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zoom RSS 『生活保護から考える (岩波新書)』読書メモ

<<   作成日時 : 2013/12/31 06:21   >>

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読書メーターに書き始めたメモからの転載を中心にっていうか、全部それだ。ほんの少しだけ加筆してある。



考えるべき論点がかなり的確に整理されています。いい本だと思います。 ただ、ぼくの立場からは「働く権利」という観点からの考察がもう少しあってもいいかなぁと思いました。それを強調することが微妙な情勢ではあるのですが。
12月23日



61pの生活保護に関する時代区分も面白い。 1980年代から2005年ごろまでが「裏システム」(法律に違反しているために公には明言できない手法を現場の職員が用いることを推奨したり、黙認したりすることで、違法な対応を温存させる組織体質や組織体制のこと)が前面に出てきた時代
12/30 07:23

2006年から数年間は貧困の広がりを批判する社会運動とそれを支持する世論の動きに押されて、厚労省が本来の法律に基づく「表のシステム」を強調せざるを得なかった時間
12/30 07:26

その先の時代区分については、この本にまだ記述されていないが、生活保護法が改悪された現在、新しい時代を迎えているのだろう。これがどのように適用されるのか。それに社会運動はどのように対抗できるのかが問われている
12/30 07:27


また、宮地尚子さんを援用した、公私2分法から、公的領域、親密的領域、個的領域の三分法に変形させて考えるというのを援用している部分も興味深い。そのことで、従来は私的領域だから踏み込めないとされていた部分としての親密圏の問題をこの領域と切り離し、明確にできるし、家族が扶養しなければという桎梏から離れて考えることも可能になる。89〜90p
12/30 07:34

また、90pでは「生活保護を活用して親と子の同居を解消し、金銭的な関係を断ち切った結果、親への攻撃行動が減り、問題行動が修正される事例は数多くあった」という信田さよ子さんの話が紹介されている。この本で参考として挙げられているのはHPだが、亜紀書房から『コミュニケーション断念のすすめ』という本2013/9/25に出ているので、そこにも記載があるかも。
12/30 07:46


103^104pで紹介されている衆議院司法委員会での扶養義務規定に関するやりとりも興味深い。政府の担当大臣が扶養義務規定は「道徳的な要求」にとどまるものであり、「根本的な修正」までの過渡的な規定である、とされている。
12/30 08:21
上記のやりとりは1947年8月18日、民法改正についての議論
12/30 08:29


続けて、国会での話だが、こっちは2013年6月14日の院内集会。そこで稲葉さんが紹介した女子高生からのメール。扶養義務の強化がなにをもたらすか。生活保護を受ける親と生活しながら勉強する彼女は日本の貧しい奨学金制度のもとで高校時代と次の学校で学ぶための奨学金に関して、社会人になっったら、その返済を求められるだけでなく、親の扶養まで求められる。これが日本のシステムだ。
12/30 08:35


以下の指摘も興味深い。
 私たちの社会は、1970年代からの障がい者自立生活運動や女性たちの異議申し立てに始まり、DV被害者の支援、児童虐待の防止、不登校の子どもや引きこもりの若者の支援、自殺予防など、私的領域内で隠されてきた問題を一つずつ可視化してきました。それらは私的領域を親密権的領域と個的領域にわけ、個的領域における個人の尊厳に光を当てていく作業だったとも言えます。
 扶養義務強化によって解決が困難になる社会問題のほとんどが、近年、可視化されてきた領域の問題であることは偶然ではありません。126p
12/30 09:17


129pから、これもそうだと思う
 家族や地域の「絆」を強調することで国の責任を後退させようとする考え方を、私は「絆原理主義」と呼んでいます。  原理主義の特徴は、現実社会にあわせて柔軟な対応をするのではなく、現実を原理原則にあわせて解釈し、改変しようとすることです。その徹底した姿勢は、時に理念本来の価値を逆に損なってしまう結果を招きかねません。
12/30 09:58



・・・障がい者運動に関わってきた方々が生活保護利用者の運動に参加してきたことの意義は非常に大きいと私は感じています。障がい者運動が求めてきた「私たち抜きに私たちのことを決めないで!」というスローガンが、近年、生活保護利用者が主体となったデモや集会でも使われるようになっています。福祉制度の利用を権利として確立するために、障がい者運動から学べることは大きいと私は考えています。159p
こういう視点があることに障害者運動の側はもっと自覚してもいいように思う。
12/30 12:36


198p〜の部分では石原吉郎の「弱者の正義」に言及する。そこでいわれる弱者の正義とは【隣人が実際に「有利な条件」を手にしているかどうかに関係なく、「優位」に見える人々は正義の名のもとに攻撃されるのです。これは生活保護バッシングのみならず、近年の在日外国人へのヘイトスピーチなどにも共通する心理状況だと思います】とのこと
12/30 13:47

自らを抑圧しているものに向かわずに、戦前の日本を賛美し、中国や韓国を悪者にして溜飲を下げている人たちに、語るべきどういう言葉を持てばいいのだろう。
12/30 14:43


稲葉さんはこの本の結語として以下のように書く。
 バッシングを受けながらも、生活保護の当事者が自らの権利のために声をあげ始めたこと。私たち一人ひとりが、この社会に生きる当事者としてこの声に応答することが求められると私は感じています。
 日本社会が、石原良郎の言う「人間不信の体系」から脱していく可能性はまた残されている。私はそう信じています。
ぼくもそう信じたい。同時に本当にそれが実現できるかどうかはわからない。仮に可能であるとしても、困難で険しい道のりであることは間違いない。
12/31 03:57


あとがきで、稲葉さんは「生活保護制度の本当の意味」は人間の「生」を無条件で保障し、肯定するということだと書く。存在が肯定され、人間らしく生きることが肯定される、そこに本当の意味があると。「本当の意味」という表現にひっかかるものを感じるが、存在が肯定され、人間らしく生きることが肯定されるために、その支えとして生活保護制度があるというのは間違いないだろう。
12/31 05:52


そして、最後に生活保護について考えることが日本の社会のあり方について考えることにつながる、という。確かにそういう側面はある。
12/31 05:54


最初の感想として書いた「働く権利」と生活保護について。現実の社会のなかで「働けない」人がいるのは間違いない。しかし、それが個人の問題ではなく社会の問題だとすると、働く場の環境を変えることで働くことのできる人は格段に増えるのではないか。それを中間的就労とかに固定しないで、普通に一般就労として働ける場を広げるということが考えられないだろうか。
12/31 05:59

福祉的就労とか中間就労とか社会的事業所とか働くための場はさまざまに準備されていいように思う。唯一の正しい答えなどないのだと思う。この本にも書いてあるように生活保護か就労かといような二者択一ではなく、もっとフレキシブルに制度を使いながら、保護を受けながらの就労というのもあるだろうし、一般雇用だけでなく本格的なフォローが必要な人もいるだろう。しかし、ぼくとしては「働く」ということを基軸に考えてみたいと思う。ALSでロックトインステートにある人にとっての「働く」とは何かまで考えたいと思う。

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