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zoom RSS 『日本人は人を殺しに行くのか』メモ(追記あり)

<<   作成日時 : 2015/07/01 17:43   >>

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今回も読書メータへに書いたメモに若干の訂正を加えたもの。

追記  後半にシノドスにわかりやすい要約が掲載されたので、記録のために転載


『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』 (朝日新書 2014/10/10)伊勢崎賢治著


伊勢崎節全開、という感じ。あまたの紛争地で紛争に関わる仕事をしてきた「紛争屋」伊勢崎のリアリティがここにある。しかし、個別的自衛権の問題など、考え方の違いも少なくない



伊勢崎さんの危機感は大きい。まえがきで以下のように書く。
「集団的自衛権」の行使が容認されれば、間違いなく、日本と日本人を取り巻く国際環境に劇的な変化が起こります。・・・これまでのどの外交問題、どの国際関係上の諸問題よりも、国民の生活に直結する形で変化が生じることになります。
9p
06/26 04:43

集団的自衛権行使の条件とされる  
1)日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由と幸福の追求権が根底から覆される明白な危険がある、
2)日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない、
3)必要最小限の実力行使にとどまる

──この3条件などについて、具体的にどのような場合がこれに該当するか、どういった基準でその判断がくだされるか、といったことがないので、恣意による運用があり得るという。同時多発テロ後に米国が仕掛けたイラク戦争にNATOが参戦した理由も「集団的自衛権」95-97p
06/26 04:54

102pから始まる節で、伊勢崎さんは「そもそも安倍政権は、何のために集団的自衛権の行使容認が必要だと考えているのか」と問いを立て、その答えを安保法制懇談会の1回目の報告書から導く。その記述が引用されているが、そこは飛ばして、要するに安倍首相は「集団的自衛権の行使を容認しないと有事の際に、アメリカが助けてくれなくなって困る」ということだ、という。続く
06/27 03:46

続き)簡単に書いてしまえば、「そんなことはない」というのが伊勢崎さんの結論だ。確かに、米国内に集団的自衛権の行使を求める勢力もいるのだろうが、米政権の側も一枚岩ではないというのが伊勢崎さんの見立てであり、米国が同盟国に求めるのは「補完性」なのだから、日本には集団的自衛権で軍事力を展開するのではない、別の役割を果たせるはずであり、その線でもっていくことは可能だという主張だ。その内容が4章以降で展開されている。
06/27 03:54

現在の米国にとって、日本が中国(や韓国)ともめたりするのは困る。ただし、他方で米軍基地をこんなに好条件で置かせてくれる国はほかにないので、北東アジアが適度な緊張を維持してもらわなければならない、という面もある、とされる。121-122p
06/27 04:08

さきほど書いた、日本がやれること、として伊勢崎さんが提起するのが、日本版のCOIN(Counter-Insurgency=対テロ戦マニュアル(伊勢崎さんの解説による。ただし、彼自身は「彼らをテロリストとは呼びたくない」として、Insurgentと呼ぶ)。
insurgent とは英辞郎によれば
1、 暴徒、反乱者
2、〈米〉〔政党の方針に反対する〕造反者

そして、これは戦争に勝つマニュアルというよりもその地の人心をつかみ、その地で、insurgentが活躍できないようにするマニュアルとのこと
06/27 04:31

そして、「日本は武力を前提としないCOINを、日本の政策ドクトリンとして生み出せ」というのが伊勢崎さんの主張(140p)
06/27 08:36

148pから安倍政権が打ち出した15の事例への反論なのだが、この中には個別的自衛権を押し出した、ぼくは納得できない反論も含まれている・。
06/27 09:02

それぞれの事例ついて、
安倍政権が、どっしり構えた超大型犬アメリカの足元でキャンキャン吠えている小型犬のように見えてしまう残念な事例になってしまっているのです
173p、と書く。
06/27 11:40

そして、4章の結語として、
こんなレベルの認識で、日本の将来を明らかに揺るがすことになる集団的自衛権の行使容認論議が続けられていることに、心の底から器具を抱きます
176pとのこと
06/27 11:43

