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zoom RSS 『ショック・ドクトリン』(上巻)メモ

<<   作成日時 : 2012/04/20 02:15   >>

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気流舎での読書会に参加しようと図書館で借りたんだけど、行けなくて残念だった。たまごくんの話によると楽しかったらしい。

序章でまず。ハリケーン・カトリーナの例が示される。ニューオリンズ選出・共和党下院議員「これでニューオリンズの低所得者用公営住宅がきれいさっぱり一掃できた。・・・」1-2p

壊滅的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為を、私は「惨事便乗型資本主義(ディザスター・キャピタリズム)」と呼ぶことにした。5-6p


ナオミ・クラインが名付けた「ショック・ドクトリン」
フリードマン「・・・危機のみが、真の変革をもたらす。危機が発生したときに取られる対策は、手近にどんなアイディアがあるかによって決まる。つまり現存の政策に代わる政策を提案して、政治的に不可能だったことが政治的に不可欠になるまで、それを維持し、生かしておくことである」 大災害に備えて缶詰や飲料水を準備しておく人はいるが、フリードマン一派は大災害に備えて自由市場構想を用意して持っているということだ。6-7p



人々が茫然自失としている間に急進的な社会的・経済的改革を求めるという手口である。・・・惨事便乗型資本主義たちは、元通りに修復することにはまるで興味はない。イラク、スリランカ、ニューオリンズにおいて「復興」という名で呼ばれた作業とは、つまるところ災害の後片づけと称して公共施設やその地に根づいた地域社会を一掃し、すかさず企業版「新エルサレム」を打ち立てることにほかならなかった。それも戦争や災害の被災者たちが結束して自分たちの所有権を言い立てる前に。10p


1999年にシアトルで・・・民営化、規制緩和、社会支出の大幅削減という3点セットの押しつけは、・・・それでも当時はまだ、協定締結の際には交渉にあたる政府同士、およびその分野の専門家たちは形式上だけでも合意の手続きを踏むのが一応の道理だと考えられていた。それが今や、同じイデオロギーに基づく政策をもっとひどい強制的手段で、つまり他国に軍事侵略したあとの占領体制下や自然災害による激変の直後に強行するようになってしまたのだ。11p


2011年の自然災害のあとでも、似たようなことが行われようとしている地域もあるように思う。たとえば、宮城県の復興計画。

フリードマンの経済モデルは民主主義政権下でもある程度は強行できるが、そのビジョンを全面展開するには独裁主義的状況が必要・・・、70年代のチリ、80年代末の中国、90年代のロシア、そして2001年9月11日以降の米国のように、経済的ショック療法強引に導入するにはなんらかの大きな精神的打撃を国民に与え、それによって民主的手段を一時的あるいは全面的に停止する必要があった。13p


フリードマンは自らをリベラルと称したが、・・・フリードマン一門は「保守派」「古典経済学者」「自由市場派」「レーガノミクス」「自由放任派」(レッセフェール信奉者)だと名乗ってきた。世界の大部分の地域では「新自由主義(ネオリベラル)」として認知され・・・彼らが「新保守主義(ネオコン)」と自称するようになったのは90年代半ばになってからのことで、それを率いたのがフリードマンと長く関係があったヘリテージ財団やケイトー研究所、アメリカン・エンタープライズ研究所などの右派のシンクタンク19p


「大きな政府」と「大きな企業」の境を取り払おうとするシステムにふさわしい名称は「リベラル」でもなければ「保守」や「資本主義」でもなく「コーポラティズム」(この用語に関しては3章で)20p


第1章は拷問の話だ。拷問で人間の脳を更の状態にする実験について記述されている。その後に新しいメッセージをいれよとするための実験だったが、それは人間を破壊するだけで終わった。ナオミ・クラインはその実験とイランを破壊したあとに市場を形成した『惨事便乗型資本主義』を重ねる。


フリードマン自身の言葉によれば、彼の思想の主眼は低賃金で労働者を搾取する経営者の権利を擁護することではなく、可能な限り純粋な「参加民主主義」の形態を追求することにあるという。72p


開発主義 VS コーポ・ラティズム という図式。
この開発主義の定義は?
開発主義こそが植民地主義を促進してきたのではないかと考えてきたが、ここでは少し違う認識が示される。開発主義の別の解釈ともいうことができるかもしれない。


アイゼンハワーは国内ではケインズ主義を修正するつもりはなかったが、海外では開発主義を打ち破るべく迅速で急進的な行動をとることに意欲的だった。シカゴ大学が、まさにこのキャンペーンにきわめて重要な役割を果たすことになる。80p


