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zoom RSS 再び「車いす体験」に関わることになって

<<   作成日時 : 2013/05/20 03:12   >>

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18日の土曜日、工場のすぐ近くの廃校になった小学校跡地にできた区民施設での、車いす体験にかかわることになった。ぼくの疑似体験についての想いを伝えなきゃなぁと思いながら、結局、忘れていた。直前っていうか、実施当日の早朝というか、深夜、この問題で昔、いくつか書いたものがあったことを思い出した。そこで、ブログのURLをまとめたものを、このグループのサイボウズライブに投稿した。それはこのブログの後半に掲載してある。


しかし、急にこのURLが並んだものを見せられても読んでいない人は困るだろうなと思って、そこで紹介したURLからの抜き書きを会議の休み時間にあわてて、プリントしてみた。しかし、このプリントを急に渡された人も困ったかもしれない。

で、体験なのだが、対象はほとんどが小学校の低学年以下の子どもで、軽く車いすに乗ってもらっただけ、みたいなものだったので、多くの感想は「楽しかった」というもの。子どもの多くはタイヤのついた乗り物が好きだ。台車とかも。ぼくも好きだったし、いまでもけっこう好きだ。楽しいと感じてもらえるのは悪くないような気もしている。ただ、「たいへんでかわいそう」と思われることの比較でだけど。そして、車いすに乗ってる人たちと普通に友だちになってもらうところから始めるアプローチはありかなぁと思いつつ、やはり、その次のステップが必要なんだろうなぁとも思った。

次は何か、というのはけっこう難しいテーマでもある。


で、ここまでがまえがきで、ここから、さっき前半と書いた部分。あわてて、プリントアウトしたものに少し加筆してある。





最初に紹介する以下は2000年代前半、この問題を意識した後にも、地元大田区のある会(名前出てるけど)でも疑似体験をやることになったことがあった。それを止めることはできないような状況で作ったチラシの文章。
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体験コーナーで体験されたみなさまへ

車いすや白い杖の体験、いかがでしたでしょうか。

「障害者はたいへんだな」とか「やっぱり不便だな」とか、とお感じでしょうか。

それは何故かと考えて欲しいのです。

目が見えなかったり、体の機能の一部が動かなかったりするから、「たいへん」なのでしょうか。わたしたちはそうでななく、街が障害者を「たいへん」にしていると考えています。

例えば、
蒲田駅の東口の駅前
たくさんの自転車が放置されていて、点字ブロックの上に置いてあるものさえあります。
白い杖を体験しなくても、視覚障害者にとって、それが何をもたらすかはすぐにわかるはずです。もしかして、体験したあなたは、もっとわかるはずです。

あるいは、
蒲田駅の東口から車いすで駅を利用しようとしても、蒲田駅の東口駅ビルのエレベーターを降りた2階から改札に向かうには5段の段差があります。車いす用の昇降機はあるのですが、いちいち、駅ビルの人を呼ばなければ、運転できない仕組みになっているので、いつも待たなければなりません。また、駅ビルの休業日・営業時間外にはエレベーターで2階に上がることすら出来ないのです。しかし、現在は一人で操作できる昇降機も開発されています。そして、営業時間外にエレベーターを使うこともできるはずです。

これらの例からも、障害者を「たいへん」にしているほとんどは、障害者の体などの機能の問題ではなく、街を使う一人ひとりの意識も含めた街の問題だということがわかってもらえると思います。そして、街の問題というのは、わたしたち一人ひとりの問題でもあります。

この街を誰もが住みやすい街へと変えていくのは、ここに住み、あるいはここで働くわたしたち一人ひとりだと思います。みんなで街をみんなの街にしていきたいと思っています。
もしかしたら今日、この体験で障害者はたいへんだとお感じになられたかもしれませんが、障害者を「たいへん」にしているのは、街のほうだということを少しでもわかっていただけたら、うれしいです。そして、いっしょに街を変えていきましょう。