そして、5章では領土問題について、ソフトボーダー化という解決策が提示される。もちろんそれはやさしいことではないが、・・・。
06/27 13:04

186pに記載されているロジックはわかりやすい。安倍首相は「国民の命を護るのが使命だ」と豪語するが、「なるべく敵を作らない」というのが、最も安上がりで効果的な「国防」。しかし、安倍首相のやってることはこれに逆行することばかり。
06/28 13:42

北朝鮮への対応については、人道支援をもっと積極的に行うことが提起されている。「たとえ支援の一割しか住民に届かなくても、人道支援は止めてはいけないのです」(189p)と。  そして、それをバックにすることしか拉致問題を現実的に解決していく道はない、と(196p)
06/29 02:20

「ソフトボーダーは、領土を双方で防護し合うのではなく、両国の協力yで管理する国境です。ポイントは、国境としての実効線はあるけれど、軍事化はしないという点です。(197p) ノルウェーとロシアの国境であるバレンツ海上も2010年に合意、とのこと。198p
06/29 02:27

著者は、尖閣諸島に関しても、1978年以降、実質的にソフトボーダーのように扱われてきたのに(とは書かれていないが)、日本側が対応を誤ったために問題が先鋭化した、と見ている。、そして、尖閣をソフトボーダー化するのに、集団的自衛権は一切必要ない、とも書かれているのだが、これは必要がないどころか、緊張を激化させるものになるのではないか。(204-207p)
06/29 02:38

223pでは100日間で80万〜100万人の人が殺されたルワンダの例が出される。ちょうど、今日、ルワンダの話は聞いてきたところだった。それも斧という生活の道具で。大量破壊兵器がなくても、「熱狂」があれば、これが可能になるという話を書きたかったのだろうが、今日聞いた話を思い出すと、その前提として、ベルギーの誤った植民地政策で対立が準備されていたということは、ちゃんと指摘されるべきだろう。223-225p
06/29 02:46

また、ルワンダの話はPKOの好戦化を招いた例として、2331-232pでも扱われている。2500名が300人に減少し、司令官にも撤退命令が出たが、司令官は志を同じくする部下とともに、残る決心をし、国連安保理に増員要請し続けただ、それが却下され、この虐殺につながった、とのこと(231-233p)。  その反省がPKOの転換につながっているようだ。  で、この本を読むまで知らなかったのはPKOが好戦化し、90年代のそれと変化してきているという指摘。
06/29 03:07

そして、南スーダンPKOはいつ戦闘に巻き込まれてもおかしくないようなところまで来ていて、第二のルワンダ化が心配される世界で最も危険な地域の一つになっている、と書かれている。235-236p  そして、国際的な「保護する責任」という声の高まりの中で、今では撤退すると、住民を見捨てたものとみなされ、「人道上、卑怯な行い」とされる風潮があり、これはルアンダの時と明らかに異なる状況だ、と書かれている。239p
06/29 07:17

上記の危険について、ほとんどの国民がそのことを知らず(ぼくも知らなかった)、マスコミも見逃していると伊勢崎さんは書く(240p)。これが書かれた現在、このことがどこかでとりあげられているだろうか?
06/29 07:25

そして、247pで伊勢崎さんは
自衛隊の活動範囲が広がってきており、9条の文面と現実の乖離は埋めようがありません。その意味では9条は、”いつかは”、変えなければならない時が来るのでしょう。でも、9条を変える決定を下すその前に、日本が insurgentsと対峙し、交渉していく際の「グングニル」として、9条を使っていくのはいかがでしょうか(247p)
と書く。(「グングニル」とあ北欧神話での的を必ず外さない、それを持ったものに勝利をもたらす槍、とのこと。244p参照)。
06/29 07:39

この(9条を)「いつか変えなければならない時が来る」が、その前に9条を使ってはどうかという話の流れが伊勢崎さんらしいところで、わかりにくいところだと思う。「いつかは」についている””も気になる。 さらに、彼は現状でこの9条という槍が大変な威力を発揮するはず(247p)だと、自らのアフガンでの武装解除の経験をもとに書いているのだが、伊勢崎さん以外の人がそれを使いこなせるだろうか?
06/29 07:44

集団的自衛権を行使し、米国の戦争に協力し、その国の民衆の血をさしだす代わりに、日米安保で守ってもらおうとする日本政府のやりかたこそが「姑息」であり、こんな行いが美しい日本のあり方だとは決して思わない、として伊勢崎さんはこの本を締めくくる。(249-250p)
06/29 07:49
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シノドスにわかりやすい要約が掲載されたので転載(読めるうちに)江田憲司さんの名前を訂正
http://synodos.jp/international/14646


