか。

オープンに、そして被災した地域の人々の意見や気持ちもリスペクトしながら、話し合うような環境が必要だと思し、それをどうしたらいいのか、多くの人が納得できるような協議の場が持たれなければならない。

そういう努力を抜きに一方的に押し付けることで、被災地と瓦礫受け入れ地点の分断がより強固に作られようとしている。それはこれからも原発を推進したいと考えている人々の思惑に乗ることにもつながるように思う。

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