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zoom RSS 『奥様は愛国』メモ

<<   作成日時 : 2014/06/12 06:04   >>

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北原みのり・朴順梨 著

二人の文章が交互に出てくるという本の作り。両者ともこの執筆が苦しい苦い作業だったというようなことを書いていたと思う。二人が交互に書くことで複眼的な視線が生まれ、理解を深めることに役だっているように感じた。しかし、北原さんと朴さんの対談とか、相互のやり取りがあってもいいかなぁとも思った。

おそらく家に帰れば、子どもを育て、ご飯を作る「愛国」な奥様が、街頭で「いい朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」というようなデモに参加している、その人たちへのアプローチを試みた本。なぜ、彼女たちは『愛国』に惹かれてしまうのか?その疑問は共有できたので、図書館で借りて読んだ。

こんな風に排外主義や「愛国」に走る人たちを内在的に理解しようとする努力に敬意を表したい。内在的な理解こそが人を変える力につながるような気がする。もちろん、内在的に理解したからといって、変えられる場合は少ないだろうけど。そして、内在的な理解を前提にしなければ、言葉は通じないかもしれない。まず、そこにチャレンジしているのがいいと思うが、それにどこまで成功しているかは微妙な部分もあるかもしれない。

で、最初に興味深かったのが、北原さんの既存の左翼のデモへの疑義。以下、引用
「9条賛成」も「賠償金要求」も、きっと絶対「正しい」。でも、さっきの女たちの、「20万人もいるのに、目撃者は一人もいないんですよ〜!」のわかりやすさに比べて、この「左翼的」なシュプレヒコールはなんだろう! つまらない上に、変わらなすぎる! なぜ、闘いと正義の言葉になってしまうのだろう? 私はそんなことをしたかったのだろうか? 亡くなった元「従軍慰安婦」たちの名前が書かれた提灯を持ちながら、私は自分のもつ提灯のフィリピン女性が、どんな人なのか全く知らないことに気がついた。

(略)
デモが解散してすぐ…タイ料理店に向かった。 (略) 私は「従軍慰安婦」以外のことを。考えたかった。デモの前は、あれほど「考えたい」と思っていたのに。それなのにたった1時間のデモで、もううんざり……と思っていた。あんな中で闘い続けるなんて、私にはきっと、できない。95-96p

確かに「あ〜あぁ」と感じ、声に出したくないような工夫のないシュプレヒコールは少なくないかもしれない。そう、もう少し工夫すればいいのに、とは思う。でも、デモをこんな風に客体化して否定しちゃうことには違和感が残るなぁ。

そして、かなり飛ぶが、210pから始まる『日本女性を切り裂いた「従軍慰安婦問題」』という節が考えさせられた。ここで北原さんは以下のように書く。
 もしかしたら、全ての始まりは、「従軍慰安婦」だったのかもしれない。
 91年の金学順さんが声を上げ、名乗り出た日。あの日から、日本という国は完全に、二つに分かれてしまったのかもしれない。
 ふんわりと「戦後」という民主主義を生きてきた私たちの中に、「従軍慰安婦」が、名と顔を出して声をあげてきた。 (略) 私たちが語らず隠蔽してきたもの、知ってはいたけれども見ようとしなかったもの。先の戦争でおきた目を背けたくなるような残酷な現実を、バブル崩壊直後の日本において、私たちは突きつけられた。211p


そして、この問題に関わった誰ひとりとして、「勝って」などいないと書く。佐波さんが『女子と愛国』で「従軍慰安婦問題」で「勝ちにいこう」とする女たちを描いているが、彼女たちは絶対に勝てない、なぜなら、その問題に勝者などいないからであり、それでも向き合い引き受けなければならない過去なのだ、と。212p

大きく言えば、確かにそうなのかもしれないが、でも、もし、日本政府が事実を事実として再度認めた上で、本気で謝罪し補償しようと決めたら、それを勝利と呼んでしまうかもしれないなぁとも思う。

214pで、北原さんの雨宮処凛さんとの対談が掲載され、従軍慰安婦OKと言えてしまうのは、彼女たちの絶望の深さではないかと書く。こんな風にも書かれている。
この国に未来と希望を見いだせる女が、街中で韓国人を罵る貧しい快感に浸れるだろうか。「愛国」が彼女たちにとっての「正義」だとしたら、それは最も絶望に近い正義なのではないか

ただ、韓国人を罵る彼女たちは、その絶望に気づいているだろうか、とも思う。そして、気づいていないのだとしたら、そこに本当に絶望はあるのだろうか。

そして、「あとがき」の最後の方で北原さんは靖国神社の遊就館に行った話を書く。そこに紹介されていた特攻に行く夫の心残りにならないように無理心中した母子の話。その彼女は狂っていたのではなく最も深く忠実に時代に順応していたのだと北原さんは書く。同様に「愛国」の女性たちも時代に順応しているのではないか、そして、それは彼女たちを見ていて感じた最悪な予感だと。236p

時代が排外デモを生んだというのは間違いないし、この時代の空気が彼女たちの存在を可能にしたのは間違いないように思う。表面的に差別や排外主義を禁止しても、それはなくならない。そうではない別の希望が必要なのかもしれない。そして、それは本を読んだり、ネットを見たりすることでは生まれないだろう、と思った。

従来の理解啓発みたいなものを越える作業が必要とされているのは、あらゆる差別に言えることかもしれない。



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広島大学で「終わらない戦争」を授業で上映した教員が産經新聞で叩かれ、維新の会が国会で取り上げた。もう20年くらい前に「広島教育の是正」と言うことで、国会で問題にし、解放同盟と広教組を押さえ込んだことの再現を狙っているのかもしれない。
その映画が緊急に上映されるというので広島市内まで出かけていった。主催者が驚くほどの盛況だった。ドキュメンタリーの展開は少し分かりにくかったが、それでもこの映画を「反日的」と受け取って産經新聞に投書した学生の気持ちは理解できなかった。証言で構成されるドキュメンタリーなので被害者として日本とその軍隊に対する怒りが表明されるのは当然なのに、それを当然とは受け取れない感性が安倍政権の河野談話批判で急速に生まれているのを思い知らされた。
6月8日には当初「朝鮮学校をつぶせ」として呼びかけられたデモが行われ、急遽、「教員をやめさせろ」に変更された。カウンターデモに参加した人の話では9名の在特会メンバーが行進していたということ。
在特会メンバーはヒロシマ市内での「左翼系」や被爆者の街頭運動に「公安委員会の許可をとっているのか」とケチつけをして、警察を呼んで、無届けだから取り締まれと唆している。その矛先がこれからは「慰安婦問題」に向けられそうだ。先ずは、街頭で結着をつけたい。
KEN
2014/06/18 07:13

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