2015.07.18 Sat
安保法制について考える前に、絶対に知っておきたい8つのこと

伊勢崎賢治『戦場からの集団的自衛権入門』から

国連PKO上級幹部として、東ティモール、シエラレオネの戦後処理を担当。また日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除の任に就き、紛争屋として、戦場でアメリカ軍、NATO軍と直接対峙し、同時に協力してきた東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏。日本人で最も戦場と言う名の現場を知る氏が昨年刊行した『日本人は人を殺しに行くのか 戦場からの集団的自衛権入門』から、安保法制について考える前に、有権者全員が心に留めておきたいことを以下に記す。(構成 / 編集集団WawW ! Publishing 乙丸益伸)


1.集団的自衛権と集団安全保障は明確に違うもの


そもそも集団的自衛権の「集団」と、集団安全保障の「集団」では意味が違います。前者における集団は「同盟国」のみを指し、後者における集団は「国連加盟国全体」を指しています。 (p.25)


「集団的自衛権」という文脈(略)の時に出ていく武力組織はNATOなどの有志連合でその指揮権は、攻撃に参加している各国が持っています。(略)つまり、各国は各々の「国益」のためにそれを行使するのです。(略)一方の「集団安全保障」という文脈での「集団」とは、(略)「国連加盟国全体」を指しています。この時に出ていく武力組織は、国連が承認し、国連が指揮の責任を持つPKO(国連平和維持活動)の多国籍部隊――PKF(国連平和維持軍)であることが基本です。(略)「国連的措置」(集団安全保障のこと;構成者注)とは、自分とは利害関係の全くない国の問題でも、(略)皆で窮地に陥った人々を助けようという性格のものです。こちらは、明確に“世界益”のために行われるものです。(p.29)


この二つがごっちゃになると、世界情勢を見る場合に、大きな混乱が生じることになる。

「集団的自衛権」は、あくまで“国益”のために行われるものであるため、時に各国のエゴがむき出しになることもあります。一方の「国連的措置」は“世界益”のために行われるものであるため、一国上の都合やエゴは、建前上、出せません。(p.30)


PKOの活動など――は清らかなイメージを付随させやすいものです。そのため、あえて「集団安全保障」という日本語訳を使い、「集団的自衛権」と混乱させることで、その行使の禁止の箍(たが)を外してしまおう、と考えている勢力がいるのではないかと、私は思っているのですが……。 (p.30)


どういうことかは、追々説明していく。


2.自衛隊の海外派遣を推進したのは「湾岸戦争のトラウマ」という名の外務省の勘違いだった

集団的自衛権の問題は、アメリカとの関係に左右されるといっても過言ではありません。つまり、アメリカに国際的な事件が起きるたびに、日本は集団的自衛権の解釈について頭を悩ませてきたのです。 (p.36)


湾岸戦争当時の1991年6月に、日本は、海上自衛隊の掃海部隊をペルシャ湾に派遣して以降、1992年6月にPKO協力法を成立させた。その3か月後の9月にカンボジアPKO、翌1993年5月にはモザンビークPKO、1994年9月にはルワンダ難民救護派遣、1996年2月にはゴラン高原PKO派遣……。

こうして、自衛隊の海外派遣へと突き進んできた日本国政府ですが、そのモチベーションは、本当に、一般に報じられている通り、「日本が国際貢献をするため」というものだったのでしょうか。(略)一番大きかったのは、外務省側の思惑で、外務省自身が「湾岸戦争のトラウマ」と呼んでいるものです。この説明は、湾岸戦争当時の海部内閣で、首相の演説担当・国会担当の内閣参事官として官邸にいた、江田憲司さん(元「維新の党」共同代表、当時通産官僚)の2007年10月22日のブログの記事が詳しいので、一部引用します。


「湾岸戦争の時には130億ドルもの支援をしながら「汗をかかない」と批判されたと、「湾岸戦争のトラウマ」をことさら強調する論者も多い。しかし待ってほしい。「湾岸戦争のトラウマ」を言うなら、私も、その当事者の一人である。当時は海部内閣であったが、私は総理の演説担当・国会担当(内閣副参事官)として首相官邸にいた。(略)