やさしいまちづくりをすすめる大田区民の会


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以下は、これを掲載したブログでのコメント。(ちなみに蒲田駅の状況は少しだけましになっている)
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しかし、このチラシだけで効果があったとは思えない。これにぼくの罪の意識を軽くするため以上の効果はなかったように感じている。そういう意味で失敗事例と言えるだろう。ぼくは他の用事でほとんどこの会場にはいなかったのだけど。

また、逆にゲームと割り切って、障害者へのハードルを低くするという戦略もありえるかもしれない。例えば車いすなどはそれなりに楽しい部分もある。しかし、それにしても、ただ楽しかっただけではやはり問題だろう。やはり、障害平等研修のようなことが必要とされている。
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以下は偶然見つけた小学生が書いた疑似体験の感想にTBしたもの。
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障害者の「体験」で気づいたことを教えてくれてありがとう。いろいろな「気づき」のために、こういう体験があります。でも、体験だけじゃわからないことも多いことを知って欲しくて、トラックバックさせてもらいます。

確かに障害者の「体験」をするのは難しくて、大変なことは多いのだけど、本当に大変なのは、身体や視覚に障害があるからなのかなぁ、と思うのです。

知って欲しいのは障害があってもできることはたくさんあるってことです。そして、残念なのはできることはたくさんあるのに、何もできないと思われて、仕事をさせてもらえなかったりすることです。また、車いすに乗れば、いろんなところに一人で行けるはずなのに、行きたい場所にエレベーターがなかったり、車いすに乗っている人は来て欲しくないという対応をされたりすることです。

もしかしたら、小学生には少し難しいかもしれないけれど、本当は目が見えないからこそ見えるものがあったり、歩けないからこそわかることがあったりするそうです。歩けないことや目が見えないことが「かけがえのない私の大切な個性のひとつ」っていうふうに言ってくれる友だちもいます。

だから、障害があることが「かわいそうなこと」や「不幸なこと」なんじゃなくて、障害がある人が生きていくのが大変な、いろいろな社会の状況を変えていくことが大切だと思うのです。

「障害がある人が生きていくのが大変なのは、障害があるからではなくて、障害がある人が生きていくのが大変な社会があるからです。」ということを小学生が理解するのはたいへんかもしれません。大人でも分からない人のほうが多いです。でも、いつかわかって欲しいと思います。

そして、いろんな障害者がいるってことを知ってください。障害者の中には自分のことをかわいそうで不幸だと思っている人もいます。でも、そうじゃなくて、ありのままの自分を大切に感じ、目が見えないことや歩けないことの豊かさに気づかせてくれる障害者もいます。

そういう人が書いた本もあります。小学生が読めるように書かれている本をぼくは残念ながら知らないのですが、例えば、「車椅子の高さで」(ナンシー・メアーズ著 晶文社)はぼくの好きな本です。

最後に、
アイマスクや車いすの体験をして、「難しいなぁ」と感じたやさしい気持ちは、いつまでも大切にして欲しいと思います。だけど、そこから先のことも、考えて欲しかったのです。ぼくが書いているものは大人にもわかりにくいと評判が悪いので、わかりにくいことは多いかなぁと思うのですが、ここから、少しでも何かを感じてもらえたらうれしいです。





以下は
『まちづくりにおける「障害当事者とのまち歩き」と「障害疑似体験」の意義』
という論文 http://www.bfp.rcast.u-tokyo.ac.jp/common/jacs2004/02_yasushi/index.html から、改行位置変更。

4 疑似体験の意義と限界

4.1 想像力を補うツールとしての意義

我々は、障害をより深く理解するために疑似体験の手法を用いたセミナーを3年間で223名の専門家に対して実施し、疑似体験の意義と有効な活用方法を検討した。その結果、障害のある人達への支援の意義は、知識としては理解できても、その重要性を実感するのは容易ではないことがわかった。例えば、まぶしくて見えにくい人への支援を例に考えてみると、長時間まぶしさにさらされる不快感、適切なサングラスが見つかったときの感動、サングラスだけでは対応できない場面がある歯がゆさ、集団の中で一人だけがサングラスをかけるときの心理的抵抗等、説明を受ければ知識としては理解できていた。しかし、疑似体験を行うことで、より共感的に、実感として理解され、態度変容に結びつくことがわかった。例えば、医療スタッフにロービジョンの疑似体験で視力検査体験を提供した際、「患者さんが一所懸命見ようとして、”もう少し待って、見えそうだから”と言っておられたときの気持ちがわかったような気がする」「照明等を工夫して見えたときってうれしいんですね」という主旨の感想があった。そして、疑似体験をした医療スタッフ達が「明日から検査のときの心構えが変わる」という決意を示した。疑似体験をしながら、患者の気持ちに心情を近づけていくことで態度変容が起こったわけである。体験を通して相手の心情を実感することで、知識や技術や理論はより意味をもってくるのである。

