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zoom RSS 立岩真也さんの再分配論(追記8/30)

<<   作成日時 : 2013/08/26 06:52   >>

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共同連大会での講演のために(資料として?)立岩さんが自分のページに資料をアップロードしている。『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』の16pから始まる部分。この本、購入して最初と最後は読んだ形跡があるのだが・・・。

http://www.arsvi.com/ts/20130824.htm

たいして長い引用ではないが、立岩文体に慣れていないとうんざりするかも。ぼくは少しした。ともあれ、ここに立岩分配論のエッセンスはある(ような気がする)。ここに引用してあるところは読んだはずなのだが、記憶はない。



以下、ものすごく単純化した試算の部分のみ再引用する。資産のもとになった考え方はこの前に書かれているので、見て欲しい。
 架空の計算はあくまで架空の計算でしかないが、それでも仮に、一つやってみるとしよう。一億人がいて所謂国民総所得(GNI、ほぼGNP=国民総生産に同じ)が年に四〇〇兆円の社会があるとしよう(日本国は二〇〇七年に約五一六兆)――無償労働分を含めればもちろんもっとずっと増える。そこでは八〇〇〇万人の人が年平均一五〇〇時間働いているとしよう――前の数字と対応させれば有償労働としてということになるが、それでよいとしているわけではない。労働一時間あたり――後述する、かなり限定された部分に使用するために徴収される税の分を含めて―― 一五〇〇円はまずは妥当なところだと考えるとしよう。すると一八〇兆。個々人の差異に対応する支出分を――ただここでは、まずは、基本的に福祉や医療に関わるものとし、年齢等に応じた支出の違いはさしあたり含めないで――七六兆ほどとっておくとしよう(日本国の二〇〇五年の医療費は二八兆、年金等は除く福祉その他一三兆)。すると四〇〇?(一八〇+七六)で残りが一四四兆。所謂社会サービスの費用の支払いなしで、他方現在他の名目で徴収されている税の分として支払う部分は含めて、そしてこの場合は子どもも得られる人に含められて、一人年に一四四万円、月一二万になる。年に二〇〇〇時間働く人は、四四四万になる。
 わるくない、と思う人もいるかもしれない。もちろんこうなるのは、つまりそれぞれの費目に余裕があるように見えるのは、(労働時間に対応する以外の)所得格差をまったくなしにしてみているからである。結果、分配前の低所得者が得るものは増える。他方に、もちろん、所得が減る人たちはいる。実際にはずっと多く得ている人たちがたくさんいるから、その分をそのままにしておけば、他のそれぞれの項目は減っていく。そして、前段に記したことがそのままに実現するだろうと考えていないし、またするべきであるとも考えていない。このことはさきに述べた。その上で、今述べてきたところによれば、それは、基本的には、支持されるのだった。



まず、この試算で、立岩さんは税収ではなく、「所謂国民総所得」を分母に使う。ぼくにBIについての知識がないからかもしれないが、ここに驚いた。(このあたりは読んだはずなのだが、まったく記憶がない)分母は税収だとばっかり思っていたからだ。2007年現在で516兆だが、400兆で想定される。

まさに収入の再分配が考えられているわけだ。税金は収入の100%か?。

そのお金「所謂国民総所得」400兆円から、

1、労働に対する報酬(1時間1500円)が一律に支払われ(この部分は事業者が払うかも)それが180兆円

2、医療や福祉に関わるものが76兆円(現在は41兆円)

400兆円からそれらを引いたものがBIとして、残りが144兆円。それを人口1億人のBIにしたら、一人年間144万円 2000時間働くと、年収は444万円

(立岩さんに教えてもらって追記)
ここで、見落としていたのが、
所謂社会サービスの費用の支払いなしで、他方現在他の名目で徴収されている税の分として支払う部分は含めて
という部分。
立岩さんによると
その分、計算のしようでいくらでも、ですが例えば1人平均年50万とか。総収入に応じた負担ということになるだろう
とのこと。

そこのところ2000時間働く人で年収手取り394万

BIだけの人は非課税で144万というくらいで、税収が足りるかどうかも試算してほしいところ。

==追記ここまで===



さあ、これをどう考えるか。
ここでは、その前に記載されている考え方とあわせて、考えてみることが重要。
ただ、数字が入ることで考えやすくなる。



「もう少し読まなければならないのだが、単純な疑問として福祉・医療以外の公共費用はどうなるのだろう。
ちょっと、これから聞いてみよう」という部分については立岩さんからの答えが追記部分にあります。