確かに「カネだけ出して汗をかかなかったから」日本は批判されたのだ、と言うのは、当たっていないことはないが、多分に以下のような特殊事情があったことに留意すべきである。(略)

実は、この「湾岸戦争のトラウマ」とは、直接的には、当事国のクウェートが戦後出した米国新聞の感謝広告に「JAPAN」がなかったというコンテクストで使われるのだが、しかし、これも考えてみれば当たり前のことなのだ。

実は、90億ドル支援(当時のお金で約1兆2000億円)のうち、クウェートに払われたのはたった6億円だったという事実を知らない人が多い。1兆円以上のお金は米国のために支出されたのだ。クウェートの首長は石油王で、イラクがクウェートに侵攻している間は、実は隣国のサウジの超高級ホテルのスウィートルームで優雅な生活を送っていた。その石油王にとって6億円程度は「はした金」にすぎないわけだから、感謝しようにもその気がわいてこないのは、ある意味しょうがないことなのだ。

言いたいことは、「湾岸戦争のトラウマ」を例にあげながら、しきりに「お金だけではだめだ」「汗をかけ」「自衛隊を出さなければ」と言っている人には、背後に、こうした事情、経緯があったことを知った上で発言してもらいたいということだ。「おカネ」は決して卑下すべき貢献策ではない。時と場合によっては、効果てきめん、感謝される貢献策となりうることも肝に銘じておくべきであろう。」

(略)つまり、外務省と、自衛隊の海外派遣を推進したい政治家の言う「湾岸戦争のトラウマ」とは、外務省のミスであり、アメリカからのメッセージの背後にある本心を読み違えた思い込みだったのです。(p.49)



3.アメリカのエゴ丸出しの戦争に、日本はまたも勘違いで加担していた

イラク戦争は、アフガニスタン戦争よりもさらにひどいものだったといえます。なぜなら、この時、イラクに侵攻するためのアメリカの集団的自衛権の行使に対し、国連安保理の決議は出なかったからです。つまりイラク戦争は、(略)アメリカのエゴ丸出しの戦争だったのです。(p.62)


しかも、アメリカが戦争の根拠とした、「イラクが保有しているはずの大量破壊兵器の存在」は、ブッシュ政権の捏造だったことはアメリカ自身の調査、そしてメディアによって、後に明らかにされるのです。おまけに、サダム・フセインがアルカイダを支援していた証拠も見つかりませんでした。(p.62)



アメリカ同時多発テロの時、世界貿易センタービルの倒壊で亡くなったのは約2700人。対して、アフガンとイラクに派遣されたことで亡くなったアメリカ兵は6000人超。そして、アフガン戦争で、1万9269人もの民間人が亡くなり、イラク戦争開始後の3年で巻き込まれて亡くなった民間人の数は15万1000人……。

皆さんは、アメリカ同時多発テロの後に大きく報道された「Show the flag」という言葉を覚えているでしょうか。同時多発テロ直後、アーミテージ米国務副長官が日本政府に対して協力を求めた言葉として広く報じられ、実際に、日本がインド洋に自衛隊を派遣する大きな原動力になりました。しかし悲しいかな、日本はこの言葉を、またしても勘違いして受け取ってしまっていたことが分かったのです。(p.79)


というのも、日本はこの時、「Show the flag」を文字通り「イラクに日本の(自衛隊の)旗を見せろ」という意味で受け取っていました。ところが、(略)アーミテージは、「旗幟を鮮明にしろ」――日本がどちらにつくかはっきりしなさい――と言っただけで、「自衛隊をイラクに派遣しろ」と言ったわけではなかったのです。(p.80)


ここに、自衛隊を海外に派遣するための口実である「湾岸戦争のトラウマ」に、「Show the flag」という口実が加わったのです。(p.80)



4.安倍内閣が集団的自衛権行使容認を欲する理由も、湾岸戦争のトラウマ、ショーザフラッグと同じ系譜


なぜ安倍内閣は、ここまで集団的自衛権の行使容認を欲するのか?

