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zoom RSS 『その一言が言えない、このニッポン』 辛淑玉著メモ

<<   作成日時 : 2013/10/14 23:39   >>

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読書メーターに書いたものに加筆して再構成。読み返してみると、違和感だけを書き連ねている。ま、同意できる話は書いていてもあんまり面白くないのはどうしてだろう。

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ま、いわゆる辛淑玉節という感じではある。短いコラムを集めたもの。 基本、同意できる話で満ちているんだけど、「原爆を落とさせた国の責任」という考え方はひっかかる。戦争を起こした責任、侵略した責任、非人道的な行為の数々の責任は間違いなくある。しかし、それは「原爆を落とさせた国の責任」とは違うのではないか、ぼく自身、まだ未整理な部分でもある。
正確には「責任」という表現は使っていない。「落とさせた国も罪が深い」と書いてある。67p、138p

74-75pでは「暴力・・・もう見たくない」というポスターにけんかを売っている。 辛淑玉さんがいうように、このメッセージにはその目的の抑止効果はないと思う。注では最近のポスターが加害者に向けたメッセージであることに噛みついているが、それは間違っていないと思う。「やめなさい」という効果のあるメッセージが必要なのだから。

94pでは「はるな愛」への違和が書かれている。辛淑玉さんは、誰が好き好んで体にメスを入れて切ったり貼ったりするか、社会に多様性がないからじゃないか、というのだが、社会に多様性があれば、切ったり貼ったりは止まるだろうか、そこは不明。

つづけて、精神神経学会がホルモン治療の開始年齢を引き下げたことについて、「変わらなければならないのは社会だ」と指摘する(95p)。障害の社会モデルとつながる。
確かに、多様性が謳歌できる社会に変わってほしいと思うし、多くの問題で変わらなければならないのは社会であることは間違いない。

ここで辛淑玉さんは内面化された価値観がホルモン治療につながるのだと主張したいのだろう。その価値観が社会から来ているのかどうか、もちろん、それがないとは言わないが、微妙はこともあるのではないか。

以下、引用 
 天皇制こそ差別の根源であり、それは「自分の意志で行動しその責任を取る自由」を奪った。なぜなら、天皇の赤子は独自の意思など持ってはならないからだ。だから誰も責任を取らないし、取れない。こうして、誰もが周りの「空気」を読みながら生きていく社会をつくった。そこには個はない。

天皇制がさまざまな差別につながっていることは否定できないだろう。しかし、それが差別の根源であるかどうかは議論の余地もあると思う。そして、「自分の意志で行動しその責任を取る自由」を奪っているのが天皇制だという部分も。

そもそも、「自分の意志で行動しその責任を取る自由」は本当に奪われているのだろうか。また、それが奪われているというのであれば、どんな場面で奪われているといえるのだろうか。

金を稼ぐ仕事の中でそうせざるをえないと思い込まされている人は多いかもしれない。確かにもの言えない、言わせない、ましてや行動などさせない会社も多いだろう。でも、本当はもう少し言ったり、行動したりできるはずなのに、自己規制をしている部分も多いのではないか。

確かに日本社会は「自分の意志で行動しその責任を取る」ということがしにくい社会かもしれない。しかし、それは、その自由が奪われているということではないようにも思う。
「同調せよ」という圧力が強い社会かもしれないと思うのだが、そのことと天皇制がストレートにつながるとも思えない。

そう、この辛淑玉さんの竹で割ったようなわかりやすさに惹かれがちな自分もいるのだが、ぼくは、もう少しグズグズ・ウダウダと考えてみたいと思う。


98pには「この国では、旗や歌を拒否したところで殺されはしない。その程度の闘いさえも一部の人だけに担わせ、大衆は沖縄も、アイヌも、福島も見殺しにする。国家を信奉する大衆が少数派を殺すのだ」とある。多くの人は拒否したいとさえ思わないのだから、「担わせ」という表現は適当じゃないだろう。

ただ、多数派が少数派を見殺しにしている構造は確かにある。それをどう変えていくのか、多数派が変わらなければ変えられない現実もある。大衆を非難し断罪したい気持ちは理解できるのだが、じゃあ、どうするのか、そこの踏み込みを辛淑玉さんに求めるのではなく、大衆としての自分自身が探す必要があるのだろうと思った。

最後の方で目取真さんと辛淑玉さんの対談がある。そこで目取真さんは現在の官邸行動(金曜日)の根底にあるのは生活保守主義だと指摘する。目取真さんの指摘は、もちろん目取真さんらしく、この生活保守主義を否定的に指摘するのだけれども、「生活保守」という部分を切り捨てて、本当に運動は成立するのだろうか、という思いも捨てきれない。

それは「生活保守」に汲々とする大衆の暮らしと反植民地主義の主張をどう接続できるかという課題でもある。

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