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zoom RSS 『脱成長の地域再生』メモ その2

<<   作成日時 : 2012/01/22 21:42   >>

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http://tu-ta.at.webry.info/201201/article_3.html の続き

第5章
生活公共の創造
家庭生活から出発する
住沢博紀


ぼくにはこの章がいちばん印象的だった。

まず、この章の扉にある高橋さんの紹介を要約
住沢、ここで「生活公共」という概念を提示。「社会民主主義」が日本では適切に理解されていないから。その原因は「社会=ソーシャル」と考えたこと。ソーシャルは生活にも近いが、生活民主主義でもない。ソーシャルは自立した個人を前提とするが、日本ではい「生活者は個人の場合も、家族の場合も、集団の場合も」ある。住沢がこの差異にこだわるのは日本のソーシャルが不安定で、地域再生を論じるには個人よりも家族や集団(コミュニティ)を基盤にした生活(者)と公共(行政)の関係に焦点をあてるほうが明確になると見抜いたから。159p

この章の主題は社会民主主義とは何かではないのだが、こここで語られている「社会」の訳の問題は気になる。同様に社会主義というときの社会もまたこのような意味なのだろうか?

外国の概念を日本語に置き換えると、時間の経過とともにその意味内容が変化していくという話はけっこうあると思う。「社会」という語もまた、そのように変化しているようにも思える。英語でいうときの社会民主主義が示す内容と日本語でいうときのそれが示す内容も異なっていそうだと思う。
その違いが何なのか、「生活」という意味に近いことはわかったが、意味内容はぼくにはもう一つ明確にはわからない。


冒頭で住沢の原風景としての三重県伊賀地方の記述。(愛農などもここにあると鎌田さんから聞いた)商店街よりも農村の方がコミュニティが残っている。

85年から2005年の20年で夫婦のみ世帯と単身世帯は3倍以上に増加。しかし、再生のために残されている時間は10〜15年

伊賀市には全国的にも規範となる自治基本条例があり、自発的な参加に基づく「住民自治協議会」がある。阿保地区、構成団体は伝統的な地縁組織の地区や区長。NPOなどは別メニュー。そこで明治のコミュニティを再生できるかどうかが課題。167p

ドイツでは地域の再生とは古い街並みの再現だったが日本ではそうはいかない。として、以下のように書く
再生があるとすれば、こうした変動の結果生まれた、現風景に存在している生活資源や人的ネットワークを活用することにより、新しい質の、より豊かな地域生活を創出するほかにありません。

===
再び要約
それはゼロからの出発ではなく、家庭生活の資源、コミュニティ生活は地域に残存していて、新しく作られた家業など豊かな生活資源や社会経済的な資源も蓄積されている。こうした広い意味での生活資源を活性化させ、新しい協働のあり方を創造すること、それを「生活公共」という概念を設定することにより論じていきたい。


2節
「ソーシャル」と「生活」の位相

生活公共とは何か
その概念は神野直彦他編「ソーシャル・ガバナンスー新しい分権・市民社会の構図」で提起される「市民・市民社会組織と行政の自発的で協働的な公共社会のありかた」に機能的に近い。

では、なぜ生活公共と呼ぶか、それはソーシャルという概念が欧米市民社会をモデルとする学術用語を超えていないから。阿部謹也の「日本には社会はなく、あるのは世間だ」を援用し住沢は世間に「生活」を加える。

以下、長めの要約
住沢の専門は西欧社会民主主義の研究
社会民主主義が適切に理解されていない。
問題はソーシャルにある。
社会民主主義というよりも生活民主主義といったほうが、ニュアンスは正確だったのではないか、と住沢は書く。例えば、ソーシャル・セキュリティは生活を保障するということ。ソーシャル・ウェルフェアも同様に「生活基盤が保障されていること」

しかし、生活とソーシャルには重要な違いが。

基本的な違いは、ソーシャルは自立した個人を前提とし、それゆえ共同性をもつソーシャルの形成が必要となる。他方、生活者というとき、それは個人の場合もあれば、家族の場合も、集団の場合もある。

もうひとつの大きな違いは生活は労働の上位概念だったり、対概念だったりするが、ソーシャルにとって労働は本質的な構成要素。

「社会」はソーシャルの訳語にすぎないが、生活は英訳が困難。このように両者の概念比較にこだわるのは、現在の地域再生や地域経済の活性化をめぐる議論で、ソーシャルがキーワードになっているから。170-171p

