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zoom RSS 『国際分業と女性 進行する主婦化』 読書ノート(書き直し)11・10追記

<<   作成日時 : 2012/10/22 02:57   >>

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2012年の10月22日に以下の
http://tu-ta.at.webry.info/200608/article_8.html を書き直してアップロードした。
<2006/08/08 01:22 > という日付で書いたものの書き直しだった。
しかし、これももとは2003年の読書ノートらしい。

それを先日(10月22日)には以下のように説明している。
〜〜〜
「たぶん2003年頃の読書ノートから」とあるので、HDか何かに残っていたものをそのままアップロードしたのだと思う。

そこに書かれたぼくのコメントは「やっぱりミース、好きだなぁ」というだけであとは抜書き
でも、その抜書きも、よく読んでみたら必要な部分が欠けていたりするし、ということでコメントもちょっと補足して再度アップロード
〜〜〜

で、これを2012年11月10日に書き足して、再度アップロード。しつこいけど、また書き直すかも(笑)


===
国際分業と女性 進行する主婦化
マリア・ミース
日本経済評論社 97年初版

==抜書き(カッコ内tu-ta)==・
・・、文化的フェミニズムが行った重要な表現行動の一つはジェンダーとセックスという概念の違いである。これを最初に使ったのはアン・オークリーであるが、やがて、フェミニストの著作や議論の中で普遍的に使われるようになった。この区分によると、セックスは生物学と関連づけられ、・・・いるのに対し、所与の社会における男と女の性自認(ジェンダー・アイデンティティ)は心理的、社会的・・・。この違いを内面化することを「ジェンダー化する」と読んでいる。(Oakley,1972)

 生物学的区分としてのセックスと社会・文化的区分としてのジェンダーとの違いは一見して有効であるように思われる。なぜなら、それは女性の抑圧の原因がつねに女性の身体のせいにされる腹立たしさを取り除いてくれるからである。しかしこの違いは自然と文化を区別する、よく知られている二元論にしたがっている(Ortner,1973)。女性にとってこの区分は西欧思想の中で長い、悲惨な伝統をもっている。近代科学が出現して以来、女性は自然の側に位置づけられてきたからである。(Merchant,1983)。フェミニストがセックスを純粋に物質的で生物学的な事柄、ジェンダーを「より高度の」文化的、人間的、歴史的表現と定義することによってこの伝統から脱出しようとするのなら、世界を自然のままの「悪い」物質(だから搾取され、植民地化されるべきだ)に分割した」観念論者の家父長制的思想家の仕事を継承することになる。

 この用語法がただちに、フェミニズムにあまり共感していないか、むしろ敵対的であるあらゆる種類の人びとによって受け入れられたのは驚くべくことではない(8)。・・・。・・・。

 ・・・。人間のセックスとセクシュアリティは純然たる、自然のままの、生物学的事柄ではない。女や男の身体も純粋に生物学的物体ではない(第2章参照)。

上記の抜書きをFBに書き込もうとして、読み直して、続きが読みたくなってきた。というわけで、再び本を開いて抜書き。(2012-11-9) この節の最後には以下のように書かれている。
(セックスとジェンダーの区分を取り入れたオークリーたちはこのカテゴリーを)
思想を明確にするのに役立つ分析や理論構築の道具としてのみ考えていたのだが、概念は現実を構成する手段でもある。そのため、カテゴリーや概念は資本主義的家父長制を乗り越えるのに役立ち、女も男も自然も搾取されたり、破壊されたりしない現実を構成するのに役立つようなものでなければならない。その前提にあるのは、今日の女性(へ)の抑圧は資本主義的(または社会主義的)家父長制の・生・産・関・係の重要部分であるという理解である。資本主義的家父長制の生産関係とは、終わりのない成長パラダイム、たえず拡大する生産力、自然の無制限な搾取、際限のない商品生産、拡大を続ける市場、終わることのない資本蓄積をさす。(以下略)34-35p


