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zoom RSS 「パウロ・コエーリョ 巡礼者の告白」メモ

<<   作成日時 : 2013/05/17 15:08   >>

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アルケミストを読んで、2冊目は何にしようかと思ったのだが、彼について知りたくなって、この本を手に取った。

この選択はちょっと安直すぎだったかもしれないと思いつつ。

フアン・アリアスという作家で新聞記者がコエーリョを1週間にわたってインタビューしたものがこの本にまとめられている。

3・11の2週間ほど前が初版発行日になっている。



コエーリョは第1章で前兆について語る。

「前兆とは宇宙の魂との対話を展開させるアルファベットだ」19、24p
「宇宙の魂」を「世界」と呼んでもいいし、神と呼んでもいい、あるいは「大いなる存在」と。前兆とは、それとの対話を展開させるためのもの(アルファベット)であり、その対話は精神的探求がグローバル化するのを防ぐ、とコエーリョはいう。
 それに対して、インタビュアーのファンが「精神的なもののグローバル化とは何か」と聞くのだが、それへの直接的な答えは出されずに、コエーリョはこんな風に答える。
 私は、今後100年間の人類の傾向として、スピリチュアルなものへの探求に向かっていくのではないかと踏んでいる。・・・今まで以上に人々はこういったテーマにオープンになってきているようだ。”宗教はアヘンだ”という警句が限界を迎えていることに少しずつ気づき出したんだろう。24p

この後に「率先してそんなことをいう人々に限ってアヘンを試したことがないだろう」という、いかにもコエーリョらしい話が続くのだが、ともあれ、宗教的なものを探求し始めた頃の状況を未知の海に潜り込んだようなもので、そこで溺れたら、一番近くの人にしがみつくように、時にほかの人々とつながったり、魂を共有する必要がある。
 としたうえで、しかし、「それぞれがサンチアゴの道を巡礼するように自分自身の足で歩く必要もある」という。

その手がかりが「前兆」だ。

 さらに「間違った前兆の痕跡に迫っていったとしたら、それが人生を害するのではないか(28p)」というフアンの問いに、スピリチュアルなものの探求にとってそれは危険ではなく、危険なのはグルや偽りの師、原理主義といったものだという。
「他人に運命を決められるよりは、自分を導いてくれていると信じた前兆に従って間違うほうがはるかにいい」


そして、4Pも過ぎて先ほどの「精神的なもののグローバル化とは何か」という問いへの明確な答えがやっと出てくる。その「グルや偽りの師、原理主義」が「精神的探求のグローバル化と呼んだものだ」という。しかし、どれだけの読者がこの問いと答えの関係に気づくことができるだろう。少なくとも読み流した段階で、ぼくはそこに答えがないことさえ、気がつかなかったのだが、こんなところに答えが隠れていることに、メモを書きながら初めて発見したわけだ。

 しかし、「グルや偽りの師、原理主義」が「精神的探求のグローバル化と呼んだもの」だというその連関はよくわからないままだ。「グルや偽りの師、原理主義」ならローカルにもいろいろ存在するのではないかと思うのだが。

 ともあれ、彼が排除したいのは「神というのはこれこれこういうもので、私の神のほうがあなたの神よりもずっと偉大だ」などという話であり、それが戦争につながるのだという。(「戦争」と言ってしまえば、宗教が直接的な契機になるものは少ないだろうから、この表現は誤解を生みやすいかなぁとも思う。)

 ともあれ、「精神的探求のグローバル化と呼んだもの」の危険を避けるための唯一の方法が「精神の探求とは個々の責任であり、他人に譲ることも任せることもできないってことを認識することだ。他人に自分の運命を決められるよりは、自分を導いてくれると信じた前兆に従って間違ったほうがずっといい」という。

 そして、「これは宗教批判ではなく、人間の人生において大切だと考えている点なんだ」と付け加える。それを受けてフアンは「では、あなたにとって宗教とは何なのでしょうか?」と問う。28p

 コエーリョは「宗教とは集団で崇拝する方法を見出した人々の集まり」だと答える。そして、崇拝と服従の違いを強調し、その対象はブッダでもアラーでもキリストでも、そんなことは重要ではない、として以下のようにいう。
大切なのはその瞬間にそこに居合わせた人たちが一緒に神秘的なものにつながり、より団結した気持ちになり、人生に対してより開放的になって、この世で自分は一人ではない、孤立して生きているのではないと知ること。これが私にとっての宗教であって、けっして他者によって課せられた規則や戒律の寄せ集めではない。 29p
と。

 そして、フアンはコエーリョに「無神論者の時代を経て、カトリックの教義(ドグマ)を受け入れたのですよね」と確認したのに対して、ドグマは単に自分が受け入れたいから受け入れるもので、課せられたから受け入れるものではない、と答える。さらにドグマが不合理だと思えても、自由に心から受け入れている、ともいう。それは強制されたからではなく、神秘的な出来事を前に謙虚になろうと努めているからだ、と。30p