P.S.
先日聞いた、モンドラゴンの話では、収入の格差が従来は1:3だったのが、1:6まで拡大されたとのこと。
それでも6倍なら、まだ小さいともいえるだろう。


このブログでBIに触れたもの

ベーシックインカムについて考えた
http://tu-ta.at.webry.info/200907/article_3.html

危険な働く義務とベーシックインカム
http://tu-ta.at.webry.info/201002/article_1.html








立岩さんのページが見つからなくなっても、困らないように引用してある全文を以下に貼り付けておこう。

〜〜〜〜〜
◆立岩 真也・齊藤・拓 2010/04/10 『ベーシックインカム――分配する最小国家の可能性』,青土社,ISBN-10: 4791765257 ISBN-13: 978-4791765256 2310 ※ bi.

2 此の世の分け方についての案

 私は、もっと単純な平等を基本に据えてよいと考えている。それは『現代思想』での連載(立岩[2005-])やその他のところでも述べてきた。

 世の中にあるものを人の数で割るという世界の分け方がある。それを基本に置いて考えてよい。ただ、大切なのは、受け取りそれ自体というよりは、受けとってそれを使って得られる生活だから、そうして可能な生活の水準が、おおまかには、同じでよいとする。つまり人が置かれる場の差や身体の差に対応した分配がなされる。この意味での「平等」は、きわめて深刻で大きな要求というわけではない。しかしそれを否定する理由はない。それを基準にとってよい。

 第二に、その上で、「労苦」には報いてよいとする。すると労働の労苦に応じた対価、結果としての収入の傾斜αをつけることは認められることになる。一方で労働には楽しいところがあり、また様々な余得もあることは認めるとして、しかし、それはやはり苦労の多いものである。苦労しているのだから、それに応じて対価が支払われてよいとする。

 第三に、労働・生産に対する「動機づけ」としての差異化された支給βも、それにどの程度の効果があるのかを見ながら、仕方のないこととして、認めることがある。

 だから、いったん同じというところから始めた上で、二度傾斜が加わることを認めるということである。財の(人の必要の個体差を勘案した)人数割り+労苦に応じた傾斜αを基本にし――この時点で人数割りにしたよりも少なく受けとる人たちが出てくるということである――、労働を得るため、「適材」を「適所」に得るためのさらに傾斜的な配分βを採用するのも仕方がないことがあるということになる。

 そして市場で付く価格の差には、労苦の度合いがいくらかは反映されている。辛くて苦しい仕事、その仕事ができるようになるために手間のかかる仕事については、他と同じ条件では働き手が少なくなるから、市場でより多くが払われることがある。この場面では、市場で実際についている価格と、人数割り+時間に応じた支払いの間に、まず正当な報酬があると考えてよいということになる。

 ここでは、仮に人に必要なものが同じであるとして、簡単には、BI×人数+労働に応じた追加支給分=総生産ということになる。あるいは総生産÷人数でいったん一人分が出た後、労働に応じた部分を別にして、その分を人によっては加え、その分人によっては減らされるということになる。これは総生産から追加分を差し引き、それを人数で割ることになるから同じになる。仮に時間と人数と総生産は決まっているとして、BI――以下本書では多くの箇所で、給付される所得としてのBIよりも広く、各自がまず有すべき水準の所得の意で用いる――と労賃は互いの値によって変わってくる。

 労苦に応ずる対価としてどれほどがよいか、それを正確に測ることはできない。というか、これは基本的には事実によって決まるものではない。人々が決定しそして選好したとするものにすれば、それは市場での需給関係、交渉力等が関わってくるのだから、αよりある部分では大きくなる。そして一部では小さくなる。私たちはそれをそのままに受け入れないとしたのである。

