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zoom RSS 「社会的共通資本」メモ

<<   作成日時 : 2014/06/01 10:21   >>

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これも長いメモ。メモ書くのに半月以上、かかってる。
「社会的共通資本」(宇沢弘文著・岩波新書2000年)


(読書メーターでナイスがついて、2016年5月10日に加筆。読み返すと、ほんとにまとまりがないだけじゃなくて尻切れトンボの読書メモだけど、加筆しても、それはあまり変わらない。)加筆部分赤字
〜〜〜〜〜
先日、『経済学は人びとを幸福にできるか』という宇沢さんの本を読み、読んでみようと思った「社会的共通資本」を図書館で借りて読んだ。
(5月13日読了)(この読了の日付とブログの日付が合わない??)

ふと思ったんだが、なぜ「社会共通資本」ではなく「社会的共通資本」なのか?社会共通資本のほうがすっきりしているような気がするんだが。


そして、読み終わって、社会的共通資本という問題の立て方を障害者・障害学に援用するとしたら、どうなるだろうと思った。先日読んだ本で、福祉と制度というようなテーマで宇沢さんは書いていたが、「障害」という切り口で社会的共通資本のことを考えるとどうなるだろう。

障害に関する各種制度や施設は、市場ともっとも親和性のないところにあるといえるかもしれない。そういう意味ではすでにそれらは「社会的共通資本」なのだろう。とはいうものの、この分野も市場に開放されつつあるが。

また、障害学の地平から社会的共通資本について見えてくるものはあるか。そんなテーマで書いている人がいるかなぁとちらっと検索したが、グーグルの1ページ目には、それらしいことをテーマにした文章はなかった。あとにも書くが、社会的共通資本には「当事者主権」というような話が見当たらないところが弱点なんじゃないかと思う。


 そして、宇沢さんのこの本や理論、どうも完成されたものではないように感じる。課題提起で終わっている章もある。(たとえば、「社会的共通資本と金融制度」の章なども具体例はほとんど提示されない(と思った)。現行の金融制度が抱える問題は書かれているが、では、社会的共通資本としての金融制度がどうあるべきか、というのはなかなか見えてこない。ここも詳しくは後述。

 もちろん、世界銀行や国家の中央銀行がそのような視点と手段で金融政策を実行すべきだ、とは言えるだろうが、ではそれを受けた末端の市場に存在する金融機関がどうあるべきなのかというのは見えてこない。あるいは社会的共通資本としての金融とそうではない民間の会社としての金融という風に区分けができるだろうか。

 また、この「社会的共通資本」という考え方を、誰がどのように実現していくのか、というのが大きな課題だと思う。その問題も、その問題としては明示されているようには読めなかった。ただ、終章にスウェーデンの国会の民主的で理性的な判断の例が提示されるにとどまっている。

 いつも思うのだが、新自由主義が跋扈する現代のなかで、これらの思想をどのように現実にしていくのか、というのが思想と同様に重要なのだろう。脱成長やコモンズ、あるいは脱新自由主義に関する思想や考え方に関する書籍や文章、論文は、もう有り余るほどある。しかし、それをどう実現するかということに関する現実的に使える思想などがまだまだ不足しているのではないか。「半農半X」「腐る経済」「ダウンシフター」などはひとつの例にはなりえると思うが、それらが影響力を持つためにどうするか、なにが必要なのかという部分が弱いと感じている。

 そして、制度主義に関してもこの本で説明があるかと期待したが、見あたらなかった。

前に読んだ本(「経済学は人々を幸福にできるか」)の読書メモの制度主義の説明を再掲する。(と書いてるのだが、制度主義の説明は中途半端でいつのまにか「社会的共通資本」の説明に入れ替わっている)

〜〜〜〜前回のメモ(経済学は・・・)から1ー1〜〜〜

ヴェブレンが「制度主義」の提唱者だという。ここで少し詳しく制度主義が説明される。
〜〜
それは資本主義と社会主義を超え、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現しようとするもので、社会的共通資本は、この制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したものだ、という。(1ー1ここまで)