4.2 疑似体験の意義と適切な利用法

疑似体験には様々な意義がある。坂本(1997)は疑似体験の教育的な意義や新しい技術を開発する上での役割を述べている。また、中野(1997)は

a) 障害のある人達が遭遇している不便さやそのときの心理を理解する手がかりを得ること、
b) 障害のある人へのケアやサービス技術に関する知識・技術・理論の意義を共感的に理解する手がかりを得ること、
c) 新しい技術や課題等を発見するための手がかりを得ること

を挙げている。福島(1997)や矢田(1997)は、利用方法によって、疑似体験は、障害のある人の内面を自分の問題としてリアルに「想像」するための手がかりにもなり得ると述べている。例えば、盲ろうの理解の際、通訳者が突然いなくなり、放置されたときの不安な心情は、盲ろうの当事者がその困難さを語るだけよりも、疑似体験をした方がより共感的に理解されやすい。つまり、疑似体験には、活動を行うときの不便さを理解したり、支援技術の有効性や限界を理解したり、新たな技術の開発の手がかりを発見したりする機能がある。このように、疑似体験は、相手の気持ちのすべてを理解しようとするものではなく、障害のある人が遭遇する困難を理解したり、配慮や支援の適切性を共感的に理解するために有効なツールだと言える。

4.3 疑似体験の限界と実施上の留意点

疑似体験を実施する際、限界を理解し、適切な使い方をしなければならない。例えば、視覚障害に関して十分な理解のないまま、アイマスクをしてまちを歩き、バリアフリーチェックを行うような実践には多くの問題がある。福島(1997)や矢田(1997)はシミュレーションの精度という技術的な問題以外に心理的・情緒的側面を真に理解できない点を指摘し、疑似体験での自らの理解を過信しないように注意を喚起している。以下、疑似体験セミナーの経験から、限界を理解しつつ有意義な疑似体験を行うために、最低限、留意しておいて欲しいと思われる事項を列挙した。

・体験の目的を明確にすること:体験の目的が不明確なまま疑似体験を行うと、不正確な理解を導いてしまう可能性がある。

・疑似体験の意義と限界を明確にすること:疑似体験には多くの限界がある。例えば、障害(impairment)の状況を正確に再現できるシミュレーターはない。したがって、シミュレーターを過信せず、その限界を正確に理解し、理論的に説明できる必要がある。また、体験から何を学びとって欲しいかを明確に示さなくてはならない。

・体験を導くコーディネータ(専門家)がいること:障害のことをよく理解し、なおかつ、疑似体験の限界や意義を周知したコーディネータが必要である。コーディネータは障害を理解するための効果的な体験内容、体験者の安全確保、適切なスタッフの招集等を考慮して、綿密なプログラムを設計する必要がある。

・体験後に議論ができること:体験だけで終わる疑似体験は不適切である。体験後、どんな気づきがあったかを議論するための時間を確保することが大切である。その際、出来るだけ小グループで議論が出来るように配慮し、各グループには必ず障害のある人に入ってもらう必要がある。この議論を通して、障害についての正確な理解や障害のある人の心情に近づいていく必要がある。

・障害のある人が必ずスタッフに複数いること:疑似体験で感じたことが独りよがりな体験にならないようにするために、疑似体験には必ず障害のある人が複数参加できるように計画する必要がある。障害のあるスタッフは議論に積極的に参加し、体験者の気づきにコメントしていく役割を果たす。