 もちろん労苦を――そしてその楽しさやおもしろさも――正確に測れる基準も手段も存在しない。また時にはそれを測ることをするべきでない。一つに、近似値とも言えないのだが、労働時間を目安とするという方法はある。まず、それが単純であることは利点ではある。ただもちろん、よくない部分があることを認める。これは労働の密度や困難さ、技術を習得するための手間の違い等々を考慮していない。また、労働時間を引き延ばす人も出てくるだろうとも言われる。同じ仕事であっても、同じ時間を異なった密度で働く人はいる。時間あたりが同じなら楽をしようとするかもしれない。ただそのようにいかにも起こりがちで実際に起こることについては、既に様々な対応策も、その個々のよしあしは別として、ある。そして実際にも、そんなおおまかな方法で決められていることが多いのも事実である。そして、実際に働く(働けるようになる)ための準備に手間のかかる仕事があるのも事実だが、だがそれもそれとして対応できないわけでもない。例えば学校に長い期間行かねばならないのであれば、それに関わる費用を自らが負担せずにすむようにすることもできる。

 その上でも加算がなされてよいことはある。それは、政治的に決定されること、されてよいこともあるが、市場で決まる部分もある。きつい仕事には需要が少ないから、他の――重要な――要因を省けば、そんな仕事についてはその分多くを受け取れるようになっているとする。とすると、この部分に関していえば、一律の時間単価と市場で決まる価格の間に適切な価格があるということになる。時間あたりという不正確な基準を補正する要素ももつことになる。こうして市場で生じている上乗せのある部分は認めてよいということになる。

 なによりこの基準は、事態を基本的にどのように判断するのかを見る際のものである。そこから現実を評価すると、労働の濃度や辛さを加えたとしても、すくなくとも現在において格差が大きすぎることは確実に言える。だから、差を小さくする方に動いた方がよい。そのように言うことができる。こうして、難点の数々を十分に承知しつつ、ごくおおまかに、時間をあてにするとしよう。すると、追加分を総労働時間で割ると平均的な時間当たりの賃金が出てくる。それを一つの基準と考えよう。

 するとBI×人数+一定額×人々の総労働時間=総生産という単純な式になる。ただしここでは話を簡単にするため(にだけ)必要に応じた部分への対応は措いてある。そして、何を支払われてよい労働とするのかという大きな問題も――これを定めないことには、計算ができないのだが――措いておく。さて、どれだけを労苦に応じた部分として取り出すのか。また一律の部分とするのか。具体的にはいかほどになるのか。当然一方が他方を制約する。そしていずれについても、なにか客観的な基準があるわけではない。それでもすこし試算のまねのようなことをしてみよう。
 まず、BIはすくなくとも十分に生活できる水準ということになる。すると今BIとして言われているらしい額は、多くの場合にはそれに達しない額のようだ。例えば月五万円で、四人家族だと月二〇万円だからなんとかなるだろうといった話もあるらしい。子どもに支給するかどうかというのは一つの論点だが――成人に限ってよいという主張もある――、出すとしてもよいだろう。それにしても、その分を加えて、ようやくなんとかなりそうな額にするというのは、BI論者が標榜する中立性――人が集まって暮らすのか、一人で暮らすのか、それは自由であるというのもその一部をなす――にも反する。そのことを格別な根拠とするまでもなく、もちろん、一人でやっていける額に設定されるべきである。

 架空の計算はあくまで架空の計算でしかないが、それでも仮に、一つやってみるとしよう。一億人がいて所謂国民総所得(GNI、ほぼGNP=国民総生産に同じ)が年に四〇〇兆円の社会があるとしよう(日本国は二〇〇七年に約五一六兆)――無償労働分を含めればもちろんもっとずっと増える。そこでは八〇〇〇万人の人が年平均一五〇〇時間働いているとしよう――前の数字と対応させれば有償労働としてということになるが、それでよいとしているわけではない。労働一時間あたり――後述する、かなり限定された部分に使用するために徴収される税の分を含めて―― 一五〇〇円はまずは妥当なところだと考えるとしよう。すると一八〇兆。個々人の差異に対応する支出分を――ただここでは、まずは、基本的に福祉や医療に関わるものとし、年齢等に応じた支出の違いはさしあたり含めないで――七六兆ほどとっておくとしよう(日本国の二〇〇五年の医療費は二八兆、年金等は除く福祉その他一三兆)。すると四〇〇?(一八〇+七六)で残りが一四四兆。所謂社会サービスの費用の支払いなしで、他方現在他の名目で徴収されている税の分として支払う部分は含めて、そしてこの場合は子どもも得られる人に含められて、一人年に一四四万円、月一二万になる。年に二〇〇〇時間働く人は、四四四万になる。