(注8)そのうちの一人はイヴァン・イリッチである。彼は最初はバーバラ・ドゥーデン、ギゼラ・ボック、クラウディア・フォン・ヴェールホーフのようなフェミニストから多くの着想や考えを得た。彼女たちの資本主義下の家事労働の分析がイリッチにヒントを与え、「シャドウ・ワーク」の論文を書かせたのである。しかし、彼は家事労働をシャドウ・ワークというセックス・ニュートラルな概念の下に置くことによって、またもや女性の搾取を不明瞭にしただけでなく、最終的には唯物主義フェミニストの分析に理想的な解釈を与えた。このプロセスにおいて英語の「ジェンダー」という概念は分析全体を文化の領域に移すのに役立つことになった。次の段階は、すべての普遍的な、文化的に決められた性差を廃止しようとしている(と彼の目から見える)フェミニストへの徹底攻撃であった。(I.Ilich:Gender,New York,1983参照)



このあたりのドイツのエコ・フェミの人への理解が日本では2012年の今でも十分にされていないように思う。
エコ・フェミニストの側から、こんな風にイリッチが批判されているという事実にもうすこし陽が当たってもいいと思う。

また、同時にドゥーデンだったかイリッチ本人だったかがどこかで書いていたと思うのだけど「ゲヌス(英語でジェンダー)」自体の捕らえ方が、このアン・オークリーのものとかなり違うと思う。しかし、アン・オークリーがこんな風に使い始めた概念だということが、そこではあまり意識されていなかったように記憶している。そう、他の人が違う意味で使い始めて、そういう意味でその後広範に流通されていっことになる概念を独自の解釈で使ってしまった彼らの判断の誤りはあったのかもしれないとも思う。そのあたりについて、誰かがちゃんと整理してくれれば、話はもう少しわかりやすくなると思う。

イリッチが先にフェミニストを徹底攻撃したのか、されたのか、そのあたりについても誰かが日本語でちゃんと説明して欲しいところ。80年代に3冊も出たフェミニストからのイリッチ批判の本にはそのあたりのことが書いてあったかなぁ。

ぼくはイリッチも嫌いじゃないし、そのあたりのからまった問題を解いていくことは、いまなら可能なんじゃないかと思うのだけど、どうだろう。

蛇足として、知ってる人は知ってるので書くまでもないかもしれない話なんだが、ドゥーデンはイリッチのパートナー。
彼女がイリッチのことをただ賛美するんじゃなくて、その変人振ぶりを含めていろいろ面から書けば、面白い本になりそうだと思うんだが、そういう企画を彼女のところにもっていった編集者は誰かいないのかなぁ?パートナーとしてはすごく困った人っていう側面はいっぱいあったと思う。そういう人間イリッチの話、読んでみたい。で、フェミニストとしての彼女の葛藤とかも読んでみたいな。

===
 わたしは現在、世界各地のフェミニストが資本主義的家父長制によって、とくに性別分業と国際分業との相互作用によってつくりだされるあらゆる植民地主義的分断を明確にし、脱神話化することが必要だと思っている。

 このような植民地的分断を重視することは別の観点からも必要である。欧米のフェミニストたちは西洋の科学技術論の二元論的で、破壊的なパラダイムを批判し始めている。ユングの心理学や人間主義的心理学(ここは英語ならヒューマニスティックな心理学とかなのかなぁ)、二元論的でない東洋の「霊性」(ここはスピリチュアリティだろう)、とくに道教その他の東洋哲学に触発されて、彼女たちは自然と一体となるパラダイム、すなわちニューエイジ・パラダイムを提唱している。(Fergusson,1980; Capra,1982; Bateson,1972)。わたしたちの世界はすべてのものがつながっており、影響を及ぼし合っていると強調することは、はきり言って、フェミニストの反乱や未来についてのヴィジョンに同調するアプローチである。しかし、「自然と一体になり」たいという望み、白人男性がつくったあらゆる分裂や分割に橋を架けたいという望みが再び挫折するならば、ニューエージ・フェミニストやエコ・フェミニストは、植民地を搾取することが東洋の霊性(スピリチュアリティ)やセラピーに傾倒する贅沢をも保障しているという現実に目と心を開かなければならない。換言すれば、自然と一体になるパラダイムが新しい霊性(スピリチュアリティ)や意識の問題でしかなく、資本蓄積や搾取の世界システムと闘わないのなら、資本主義の破壊的な生産の次のラウンドを正当化するパイオニア運動になることで終わるだろう。このラウンドは車や冷蔵庫などの物的商品の生産やマーケティングには焦点をあわせず、「ニューエージ」テクノロジーを使って、宗教、セラピー、友情、霊性(スピリチュアリティ)などの非物的商品や、暴力や戦争に焦点を合わせるだろう。  52p
==

