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zoom RSS 社会を変えるには』小熊英二著 メモ(前半っていうか5章まで)

<<   作成日時 : 2013/03/18 00:41   >>

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環境平和研究会で俎上に上げるということなので図書館で借りて読んでみた。
新書なのに517p。紙が薄いので、その割に本は薄い。
2月から3月にかけて読んだのだと思う。もしかしたら、2月に読み終わっていたかもしれない。
ちょっと興味深かったので読んだ後にネットで古本購入。

読み終わったあとにメモを書きかけていて、でもその途中で別の本を2冊も読んで、1冊はそのメモを書き上げたりした。だから、メモの後半部分では読後感はかなり薄くなっている。ということで、後半のメモは、ただ付箋をなぞって、そこについて考えるという形。

どうして、こんなことになってしまったかといえば、読書メモを書き終える前に図書館に本を返し、購入してしまったからだ。そうすると、いつでも書けるという気分になって、通常はそこでそのまま放置することになる。数人いる出版社の友人には悪いけど、本は借りるに限るなぁ。あっ、でも、みなさん、ちゃんと買ってください。本が出なくなって読めなくなると困ります。

で、今回、これを終わらせることができそうなのは研究会があるから、ということで強制力が一定働いているから、ということになる。


と書いたように一気にアップロードするつもりだったが、あまりにも長くなったので、とりあえず、5章までのメモをアップロード。




この「はじめに」でこの本の小熊さん本人による紹介などが記されているので、ネットで誰かがタイプしてないか探した。

その目的から外れたけど、そのとき見つけた

山形浩生さんがブログ「経済のトリセツ」
ここで二度にわたって、この本を取り上げている。

後に掲載されたのが、
〜〜〜
2012-10-26 『社会を変えるには』評への批判を受けて
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20121026/1351245018

これを読むと、これまでの彼の書評のスタンスがわかる。このスタンスは嫌いじゃない。

だけど、その前に山形さんが書いてる
[書評]小熊『社会をかえるには』:大風呂敷広げといて結論は小学校レベル。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20120902/1346588118
は好きじゃない。

この二つの文章の間には彼の変節があるんじゃないかとさえ思えてしまう。ま、そんなに違うことを言っているわけでもないのだろうが、切り口でこんなに印象が変わるという好例ともいえるかもしれない。


この本の全体的な内容については、きれいに整理してくれてる人がいるので、概要を知りたい人は
http://saya.txt-nifty.com/syohyou/2012/10/post-eda4.html で。
こんな風に要約されている
7章に分かれたこの本で、小熊はまず現在の日本をどのように捉えればいいかを考え(第1章)、社会を変えようとしたかつての社会運動の歴史、特に全共闘運動が残した弊害を述べ(第2〜3章)、そもそも古代ギリシャの民主主義とは何であり(第4章)、その展開である近代の代議制民主主義がどんな限界を持つかを考え(第5章)、「合理的」な近代科学を疑い始めた相対性理論や不確定性原理を踏まえて(第6章)、運動のツールとして使える新しい学問や哲学の方法を紹介(第7章)している。




というようなことはここまでにして、以下、自分用読書メモ

======


「はじめに」に書かれている小熊さんがこの本の紹介は以下
 いまの社会を変えたい気持ちはある。政治家にまかせておけばいいとは思っていない。だけど政治にかかわっても変わらないと思うから参加しない。しかし一方で、デモがおきているのをみると、もしかしたら変わるのかもしれないと思う。こういう気分であるということが、何となくうかがえます。(引用者注:前述のアンケートから)
 この状況をどうとらえることができるでしょうか。社会は変わるのでしょうか。変えるにはどうしたらいいでしょうか。本書ではそうしたことをお話しします。
(中略)
 いま日本でおきていることがどういうことなのか。社会を変えるというのはどういうことなのか。歴史的、社会構造的、あるいは思想的に考えてみようというのが、本書全体の趣旨です。4-5p

 本当にこの趣旨にそっているかどうか、読み終わって、確かにそこを意識して書かれたのだろうなぁとは思う。それが成功しているかどうかの判断はできたら最後に書こう。


原発問題は運動によっ変えられる見込みが高いテーマだと小熊さんは書く。そして、
「原発をテーマとした動きをきっかけに社会を変える手ごたえを体験した人びと、臆することなく声を上げる習慣が身についた人びとが増えれば、それは日本社会にとっていいこと」
だと。57p

「変えられる見込み」と社会運動の関係をどう考えるか。見込みがあるかないかは重要な要素ではあるが、変えられる見込みがなくても、というか非常に厳しく、とても長い時間がかかりそうな課題でも運動が必要な場面はある。しかし、そこに参加できるのは好き者だけってことはあるだろうと思う

