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zoom RSS 「つながりを取りもどす時代へ…リサージェンス誌選集」メモ

<<   作成日時 : 2013/10/29 03:32   >>

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正式なフルタイトルは「つながりを取りもどす時代へ―持続可能な社会をめざす環境思想 リサージェンス誌選集」

http://namakemono.shop-pro.jp/?pid=17118804 に目次などが記載されている。

http://www.es-inc.jp/library/mailnews/2009/libnews_id002334.html
では、「はじめに」も読める。


世界を養うなんて簡単なこと(コリン・タッジ)

この世界で「できるはず」のことと、実際に「できている」ことの間には、何と大きな違いがあるのだろう! と愕然とします。とりわけ、生まれるべくして生まれてきた人たち全員をきちんと永遠に養っていくことはできるはずなのです。それも、生存ぎりぎりの食糧という意味ではなく、とびっきりおいしくて栄養価の高い最高レベルの食事です。

(長い省略)

しかし、現在の食のシステムは、世界の人々を養うようにはできていません。現代の万能薬とされる国際”自由”市場(と呼ばれているもの)に合わせて、最短時間で最大の現金を生みだすためのシステムになっているからです。26-28p
これはもっともっと声を大にして言いたい部分。


・・・私たちの食をめぐっては、二つの問題があります。一つは、食べものを上手に育て、人々に届け、適切に調理することです。これは、それほど難しい話ではありません。それよりもはるかに難しいのは「企業とそこにぴったりくっついている政府を介さないようにすること」です。英国の労働党政権は(引用者注:日本の自民党や民主党の政権も同じく)、食べものについてもほかのものとまったく同じ一般的な戦略をとってきました。つまり、一番高く買ってくれる相手に売り、その手綱も利益も企業――ここで言うなら、テスコ(訳注:英国の大手スーパー…)やモンサント(…)、農薬メーカーなど――に手渡してしまうやりかたです。その目的は良質な食べものを育てることではなく、現金を最大化することです。このやり方は、あらゆる点で計りしれないほどの害をおよぼします。・・・
30-31p
一つ目もそんなに簡単だとは思えないのだけれども、やっぱり二つ目の方が困難なのかなぁ

この直後に著者の産直型生協(フードクラブ)構想の紹介があり、うまくいくに違いないと書いているのけれども、これもそんなに容易じゃない。ほぼ書かれているのと同じことをしているいわゆる「自然食品の店」を経営している複数の友人がいるのだけれども、ほんとうにカツカツでいつ倒れてもいいような状況のなかでがんばって続けている。


35-36pでは米国の農業補助金について書かれている。これがもたらす損害は、米国政府の金銭的なコストだけではなく、本当の意味で蝕まれているのは世界経済の健全性であり、気候の安定であり、人々の健康だと指摘される。

この補助金がなくなれば、1個100円のハンバーガーの値段が3倍になるという。さらに牛肉産業が外部費用(持続可能ではない水質汚染、環境劣化、温室効果ガスの排出など)を負担することになれば、それは5〜6倍になると。

1個100円のハンバーガーはいつも貧乏感を自分的に漂わせているぼくには結構魅力なのだが・・・。これで、人々がジャンクフードをそれなりに食べなくなり、ハンバーガーの消費量は保健機関がしきりに訴えているような健康的なレベルまで減るだろう、と書かれている。おそらく米国などでの話なのだろうが、牛丼などを毎日のように食べている人間にもあてはまるかも。しかし、野菜中心の健康的な食生活は、ほんとうに手軽に手に入るのかなぁとも思う。


70pからの「自然という天才」というところで書かれていることは石田 秀輝 さんの『自然に学ぶ粋なテクノロジー』そっくりだ。バイオミミクリと呼ぶらしい。こういうのが先にあったのかと思う。
この説明はhttp://www.nygreenfashion.com/html/learn/biomimicry.html にもある。
ここから少し引用
・・・「バイオ」は生物、「ミミクリ」は真似る、という意味。
バイオミミクリは、"自然の英知を模すことにより、人類が抱えている問題を解決していく"、という意味の科学用語です。

バイオミミクリは、1997年に生物学者ジャニン・ベニュスさんの「Biomimicry: Innovation Inspired by Nature」という本で初めて紹介されました。

(略)

たとえば、ハスの葉っぱというのは、ザラザラしているため撥水効果があり、雨水が葉に当たり滑り落ちるときに、同時に葉の表面の汚れを掃除する機能を持っています。
これと同じ構造を布やペンキやガラスなどに応用し、表面がザラザラした布、ペンキ、ガラスを作ると、通常塗るべき撥水・防シミ加工用の化学薬品を塗らずに、撥水・シミ防止機能を保持できてしまうのです。
もちろん、ただ表面をザラザラさせれば何でも良いというわけではなく、こうした技術の開発には長年の研究と深い科学知識を要しますが、自然の英知と人間の科学知識を重ね合わせることで、環境への負荷が少ない新技術を開発することができるのです。


「賢明な成長」(INTELLIGENT GROWTH)という話もある。93p〜
著者はステファン・ハーディング
彼は「自滅的な成長」と「賢明な成長」があるという。
「自滅的な成長」というのは説明するまでもないが、「賢明な成長」とは何か。
それには物質的なものも社会的なものも精神的なものもあるという。
そこで成長させなければならないのは
例えば再生可能エネルギー。しっかりと地元に根づいた人間社会。宇宙の深遠なる神秘性を体感する能力。
脱成長という言い方にシンパシーを感じていたが、こんな言い方もあるのかと思った。


