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zoom RSS 「銀行型教育」(フレイレ)について その2

<<   作成日時 : 2012/10/15 04:14   >>

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http://tu-ta.at.webry.info/201210/article_1.html
に関するメモ、続き

これがほんとに興味深いので、メモを続けてみる。
電子テキストがあるので、簡単にコピペできるのもありがたい。



フレイレの文章の部分、引用。
それゆえ、社会はこれらの無能で怠惰な民衆の精神構造を変えることによって、かれらを社会それ自身の型にはめ込まなければならない。これらの周辺人は、かれらが見棄てた健全な社会に統合され、組み込まれなければならない。

しかしながら真実はどうかというと、被抑圧者はけっして周辺人などではないし、社会の外側で生きている人間ではない。かれらはつねに内側に、かれらを他者のための存在にした構造の内側におかれてきたのである。

解決策はかれらを抑圧構造に統合することにあるのではなく、かれらが自分自身のための存在になれるようにその構造を変革することにある。そうした変革はもちろん、抑圧者の目論見を根底からくつがえすだろう。だからこそかれらは、生徒の意識化という脅威を避けるために、銀行型教育概念を利用するのである。

ここでようやく、これを検索するきっかけになった「意識化」というのがでてくる。

このHPの著者は以下のように説明している。

〜〜〜
△ 抑圧者がなぜ上意下達の「銀行型教育」に固執するかと言えば、生徒が自分の主人になり、問題を意識化するのを避けるためである、と言われています。この意識化というのは、フレイレの基本的な概念の一つです。conscientizationの訳ですが、「気づき」という言葉に言い換えてもよいでしょう。「裸の王様」のように、民衆が王様の裸に気づくことは支配者にとって「脅威」です。それを避けるためには、言われた通りに学習し、言われた通りに実践する、素直な生徒をつくっていくしかありません。
〜〜〜

ファシリテータとしての教員と生徒との間での対話の中での気づきを求めるか、生徒を金庫に見立て そこに知識を詰め込む教育か、という二分法、ちょっと極端な部分もあるかと思うが、そこを意識することは大事だと思う。

銀行型の教育の中にも少しは対話型的な要素をもぐらせることがある。それは必要なことだろう。同様に対話型だって、ベースになる知識を入れる必要がある場合も少なくない。

だから、銀行型とか対話型とかの言葉で思考を終えてしまってはいけないだろう。

そして、基本が銀行型の日本の学校教育に、ほんの少しだけでも対話型的な要素が入ってきた背景にフレイレがいたといえる部分もあるかもしれない。

と書いて、気づいたのだが、例えば「生活綴方教育」 http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04b1/class09/seikatutsudurikata.htm は対話型と言えるかもしれない。で、さらに気づいたのだけど、そんなことは誰かが前に当然気づいて何か書いてるだろうということで「綴り方」と「フレイレ」で検索したら、わさわさでてきた。

Ishida Hajime's blog
フレイレ『自由のための文化行動』抜粋ノート
http://zaggas379.blogspot.jp/2010/10/blog-post_30.html

これを読むと、この本の「訳者あとがき」に同様のことが書いてあるらしい。そういう意味では対話型教育というのは、すでにやられてきた話ではあるが、それにフレイレが名前をつけただけと言えるかもしれない。しかし、名前をつけることの大切さというのは忘れてはいけないだろう。


そう、書いていたのは二分法の話だった。
フレイレの以下の文章は、二分法だなぁと思わせる。
たとえば、銀行型の成人教育のやり方では、生徒に向かって批判的に現実を考察せよとはけっしていわないだろう。そのかわりにそれは、ロジャーが山羊に緑草をやったかどうか、などといった瑣末な事柄を大事な問題として取り上げ、ロジャーが緑草をやったのは実は兎だった、といったことを学習するのが重要であると主張する(*)。

* ラテンアメリカ諸国で行なわれている政府の成人教育(識字教育)の非現実的内容を批判している文章。著者の「自由のための文化行動としての成人識字教育」(ペンギン版『自由のための文化行動』一九七二年、に収録されている)のなかには、そのような現実の意識化とはまったく無関係な不毛なテキストの内容例がたくさん例示されている。たとえば、O cachorro ladra.(犬がほえる。)Maria gosta dos animais.(マリアは動物が好きである。)Joao cuida das arvores.(ホアンは木の世話をする。)……といった文章の機械的暗記が学習者に何をもたらすかが、そこでは論じられている。――訳注

これは、単にラテンアメリカの話ではない。ほとんどの日本語教室のテキストはこういう課題に満ちていると思うし、もちろん、学校の教科書もそうだ。

ほんとうに対話型的な要素がまったくないような授業は存在する。アジアを旅しているときも、そういう授業を見たことを思い出した。また、日本でもそんな授業は多いだろう。

とはいうものの、授業の中に対話型のような要素を組み込んでいくことは、ある意味、推奨されている部分もあるように思う。

銀行型と対話型を根本的に区分するメルクマールのようなものがあるのだろうか?

この本に何か書いてあったかもしれない。

基本的な部分でどっちを見てるのか、という程度の話なのかもしれない。




ここで、書いてて思いついた別の話に移る。


日本語教室における対話型と銀行型について

成人向けの日本語教室で気をつけなければならないことのひとつが日本語ができない学習者を子ども扱いすること。そして、日本語を通して日本のやり方を教えるときに、彼女や彼が持っている文化を無意識に軽んじてしまうこと。

また、在日外国人が日本社会で抱える問題と、世界の抑圧的な構造がつながっているという側面はあるはず。自分がもといた社会と日本社会、そのそれぞれが世界の垂直的な構造の中に組み込まれ、その息苦しさのなかで、移住労働が生まれるという側面は小さくないと思う。もちろん、それがすべてじゃなくて、一人ひとりの意思もあるのだけど。

そういう見えなくさせられている垂直的構造への気づきが大切だといっているようにも思えるフレイレ。
それは南と北の垂直的な構造でもあるし、女と男の垂直的な構造でもある。

しかし、そういう構造に満ちていて、そこからの抜け道がないようにも思える日本社会で、その種の気づきと、接続できる何らかの表現手段や仲間が見えないときに、それはけっこう苦しかったりするだろうなぁと思ったりもする。


ともあれ、そんな中で行われている在日外国人向けの日本語教室だが、いまや日本のいたるところにあるだろう。

さっきも書いたように、そこで使われている教材はフレイレが書いているように
〜〜〜
現実の意識化とはまったく無関係な不毛なテキストの内容例がたくさん例示されている。たとえば、O cachorro ladra.(犬がほえる。)Maria gosta dos animais.(マリアは動物が好きである。)Joao cuida das arvores.(ホアンは木の世話をする。)……といった文章の機械的暗記
〜〜〜
というようなものだといえるかもしれない。

初めて文字を獲得するかどうか、という違いは小さくないのだろうが、それにしても、こんな風ではない、本人をエンパワーできるような日本語教育や教材はありえるんじゃないかと思う。ま、どんな教材も使い方次第という部分もあるだろうが。


そんなことを考えながら、適当なキーワードを入れて、検索したら、以下のようなものがでてきた。

研究ノート
課題提起型日本語教育の試み
  ―― 課題提起型日本語教材の作成を中心に ――
 野元弘幸
http://www.repository.lib.tmu.ac.jp/dspace/bitstream/10748/3232/1/20009-35-003.pdf

なかなかに興味深い。そう、なんか最上段に構えなくても、こんな身近なところに課題がいっぱいあるというのが見えてくる。


疲れたので、メモはこのあたりで閉じよう。

さらに、続けることができれば続くけど、続くかどうかは不明。

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