結局、制度主義についての説明はメモするのを忘れてるみたいだ。

1-2
そして、この直後に社会的共通資本の考え方が説明されている。
〜〜〜
社会的共通資本は、

・一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境と社会的装置を意味する。

・一人ひとりの人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割をはたすものである。

・たとえ、私有ないしは私的管理が認められているような稀少資源から構成されていても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。

・このような意味で純粋な意味における私的な資本ないしは稀少資源と対置されるが、その具体的構成は先験的あるいは論理的基準にしたがって決められるものではなく、あくまでも、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められる。

・いいかえれば、分権的市場経済制度が円滑に機能し、実質的所得配分が安定的となるような制度的諸条件でもある。

・決して、国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない。

・その各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければならない。

・3つの大きな範疇にわけて考えることができる

〜〜〜〜

これだけでは、やはりわかりにくい「社会的共通資本」、やっぱり、いずれ読むしかないのだろうなぁ。
〜〜〜〜

「社会的共通資本」の池上さんの紹介から

池上さんは宇沢さんの研究の「到達した理論が「社会的共通資本」という概念です」と書き・・・
それを
1、自然環境
2、インフラと呼ばれる道路・交通機関、上下水道、電気などの社会基盤
3、制度資本(教育・医療・司法・金融資本など)
に、整理している。

この社会的共通資本がうまく機能するためにどうしたらいいか、これが宇沢氏の問題意識であり、研究テーマだと池上さん書く。]W

その例として、以下があげられる。
・農業にコモンズを
 農業を資本主義的な産業として捉えて、効率性のみを追うという政策からの転換
・曲がりくねった街路を
 自動車中心のまっすぐに延びた広い道路の否定。
 歩くことを前提に都市は作られなければならない
・医学的に最適な医療ができる基盤を
 「医療を経済に合わせるのではなく、経済を医療に合わせるべき」

〜〜メモ http://tu-ta.at.webry.info/201404/article_2.html からの引用ここまで〜〜

以上の説明を読んでも、何か核心に迫ることができていないような気がする。(っていうか、制度主義の説明を引用しようとして、気がついたら社会的共通資本の説明に変わってる。制度主義についてはこの後の1章の部分に少しあるし、上記のURLを読んでもらったほうがわかりやすいかも)

以下、付箋を追ってメモ

本書の構成として、序章の最後に示されている文章(体裁変更)
・まず、社会的共通資本とは何かということからはじめて、それがどのようにつくり出されてきたか、現実の経済社会のなかでどのような役割を果たし、どのような役割を演じているのかを考える。

・そして、日本の場合について、自然環境、都市、農村、教育、医療、金融などという中心的な社会的共通資本の分野について、個別的な事例を中心に考える。

・さらに、地球温暖化と生物多様性の喪失などという地球環境にかかわる問題についても、人類全体にとっての社会的共通資本の管理・維持という観点から考える。

・また、断片的であるが、社会的共通資本を理想的なかたちで関知・維持して、持続的な経済発展が可能となるためには、どのような前提条件がみたされなければならないかについて考えたい。


やはり、ここでひっかかってしまうのは「経済的発展」を前提にしていることだ。宇沢さんにとって、経済的発展とは何なのかということを明示してほしいと思う。が、この本のなかでは明示的には触れられていないのではないかと感じた。ちなみに
「220ー221pでは定常状態と経済発展という二つの概念が両立しうるかという根本的な問いが提示される。しかし、最後までこの問いに対する答えは明示されていないように思う。宇沢さんがその問いにどのように答えようとしているかということも、ぼくにはなかなか読みとれない。」
上記はメモの最後の方から引用。


第1章 社会的共通資本の考え方

20pには「制度主義と社会的共通資本」という節があり、もう少し詳しい説明がされる。

(その前の節で社会主義が失敗し、資本主義はその野蛮さを増しているというような状況が描かれていて)以下、引用
このような状況のもとで、市民的自由が最大限保証され、人間的尊厳と職業的倫理が守られ、しかも安定かつ調和的な経済発展が実現するような理想的な経済制度は存在するのであろうか。それはどのような性格をもち、どのような制度的、経済的特質を備えたものかという問題が私たちの考察の対象となるわけである。
(ちなみに「安定かつ調和的な経済発展」については220ー221p参照)