 宗教や神や前兆をめぐるこれらの議論はコエーリョの特徴を表していると思う。しかし、コエーリョはカトリックこそがアメリカを「発見」し、南北の大陸の先住民に言葉にならないほどの激しい苦痛を与えたことを知らないはずがない。それでもなお、なぜカトリックなのかという部分はなかなかわからない部分だ。まあ、侵略された先住民の多くもカトリックに帰依しているのだけれども。

 その問題にフアンもつっこむのだが、それは問題だとは思わないとコエーリョは答える。そして以下のように説明する。
宗教の本質とそれに携わる人間を区別して考えているから。人間は善にも悪にもなり得るし、宗教を悪用することもできるからね。私は宗教を人々の集合体、すべての苦難と崇高なものによって発展してゆく一つの生身の体だと捉えているんだ。31p


さらにそれに続けて、フアンが「あなたが宗教から取り戻しているのは、信者たちのあいだで共有できるものや神秘的なものだと理解してよろしいでしょうか」と確認するのに対して「そのとおり」と答える。

ローマカトリックという権威の体制とそれ信じる人々への信頼をわけて考えるということだけであれば、それは理解できるのだが、不合理なものであっても、ドグマもすべて受け入れる、ということや、その権威の体制こそが多くの悲劇を生んできたと思うと、やはりなかなか納得できない。

ドグマはさまざまなかたちで修正されてきているのだとは思うが、やはり、ぼくにはそれを無条件で受け入れようという気にならないなぁ。もちろん、カトリックにも素敵な友人たちは少なくないのだけれども。

そして、不合理なドグマと闘ったカトリック内部の人たちがいたからこそ、ドグマも変えられてきたのではないかと思うのだが、どうなのだろう。

しかし、よく読むとコエーリョの教会とのつきあいかたは尋常ではないようにも思える。こんな風にいう。
教会に入る時には、そこにいる人たちによっってあなた自身の責任を彼らのものにされてしまわないよう、よく注意しなければならない。宗教が本来あるべき姿になっていれば、スピリチュアルなものの個人的探求と矛盾することはないのだろうけど、多くの場合、宗教としての役目を果たしていないから。31-2p

こんな風に教会とつきあうことができる人がどれだけいるのかなぁと思う。少なくとも、ぼくには無理そうな気がする。

それから、コエーリョはこれに続けて、以下のようにいう。
重要なのは自分の内部に大きな無の空間を作り出すこと。余分なものを捨て、つねに自分の道にいて、本質とともに生きるということを理解することだ。31-2p

さらに自分の大きな家の空間がからっぽだというのだが、本は見えないところに隠して、巨大な家に住んでるくせに、それはどうかと思う。

35ー36pではコロンブスを例に一人の冒険家が歴史を変えたことを賞賛するのだけれども、コロンブスがいるかいないかというので、本当にそんなに違う歴史になったのかどうかは不明。

コエーリョは自分は政治的人間だと自覚しているが、政党の政治家ではないという。作品を通して、ある種の政治活動をしているのだと。80p

また、政治について以下のようにもいう。
私にとっての政治とは"アカデミー"を変えるために貢献すること。私は月並みな知識や時代遅れで官僚主義の知恵にしがみつき、唯一自分たちだけがその知恵に精通していると思い込んでいる集団のことを"アカデミー"と呼んでいる。つまり、一部の選ばれた者たちの権力さ。だからこそ、創造力(ママ)をめいっぱい駆使して、一般の人々に繰り返し呼びかけなければならない。自分たちの価値観を他に押しつけるために、肩書きと業績ばかりを重視するような知識人の特権階級なんか存在すべきではない。そのことを忘れないでとね。81-2p


それにしても「私にとっての政治とは"アカデミー"を変えるために貢献すること」っていうのは強烈だけど、コエーリョらしいなぁと思う。

彼も「唾棄すべきアカデミズム」と考えていたわけだ。

そして、この直後にインターネットを平等に参加できる素晴らしいユニバーサルな討論の場にすることができれば、「不法に世界の権力を専有している連中がコントロールできないくらい健全な無政府状態を作ることができるのではないかな、実現の可能性を信じたいユートピアであるけど」と語る。

これを受けてインタビュアーはサパティスタと土地なき農民運動(MST)についての立場を聞く。ちなみにこのでのMSTの説明はちょっと不十分だと思う。確かに大土地所有者に土地の譲渡を求めて戦っているのだけれども、彼らは大土地所有者の土地に実際に住んで耕してしまう。そこを説明しないとMSTのことを知らない人には、以下の話はわかりにくいと思う。