この本のサティシュの文章は「精神性を取りもどす」(124p〜)。ここの「精神性と社会変革」という節(130p)から少し引用
環境の持続的可能性や社会正義を推し進める力はそもそも、倫理的、美的、精神的なビジョンから生まれます。ところが、活動する人たちが「マスコミの注目を集めたい」とか、「組織のメンバーをもっと増やさなければ」といった本当の目的ではないものにとらわれてしまうと、原点がどこかに行ってしまいます。こうした関心事それ自体が目的化してしまい、全体的かつ包括的なビジョンを建設的に示すことが忘れさられてしまうのです。自然を愛する心や、人間や人間以外のすべての生き物が本来持っている価値を大切に想う気持ちは、環境運動や社会正義運動のよりどころにしなければならない、何よりも重要な礎です。すべての活動の根っこにあるのは生命に対する畏敬の念であり、この気持ちが精神的な土台です。実践活動と精神のあり方の間に矛盾はありません。マハトマ・ガンジーの政治的展望は、精神的な価値観に基づいて構築されました。マーティン・ルーサー・キング牧師の公民権運動も、精神的なビジョンに根ざしていました。今この時代の環境保護運動や社会正義運動にも、生態学などの自然科学や社会科学にとどまらず、幅広い世界観が求められているのです。




「精神性と文明」という節から
公平さや公正さを欠き、持続可能ではない経済制度の上に築かれた現代の大量消費文化は、文明化しているとはいえません。文明化の本当の証は、物質的な進歩と精神的な品位との間にバランスが保たれていることです。互いに仲よく暮らす方法も、地球を壊すことなく生活する方法もわからないのに、どうして私たちは自分のことを「文明人」と呼べましょうか? (略) 精神的な土台のない文明など、けっして文明ではないのです。134p


「精神性は足元から始まるもの」という節からサティシュのお母さんの言葉
「暗闇を呪うより、ろうそくに火を灯したほうがいいのよ。でもね、ほかの人のろうそくに火を灯す前に、まず自分のろうそくに火を灯さなくてはね。自分自身の灯りになること。そうすれば、ほかの人に手を差しのべて助けてあげられるでしょ。自分が幸せでなければ、人を幸せにすることはできないわ。でも、自分の幸せは、他人に対するやさしさから生まれるのよ」135p
これ、好き

精神性を取り戻すための実践的な3つのステップ
1、信頼
  恐怖を取り除き、信頼を育む。
  自分自身を信じる。そのままでいい。
  そして、他者を信じる。
  宇宙のプロセスを信じる。

2、かかわること
  生命の魅惑的なプロセスにかかわる。
  コントロールしたり、操作したり、征服したりするのではなく関わること
  土を耕し、日々の食べものを育てる
  スローフード。
  スローフードが精神的な食べ物でファーストフードはぞっとする食べ物。

3、感謝
  ものごとを批判的に見る目と、よいところを評価したり感謝したりすることとのバランスが必要。
  地球からの贈り物に感謝する

私がここで伝えたいことは「物質と精神の間に二元性はなく、これらは切り離すことができない」ということです。精神は物質の中に織りこまれ、物質は精神の中に織りこまれています。(142p)


以下要約
 「『変化を促す行動』と『精神』の融合」、いまこの時代に求められている何よりも大切な結合。
 人々の精神は栄養に飢えている。自分や他者の精神性を見いだすための場と時間の必要。
 西洋文化では何百年も、精神に背を向け物質の向上にいそしんできた。私たちの社会や文化からはバランスや全体性が失われている。このバランスを取り戻すために精神性が大切。

変化のためのアクションとスピリチュアリティが必要だとぼくも思う。しかし、「西洋文化では何百年も、精神に背を向け」てきたのだろうか、というのがここでの疑問。
キリスト教の伝統は絶えることなく、続いてきているのではないか。功罪あると思うのだが、単に「精神に背を向け」てきたわけではないと思う。

また、ここに続けて以下のような文章がある。
「物質には必ず精神が宿っている」ことを人々がきちんとわかっているなんて、理想の世界だと思えるかもしれません。昔はそういうものだったのです。
また、この表現が微妙だ。そのまま単純に「物質には必ず精神が宿っている」という風に受け取る人もいるかもしれない文章。ここはそのあたりをあえてあいまいにして書いているようにも読める。ぼくは唯物論者ではないけれども、「物質には必ず精神が宿っている」とも思わない。基本的には「物質には精神が宿っていない」と思う。生命にスピリチュアルなものが宿っているだろうなぁとは思うのだが。それぞれの物質にはさまざまなスピリチュアルな背景はあるのだろうが、それ自体に精神が宿っているとは思えない。ただ、その背景にある精神のさまざまな動きと物質それ自体が切り離せないくらい密接に結びついているのは事実だと思う。

そんな話をサティシュとしてみたいけれども、そんなことを説明できる英語力は永久に身に付きそうにないなぁ、とも思う。


そして、結語部分の宣言のグリーン・ニューディールという言い方はかなりひっかかる。書かれていることは納得できることも多いのだが、、ニューディールというような言い方や考え方にはついていけない。

持続可能な社会への転換をいうときに、ニューディールというような言葉や考え方が本当に必要なのだろうか?


図書館の本で読んだのだが、どこかで買ったような気がしてならない。
もう少し探してみよう。





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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
アルネ・ネスのDeep Ecologyにも結びつきそうですね。http://www.deepecology.org/ などをちょくちょく覗いています。
短矩亭
2013/10/29 17:04

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