と、このように問う。そして、制度主義という答えが以下のように展開される
この設問に答えて、ソースティン・ヴェブレンのいう制度主義(Institutionalism)の考え方がもっとも適切にその基本的性格をあらわしている。私たちが求めている経済制度は、一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されたものではなく、それぞれの国ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくりだされるものだからである。制度主義の経済制度は、経済発展の段階に応じて、また社会意識の変革に対応して常に変化する。

〜〜〜
こんな風に答え、それに続いて、それがマルクス主義的な思想の枠組みを越えると同時に、新古典派経済学の立場も否定するものだ、と書かれている。



そして、アダムスミスの「国富論」を援用して、以下のように書かれている。
論理的整合性のみを基準として想定された経済制度の改革は必然的に多様な人間の基本的傾向と矛盾するものになるのだから、「民主的プロセスをつうじて、経済的、政治的条件が展開されるなかから最適な経済制度が生み出されることを主張
だから、制度主義だと宇沢さんは書く。

そして、この制度主義を特徴づけるのが社会的共通資本(Social Overhead capital) とそれを管理する社会組織のあり方だという。

さらに制度主義の基本的性格についての説明は続く。
以下、要約・抜粋
 制度主義のもとでは、生産、流通、消費の課程で制約的となるような希少資源は社会的共通資本と私的資本のふたつにわけられる。社会的共通資本は社会的な基準にしたがって管理運営されるようなものの総称。所有形態はさまざまでもいい。社会的な基準にもとづく分配とは。単に経済的・技術的条件にもとづくのではなく、社会的、文化的な性格をもつ。社会的共通資本から生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足という点でどのような役割、機能を果たしているかに依存して決められる。

 社会的共通資本のネットワークのなかで、各経済主体が自由に行動し、生産を営む。市場経済のパフォーマンスも、どのような社会的共通資本の編成のもとで機能しているかということによって影響を受ける。21ー22p

そして、その管理運営はそれぞれの分野における職業的専門家が、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理・運営され、政府によって規定された基準やルール、あるいは市場的基準にしたがって行われるものではない、この原則が基本的重要性をもち、それは「フィデュシアリー(受託・信託)の原則にもとづいて信託される、と書かれている。22-23p

ここがひっかかる部分だ、その専門家支配のもとで、民主主義や当事者主権はどのように担保されるのだろう。障害者運動のなかでは、この専門家支配を問題としていることを宇沢さんはたぶん知らないかも。

で、話は戻るが、政府の機能はそれらの管理・運営に関わるのではなく、そのように運営されているかどうかのチェックと、それらの間の財政的バランスを保つことだという。

29〜30pでは、新古典派理論の虚構についての説明があるが、面倒なので略。

32p〜はケインズ経済学に関する説明。ここも略。

そして、ケインズ経済学が有効性を欠いてきた現在は大恐慌に続く、「経済学、第二の危機」でああり、未解決のまま現代に至っているという。40p

そして、ケインズ経済学の危機に乗じてでてきたのが、反ケインズ経済学とてもいうべき新古典は経済学をいっそう極端な形で展開したものであり、その事態を宇沢さんは歴史の捻転と呼ぶ。
「社会的共通資本の考え方は、このような歴史の捻転をなんとか是正して、より人間的な、より住みやすい社会をつくるためにどうしたらよいか、という問題を経済学の原点に返って考えようという意図のもとにつくり出されたものである」43p
というのが第1章の結語となる。

この第二の危機が未解決のまま残されているということは、社会的共通資本という考え方も、その解決を示す経済学になり得ていない、ということになる。なぜ、そうなのか、という分析もまた、必要とされているのではないか。宇沢さんはこの本で自信をもって、この「社会的共通資本」という考え方を提示しているので、理論的にはそれなりの確信を抱いているのだと思う。しかし、それがオルタナティブになり得ていないとすれば、おそらく量的な広がりの不在を問題にしているのだろう。それがなぜなのかが問われなければならないのではないと思うのだった。