アジェンデの反対派が、実行可能な方法として詳細に研究していた「体制変換」のモデルとしてのインドネシアとブラジル。インドネシアのスハルトによるクーデター(このクーデターに伴う大量虐殺は有名)で、クーデター後の経済設計を担ったのはシカゴ・ボーイズではなくバークレー・マフィア。UCバークレーで学んだ学生たち。それはシカゴ・ボーイズと驚くほどの共通点がある。94p


アルゼンチンでのフォード社内での拷問。兵士が現場主任の助けを得て、活動的な組合員を次々と捕らえた。 ベンツは軍に組合指導者16人の名簿と住所を渡し、追放に協力。両者とも関与を否定し、裁判は現在も係争中 151-152p


アムネスティの1976年のアルゼンチンの報告書。ノーベル平和賞にも値するようなものだが、なぜそのような行為が行われたのかという考察がいっさい含まれていない。
・・・もし軍事政権の革新的な経済プログラムがたとえ表面的にでも考察されていれば、なぜこれほど桁外れの弾圧が必要だったのか、そしてアムネスティが「良心の囚人」と呼ぶ多くの人が非暴力的な組合活動家やソーシャルワーカーであるのか、その理由が明らかになったはずである。
 アムネスティ報告書のもうひとつの大きな欠陥は、問題をアルゼンチン一国の軍と左翼過激派との対立に限定し、他のプレーヤーはアメリカ政府やCIAであれ、国内の地主や多国籍企業であれ、いっさい取り上げられていないという点だ。ラテンアメリカ全体に「純粋な」資本主義を根づかせようという壮大なプロジェクトと、その背後にうごめく強力な利害関係を検証することなしには、この報告書に記載されている残虐行為の意味を読み解くことはできない。168-169p


ピノチェトクーデターに始まる、このような政策へのシカゴボーイズの全面的関与。フォード財団がシカゴ大学への留学を援助。(その後、フォード財団は行方不明者を探す人権NGOへの援助に変換。)南米全域で大量虐殺を行った軍事独裁政権とシカゴボーイズの結びつき。85p、171-175p


70年代にシカゴ・ボーイズが世界に先がけて行った冒険は、人類に対する警告としての役目を果たすべきであった。彼らの思想はきわめて危険なものだったからだ。その最初の実験室で犯されたあまたの罪の責任がこのイデオロギーに負わされることなく終わったことから、悔悟の念を持たないイデオローグたちは罪を逃れ、次なる征服地を世界に求めていった。今日、私たちはまたしてもコーポラティズムによる大量虐殺の時代に生きている。世界の多くの国々がとてつもない軍事的暴力とともに、その国を「自由市場」経済のモデル国家に作り変えさせようとする組織的な企てに苦しめられている。そしてまたしても、自由市場経済を構築するという目的とそのために必要とされる残虐行為とは、まったく無関係なものとして扱われているのである。180p


第三部の扉にガンジーの言葉が引用されている。
『非暴力――最大の武器』(1926年)から
・・・私たちが経済戦争について感心を払わないのは、その致命的な影響に慣れてしまっているからである。(中略)戦争に反対する運動は健全であり、私はその成功を祈っている。だが、その運動が、あらゆる悪の根源にあるもの――人間の欲望――に触れずに失敗に終わるという恐れに、私は絶え間なく苛まれている。181p


南米、とりわけチリにおけるフリードマン一派の行動に関しては、なんとなく聞いていたが、こんなに具体的に関与しているということは知らなかった。他の南米諸国についてもほとんど知らなかった。しかし、より驚いたのはインドネシアのスハルトのクーデターの話や。ポーランドでワレサが取り込まれる話、あるいはロシアでのゴルバチョフの失脚と、エリツィンの登場。人気回復のために仕掛けられたチェチェン戦争とそこでの大量虐殺とその経済政策の関係。またアパルトヘイトの後の南アフリカでの経済政策の問題(第10章)。


ポーランドでは当時34歳のジェフリー・サックスが「連帯」の経済顧問になり民営化や社会保障の切捨てを指導。245p〜。1989年選挙で選出された「連帯」マゾヴィエツキ内閣はサックスのプランを採用。首相はその発表の最中に倒れた。原因は極度のストレスと睡眠不足。それについて著者は以下のように書く。
ワレサがグダニスク造船所のフェンスを力強く乗り越えたとき「連帯」の夢が始まったとすれば、アゾヴィエツキが疲れ果ててショック療法に身を委ねたとき、その夢は潰えた。253p



1989年という年(2月)に。フランシス・フクシマがシカゴ大学で講演。そこでフクヤマは
共産主義の崩壊は「イデオロギーの終焉」や、資本主義と社会主義を足して二で割ったものをもたらすのではなく(中略)経済的・政治的な自由主義の明白な勝利へ導くものだ。・・・終わったのはイデオロギーでなく歴史氏のものだ
 と講演。(これが3年後にあの有名な本になった)257p

