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『脱成長の地域再生』メモ その1 http://tu-ta.at.webry.info/201201/article_3.html その2 http://tu-ta.at.webry.info/201201/article_4.html の続き 第6章 参加ガバナンスの可能性 市民活動の実践から地域を考える 坪郷みのる 扉の紹介文、要約 比較政治・新しい社会運動が専門の坪郷さん、政府と市場だけでは対応が困難な問題とニーズが、市民社会を交えた参加ガバナンスの背景にあるという。市民社会とは「地域の実態に即して市民活動やNPOなど多様な流れを相互に関連付け、連携させ」る部門の総称。それは「人と人の結びつき」多くの事例が紹介されているが、必ずしも地域再生の成功例ではなく、失われた市民社会の空白を取り戻し、新しい市民社会の場を創造することがいかに難しいかを示す事例。かつての共同体の単なる蘇生ではなく現代に適応した高次なレベルでの再生が期待される。そのために多様な主体が交流する場と機会を作ることが重要。ただ、その道は平坦ではない。215p この扉の文章を読むと、5章の結論とだいぶ重なるのかなと思わせる。しかし、市民社会っていう括り方はやっぱり気になる。除外される人が出そうな気がしてしまう。ともあれ、本文のメモをこれから書く。付箋を追いかけながら、メモを書いているのだけれども、この段階ではもうほとんどなにが書いてあったか覚えていない。 2節 地域個性を生かした再生の事例 1、まちづくりをテーマにする動き「地域とともに生きる商店街」 2、環境をテーマにする動き 3、福祉をテーマにする動き 4、地域経済の活性化と地域の環境・福祉・歴史・文化を組み合わせる動き。 223p 2節の結語部分要約「 地域力、市民力」や「地域資源」、「内発的発展」の議論では以下の論点が重要。 これらの参考文献として 中沢孝夫「変わる商店街」 三橋規宏「環境再生と日本社会」 大江正章「地域の力」 諸富徹「地域再生の新戦略」 「9節 市民運動の五類型」 から 2003年、連合が「ライフサポートセンター構想」を提起。労働者自主福祉活動とあわせて地域におけるNPOとの連携を図る動き。2006年にモデル地協として106を選定。地域における相談活動を通じて労働組合とNPOの連携を模索。こうした動きが活発になるには時間がかかる。労働組合にとって「非正規労働者」の組織化に取り組むことにより「社会運動としての労働組合の再生」を図ることが重要。245p 大きな労働組合が本当に変われるかどうか、というか、変わる気があるのかどうか、すごく疑わしいと思う。本来の労働組合の機能を果たしながら、生き残りを図るために、そのような変化が、労働者教育とともにすごく問われていると思うのだが、そんな問題意識を持っている大手の労働組合がどれだけあるか不明。大手の労働組合の多くが労務管理団体になりさがっているようにも思えるので、そこからどのように脱却できるか、あるいは脱却する気があるのかどうか、そのあたりのところが問題なのだと思う。 10節 市民自治体への道 参加ガバナンスの課題は、市民自治を起点にして、市民・自治体議会・自治体の長の三者の新しい関係を構築すること。これは一方で、自治体・議会に参加と合意形成の仕組みを作り、市民参加型で政策づくりを行う体制を形成。また他方で市民活動の自立を目指した市民社会の基盤整備を行うことで進展。そのような「政策づくりを」を目指す動きを「市民自治体」と呼ぶ。247p 前出の自治体基本条例の紹介 248p 249-250p要約 自治体議会が主導して、議会を「討議の広場」にする、議会への市民参加の仕組みを作る「自治体基本条例」の制定が急速に普及。 これは実現可能な具体的な提案だと思う。まず、このような動きをめざしていくことは必要なのかもしれないと思う。その結果がうまくいくかどうかはわからないが。 終章 成長の先に地域再生はない 高橋伸彰 神野直彦さん「教育再生の条件」での説を紹介。254p 日本人、物質を所有することで充足される「所有欲求」をよりも、人間と人間のふれあいによって充足される「存在欲求」を重視し始めた。