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zoom RSS 『九月、東京の路上で』メモ

<<   作成日時 : 2014/06/08 09:02   >>

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『九月、東京の路上で
  1923年関東大震災
  ジェノサイドの残響』 (加藤直樹著2014年3月11日発行)

この本の文章の多くは http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/ で読むことができる。
それでも、本で読みたい1冊。ただ、現場の写真などはHPで見たほうがカラーだし豊富。

読書メータに直後に書いたメモ
「九月の東京の路上」は軽い話ではない。ずっしり重い。ちなみにこの本に何度か出てくる寄居の飴屋さんの話を丸木さんたちが聞いたことがきっかけで、原爆の図・丸木美術館に「痛恨の碑」は作られた、とのこと。

この本に丸木の話が掲載されているわけじゃないけど・・・。
そう、この本にはちゃんと彼の名前が記載されている。具学水(グ・ハギョン)さん。最後の節でその話は再びでてくる。


興味深いのは、関東大震災の時に亀戸警察に南葛労働組合の幹部全員が逮捕され、10名が殺されたという亀戸事件。これも知らなかった話だ。南葛労働組合といえば、連合東京一般の前身じゃないかなぁ(関係者に聞いたら「違う」とのことでした。昔、この組合と関わりが深かった人に聞いただけで、裏をとったわけでなないですが、2015年1月5日補足)。

そして、このとき殺されたのは彼らだけでなく、自警団4人と、人数もわからない多くの朝鮮人がいて、証言によれば、その証言者が見た死体が50〜60あり、実際に亀戸警察署で何人殺されたかわからない、という。72-75p

軍の記録を見ると、「目黒、世田谷、丸子方面に出動して鮮人を鎮圧」(76p)とのこと。丸子と言えば大田区か?

87p〜は熊谷における虐殺の話。丸木美術館からも遠くない、というか、東松山の隣町だ。最初に砂利置き場で20人以上が、そして最終的にたどり着いた熊谷(ゆうこく)寺で残りのほとんどの朝鮮人が殺され、40人〜80人が殺されたとされる。
死体の処理に当たったのが当時助役で、後に初代市長になる人と一人の火葬人夫だけであり、その市長が建立した供養塔が今も守られ、1995年以降は市主催の追悼式が行われている。

98pからは丸木美術館の痛恨の碑が立てられるきっかけとなったとされている寄居の飴屋の話。(ここで丸木の話は出てこないけど)

146-7pでは朝鮮人を守った日本人と殺した日本人について、以下のように記載されている。
植民地支配という構造に歪められながらも、当時の朝鮮人と日本人の間においてさえ、生きている日常の場では、ときに同僚であったり、商売相手だったり、友人だったり、夫婦であったりという結びつきがあった。
 だが、虐殺者は、朝鮮人の個々の誰かであるものを「敵=朝鮮人」という記号に変えて「非人間」化し、それへの暴力を扇動する。誰かの同僚であり、友人である個々の誰かへの暴力が「我々日本人」による敵への防衛行動として正当化される。・・・ヘイトクライムの恐ろしさ・・・
 (長い略)
 ・・・私たちはすっかり忘れていたが、右傾化の危機が叫ばれていた90年代には、「日本の誇り」を叫ぶ人々は自警団から朝鮮人を守った大川署長を英雄として賞賛していた・・・。今日、同種の人々は関東大震災時の朝鮮人虐殺を「自警団が悪い朝鮮人を征伐した事件」と考え、自警団をこそ英雄と考えている。今さらながら、日本社会が深刻な水位に来ているに慄然とする。 

ま、いまも「日本の誇り」として大川署長を右から持ち上げている人はいるが、90年代には、そこより右でヘイトクライムを平気で公然と主張するグループはなかったのに、いまは出現している、この現在の状況のヤバさ。

