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zoom RSS ナチスによる精神障害者や知的障害者などの虐殺(「安楽死」)犠牲者の「記念と情報の場所」除幕(一部変更

<<   作成日時 : 2014/09/12 02:34   >>

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最近知り合ったドイツの追悼施設に詳しい米沢薫さんからの情報です。米沢さん、忙しい中、ありがとうございました。推敲してもらって、文章が変わっています。引用されるかたは新しいバージョンを使ってください。

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9月2日、ベルリン・フィルハーモニーのロビーで、ナチスによる精神障害者、精神病者、知的障害者の虐殺の犠牲者「記念と情報の場所」除幕式が行われました。戦後、このオーケストラのホールが建てられた敷地の一部はかつて、ナチスが「安楽死」と名付けた(ギリシャ語のEuthanasie、原義は、楽な死、美しい死の意)障害者抹殺政策「アクションT4」が計画、管理された建物のあった場所でした。「T4」という名称はその建物の住所、Tiergarten 4 (ティアーガルテン4番)の頭文字に由来します。
1980年代になってから詳しい調査が進められて来ましたが、約30万人がその犠牲となったことが明らかになっています。

ナチスに関する記念碑というのは歴史的事実を示す小さな記念板なども含めるとベルリンだけで500を越えると言われています。しかしドイツ統一(1990)以降、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人の記念碑」の建設をめぐって長い論争が行われ、1999年にその建設が議決されますが、その時に「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人の記念碑財団」(犠牲者団体、人権団体、それに州と連邦政府の議員が理事会を構成。理事長は連邦議会議長が兼ねる)が設立されます。その後、この記念碑財団が中心となってナチスの犠牲者の(中央)記念碑が個別につくられています。
(記念碑財団のホームページ http://www.stiftung-denkmal.de 一部、日本語のサイトもあります)

記念碑が建てられるためには、その犠牲者を(何らかの意味で)代表する団体がこの財団に記念碑建設を申請します。財団で審議された後、連邦議会で正式な決議を経て、その建設にかかる予算が割り当てられます。また建設場所であるベルリンはそのための土地を提供します。ユダヤ人の記念碑建設が決まった時、同じ民族虐殺の犠牲者としてシンティーとロマ(より正確にいうと、虐殺されたのは、ナチスによって「ツィゴイネル」と定義された人々)の記念碑建設も決議されました。それから間もなく、虐殺された(男性)同性愛者の記念碑の建設も決まりました。(記念碑完成はユダヤ人の記念碑2005年、同性愛者2008年、シンティー・ロマは2012年です。)

しかし先週、完成した「安楽死」の犠牲者の記念碑は、その建設が決定されるのがようやく2007年になってからでした。その理由の一つは、この場所には1986年、既に「安楽死」犠牲者の記念碑としてアメリカの芸術家Richard Serraの作品が建てられているということです。しかしベルリン・カーブ(Berlin Curves)と題するその抽象的芸術作品は目立つ形をしているものではなく、そこを通る人々には何が象徴されているのか全く分からないまま、見過ごされてしまうようなものでした。そのことに対する批判は90年代からありました。
しかしそれにもかかわらず、新たな記念碑建設を求める声が高まることがなかったのは、「安楽死」政策の犠牲者(精神障害、知的障害、精神病患者、学習障害や発達障害等々を持つ人々)にはその記念碑を建てようと強く願う人々(「記念碑ロビイスト」としばしば揶揄されます)が他の記念碑のように多くはいなかったということが挙げられます。例えばユダヤ人犠牲者ならば、ドイツのみならず欧米で暮らすユダヤ人やさらにはイスラエルという国家もそれに関わっています。同性愛者の場合には性的マイノリティーの解放運動を担っている当事者たちの団体、シンティーとロマの場合もまたドイツや他のヨーロッパの国々で彼らがおかれている差別的状況と闘う当事者の団体があります。つまり現在の運動の担い手が過去の犠牲者の「代理人」、またその問題の当事者として、かつての犠牲者と直接的に繋がっているということです。逆に言えばホロコーストの犠牲者の「代理人」が、現在の解放運動のために記念碑建設運動を担っているという側面があります。

しかし「安楽死」の犠牲者の場合は、記念碑建設運動を担う中心は、かつてならば犠牲者となり得た当事者ではありません。そこに他の犠牲者の場合と根本的に異なる困難な問題があるといえます。さらには「安楽死」の犠牲となった人々が自分たちの家族やまた家族の歴史からも抹殺されてきたような状況もあったことがこの問題をより一層、見えにくくしてきた原因でもあります。

そのことをよく表しているのは、この記念碑が建てられる切っ掛けとなった出来事です。
それは或るドイツ人が自分の家族の隠されていた歴史を偶然知ったことに始まります。学校で歴史を教えるその女性ジグリート・ファルケンシュタインは2003年、自分の祖母の名前を何気なくインターネットで検索していると、その名をアメリカのサイトで見つけます。それはナチスの「安楽死」の犠牲者のリストでした。名前と共に記されていた生年月日から、それが祖母と同性同名の、戦争中に若くして亡くなったと聞かされていた自分の叔母であることを知り衝撃を受けます。さらにそのことを告げた父(その叔母の弟)もまたその事実を全く知らず、ただ呆然としているのを見て、二重にショックを受けることになります。それからファルケンシュタインはベルリンの連邦資料館に通い、歴史学者との協働によって当時の資料を綿密に調べ、亡くなった叔母の人生の再構成を試みます。
2012年、それは一冊の本となって出版され、高い評価を受けました。(『アナの痕跡-ナチスの「安楽死」犠牲者 http://www.annas-spuren.de 』この本は資料から得られた事実に即して書かれたものですが、著者は随所で叔母に直接、問いかけ、語りかけています。そこには忘れ去られていた叔母に対する深い思いが表されています。その本の裏表紙には「過去の想起なくして現在と未来についての理解はない」と記されています。
ファンケルシュタインは忘却されてきたアナのような犠牲者のために記念碑の建設運動に積極的に関わり、除幕式でもスピーチを行っています。
新しく出来た記念碑は抽象的な芸術作品ではなく、歴史的事実に重きが置かれたものです。記念碑には虐殺された30万人の中からアナも含めて象徴的に10人が選ばれ、それぞれの経歴や写真が表されたパネルが組み込まれています。(表記はドイツ語と英語です)
リンクをはっておきます。
http://www.stiftung-denkmal.de/denkmaeler/gedenk-und-informationsort-fuer-die-opfer-der-ns-euthanasie-morde.html (「安楽死」の記念碑。財団のサイト)
画像

写真
写真を差し替えました。これが新しくできて、9月2日に除幕式が行われた記念碑です。
財団のホームページから

米沢薫
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この話をちょっと聞いて、紹介したいと話したら、詳しい解説を書いてくれ、忙しい中、いろいろ配慮してくれた米沢さんに本当に感謝

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