で、サパティスタについては情緒的な側面ばかりに目がいってしまうと書き、それ以上のコメントはしないが、MSTについては、次の2pを使って評価を加える。
MSTについては肯定的に評価しながらも、それが右翼の弾圧を呼ぶ危険に注意を促している。また、このインタビューのあとで大統領になるルラについてもかなり肯定的な評価を与えている。84-5p

そして、未来がどうなるかは、この時点(1998)から21世紀前半にかけての50年で起こることにかかっている、という。「大方は、人々が真剣に着実に精神的探求を始める決意をするかどうかにかかっているんだ」と。
そうでなければ、原理主義思想の爆弾が爆発する危険がある、ともいう。
86p

そして、精神的な探求の中身について、「各自が自らの信仰の責任者」にならなければならない、そうでなければ、戦争に向かう、なぜなら、自分と違うものを戦うべき相手と思い込んでしまうから、と書く。87p

その直後にシモン・ペレスの中東和平についてのアイディアに感銘を受けたと書いているのだが、ここは甘すぎじゃないかと思った。87P

105pでは「思想の女性的体系」について、それは、「思想の合理的体系」の対義語だと書かれている。ここでのこの体系の話も本質主義的すぎるなぁと感じる。
たとえば
女性とは神聖で、女性的エネルギーにあふれ、聖なるものと汚れたもののあいだに壁が作られるのを阻止する存在。神秘的で、不可思議で、奇跡の論理なんだ。105p
彼は男である彼のなかにも女性の部分があるというのだが。


麻薬撲滅キャンペーンについての知見はさすがに廃人ぎりぎりまでいった人として、説得力があった。彼はこの問題に関しては保守的で合法化に反対の立場とのこと(マリファナの合法化運動はあるが、他の麻薬について合法という主張があるのかどうか不明)。
ただ、恐怖をあおるだけでは、一種のまやかし。それは事実ではなく、ごまかし。逆にそれが魅力的すぎてやめられないから廃人に至らしめるという事実を伝えるべきだいう。127p

こんな風に魅力を伝えるのもけっこう危険かもしれないと思うのだが、どうなのだろう。

そして、コエーリョは、反抗心から、禁止されていたから麻薬の世界に入ったのだといい、中途半端が嫌いだった、として、聖書の「熱いか冷たいかはっきりしなさい。生ぬるければ、私はあなたを吐き出そう」が好きだという。これ、どんな文脈なんだろう。ぼくは生ぬるいのも嫌いじゃないんだが。


177pでは「あなたにとって愛とは?」と聞かれ、以下のように応える。
一種の魔術。人間を生かしも壊しもできる原子力のようなもの
というのだが、3・11を経て、やっぱりそんな風に思ってるかどうかは聞きたいところだ。




147pで「テーマはどう選ぶのか」という質問に以下のように答える。
私は政治的に社会参加している作家で、私の大いなる探求はいつだってスピリチュアルなものだった。だから、私の本にはつねにその時代の社会問題が表れている。
そう、コエーリョにとって、政治的に社会参加することとスピリチュアリティが直結していることがここから読み取れる。ここ、けっこう大事なところじゃないか。外から強制されるものではない内発的なスピリチュアリティの復権というのが彼にとっての政治的なプロジェクトなのだろう。

コエーリョは「未来がどうなるかは、この時点(1998)から50年で起こることにかかっている。大方は、人々が真剣に着実に精神的探求を始める決意をするかどうかにかかっているんだ」といったのだが、その最初の15年は過ぎた。ミクロでの変化はいろいろでてきていると思うのだが、メインストリームはほとんどかわらないままのように思える。少なくとも日本社会では。

コエーリョの予想ではあと35年。変化は来るのだろうか、と他人事のように思ったりするのだが、その変化を呼び寄せるために何が必要なのか、何ができるのかという視点が必要なのだろう。


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内 容 ニックネーム/日時
ファティマ第三の預言とノアの大洪水について。
ブログを見てください。お願いします。
h ttp://ameblo.jp/haru144/

第二次大戦前にヨーロッパでオーロラが見られたように、
アメリカでオーロラが見られました。
また、ダニエル書の合算により、
エルサレムを建て直せという命令が、5月15日だと理解できます。
エルサレムを基準にしています。


2018年 5月14日(月) 新世界      
2018年 3月30日(金) ノアの大洪水      

この期間に第三次世界大戦が起きています。

2014年 9月17日(水) 荒らすべき憎むべきものが
              聖なる場所に立って神だと宣言する
               
2014年 9月10日(水) メシア断たれる     

この期間に世界恐慌が起きています。

2013年 7月3日(水)  メシヤなるひとりの君が(天皇陛下)
2013年 5月15日(水) エルサレムを建て直せという命令が・・・


天におられるわれらの父とキリスト、
死者復活と永遠のいのちを確信させるものです。

全てあらかじめ記されているものです。
これを、福音を信じる全ての方、
救いを待ち望む全ての方に述べ伝えてください。

マタイ24
2013/05/17 15:13

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