安倍首相は、「集団的自衛権の行使を容認しないと、有事の際に、アメリカが助けてくれなくなって困る」と言っているのです。(p.104)


閣議決定まで終わった「集団的自衛権の行使を容認する理由」がそれである証拠として、安保法制懇のメンバーの一人で、(略)元外務官僚の岡崎久彦さんの言葉を引用しましょう。彼は、2014年5月19日に、ハフィントンポストに掲載されたインタビューの中で、(略)次のように答えています。

「もう東アジアの安全保障というのがね、日中関係、米中関係なんてものはないです。中国対日米同盟、このバランスで全部考えなきゃいけない、共同で行動することを考えないかぎり、日本の安全は今考えられない。日本一人でもアメリカ一人でも守れないもん。アメリカ一人で守れと言ったらアメリカ引きますよ、だって勝てないもん。一番の問題は、日米同盟が危険にさらされた時ですよね、アメリカだけ、アメリカの第7艦隊がやられていて、日本が助けにいかなかったら、アメリカもう(同盟)やめたと、そうなる可能性はありますね、それが一番怖いですね。」 (p.104)


そして伊勢崎氏は、安保法制懇の第1回目の報告書に、「集団的自衛権の行使が必要な理由」として、岡崎さんがハフィントンポストに答えた内容と、ほぼ同じことが書かれていることを、本書の102ページに記している。

問題は、安倍内閣が「集団的自衛権の行使容認」に動いている理由が、「湾岸戦争のトラウマ」と、まったく同じ系譜にあるものだということです。「湾岸戦争のトラウマ」が、日本の外務官僚の勘違いによってもたらされたものであったことは、すでにお話した通りです。 (p.105)



5.アメリカは日本に自衛隊の派遣を求めていない?

では本当にアメリカは、日本の集団的自衛権の行使容認を欲しているのか?

日米関係を語るとき、よく「日本(が出すの)は金だけでいいのか」という議論になり、日本人に肩身の狭い思いをさせています。しかし、戦争を始めるのにも終わらせるためにもお金が必要であるという状況の中で、日本がこれまで、アメリカの戦争に莫大な貢献をしてきたことを、日本人はもっと自覚するべきです。(p.119)


また、「思いやり予算」こと、日本が負担する在日米軍駐留経費のことも忘れてはいけません。沖縄から飛び立った海兵隊が、イランやアフガニスタンに赴いているのです。(p.119)


さらに、世界の約5分の1を担当する世界最大の艦隊・米海軍第七艦隊が、事実上横須賀と佐世保を母港としているのをはじめ、在日米軍基地の担当範囲は非常に広く、アメリカが関与する紛争多発地帯をほぼ包括しています。さらに燃料や爆弾の貯蔵においても、日本は海外最大の保管庫になっています。(p.119)


だから、アメリカから日米同盟を解消することは、アメリカから日本を見はなすことは、特に中国の存在が、地球を良い意味でも悪い意味でも支配する現在、そして近未来において、絶対にありえません。(p.120)


ではなぜ、アメリカが日本に自衛隊を出すよう圧力をかけてきているように見えるのか?

選挙で有利に戦うための短期的な「利害」にしか興味のない政治家は、日本の専売特許ではありません。もちろんアメリカの政局をも支配しているものです。こういうアメリカの政治家にとって、自分で勝手に「湾岸戦争のトラウマ」を背負いこんでいる日本人は、たいへん好都合なのです。なにせ、これをちょっと耳元で囁くだけで、日本人は簡単に震え上がってくれて、それだけで、お金をATMのように引き出せるようになるのですから。(p.123)


今回の集団的自衛権行使容認騒動は、日本側の叶わぬ片思いのようなものです。恋い焦がれるあまり、アメリカが欲していないものでも何でも貢ごうとする……。なんとも切なくなる話です。(p.122)



6.集団的自衛権の行使によって失われかねない「日本の美しい誤解」の存在について


アフガニスタンにおいて実感した話です。(略)アフガニスタンの場合、(略)主要な占領政策はNATO加盟国を中心に分担して行うことになりました。新しい国軍はアメリカ、警察はドイツ、日本は非NATO加盟国ですが、武装解除の責任を負うことになりました。(p.127)


アメリカもNATOも手を焼いて何もできずにいた軍閥間の戦闘に非武装で入り込んで行き停戦させ、スローではあるものの重火器の引き渡しを着実に実現してゆく私たち(日本;構成者注)に対し、いつしかアメリカ軍の関係者たちは「日本は美しく誤解されている」と言うようになったんです。(p.128)