153p〜紹介されるのは
『折口信夫が見た日本人の別の貌』

彼が、自警団と称する団体の人々に囲まれた時の、その自警団の人々の表情が忘れられず、「平たな生を楽しむ国びとだと思っていたが、一旦事があると、、あんなにすさみ切ってしまふ」とし、それ以来、綺麗な女性を見ても、心をゆるして思うことができなくなってしまったという。

で、この本の胆の部分は、この関東大震災での朝鮮人虐殺をいまの大久保などでのレイシストによるヘイトスピーチを撒き散らすデモにつなげているところだろう。
以下の部分がそうだと思う。
実は1923年9月に至る数年間も、日本の新聞は毎日のように「不逞鮮人の陰謀」を書き立てていた。184p

そして、それを証明するプロレタリア作家・中西伊之助の文章が引用されている。
最後の部分だけ引用
「朝鮮人は、何等の考慮のないジャーナリズムの犠牲となって、日本人の日常の意識の中に、黒き恐怖の幻影となって刻みつけられているのであります」185p

これを読んで、思った。
いまもジャーナリズムは、北朝鮮や中国や韓国への憎悪を掻き立てる報道を行い、その量はおそらく20世紀の頃よりも増えていないだろうか。
それらがレイシストの動きを助長していないだろうか。
政府は植民地支配への反省を忘れるような行動ばかりしていないだろうか。

続いて、三一運動の報道の例が紹介され、そこでも新聞の報道の姿勢が問われている。この日本による植民地支配に対する反対運動を
「日本の新聞は一貫して、日本人すべてが暴徒と化した朝鮮人に襲われるという構図で事件を伝え」「朝鮮人の日本支配への怒りを、さも日本人そのものへの理不尽な憎しみであるかのように歪めて報じ」(186p)
たという。

関東大震災があった、その当日の朝刊にも「怪鮮人3人捕はる/陰謀団一味か」という見出しが躍っていたとのこと。188p

この本の最後の節は<「非人間」化に抗する>というタイトルで始まり、寄居のアメ売りの若者である具学水さんの墓を立てた宮澤菊次郎さんはあんま師だったという話から始まる。彼がどれくらいの財力を持っていたか、わからないのだが、そんなに裕福ではなかったのではないかと推測され、墓碑にある「他有志之者」がそれなりに費用を出したのだろう、そしてあんま師といえば当時は視覚障害者だったのではないかと著者は推測している。
ともあれ、そこに具学水さんを悼む人が存在していたことに著者は注目する。その上で以下のように書く。
私がこの本でもっとも大事にしたいと考えたのは、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺について、事実を「知る」こと以上に、「感じる」ことだった(202p)

〜〜〜
と。

微妙な話だと思う。虐殺に加担した人々もまた感性に従って、事実を客観的に知ることなく動いたと思えるから。

しかし、そこにこのタイトルで使われる「非人間」化というキーワードをいれると、この感性の大切さは際立つかもしれない。
ヘイトスピーチを吐くことができるのは「非人間」化の論理があったからだと著者は指摘する。203p
さらに以下の指摘
「非人間」化をすすめる者たちが恐れているのは、人々が相手を普通の人間と認めて、その声に耳を傾けることだ。そのとき、相手の「非人間」化によらなければ通用しない歴史観やイデオロギーや妄想やナルシシズムは崩壊してしまう。だから彼らは、「共感」というパイプを必死でふさごうとする。 204p

だから、私たちに問われているのは、あんま師の宮澤さんとアメ売りの具さんのあいだにあっただろう人間としての共感を、なんとしても繋ぎ続ける意思という、それはある意味、普通のことなのかもしれない。

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「『九月、東京の路上で』メモ」について
「『九月、東京の路上で』メモ」について 南葛労組、築地小劇場…あの周辺は「太陽のない街」と並ぶ労組運動の牙城だったとも聞きます。それを支えたのが寺社などの檀家組織。労組の集会を檀家が守ったというか、檀家の会合と称して労組の会合を持ったり…こうした側面が運動からも失われていますね。 ...続きを見る
pandak
2014/06/09 11:26

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