・障害についての知識や支援技術についての説明を十分に行うこと:障害の理解を促進し、どのような配慮や工夫が障害のある人の生活を豊かにするかについてテキストを必ず用意し、事後学習ができるように計画しなければならない。

実はこの文章、少し教科書的すぎるような気がしている。
こんな風なことが必要だということは理解できるのだけど。
とりわけ、最後の
・障害についての知識や支援技術についての説明を十分に行うこと:障害の理解を促進し、どのような配慮や工夫が障害のある人の生活を豊かにするかについてテキストを必ず用意し、事後学習ができるように計画しなければならない。

について、「障害の理解を促進」ってなんだろうって思う。
まず「障害の理解」ってなんだろう、というところを問いたい。
大変なところもあるけど、大変なだけじゃなくて、本人としては「普通に」暮らしている、そういう全体を、どう理解できるか、ってけっこうそれだけで大変な話だよね。こんなテキストがほんとに準備できるのかって思ったりするわけだ。
ただね、イベントの余興+参加した人がゆっくり話をする時間を持つっていうのは大事だと思う。何か飲み物とかがある静かな空間で本音で話をしてもらえるような場所と時間、そして結論を押し付けない当事者のファシリテータみたいな人がいることが大切で、複数の当事者がいて、他の参加者の感想も聞けてみいたいな・・・、それがあれば、かなりイケてるのかもと、いま、思った。









以下、後半部分。今日の実行委員会のサイボウズライブに直前に投稿したもの。
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疑似体験について、書いたブログがあったので、読んでもらえたらうれしいです。もうバレバレなんですが、一応、匿名ブログです。こんなものをこんな当日の直前に紹介されても困る、とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、とりあえず、こんな意見もあるということで。

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障害者疑似体験と障害平等研修
http://tu-ta.at.webry.info/200512/article_4.html
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ここに紹介したHPでは【また疑似体験が単なる「楽しいゲーム」となっている例も多い】と書かれていますが、そこから始まる障害者理解とかの可能性もやりかた次第では探ってみることが可能かもしれません。


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医療モデル・社会モデル・疑似体験
http://tu-ta.at.webry.info/200507/article_10.html
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この後半部分では、東大先端研の福島智研究室がかかわって行った疑似体験について、少し触れています。ちなみに、福島智さんは疑似体験に肯定的で、盲ろうの疑似体験などをすすんで学生にやらせています。この問題に関して、障害学のMLでのやりとりやメールでの直接のやりとりも大昔にあったのですが、LOGが探せません。


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疑似体験についての肯定的なレポート
http://tu-ta.at.webry.info/200603/article_9.html
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このブログを読むより、ここで紹介している前述の東大先端研での疑似体験のレポートをまず読んだほうがいいかも。あと、同様にここで紹介している中野泰志さんと福島智さん共著の『まちづくりにおける「障害当事者とのまち歩き」と「障害疑似体験」の意義』という文章もあります。ここではその意義も書かれた上で以下のような限界の指摘もされています。

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(ここは上に引用したので、略)
====

いまから、これを準備するのは無理ですから、こういうことを少し頭に入れておくだけでも、違うと思います。また、子ども向けの疑似体験では違う形で、この内容に近づけることもできるかもしれません。体験した子どもに感想を言わせて、考えさせるとか。


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「アイマスク・車いす体験をしたよ。」について
http://tu-ta.at.webry.info/200603/article_2.html
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これは何かのきっかけで偶然見かけた、小学生が書いた疑似体験の感想へのレスポンスです。残念ながら、もとの感想は消えてしまっていますが。これは一応、小学生にもわかる言葉で書いた(つもりの)ブログです。



こういうことを、もう少し早く思い出せばよかったのですが、今日になってしまってごめんなさい。一応、参考までに、終わった後でもいいので、読んでもらえたらうれしいです。


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後半、ここまで。

小学生って、やりかた次第ではなんでも楽しめるし、それをちゃんと考える材料にできる柔軟さを大人以上に持っていると思う。とりあえず、いま、彼や彼女が「障害」について、どんな風に考えているのか、から始めるしかないのかなぁ。

そこから始めて、何が生まれるかを楽しみにするていうくらいでいいのかも。





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