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zoom RSS 花崎さんが語る花崎さん講座への質問(暴力について)

<<   作成日時 : 2014/09/20 06:28   >>

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ピープルズプラン研究所で以下の連続講座を開催中です。
オルタキャンパス「OPEN」
【連続講座】連続講座〈運動と思想〉
花崎皋平が花崎皋平を語る
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/open/index.php?content_id=15



以下は
第2回 『力と理性』の時代
2014年9月7日(日)18時〜

に事前に提出した質問

〜〜〜〜〜〜〜


遅ればせながら、「力と理性」読み始めて、途中で続かなくなって、いろいろ飛ばして4章1のこの本のタイトルにもなった「力と理性」を読んでいるのですが、ここで「力」や「暴力」が主題になっています。

花崎さんはここで、教養学部有志教員の力の対決ではなく理性的対話をというような声明を紹介した後で以下のように書きます。
・・・「暴力」に対して「非暴力」であることが理性的なことであるという意識が、そこにはたらいている。しかし、果たして無条件にそうであるといえるであろうか。204-5p

暴力をなんらかの条件をつけて肯定するこの文章、71年5月という(全共闘の運動が暴力として退けられてきた)時代背景と密接に関係しているだろうと思います。

そして、このエッセーで花崎さんはベンヤミンの「神的な暴力」から敷衍し「告白あるいは宣言としての暴力」という概念を、「全共闘運動に孕まれていた契機」として提起し、「その純化された姿において垣間みられた暴力は、法措定的でもなければ法維持的でもなかった」とし、かなり肯定的に紹介しています。212ー213p

その後それが内ゲバなどに堕落していくのは「告白あるいは宣言としての暴力の質が失われたから」だと。そして、そうなったのは「予感的・自然発生的にしか、他の暴力との質的な差違があらわれなかったからであろう」と書きます。(そのような暴力の質というものがあり得るとしたら、それは暴力が質を持っていのではなく、関係性のなかで暴力がそのようなものになりえる瞬間があるかもしれない、ということなのではないでしょうか


上記のように書いた後で花崎さんは「右(上)のような暴力観の甘さや主観性が批判されることは予期しなければなるまい」と、それへの批判を覚悟して、以下のように書いています。
そうした批判や問いに対して、私はいったいぎりぎりのところで、その人がどのような力に依拠しようとするのか反問したい。
・・・(そして、暴力はすべて)・・・非人間的で反理性的だとする考えは、「すべて力こそ正義である」とする考え方のまったく裏返しの現実追従思想にそれと知らずにおちいってゆくのではなかろうか。211p


こんな風に花崎さんは暴力に条件をつけて肯定しているように読めます。ここで花崎さんはいくつかの条件を書かれているようにも読めるのですが、ぼくの読解力ではそれがどのようなものなのか、明確には読み取れません。どのような条件が考えられるのでしょうか?

続いて紹介される三里塚のGさんの例は、ぼくには「宣言としての暴力」というよりも「非暴力直接行動」ではないかと感じられます。その違いもひっかかるところではあります。


しかし、花崎さんは同時に、4章3の
「対等」の思想

では「暴力」的でないことがいくつか紹介されているように感じました。
例えば、安来節の歌い手の排除しない(暴力的でない)対応
あるいは伊達の高校の先生、Mさんの
「今こそ私達は、礼儀正しく、小さい声で、しかしハッキリと「反対」といおうではありませんか」
という、ある意味全共闘的でない姿勢を評価します。

ここで見えてくるのは、その暴力的だったりなかったりするのが、「誰(何)に対して」ということで規定されるのか、とも思います。

花崎さんは権力への抵抗という場面で「抵抗としての暴力」を条件付きで肯定しているようにも読めます。

そんな風に考えていくと、思い出されるのがガンジーの非暴力での抵抗という思想です。ガンジーの思想や憲法9条の思想は、ある意味、あらゆる局面で暴力を否定しているようにも読めます。田中正造もそのような観点から読み直すことができるかもしれません。そのように暴力を否定する思想と条件つきで肯定する思想について、どのように考えるべきなのでしょう?

あるいは、「生きる場の哲学」のキーワードとしての「やさしさ」や「共感」と暴力の関係をどのように考えたらよいのでしょう?

80年代前半の自分を振り返って、「暴力革命」をどう見るか、みたいな話で日本共産党との対抗の中で、それを認めない日本共産党はダメみたいな主張をしていたわけですが、いま、思うとやはりかなり浅薄だったかなぁと思うわけです。
同時に、当時はそんなことを言っていたのに、いつのまにか「非暴力」とか憲法9条の精神とかに乗り移っている自分がいます。そのあたりのことはちゃんと考えないとダメだなぁと思っています。

で、講座ではここで書かれている花崎さんの「暴力」についての認識、いまはどう考えておられるか聞いてみたいと思っています。


〜〜〜〜〜〜

これへの花崎さんのレスポンスは、このような暴力に対する肯定的な捉え方については「変わった」とおっしゃっていました。詳しく、どう語られたかは、後日出る予定の報告でご確認ください。

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