ここで紹介されている3人のなかで「Capra,1982;」だけはわかったけど、他の二人は知らない。調べればわかるんだろうけど。
以下、Wikiから、カプラのターニングポイントについて、参考まで。
Capra(カプラ),1982, The Turning Point: Science, Society, and the Rising Culture (吉福伸逸ほか訳『ターニング・ポイント―科学と経済・社会, 心と身体, フェミニズムの将来』工作舎, 1984年/『新ターニング・ポイント』1995年 ISBN 4-87502-249-2)



ここで大切だと思ったのは、第一に、ミースがニューエイジ・パラダイムとかスピチチュアリティに一定の理解を示していると思われること。もう10年前になるけど、彼女が来日したとき、確か花崎こうへいさんが彼女にスピリチュアリティのことを質問したんじゃなかったかとおぼろげに記憶してるんだけど、そのとき彼女が確か「私はマテリアリスト」だからと答えたんじゃなかったかなぁ。PPの雑誌か何かに記録があるはずなんだけど・・・。

で、第二にそれに一定の理解を示しつつも、「ニューエージ・フェミニストやエコ・フェミニストは、植民地を搾取することが東洋の霊性やセラピーに傾倒する贅沢をも保障しているという現実に目と心を開かなければならない」と警鐘をならしていること。フェミニストの部分を除いても十分通用するはずの話で、ここはおそらくレトリックとして【「自然と一体になり」たいという望み、白人男性がつくったあらゆる分裂や分割に橋を架けたいという望みが再び挫折するならば】という前提条件が付されているけれども、「再び挫折」しなくてもその現実には「目と心を開」いていなければならないだろう。

ただ、ちょっとわかりにくいのがこの最後の文章の「資本主義の破壊的な生産の次のラウンド」の話。この原著をミースは1986年に書いているとう面もあるかもしれないと思ったが、あんまり気にすることはないかもしれない。(と数週間前に書いたのだが)最後の文章の「ラウンド」というのは必ずしも「資本主義の破壊的な生産の次のラウンド」のことではないような気がしてきた。

資本蓄積や搾取の世界システムと闘わない自然と一体になるパラダイム(あるいはそれをめざす運動)のことを指しているのかも。
「宗教、セラピー、友情、霊性などの非物的商品」だけに焦点をあわせていてはいけないというのであればわかりやすいが、それだけでなく、それとあわせて「暴力や戦争」に焦点をあわせていることだけでも不足だと書いているわけだ。このあたりがマテリアリストとしてのミースの面目躍如といえる部分かもしれない。暴力や戦争をみていくときに、同時に「車や冷蔵庫などの物的商品の生産やマーケティングに」も焦点をあわせることを喚起している、とも読める。しかし、これは、ぼくみたいなあんまり頭のよくない読み手を混乱させる文章だと思う。もう少しぼくでもわかるように訳してほしいな。

ともあれ、ぼくとしては、ミースが、人間の解放の問題としてスピリチュアリティを提起するものは植民地主義にもちゃんと目を開け、といってる部分にはちゃんと注目したいと思う。

