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zoom RSS ゆうなの花の季と(伊波敏夫著)メモ

<<   作成日時 : 2013/06/15 20:42   >>

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勢いで古本を2冊購入して、続けざまに読んでしまった伊波さんの本。
1冊目のメモは http://tu-ta.at.webry.info/201306/article_3.html 

本の背表紙には以下のように書かれている。
http://www.zinbun-shokan.co.jp/books/ISBN978-4-903174-12-9.html から
生命の歓喜を謳いあげるために

 国家と社会というものは、こんなにも簡単に人間の「尊厳」をはぎ取ってしまう。取り返しのつかない時間。すくえないほどの涙が流され、やっと「人権」の尺度で、ハンセン病に痛めつけられた人たちの「尊厳」が回復されはじめている。この国の未来に、ふたたび、人間の尊厳に棘を刺させないためにも「ハンセン病問題」を、時間の中で風化させてはならない。何よりも、わたしたち以外の誰にも、もうこのような苦しみをくぐらしてはならない。
 「人間としての尊厳を打ち砕かれ、この病気を背負った不運を嘆き続けた人たちと家族よ。この国の民として生きることが今日から始まる。さあ視線を落とさず胸を張ろう!」。(本文より)

このHPを見て、はじめて気がついたのだけど、この本の出版事情は以下
本書の元本は1999年、『夏椿、そして』と題して、日本放送出版協会(NHK出版)より刊行されたが、後に版元品切れ(重版の予定なし)となっていた。著者の元に寄せられた、新版希望の多くの声や、ハンセン病市民学会設立など、ハンセン病問題の検証と偏見・差別の解消を図るための施策が求められている今日的情況・諸事情を勘案して、新たな装本として、書名を改めて、小社より刊行することとなった。
「ハンセン病問題」を風化させないことと人間の尊厳の回復という重い課題に応えるために、底本の大幅な補加筆・改稿を行ない、さらに新稿を加えて、編集を一新した。ハンセン病元患者の“人間回復”と“社会復帰”問題を考えるにあたって、本書が、その起点となることを願っている。(人文書館編集部)


『夏椿、そして』は前に読んだはずなんだけど、まったくそれに気がつかなかった。記憶力が悪いと同じ本が繰り返し楽しめるのは利点!!たしか、『夏椿、そして』は辺野古の近くの「海と風の宿」で読んだような気がする。
〜〜〜〜
このページのほかに
「ゆうなの花の季と」に関するレビュー
のページもある。
http://www.zinbun-shokan.co.jp/reviews/review_yuuna.html
〜〜〜〜



以下、気になった部分。

三井財閥が隔離政策のための一万床計画のスポンサーになったという。それで計画が実現できた、とか。

完全隔離にこだわった理由として、遊佐敏彦三井報恩会調査課長の特別講演が紹介されている。
祖国の血を浄化せねばならぬ。ドイツ人の血のみが勝れているのではなく、日本民族の浄化は特に現代ほど重要なものはない。皇紀2600年を期して諸種の記念事業が行われることになっている。現下の戦時体制においては一切の準備が延期されることになっているが、その中で延期を許されないものは無らい国運動で将に好個の記念事業である。127p
三井はこのことをちゃんと反省してるのかな。


この本でも東京コロニーについての話が出てくる。
ハンセン病療養所のケースワーカーだった鈴木さんと伊波さんの対話
伊波さんがハンセン病回復者だということを明らかにして働くことに鈴木さんはケースワーカーとして反対したという、「なぜなら、時代と社会意識はまだそこまで来ていないと思っていましたから」というのを受けて、伊波さんは

「世間を知らなかったのですよ」

と応える。以下はそれを受けた会話

「あなたが就職した東京コロニーの職場討議に、わたしも数度呼ばれました。その討議を聞いていて、衝撃を受けましたねー。多くの従業員が、討議の過程で医学と科学を信じます、との意見にまとまっていくのです。わたしたちが数十年かけても変えられない社会の偏見を、その集団に属する人たちは、いとも簡単に乗り越えてしまうのです。それを目の当たりにするとねー・・・・・・、自分たちは、これまで一体、何をしてきたんだと、空しさを覚えましたよ」

「鈴木さんや波佐間医師の熱意が、皆さんの認識を変えたのではないでしょうか」

「いや、違いますね。その組織が日頃からどのような価値観で律されているか、それが、組織に属するひとりひとりの志の高さの違いに現れるものなのです。その反対に位置していたのが、恥ずかしいことには、あなたを社会に送り出した医療の現場で起こった、あなたたちのお子さんの保育所問題だった」


この拒否の問題は先日のメモにも書いた。
この会話のなかに「医学と科学を信じます」というのがでてくるが、今はこのせりふは使いにくいと思う、医学や科学が単純に人間にプラスになっているとは思えないからだ。

そして、ここでは東京コロニーの従業員が「いとも簡単に乗り越えた」とあるが、ここは先日紹介した本では違う姿が描かれている。その葛藤こそが重要だと思うのだが。

また、今の東京コロニーが「どのような価値観で律されている」か、と聞かれたら、このように障害のある人をともに働く仲間と考える視点は法人としては消えつつあると言わざるを得ないのではないか。Aに変わらざるを得なかった福祉工場にはわずかにそれが残っているけれども、それ以外のBとか移行とかは、サービスを提供する人と受ける人というのが、ほとんどあたりまえのようになってしまっている。Bや移行で働いている人が労働者としての権利を剥奪されていることへの怒りなど、もう、なかなか探しても見つからないという残念な状況だというのは、他人事ではなく、自戒を込めて書かなければならないことだと思う。


174pからの「無念の風景」という部分では、長男がハンセン病に罹患したことに気がついた一家9人の無理心中の話だ。1951年の出来事とのこと。
伊波さんはこの事件の一部の関係者で断定的に語られている図式に異をとなえる。
・関係当局の不適切な処置
・特別な疾病感(ママ)(疾病観のほうが適切かも)
・秘密漏洩
・社会抗議(を関連させる)
これは活動家が陥りやすい図式理解といえるかもしれない。
社会モデルとも親和性が高い。しかし、差別はこのような社会モデルだけでは解けない。歴史の重層性の中に織り込まれた差別意識は簡単には消えない。


伊波さんはこの社会モデルだけでは問題は語れないはずだという違和感をエンジンにして、取材を行ったが、新しいものは見つからないまま、帰路につく。そのタクシー運転手との会話の中で、新しい事実と出会う。
「今・で・も・(強調、引用者)、その病気のことで問題にされている集落がある」。
それにしても、この「今でも」に驚く。ローカリゼーションはこのような差別を抱え込んだローカルとどう決別するかという課題にも直面する。



前の読書メモ
http://tu-ta.at.webry.info/201306/article_3.html
にも書いたが、前のジュニア新書という子ども向けのシリーズだけではなく、この本でも、やはり優等生くささはなんとなく感じてしまう。
そして、伊波さんが自ら男性性ともちゃんと向き合えば、もう少し面白くなるかも、と思った。

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