CSRとか社会的企業とか社会関係資本とか
さまざまに「ソーシャル」という言葉が使われ、人々の生活やコミュニティ、人間の信頼関係を防衛するために「ソーシャル」の再構築が期待されているように見えるが、日本のソーシャルは非常に不安定。欧米でのソーシャルはさまざまな属性を超えて人々を結びつける役割を持っていて、政府の権力や市場の貨幣の力とは異なる方法での、人々の結びつきを表す言葉。日本ではソーシャルは逆に、人々を生協、NPO、大企業、小企業連合などに分断する概念になてしまっている。それ自身で自己矛盾である数多くの分断されたソーシャルが存在し(まさに「世間」や「業界」などの「ムラ」構造)、普遍的な、大文字で存在するのは「生活」。172-173p
==長めの要約ここまで==

確かに***社会というのはよくある言い方だが、それはソーシャルとは異なる話ではないか。また、<普遍的な、大文字で存在するのは「生活」>というのもわからない。

「ソーシャル」の出発点は個人、しかし、私的企業からも家族などの親密圏の私的性からも区別。173p



日本でいう「生活」こそ、インフォーマルというカテゴリーにあてはまる。つまり「生活」とは政府や市場に対して「インフォーマルな領域」175p

この整理はどうだろう。貨幣を用いる買い物は生活の一部分ではないか。ペイドワークが生活に占める部分は日々、ふくらんでいるのになぁ。

この少し後で、ここに関する説明があった。
==再び要約==
ソーシャルの文脈では不可欠な構成要素であり私的性や親密圏から分けられる労働。「生活」はコミュニティ・家族など私的性や親密圏を基盤として、つまり「インフォーマル」な領域から出発して、市場や政府との関係を構築。「生活者・市民」という併記は市民的権利から出発する市民概念とインフォーマルな世界の生活者の区別と連関を、直感的に把握していた。175-176p

==要約ここまで==
労働と生活が一体化している領域もまた小さくないことは、どこかで住沢も指摘していたはず。

さらに、最近ではインフォーマルに対してソーシャルからのアプローチが目立つと住沢は指摘する。例えば社会関係資本という考え方はインフォーマルな人間関係によってフォーマルな市場機能も裏打ちされているというもの。この社会関係資本の衰退が犯罪の増加だけでなく、社会の崩壊にまでつながるという警告もある。経済学でも新古典派を批判する制度学派はこの視点に立つ。176p

===

このように「ソーシャル」と「生活」について説明され、住沢は日本における地域再生の戦略として、「生活」を出発しながらも、なぜ「ソーシャル」の論点や方法を摂取しなければならないかが理解していただけたと思います、というのだが、もうひとつピンとこないなぁ。

そして次の節で展開する「生活経済/生活公共」という考え方がそのための方法だという。そして、「生活と公共圏をつなぐ活動こそ、家庭、地域組織、市民組織、行政が相互に協働する、生き生きとした地域形成を可能とします」という。

このあたりの話と社会運動がどうからんでいけるか、というあたりがひとつのポイントとなる。これまで「参画」の多くが。単に下請けとして使われるだけだったりしてきたし、それがどれだけ社会変革とつながってきたかというとなかなかわからない。確かに参画は広がり、自治が開かれている部分はないわけではないだろう。その参画を手段として用いながら、同時にその限界を自覚するという戦略が必要なのではないだろうか。


3節
「生活」の公共化と「公共」の生活化


生活経済と生活公共

まず、生活経済とは??
市場経済と異なる問題設定。
代表的なテキストによると
1、ライフステージとライフコースなど、生涯にわたる経済生活
2、生活者の時間の経済学とアンペイドワーク論
3、環境政策、消費者政策、地域福祉、女性のエンパワメント、地域と生活経済など、

生活主体としての積極的な活動を含む

この意味ではこれまでの経済学とは異なるが、本来のマクロ経済学のテーマも視野に。


この延長で考えると、「生活経済」だけでなく、政治や行政も含めた「生活行政」も。そして、市民の政治参加を考え、官による公の独占を批判するだけでなく、「私」を活性化し、「公」を開かれたものにする必要。それが地域の再生につながる。「生活の公共化/公共の生活化」が問われている。その意味で「生活公共」という概念は。自らの生活をより豊かに再構築するための規範概念であると同時に、日常生活の中にある地域社会や自治体行政との協働の要素を見つけだし、ニーズに応じてそれをより発展させる実践概念。180-181p
===
このような問題のたて方に社会運動はどのように向き合えるか?政府にはまかせない、というベクトルと、ただエクスキュースのために使われているということを見分けることの必要性があると思う。