確かに実際に変わった経験が力になるというのはよくわかり、それが以下につながるのだろう。
「原発の問題に関して、何らかの行動に参加する人の増加。その参加で社会が動くという経験をする人が増えることで社会が変わる」57pと小熊さんは書く。ここで問われるのは「参加で社会が動くという経験」とはどのような経験かということとだ。それは単に課題としていた社会運動の目標が達成できたかどうかということではないように思う。
達成できなくてもその可能性を経験することもできるだろうし、逆に当初の目標が達成しても、場合によってはそれがエンパワメントにつながらないこともあるかもしれない。


また、「変わる見込みが高い」理由として、その仕組みから利益を得ている人が少ないからというのが、その直前に書かれている。56p



第2章は「社会運動の変遷」がテーマ

工業化初期の社会運動の特徴としての倫理主義と前衛党。後期の新しい社会運動。それぞれが社会的背景と結びついて、必然性があったというように書かれていた(と思う)。それはそうとも言えると思う。


3章で小熊さんは戦後日本の社会運動の特徴として、以下の3点をあげる。
1、強烈な絶対平和志向(9条精神・抑止としての軍事力を認めない)
2、マルクス主義の影響の強さ。(社会民主主義の弱さ、開発独裁型国家によくある。日本もそれに近かった。)
3、倫理主義(この説明はあとで)
87-88p

その弱点としての、個別課題への取り組みの弱さ。
運動の中で党の勢力が伸張すればいいというような考え方。92p
===

倫理主義については96pからの節で項目をわざわざたてて説明している。
西欧の68年では制度改革などの結果も残しているが、日本ではそうなっていない。99ー100p

全共闘運動が「改良主義」を嫌ったことをどう見るか。そもそも、この本には改良主義という言葉もあまり使われていない。革命志向への批判は書かれている。では、改良主義という言葉をどうみるかという観点はあっていいと思う。彼が志向している社会変革の方向を改良主義と呼ぶかどうか。また、そのことと武者小路さんが紹介していた改良主義をつきつめると根本的な社会変革にならざるをえなくなるような試み、みたいなことを重ねて考えるのも面白いかもしれない。


小熊は10年代の運動(まだ2年だけど)では倫理主義を感じたことはほとんどなかったと書く。そして、2011年にいちばん倫理主義を感じたのは「被災地が大変なのにデモなんてしてていいのか」とか「電気を使っているくせに原発を批判するな」という運動批判のものだったと。100p

ぼくは倫理主義といえば、やはり社会運動内部のそれを思い出す。例えば、「瓦礫をどこで処分すべきか」という議論。あるいは、多少汚染されていても、それを生み出してしまった責任の一端を担う老人や大人は食うべきという小出さんの議論。後者については、そのような表示のあるものをわざわざ購入する人がいるとも思えないので、現実的ではないし、そう意志表示することの「自己満足」的な意味しか見いだせないので、68年の全共闘的だとは思うが、言及するまでもないと思っていたが、調布のみさと屋では併設している測定室で検出された政府の基準はクリアしている果物に関して、検出されたことを表示したという。売れたかどうかは知らない。

で、前者について。これを考えていくと、やはり「倫理主義」のようなものは大事な場面もあるんじゃないかと思う。受益権・受苦圏、という考え方にもつながるが、NIMBY的なものをどう考えるか、という問いにも重なる。そこに「倫理」をおくかどうかという議論もありえるとは思うが、ただ否定するのではないとらえかたが必要だと思う。それをどこに位置づけるか。


つぎに
60年代から現在までの社会運動について、それと社会構造の変遷との関係で描かれる。
1、「どういう人が参加していたのか」
2、「どのような運動のやりかたをしていたのか」
3、「どういうテーマが人びとを動かしたのか」

1と2について60年安保は共同体での参加。2012年の官邸前はほぼすべてが個人参加(101ー3p)。54年の原水禁署名も共同体単位での署名(104p)。

120pから始まる節ではセクトについて書かれている。ぼくが知らなかったのは日本共産党が2000年の規約改定で正式に前衛党をやめていたという話。とはいうものの、根付いてしまっている自分たちが大衆を指導するというような前衛党意識は簡単には消えていない、と思う。

で、この節の結語では以下のように書かれている。概要
内ゲバや不正も辞さないから、過激で暴力的で宗教みたいというイメージが形成され、幅広い支持は得られなかった。いまの日本の社会運動に対する悪いイメージはここから派生しているともいえる。122p
まあ、ほとんどの人がセクトなんかには興味がなくて、イメージを抱くことさえ まれなのではないかと思うけれども、外からみたら、こんな風に見えるのかなぁとも思う。