第2章 農業と農村

まず、「農の営み」の特徴・大切さが提起される。

そして、農村が社会的共通資本として描かれる。

宇沢さんが出会った開発による環境破壊に抵抗する農民たち、そこに彼は理想とする人々を見いだし、「生きているのは、農村でしかない」という感じを強くもたざるを得ない、と書いている。62p

そこで、興味深いのが「農村の適正規模」に関する社会的合意を形成して、その適正な人口(仮に20%とする、と書かれている)が、維持されるための政策が提示されなければならない、とする。もちろん、移動の自由を前提としながら。63p

そして、ここまでぼくが問題にしてきた「持続的発展」という概念がここでも使われ、以下のように書かれている。
農村を一つの社会的共通資本と考えて、人間的に魅力のある、すぐれた文化、美しい自然を維持しながら、持続的な発展をつづけることができるコモンズを形成しようということである。63ー64p
と呼びかけられている。

それを実現するためのプロトタイプとして「三里塚農社」が提起される。69p
ちなみに、この「農社」コモンズの訳語として最適、というのを越えて、コモンズよりもっと適切に、私がここで主張したいことを表現する言葉だと宇沢さんは書き、その理由も書かれている。(ここでは略)

三里塚農社については、この章の最後に詳しく記述されるが、ここではたった4行の説明がある。
その構想は、日本農業の再生の道を探るという本質的な課題と、成田空港問題の平和的解決を求めるという世俗的な要請との総合から生みだされるものである。「三里塚農社」が、どのような経済的、社会的、政治的意味をもつかについては、私たちは、それぞれのもっているイデオロギー的偏見、独断を超えて、それぞれの良識にもとづいて判断していただきたい


その章の最後の説明もそれなりに興味深いのだけれども、ぼくの世代から見ると、コルホーズとどこが違うんだろうと思ってしまう。(にしても、高校か中学でそんなことを教えたいた時代があったってことのほうが感慨深いなぁ。)

79p以降では「共有地の悲劇」とそれに関する論争が少し詳しく紹介され、宇沢さんは共有地の悲劇の例は例外的な話だということを実証的に説明する。


次の第3章の「都市を考える」のメモも書いたんだけど、消えてる。
気を取り直して、少しメモ。
ル・コルビュジェの「輝ける都市」が否定的に、そして、それを批判するジェーン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』が紹介される。

ジェイコブズの四大原則
1、 街路の幅はできるだけ狭く、曲がっていて、ブロックの長さは短く。人々の生活の必要から自然発生的に形成された街路が望ましい。
しかし、防災とかどうかなぁ。日本でも彼が同じように言うとは思えないな。
2、 再開発にさいして古い建物ができるだけ多く残るように配慮すること。(これは世界共通かも)
3、 都市の多様性。二つ以上の機能を。(ここに誤植見つけた)
4、 都市の各地区は、人口密度が充分高くなっているように

そう、これ米国の話が前提になってると、いま気がつきました。
そして、宇沢さんは、これらが理念にもとづいて論理的に演繹されたものではなく、米国の都市の歴史と実態を詳しく調べ上げて、人間的な魅力と文化的多様性を兼ね備えた都市の特徴から導き出したとのこと。

人口密度の話は日本の大都市では関係なさそう。


4章 教育を考える

第1節では教育は、子どもがインネイトに有している理解力に刺激を与え、それが花開くことを助けることだ、というようなことがチョムスキーを援用して説明されている。

続いて2節ではデューイやリベラルの教育理論が紹介され.、その結語近くの部分では以下のように書かれている。
 経済の社会的関係を規定する法人資本主義という制度そのものの改革には直接触れないで、教育制度だけを改革しようとするリベラリズムの立場は、このような視点(この直前で紹介されるボウルズとギンタスの「アメリ貸本主義と学校教育」による批判)からみるとき、まったく意味のないものになってしまう。・・・アメリカにおけるリベラル派の教育改革の試みがこれまですべて失敗してしまったのは、アメリ貸本主義という抑圧的な政治、経済、社会制度の基本的矛盾に気づかなかったから・・144p


3節は大学の制度について紹介される。興味深かったのが、宇沢さんがその制度のよさを良さを感じた英国・ケンブリッジの制度が植民地の資金に支えられていることに矛盾を感じ、そこを離れたというあたり。