4節
新しい生活問題と地域生活力

再生の構造的枠組み

==
ここまでの概念の検討から、家族と地域生活論から出発する地域再生論の構造が見えてきた 182p

== 
ぼくにはなかなか見えない。

ともあれ、以下の論点から成り立っているとして、5点をあげる。
1、政府の社会保障制度あるいは自治体の生活基盤保障制度

2、家事、育児、介護、生活の外部化、市場化、社会内化へのアクセス。

3、新しい生活問題の実態。

4、自治会などの地縁組織、NPOなどのテーマ市民組織、新旧社会経済団体の三類型とその協働のあり方。

5、地域生活力の再構成:生活の公共化/公共の生活化の視点から、個人と家族の時間資源、行政の制度・財政資源の活性化と再編成。

1、について
ここでは少子高齢化やグローバル金融危機のなかでも経済パフォーマンスの維持と生活基盤保障の制度的な構築は可能だと考える。OECD諸国の平均水準であれば、容易ではないとしても、無理な仮説ではない。182-183p

====
ここは重要な観点だと思う。問題はこの容易ではない制度をどのように構想し実現していくかだ。たぶん、何かを犠牲にしなければ成立しない制度だ。そこの合意をどのようにつくるのか、そのイニシアチブをどのように形成するのか。

 また、5の時間資源の再編成、という課題もその実現のためには、何らかの誘導、あるいは規制が必要になってくるだろう。それを誰がどのように実現するのかという青写真がないと絵に描いた餅に終わりそうだ。

185-187P要約
バブル崩壊から20年、調和のとれた発展ではなく、ますますいびつに。日本は近代以降初めて到達した生活レベルや生活環境の劣化、停滞社会のなかでの「喪失感」が問題。最大のものは安心感の喪失。しかし、経済成長がないといっても、GNIが3万5千$の日本社会は貧しいわけではない。これまでに蓄積された地域生活資源の新結合(イノベーション)と再配分が問われている。
 こうした新しい生活問題は、これまでの社会政策、福祉政策、地域経済政策の手法と行政の介入では解決は難しく、・・・個人・家族・自治体行政には、これまでの資源が蓄積されていても、それぞれが孤立、あるいは別個に存在しており、協働のシステムがなく、ソーシャル・キャピタルが衰退しているといえる。「生活公共」の観点から、地域の蓄積された生活資源をつなぐ、「地域生活力」の再生こそ問われている。
 そこで4の各種組織の協働、5の地域生活力の再構成という話になる。

やはり、さっき書いたコメント、それをどのように実現するのか、って話だなぁ。


189p
===
農協や商工会議所というような社会経済団体は従来はそれなりの力を持っていたが、いまその多くは組織の維持に汲々としており、この組織の弱さが地域再生のネックとなっている。それらの組織の制度資源は十分蓄積されているのに、その活性化と結びつきが弱いことが課題。

===
これも、じゃあどうするって話だ。

それらへのヒントがこの後に少しでてくる。
茅野市を例にしたモデルが提示される。


====
1、
町内会などの地縁組織を「地域協議会」として再編する方向。人口としては4000〜8000。そしてここにNPOを含めることができるかどうかが鍵。。

2、
「市民活動支援センター」それを単なる箱ものに終えずに、異なる組織や活動をつなぐ「居場所=市民サロン」的な場所にしていくこと。

3、商工会や農協という従来の型の社会経済団体が育児や介護のNPOや社会福祉協議会、生協組織、労働組合の支部、地域金融なども含めての新しい協働。このポイントはフォーマルな社会経済団体、生活事業系NPO、行政に媒介された市民の社会参加活動をつなぐこと。190-192P

以上の提案は具体的だが、時間資源の配分に関する問題に関してはデータが記載されているだけで具体的な提案はほとんどない。



そして、この章の結語として以下のように書かれている。
インフォーマルな活動や「資源」を、欧米諸国で見られるように直接コミュニティの活性化と結びつけることは日本では難しい。村と家、拡大家族などの私たちのこれまでのインフォーマルな組織や人間関係のありかたは、もはや修復不可能なまでに衰退。
 いいかえれば、インフォーマルなものの再生というよりは、インフォーマルな活動とフォーマルな活動の新しい結びつき、プライベートな生活とパブリックな施設や制度の相互浸透などの方向が、つまりは生活と行政の協働の方が大きな可能性を秘めているといえるのではないか。
 (ここでさきほどの具体例が再び紹介され)地縁組織を、現代のニーズやライフスタイルにあった形で活性化させる方法も、さらには行政の生活者視点からの協働も、それぞれ構成要素として重要。自宅ではなく、公共の建物が地域の人々の居場所として、つまりコミュニティ内の居場所になるなら、その自主的な管理と運営によって新しい結びつきができる。それが再び「地域に開かれた家族と家庭に生活」という新しいライフスタイルに結びつくなら、地域生活を再生させる力強い出発点になるはず。家族も含めた、多様な買う多くの団体への参加がその鍵となる。そして、本来の意味での「ワーク・ライフ・バランス」という価値観も必要に。そのための時間資源の再構成が試みられなければならない。こうした総体を、「生活公共」として位置づけたい。









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