アフガニスタンの軍閥は、冷戦時代から大国のエゴの真っただ中にいた連中です。アメリカを基本的に信用していません。しかし日本は、アメリカから独立しているものと思われていたのです。それは誤解もいいところなのですが、私たち日本には、アフガンの軍閥たちに見られる足元自体がなかったのです。「日本に言われちゃしょうがない」――。あの時、軍閥やその配下の司令官たちは、我々が武装解除に向かった先々で、例外なくこう言い、武装解除に従いました。(p.129)


また、私たちの活動とは別に、イラクでは、日本の自衛隊が(基地にロケット弾が着弾しながらも)銃撃戦を一度も経験せずに任務を完了しました。なぜこれが可能だったかと言えば、地元のイスラム指導者が、「自衛隊を攻撃することは反イスラム」であるというおふれを出したからです。日本は、イスラム圏において、それほどまでに良いイメージを持たれていたのです。(p.131)


なぜか? そのルーツの一つは、日露戦争にあるようです。私もよくアフガンの軍閥に言われたものです。「ジャパンはスゲーよな。俺らも勝ったけど」と。また、アメリカにヒドイ目に遭わされた経験があるイスラムの民は、日本に「勇敢な被害者」という印象を持つようです。日本は経済大国でありながら、彼らの痛みが分かる唯一の国だと、彼らは考えているようです。(p.132)


……そんな日本のすばらしい国際的なパブリックイメージ(美しい誤解)が、今回の集団的自衛権の行使容認を契機として、失われてしまう危険性があると伊勢崎氏は指摘する。それはあまりにもったいないことだと。


7.自衛隊は“今”すでに、海外で人を殺さなければいけない一歩手前にまで追い込まれている


集団的自衛権の行使容認によって、国際的に、日本が苦しい立場に追い込まれかねない現状の中、今回の集団的自衛権の行使容認論議の中には、マスコミにも忘れられている重要な論点が存在しているという。

日本の報道では、集団的自衛権の行使容認の話ばかりにスポットライトが当てられていますが、決して見逃してはいけないことがもう一つあります。それは、安保法制懇の提言のなかには、「集団的自衛権の行使容認」の他に、「国連的措置(集団安全保障;構成者注)であるPKOの活動の幅を、これまで行っていた後方支援活動から、海外での軍事的行動を含む本体業務にまで広げるべき」ということも含まれているということです。(p.86)


日本では、PKOの活動は安全というイメージが流布されているが……、

もちろん、「日本はPKOに派遣している自衛隊が危機に陥ったら、兵を引くだろう」という見立てもあるでしょう。しかし、残念ながら、その甘い見立てが、いままさに自衛隊を危機へと追い込んでいるということも、ここで指摘しておかなければなりません。(p.235)


陸上自衛隊がPKO要員として、2012年1月から派遣されている南スーダンにおいてのことです。(略)2013年12月、南スーダン政府軍に対して反政府軍がクーデターを起こしました。(略)陸上自衛隊が駐屯している首都ジュバでの武力衝突に発展。(略)今、南スーダンは、第二のルワンダ化が心配される世界で最も危険な地域の一つになっているのです。(p.235)


……そして、2013年12月のある日の朝、自衛隊は、宿営地に隣接する国連施設のゲート付近に、数千人規模の避難民が集まり始め、昼過ぎに、開門して避難民を国連の施設に収容するという事態を実際に経験した。

ここで問題なのは、(略)「武装集団は、避難する一般市民に紛れて行動する可能性もある」ということです。もしも、保護を求めて自衛隊の基地に流れ込んできた住民のなかに、武装集団が紛れ込んでいたら? それを追って敵対勢力の武装集団が、熱狂状態にある群衆に紛れて迫ってきたら? 自衛隊はどういう立場におかれるのでしょうか。もはやその不安は、遅きに失していると言っていいでしょう。(p.239)