5章は医療制度についての章

希少資源としての医療に関わる資源を「社会的共通資本」として、どのように配分するか、また、医師などの医療スタッフの職業的・専門家的倫理をどのように内発的動機と一致させるようにするかという「インセンシブ・ケイパビリティ」の問題を提起する。171p

しかし、その問題は直後では、それとしては具体的に展開されず、日本における医療制度の問題が次に記述され、よくいわれているような過剰投薬や過剰検査が問題とされる。それは「医療的最適性と経済的最適性の乖離」の問題だと非常にかわりやすく整理される。174p

そして、医療を経済にあわせるのではなく、経済を医療にあわせるのが境的共通資本としての医療の基本的考え方だという。つまり、医師として望ましいと判断した診療行為の費用が医療機関の収入と一致するような制度設計が必要だという話になる。176p

医療的最適性と経済的最適性とを一致させるために、その差を社会的に補填するのが社会的共通資本としての医療制度であるというのが、この章の結論となる。181p


6章は社会的共通資本としての金融制度についての章だが、冒頭に書いたように、ここでは具体的にこのような金融制度が望ましいというようなことは書かれていない。結語部分では以下のように書かれている。
・・・社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によってのみ左右されてはならない。社会的共通資本の各部門は、それぞれの分野における職業的専門家によって、職業的規範にしたがって、管理・維持されなければならない。とくに金融という、高度に専門化し、経済的、社会的、政治的要素ときわめて複雑に交錯している社会的共通資本の場合、その職業的規範を明確に定義し、金融にかかわるさまざまな市場について、その構造的、制度的条件を整備し、経済循環の安定性を確保することは至難のことである。しかも、金融制度が、広範な国際的拡がりをもつとき、この問題の困難性はいっそう高まる・・・。201p
ここでは非常に大きな問題が看過されているように感じる。この専門家の関与に民主主義をどうビルトインさせるかという問題だ。社会的共通資本としての金融制度という風に問題をたてたときに、確かに専門家の関与は不可欠だろうが、その専門性や職業的な倫理観だけに頼ることができるというのは、ちょっと甘すぎるように感じる。


最後の第7章は「地球環境」がテーマだ。

伝統社会では、自然環境は文字通り社会的共通資本として、それ維持するための社会が存在しており、それはスピリチュアリティとの連関において理解されていた。212p
経済発展の名の下にそれらが喪失され、地球環境の大規模な破壊が生まれる。それは自然を手段であると考えた産業革命の必然的な帰結とされる。214p

220ー221pでは定常状態と経済発展という二つの概念が両立しうるかという根本的な問いが提示される。しかし、最後までこの問いに対する答えは明示されていないように思う。宇沢さんがその問いにどのように答えようとしているかということも、ぼくにはなかなか読みとれない。ここに逃げがあるように感じるのだけれども、どうなのだろう。

続いて、地球温暖化、炭素税についての説明があり、「炭素税の制度が、現実に実行可能な唯一の大気安定化政策である」228pと断言されている。そして、一人あたり国民所得に比例させる「比例的炭素税」が推奨される。

ここを読んで、まず、問題は制度設計ではなく、それをどうしたら導入できるのか、なのではないかと思ったら、宇沢さんも同様の問題意識を当初から持っていたみたいで、それが導入されたスウェーデンについて記述されている。そして、この炭素税が導入された過程を見ると、そこに「民主主義の政治の理想像がえがかれている」(234p)とまで書かれている。これはいくらなんでも書きすぎじゃないかと思うんだが。ここで説明されているように確かに理性的なプロセスが存在しさえすれば、実現可能なんじゃないかと思えてくる。しかし、残念ながら、・・・・日本の政治の現実からは遠い、あまりにも遠すぎる・

〜〜〜〜〜

で、この社会的共通資本を障害学に当てはめるのは難しそうで、障害学ではなく、社会福祉学とかかもしれない。インクルーシブな社会をめざすための障害者に適応できる制度などを社会的共通資本として考えられないか。また、そのように考えることのメリットは何か、みたいのことを考察することはそんなに難しくないはずだが、もう眠くなったのでやめる。

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