しかし、富の獲得を「飴」に、貧困に陥ることを「鞭」にして競争へと駆り立てる「新自由主義の『競争社会』は所有欲求が存在しなければ機能しない。だから教育改革においては「人間的な存在欲求を・・・抑圧し、所有欲求を吹き込むこと」が重要な目的になる。 高橋さんはこれに続けて、小泉改革の指令塔だった竹中平蔵が在任時代、盛んに金融教育の必要性を説いたのもそれが目的だったかも、と書く。 ここは少し単純化しすぎているようにも感じる。教育改革で「心の教育」や道徳教育、あるいは「徳育」の重要性は繰り返されているそれらとの違いをはっきりさせる必要があるだろう。物の豊かさよりも自分や他者のいのちを重んじるようなことを伝えるためにたにができるか、それは「考える会系」や保守論壇が主張する「心の教育」や道徳教育、あるいは「徳育」の重要性とどこがどのように異なり、どこが同じなのか、そのあたりを切り口に考えられることはまだありそうだと思う。 257pの「ケインズが所得税の累進制や相続税の強化を唱えたのは、貨幣を退蔵する富裕層から、貨幣を投資したり消費したりする起業家や労働者に所得を再配分して、有効需要を喚起し・・・GDPを拡大することが目的であり、福祉の向上は結果であって目的ではありませんでした」という指摘は知らなかったし、興味深かった。 === 経済政策の目的は生活する人間にとってより良い社会を築くこと・・。GDPの拡大も・・・格差是正や福祉の向上につながるから評価されたのであり、雇用や生活を破壊し格差を放置してもGDPさえ拡大すれば、いずれ成果は均てん(キンテン)されるという安易なトリクルダウン説は本末転倒。258p=== === 各章に通低しているのは戦後日本における豊かさを社会の根底で支えていたのは、企業福祉や成長による財源を基にした福祉国家ではなく、地域コミュニティを始めとするさまざまなコミュニティで醸成された人と人の絆だったという認識・・。逆に言えば、人と人の絆の土壌である地域を再生せずに成長率が停滞しているからといって新自由主義的な改革を講じたり、また国家財政が危機にあるという理由で国民に負担を課そうとしたりしても、さらなる格差や増税への不満あるいは世代間対立を引き起こすだけで、成長のシッコクも福祉の危機も克服することはできない・・・。必要なのは顕在化している問題(危機)を対処療法的に解決するのではなく、問題(危機)の根源にある要因に焦点を当て、より高い次元で複雑な問題を同時に解決する方策を見いだすこと・・。259-260p=== 緊急に対処療法が必要なことはないわけではないとは思うし、こんな風に同時に解決する方策があるとも思えない。地道に地域を作っていくための参加型のシステムを作る努力がなんらかの方向を導くことができるかどうかも未知数だが、とりあえず、そこから始めるしかないのではないか。 === 所得と幸福の関係を計量的に分析したフライ&スタッツアー『幸福の政治経済学』では、一人あたりGDPが1万$くらいまでは両者の間に高い相関が見られるが・・・1万$を越えると相関は見られなくなるという結果・・・。260-261p=== これがいつの調査かわからないが、いまでもこのような相関が本当にあるのだろうか。GDPが低い国での幸福というのはたくさんありそうだと思うのだが。 261p終章の結語、要約。 ==== 「資本の論理」は必要の飽和も、欲の飽和も許さない。いずれの飽和も資本主義の終焉を意味する。・・・これ以上成長しても日本の経済社会がより良くなる保証はない。その意味で成長のシッコクは、豊かさの行き詰まりでもなければ福祉の危機でもない。==== 本当の危機の一部が《それでも成長を求めようとする人々の心に染みついた「資本の論理」に潜んでいる》のは事実だと思うが、こんな風にまとめちゃうのはどうかなぁ。 ただ、この本には、そういうマインドセットから具体的にどのように自由になるかと考えるためのヒントも詰まっていると思う。問われているのは都市と農村の地域の再生をどのように図っていくのかということだ。そういう試行錯誤を、あきらめずに、でもあんまりまなじりを結したりしないで続けていくことがすごく大切なのだと思う。現実はすごく厳しい。しかし、ここには一筋の光が見えているような気がした。 |
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