また、同じ年に世銀とIMFは「ワシントン・コンセンサス」を発表。自由市場以外の経済理念に関する議論や論争をいっさい排除するという明確な意思表示を発表。258p

この「ワシントン・コンセンサス」に関する理解もいままでのぼくの知識にはなかったもの。なにかNPOを含めたコンセンサス形成プロセスのほうに力点をおいて理解していた。ぼくの理解が偏っていたのかもしれないと思う。


中国では天安門事件というショック
259p〜
この背景にある経済政策にもフリードマンの関与があった。

第10章 鎖につながれた民主主義の誕生
     ――南アフリカの束縛された自由――
この章では、解放後の南アの経済政策もまた、その自由憲章から遠く離れたものになっていく経過が記述される。ここで書かれているように、ANCは自由市場主義を拒否すべきだったとぼくも思う。著者は生きた聖人としてのマンデラには世界中からの支持をうけることができ、それが可能だったのではないか、と主張する。しかし、IMFや米国財務省、欧州連合と対立することを選べなかった南アの政権について、南ア研究者によるもう少し詳しいものが読んでみたいような気もする。技術的なこととして、あまり関心が寄せられていなかった政権交代に関する経済分野での交渉での譲歩がこのような結果を生んだ、その経過がここでは詳しく記述されている。

296pからの「真実和解委員会が見過ごしたもの」という節も興味深い。
ツツ大主教は以下のように言った。
自由な社会になってから10年近く経つ今日も、荒れ果てたゲットーで目覚める黒人がいるのはなぜなのか。説明できますか。そして彼が働きに行く街に住むのはほとんどが白人、しかも彼らは豪邸に住んでいる。一日が終わると、彼はまた薄汚れた家に帰ってくる。なぜ人はこう言わないのでしょうか――「平和なんてクソ食らえ。ツツと真実委員会なんてクソ食らえ」と。



真実委員会で陪審員を務め、現在は人権基金の理事長の座にあるスーカの指摘
==
(ANCの支持母体には明らかに規律にかけていたため、厳しく自らを自制しなければという空気が生まれ、この)「自らを律する」メンタリティが体制移行期のあらゆる側面に浸透しており、それは正義の追及という側面にまで及んだ。

(真実委員会のなかにはアパルトヘイト体制から利益を得た多国籍企業から賠償金を支払うべきという意見もあったが、利益を1回限りの法人税(委員会はこれを「連帯税」と名づけた)1%を企業に課し、これを犠牲者の賠償金にあてるという控えめな提案をした。スーカはANCが当然同意すると考えていたが、ムベキ政権は拒否)「大統領は企業に責任を問うことはしないと心に決めていた。それ以外の選択肢はありえなかったのです」

(真実和解委員会の聴聞は)「拷問や虐待、誘拐などのアパルトヘイト体制の外面に現れたさまざまな事態」の解明には取り組んだものの、そうした人権侵害によって利益を得た経済システムについては「完全に不問に付した」。(もし、もう一度、やり直すことができるのなら)「まったく違うやり方で対応すると思う」「アパルトヘイトを支えたシステムに注目して、土地の問題、そして多国籍企業の問や鉱業の果たした役割について念入りに調査したい。なぜならそれこそが南アの病理の根源だからです。(中略)アパルトヘイト政策が及ぼした組織的影響こそを追及したい。拷問については1回の聴聞だけで十分、なぜなら拷問そのものに注目して、それが誰を利したのかを見過ごせば、歴史の真実を歪めてしまうことになるからです」297-298p
==

また、マンデラ自身が前政権から引き継いだ負債が自由憲章の約束を守れなかった原因だと指摘している。299p

最終的に南アには、主客が逆転したねじれた状況が生じることになった。つまりアパルトヘイト時代に黒人労働者を使って膨大な利益を得た白人企業はびた一文賠償金を払わず、アパルトヘイトの犠牲者の側が、かつての加害者に対して多額の支払いをし続けるという構図である。301p



この章の結語近くで、マンデラがダボス会議に参加したときのことが紹介されたあとに、マンデラのような指導者がこうした国際的な場にでて行くたびに頭に叩き込まれるのは、もっとも左派の政府でさえ、今やワシントン・コンセンサスを受け入れているという事実だった、と書かれている。(305p)今は少し違う状況があるだろうか?

