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<<   作成日時 : 2011/12/08 01:10   >>

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岩波ブックレット

原発とヒロシマ
「原子力平和利用」の真相

田中利幸(序章、2章、終章)
ピーター・カズニック(1章)
(アメリカン大学准教授・核問題研究所所長)


より詳しい説明は
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/10/blog-post_11.html
岩波の紹介サイトから引用
===
アメリカが,まさに被爆地である広島を「原子力平和利用」戦略の「宣伝」のターゲットにしたことは,あまり知られていません.被爆地が自ら「平和利用」の意義を主張することが,アメリカの核戦略を正当化することにとって,この上なく有用だったのです.
(編集部・田中宏幸)
===



序章から
53年12月8日アイゼンハワー大統領の国連でのアトミック・フォア・ピース演説
「アメリカは、恐ろしい原子力のジレンマを解決し、この奇跡のような人類の発明を、人類滅亡のためではなく、人類の生命のために捧げる道を、全身全霊を注いで探し出す決意を、皆さんの前で、ということは世界の前で、誓うものである」
これは防ぐことのできない原子力技術の拡散を兵器以外に限定し、核兵器については現在の核保有国が独占するためのNPT体制の出発点となるもの。


第1章 アイゼンハワーの核政策
――「戦争」そして「平和」のための原子力利用

この演説の直後54年3月に第五福竜丸事件は「アイゼンハワーの計画を狂わせ・か・け・た」13p
原子力委員会委員のトーマス・マレイの提案。「広島と長崎の記憶が鮮明なうちに、日本に原子力発電をつくること・・。こうすることで我々は広島、長崎の惨劇の記憶を乗り越えることがげきるであろう」15p

15-17p
54年から55年にかけて、原子力の平和利用キャンペーンについての記述がある。原水爆禁止署名のことにも触れられている。明確には書かれていないが、ここからその両者が同時に成功裏に進んでいることを読み取れる。それらは並存可能だった。

第2章 「原子力平和利用」とヒロシマ
――宣伝工作のターゲットにされた被爆者たち

上に引用した紹介文で編集者(田中宏幸さん)は、《「アメリカが,まさに被爆地である広島を「原子力平和利用」戦略の「宣伝」のターゲットにしたことは,あまり知られていません》とやわらかく書かれているが、本文中では「広島の市民を含め私たちは、ほとんど忘れているか無知である」と田中利幸さんは書いている。


「原爆の子」長田新の「平和利用」への強い希望30p

森瀧市郎の当初の拒否、その後の融和的態度、最終的な反省と拒否30、44、45、53、54、61p

32pで著者は以下のように書くのだが、疑問が残る
===
 (広島に原発をという)彼らの真の目的は、原爆の被害者である被爆者に「原子力平和利用」という考え方を基本的に受け入れさせ、同時に日本のメディアが全面的にこれを支持するような状況を作り上げることで、第五福竜丸事件が日本全国に波及させた反核アレルギーをできるかぎり除去し、かくして"Atoms for Peace2"政策の正当化を図ることにあった。
===
前にも、書いたし、この本にも書いてあるように原水禁運動の広がりと平和利用キャンペーンは併存可能なもので、第五福竜丸事件は原水爆禁止の声を広げたが、平和利用に反対する中身には波及しなかったし、CIAと読売のキャンペーンがなくても、平和利用への拒否はそんなになかったのではないだろうか?

読売を使った米国のキャンペーンは核兵器と平和利用の切り離しに影響を与えたのかどうか?切り離しには成功したかもしれないが、それは少なくとも核兵器反対には影響がなかったように思う。米国の意図と、生じた結果について、より厳密に見ていく必要があるのではないかと思う。

58pで著者は日本の反原発運動の弱さを指摘する。そこでは反核運動組織や被爆者の支援を受けなかった運動の弱さを指摘しているが、果たして、そのことが本当に問題なのかどうか、チェルノブイリ後に持続的な反原発運動を形成できなかった問題に関して、それはとても副次的な要因だ。なぜ、それが継続できなかったのかということはもっと考えられなければならないにしても。

この章の結語で田中さんは反原発運動を持続的に大きな規模で形成できなかったことに関して、とりわけ反核運動に取り組んできたものは、このような歴史的背景を持つ自己の弱点を徹底的・批判的に検討する必要がある、とし、以下のように書く。(これがこの章の結語でもある。)
====

そのような真摯な反省の上に立って、今後、反核兵器運動と反原発運動の統合・強化をいかに推進し、人間相互の関係ならびに人間と自然との関係が平和的で調和的な社会をいかに構築すべきかについて、広く議論をすすめていくことが今こそ求められている。58p
===
前半はともかく、後半の課題はとても大切だと思うものの、きつい言葉で書いてしまえば、まあ誰でもが書けるお題目みたいなものなので、じゃあ、それをどういうプロセスで実現するのかという、より踏み込んだ提案を著者には期待したいと思った。


終章

著者は2011年の6月にベルリンに滞在した際に訪問したホロコースト博物館とユダヤ博物館の印象を<見学者に「人間とは何か」という根源的な問いかけが自然と迫ってくるような、素晴らしい建築デザインになっていることにいたく感動した>という。
そして、そのいたるところで中高生が先生を囲んでグループディスカッションをしていたという。

これはちょっと見てみたいと思うと同時に、じゃあ、ここではパレスチナがどう描かれているのだろうと思った。欧州のユダヤ人差別の歴史がホロコーストを生んだのは間違いないが、それをイスラエル建国で欧州の外でやりすごそうとしたのではなかったか。そこにどんな風に踏みんでいるのか、ぜひ、見てみたいと思う。


それらを紹介した後で著者は歴史に真摯に向き合おうとするドイツの教育を高く評価する。ドイツの脱原発の動きもそれと重ねられる。

そして日本の教育がそれとは逆に「過去を真摯に見つめる教育を怠ってきた」と指摘する。ステレオタイプな感じがしないでもないが、大筋ではその通りだと思う。日本の教育全体がその方向に変わる可能性はあるのだろうか?逆の方向への強引な動きばかりがめだつなかで、本当に絶望的な気分になる。

「自分の頭で考える」ために何が必要なのか、育鵬社の教科書をそんな風に使うためのガイドブックとか、誰か考えてくれないかなぁと思う。

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