139pには全共闘運動に参加した人の割合が記載されている。大学進学率が2割で1度でもデモに参加したものはその2割だから0.2*0.2=0.04というのが小熊さんの推計。その後、デモの参加者人数などを比較して、2011年からの反原発デモは68年を超えたのではないかという。139ー140p

ぼくは田舎で9歳の小学生だった68年については、前の世代の活動家の話や本や映像でしか知らないが、2011年以降の反原発はもちろん、80年代の社会以降の日本の社会運動は見てきた。あれで1968年を超えているのか、というのが率直な感想。もしかしたら、68年のそれも小さかったってことなのかなぁ。小熊さんが書いてるみたいに。

140pから始まる「全共闘運動の特徴」という節にある、全共闘運動が軍隊か体育会みたいだったという話は80年代のはじめにその流れを汲んだ運動に参加したぼくにもわかる。自分のことを書けば、ぼくがそこから遠いところにいたことが、その中にいながら浮いていた部分といえるかもしれない。

そして、141pでは当時のレジャーについての調査が引用されていて、小熊さんはだから豊かではなかったと書くのだが、3ヶ月以内のレジャー趣味で1、読書 2、一泊以上の旅行、 3、手芸・裁縫 だとか。今だってそんなもんじゃないかと思う。とりわけ、一泊以上の旅行なんて、そんなにできないような。あと、せいぜい映画を見るくらいじゃないか、

171pでは、3・11後の反原発運動について、政府の情報提供や対応のあり方が怒りを呼んだのだが、もともと20年にわたる経済停滞のなか、行政のあり方に不満が高まり、「改革」の必要性が意識されるようになっていたところへ、この事態が訪れたという。にもかかわらず、ちゃんと対応できない政府を見て、放射能への恐怖もさることながら、この政府は自分たちの安全を守る気もなければ、意志を反映する気もない、内輪で全部決める気だ、と思われ不満が高まったと。

それはあるのだが、昨年の選挙で制度の関係もあり、自民党の圧倒的多数という状況が生まれた。そのような中で、デモの規模は縮小している。こんな状況を受けて、具体的に制度を変えていくために、何をどうしていけばいいのか、声を出す方向と制度の転換の結節点をさがすことが必要になっているのではないかと思う。

また、178pでは3・11から始まる反原発運動は一過性のブームの時期を越えたと書かれている。ピークは超えたが、1000人規模の人がほぼ毎週金曜日、官邸前に集まり続けている。この動き、何かきっかけがなければ自然に小さくなるような気もするが、どうなのだろう。逆に、この声を維持し、拡大するために何が必要なのか、という問いの立て方もできるだろうというか時間の経過とともに関心が薄れていくのは必然でもある。問題は次の局面に何をどのように準備するかだ。安倍政権が求める再稼動と規制委員会の弱体化という動きに対して、何をどう対置していけばいいのか。

3章の結語は、「原発問題をきっかけに自分で考えて行動する経験した人が増えれば、ほかの問題にも波及するかもしれません」というような感じ。(186p) 確かそれはそうだと思うけれども、どの程度の人が、どんな実感を持つことが日本社会を変えるきっかけになりえるのか。ほかの問題に波及するとすれば、それはどうのように起こるのか、というようなことは書かれていない。

読み返して、前に書いてることをいかに忘れてるか、っていうような話に気がついたのだが、これって、57pあたりで書いてることの繰り返しで、同じようなことはこの後にも書いてあったはず。



そして、どうしたら、社会を変えられるか、それを考えるために以下の章では民主主義や政治というものの原点から考える、としてこの3章は閉じられている。




4章の209pでは「重要なのは議論の盛り上がることだ」という。
社会運動の側で議論の盛り上がりを作ることの大切さを小熊さんは書く。

その参加感が重要だという。自分が参加した議論の中で、ものごとが決まっていくという経験。これを読むと、やはりローカルなコミュニティから、いろんなことを考えていくしかないのかと思う。コミュニティは旧来の地縁・血縁型のものだけでなくてもいいだろう。それは、それとして重要なものだとは思うが、ともかく、彼や彼女がそこに参加感と発言できる雰囲気があるようなコミュニティが必要なのではないか。

4章のその後の記述と5章の記述に、ぼくはほとんどそそられるものがなかった。ここはなくてもいいんじゃないかと思えたくらいだけど、こういうのが好きな人もいりのか。社会を変える実践に興味があるなら、もしかしたら、この部分は飛ばしてもいいんじゃないかとさえ思うっていうか、ぼくはちゃんと読めなかったし、読んでもいないのだけど。


〜〜〜〜
6章以降のメモはまだ書きかけ。後半がいつアップロードできるか不明。

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