そして、体制移行に関する専門家集団が自由市場(至上)主義の利点を説いてまわった話が紹介され、国家の変革に直面する指導者は自分たちのことに熱中するあまり、自国以外の世界の状況にこまやかな注意を向ける余裕がない場合が多いと指摘し、
その専門家たちのたれ流す偏った情報の怪しさを見抜き、ショックの後に「自由市場主義」を導入した国々で起きた事柄を突きとめていれば、彼らは違う光景を目にしていたはずだ
、と、この章は締めくくられている。306p



11章 燃え尽きた幼き民主主義の火
   ――「ピノチェト・オプション」を選択したロシア――

1991年G7会合で、歓迎されるはずのゴルバチョフが受けた待遇は、ショック療法をすぐに受け入れなければ、奈落に突き落とすというメッセージだった。それはほぼ全会一致。309p

ソ連が崩壊し、ゴルバチョフの地位もなくなった日に、ジェフリー・サックスはクレムリンにいたという。またしても、という感じでポーランド同様にショック療法が試されることになり、街には失業者があふれることになる。共産党出身のほんの一握りの大金持ちも誕生するが。これもすでに見た光景だ。

ここでも幼い民主主義はシカゴ・ボーイズの戦略に押しつぶされることになる。この章ではその過程が記述されている。そして、これまた、またしてもという感じだが、このショック療法にも西側諸国からの熱心な支援が寄せられる。323p

結局、共産主義国家がコーポラティズムに変わっただけ(325p)だったと著者は書く。この民営化などの方策によるにわか景気で利益をえたのは複数の元政治局員を含む、ごく少数のロシア人と世界の投資家と呼ばれる大金持ちたちの軍団。

エリツィン、人気がなくなると戦争(チェチェン)。327p

ロシアの民営化と投資信託市場の準備を託されたハーバード大学ロシア・プロジェクトの教授と助手(実名あり)。近親のロシアへの投資で巨額利益。アメリカ司法省の提訴で7年に及ぶ法廷闘争。結果として教授は200万ドル、助手は100〜200万ドルの支払いに同意(法的責任は認めていない)。そして、この金は米国政府に入った。被害者であるロシア国民には還元されているわけではない。
 このような「自己取引」は不可避だったのではないかと著者は書く。ショック療法がうまく行くのは「資本主義の持つ抗しがたい魅惑やとてつもないインセンティブ」のせいだから。330-331p


ロシアほどの資源に恵まれた国を略奪するには、議会への放火からチェチェン侵攻に至るまで過激なテロ行為が必要だった。エリツィンの当初の経済顧問で、その後冷遇された一人、ゲオルギ・アルバトフは、「貧困と犯罪を生む政策は(中略)民主主義が抑圧された場合にのみ存続できる」と書く。これは南米南部地域や非常事態下のボリビア、天安門事件の際の中国でも起きたことだった。そしてイラクでも、それがくり返されることになる。337p

南半球の多くの地域では、新自由主義はしばしば「第二の植民地略奪」と呼ばれる。第一の侵略では土地から富が奪われ、第二の侵略では国から富が奪われた。熱狂的な利益獲得のあとに決まってなされる約束がある――次の機会には国家資産を売却する前にしっかりした法を整備し、すべてのプロセスは非の打ちどころのない倫理観を持つ新しい監督機関と調査機関に監視させよう、と。(中略)だが、すべての利得が国外に移されたあとで法と秩序を求めたところで、しょせん泥棒行為を事後に合法化することにしかすぎず、植民地に入植したヨーロッパ人が略奪した土地を条約で縛り付けたのとなんら変わらない。345p

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ショック・ドクトリン 下巻メモ
http://tu-ta.at.webry.info/201204/article_4.html の続き。 気流舎での読書会 http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/shop/event/120418a.html にも遅れて参加した。 そこで気がついたのは、ナオミ・クラインは過去のものであるように記述する新自由主義は本当に終わっているのだろうかという疑問。メインストリームは変わっていないのではないか。息苦しい状況はひどくなりこそすれ、好転しているよ... ...続きを見る
今日、考えたこと
2012/05/04 05:52
もっと知りたいインドネシア 3/3 〜文化
インドネシアの芸術と文学 民話はインドネシア語ではチュリタ・ラヤットと呼ばれる。文字通り、民(ラヤット)の物語(チュリタ)の意味である。 ワヤンの語はバヤン(影)に由来し、影絵芝居のことをさす。ワヤンの語り手はダーランと呼ばれる。ダーランの語りには、ガムラン楽器の演奏と女性歌手の歌声(プシンデン)が和す。ダーランが展開していく物語、その演目のことをラコンという。ラコンは次のように大別される。 (1)ワヤン・プルオ(古典劇)。ラコンの中心を構成し、次の4つの物語群よりなる。第一は、ジャワ古来の神話... ...続きを見る
投資一族のブログ
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