 わるくない、と思う人もいるかもしれない。もちろんこうなるのは、つまりそれぞれの費目に余裕があるように見えるのは、(労働時間に対応する以外の)所得格差をまったくなしにしてみているからである。結果、分配前の低所得者が得るものは増える。他方に、もちろん、所得が減る人たちはいる。実際にはずっと多く得ている人たちがたくさんいるから、その分をそのままにしておけば、他のそれぞれの項目は減っていく。そして、前段に記したことがそのままに実現するだろうと考えていないし、またするべきであるとも考えていない。このことはさきに述べた。その上で、今述べてきたところによれば、それは、基本的には、支持されるのだった。

 BIを増やせば時間あたりの報酬が減り、時間当たりを増やせばBIが減るから、そこに難しい問題が起こるように思われるのだが、今見た限りではそう深刻なことにはならないようだ。そして様々の項目について、一意に定めることはできないが、それはそれでかまわない。現実に存在する格差は、まず正当としうる格差αよりもずっと、また仕方なく認める格差βよりも、大きい。その差を小さくすることが要請される。それには幾つかの方法がある。その一つが累進的な徴税を行なうことである(立岩[2009g])。このことを主張すると、生産が停滞する等々の批判がすぐになされるし、その可能性のすべてをこちらも否定するわけではない。ただ、多くの場合、批判にもそれほど確かな根拠はない。差を縮小していっても格別に深刻な支障を来たすことはないと考えられる。あるいは、行なってみないとわからないところがある。だから、できるところから徐々に変えていって様子を見ればよいということになる。

 そしてまた再分配以外何もできないわけではない。第3章で生産財の所有と労働の分配・分割について述べるが、それに加えて、受け取りにおける差異を少なくできることもある。これは市場への過度の介入を招くことになるだろうか。ただ、例えば社会サービスとしてなされる仕事のかなり多くについては、その報酬は政治的に決まっている、あるいは決めることができる。他の多くの仕事にしても、ある人々が思うほど市場原理で報酬の価格は決まっていない。周囲の市場価格をまったく無視するわけにもいかないとしても、様々な場面で労働への対価自体を調整していくことができる。
 このように基本的には考えればよいとした上で、私はまず、現行の制度を是正し、拡充していくことがよいと考える。以上はそもそも基本的な方向を示すものであり、このようにも考えられるとしたら現状をどう評価してよいかを示すものであり、そのまま具体的な制度を指示するものではない。現在のこととしてなされるべきことがなされるべきである。
 1)税制の改革、それを財源とする、2)現存の所得保障の拡充、3)社会サービスの拡充を求める。ここでは2)について。とくに、さしあたって、当面のこととして、また実現可能なこととして、具体的にするべきことは、一つに、日本では生活保護としてある公的扶助の制度を拡充し使えるものにすることである。それは現に存在する制度であり、そしてその水準として、まずは、なんとか暮らせる額にはなっている。BIがその今の水準よりも低い水準のものとして想定されるのであれば、そちらではなく公的扶助を広げることを支持する。その受給者がすぐに数倍になってよい。

 この制度の現実の大きな問題は補足率の低さである。選別がなされるためでもあるが、それ以前に、申請主義がとられていて、申請しない人が多くいるためである。そこで、申請を待たず、自動的に給付するようにすればよい。もちろん、収入を得ている人も、収入が基準額を下回る人(現行制度では世帯)に対して自動的に給付すればよい。そして、次も現行の制度を改変してのことになるが、労働に応じた付加を行なうのがよい。現行の制度では、生活保護の基準額までの収入は「収入認定」され全額差し引かれ、その差額だけが生活保護費として支給され、実質的な所得は生活保護を受給している限り変わらないのだが、ここまで考えたところでは、労働に応じた増額が認められることになる。

 徴収については『税を直す』等で記した。社会サービスの供給のあり方についても何度か述べている。これら全般について繰り返しになるが、全体として、格差を減らす方向であればよい。定額の給付の場合でも徴収の仕方によっては、また比例的な徴収でも支出の仕方によっては、その方向に向かわせることはできる。ただそのようにはあまり考えられていないようだ。むしろ、BIを導入することによって他のものがいらなくなる、結果、安くすむという論がある。いらないものがいらなくなるのはよい。しかしいるものがなくなったり削られたらよくない。次に、いるものの代わりになるならよいか。例えばBIが支給されることによって雇用が開かれる「可能性」はある。しかしそれは確実なことではないし、また今言われているらしい五万円といった額で起こることでもない。

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