で、ミースはこれに続いて、「資本主義的家父長制がもたらす、とくに性別分業と国際分業の相互作用のもたらす植民地的分断」をとりあげるのだが、その前に以下の概念いついての定義を挿入している。

ここはけっこう好きな部分だ。

概念

 ・・・、分析の中でなぜわたしがある概念を使い、それ以外の概念を使わないのかを明らかにしておきたい。・・・。わたしが提案している概念は学問的概念より寛大である。それはわたしたちの闘争の経験とこの経験についての考察から派生している。・・・。わたしはあれこれの概念を使って純粋に学問的な論争をすることはあまりわたしたちの役には立たないと思う。・・・。53p

==抜書き、ここまで==


10年近く前に読んだはずの、この本。読み落としてる部分も少なくなさそう、とはいうものの、ちゃんと読める時間もとれそうにないなぁ。

で、この本の日本語タイトル。Patriarchy and Acuumulation on a World Scale 直訳すると「世界規模での家父長制と分業」ということだと思うんだけど、どうしてこのタイトルにしたのかという説明は訳者あとがきにはなかったと思う。

それから、400p近くあるこの本、メモが53pで終わっている。読み終わってない可能性も非常に高い。ま〜ったく覚えていないんだが、読んでたとしてもそれは日常茶飯事だからなぁ。


このメモの後のこの本の続きは「性別分業と国際分業」の話。ミースはこの両方が現在の資本主義を下支えしているという点を強調する。その両方は対等平等な分業ではなく差別にもとづいた垂直的な関係だ。

なんだか、続きのメモも書きたくなってきたが、書けるかどうかはわからない。何度も同じものをアップロードしている割には間違いが多いけど、見直すのに疲れたから、もう見直さずにアップロード。



あと、ついでに少し関連するお知らせ

〜〜〜

ピープルズ・プラン研究所 オルタキャンパス「OPEN」
【連続講座】 運動史から振り返る 原発と原爆
――被爆国日本はなぜ原発大国になったのか


人間のコントロールを超えた〈破局的危機〉が、日々拡大深化しつつある〈フクシマ〉。ヒロシマ・ナガサキ、そしてビキニという悲惨極まりない放射 能被害の経験を持ちながら、一体なぜこんなことが起きてしまったのか。

私たちは「原水爆反対」と「原子力の平和利用(=原発推進)」が両立しえた平和運動や、反原発という論理を組み込まないまま核安保体制と対決して きた反戦・反安保運動等の歴史を持続的・集団的な作業のかたちで整理し批判的に検証するため、今年1月からこの連続講座をスタートさせました。

〈3・11〉後、脱原発運動や、放射能から身を守るためのさまざまな取り組みに、多くの女性・母親たちが参加しています。80年代のエコロジカル・フェミニズムや、チェルノブイリ原発事故後の母親主体の運動における言説は、母性主義として当時強い批判を受けましたが、〈3・11〉後の今こそ丁寧な再検討が求められているでしょう。6回目となる今回の講座ではこのテーマについて、千田有紀さんと松本麻里さんに報告して頂きます。

■第6回 原発とエコロジカル・フェミニズム論争
日時:11月24日(土)18時〜
講師:千田有紀さん(社会学)
   松本麻里さん(No nukes more feminism主催、メンバー)

■第7回 ドイツ・フランスの脱原発運動の背景と課題
日時:2013年1月26日(土)18時〜
講師:鵜飼哲さん(一橋大学教員)
   藤原辰史さん(東京大学教員)

第8回以降に予定しているテーマ:
・チェルノブイリ後の反原発運動

■参加費:非会員800円、会員500円、生活困窮者500円

■会場:ピープルズ・プラン研究所
(東京メトロ有楽町線江戸川橋1-b出口より徒歩5分、東西線早稲田駅・神楽坂駅
よりそれぞれ徒歩15分)
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd1/index.php?id=5

■主催:ピープルズ・プラン研究所
  東京都文京区関口1-44-3 信生堂ビル2F
  TEL: 03-6424-5748
  FAX: 03-6424-5749

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