今回の閣議決定では、当然のごとく、「国際協調に基づく『積極的平和主義』の立場から、国際社会の平和と安全のために、自衛隊が幅広い活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である」とされました。しかし、ほとんどの国民がその危険性を知らず、マスコミも易々と見逃してしまい、誰一人として気づかないというお粗末な状況でした。日本は、将来でなく、今現在の時点でも、無辜の民間人と区別のつかない「敵」を殺さざるを得ない状態にあり、帰ることもできないでいるのです。(p.240)


それゆえ伊勢崎氏は、「現状のPKO活動からの自衛隊の全面撤退」を説く。なぜなら、PKOの活動も、日本側の勝手な思い込みで、日本が世界に貢ぎ倒しているだけなのだから……。

今現在、国連のPKO部隊(PKF)に大勢の兵を送り込むのは実は、国連加盟国の中でも、発展途上国の仕事になっているからです。これは、国連のPKFに部隊を送ると、国連からお金をもらえるため、発展途上国にとってはいい外貨稼ぎの場になっているからです。つまり、PKFに派遣される兵士の人数は足りているため、もう日本は、PKF関連の仕事に兵(自衛隊)を送る事業から卒業していいのです(実際、私は、ここまで大隊レベルの大きな部隊派遣にこだわる“先進国”を他に知りません)。(p.169)


あなたはこの事実を知っていただろうか?




8.日本は世界に残された最後の希望

PKOから自衛隊が撤退したら、もう日本は国際貢献できないではないかと思う方もいるかもしれない。しかし、現状のPKO活動よりも、もっと、真の意味で、日本が世界の平和に資することのできる自衛隊の活動(日本独自の貢献の方法)が存在している。

日本独自の貢献の方法――しかもそれがアメリカの国益にもなるもの――とは何なのでしょうか? そのヒントは、COIN(アメリカ陸軍・海兵隊のフィールドマニュアル:Counter-Insurgency)にあります。これは、イラク戦の米最高司令官だったペテロイアス 将軍(略)が、(略)2006年に、それまでの米軍の戦略ドクトリン(教義)を方向転換させたものです。(略)COINとは「対テロ戦マニュアル」のことなのです。(p.132)


なぜアメリカの圧倒的な軍事行動をもってしても、軍事力ではとるに足りないテロリストに勝てないのか? その理由の一つは、テロリストの側に、我々にはない圧倒的なまでの「非対称な怒り」が存在していることです。(略)我々を迎えるあちら側は、我々を傍若無人な侵略者(特に、イスラム教徒にとっての異教徒)であると見なしています。我々が黙ってそこに立っているだけで、彼ら個人個人とその集団を貫くのは、彼らのアイデンティティを賭けた怒りです。しかもそれは、我々の攻撃による同胞や家族の犠牲によって増幅し続けるのです。この「非対称な怒りの増幅」こそが、テロとの戦いに終わりがない所以です。そこで生み出されたのがCOINだったのです。(p.133)


COINが訴えかけるのは、「Winning the War : ウィニング・ザ・ウォー(敵を軍事的にやっつける)」ではなく、「Winning the People : ウィニング・ザ・ピープル(人心掌握戦に勝つ)」です。そのためには、(略)優良な国軍と警察を擁し、ちゃんとした「沙汰」を提供し、「秩序」を保つことのできる――すなわちinsurgents(テロリスト達;構成者注)が入り込んでくる隙間のない――現地政府をつくるしかないのです。(略)これは、“ネーション”(国家)という概念が存在しなかった無法地帯に、それをつくるという作業なのです。(p.136)


“ネーション”づくり。アメリカは、イラクにおいて失敗し、続くアフガニスタンでも失敗しています。(略)しかしこれは、失敗というより、まだ成果をあげていないと言わなければならないものです。なぜなら、COINに代わるドクトリンはまだ出現しておらず、恐らくこれ以上の方法は、将来に渡って出現しないだろうからです。(p.138)


2014年末の軍事的勝利なき撤退を前にして、アメリカやNATOでは、COINのこれからを占う専門的な議論が盛んになりつつあります。しかし実は、2006年にCOINをまとめるヒントとなったのは、日本がアフガニスタンで成功させた武装解除だったのです。COIN制定の前、アフガニスタンのアメリカ軍関係者の間でよく言われていたのは、「アフガンの成功をイラクへ」でした。その「アフガンの成功」とは、私たち日本の武装解除の成功のことだったのです。(略)日本が非武装で行った武装解除の成功がこそが、当時、アフガンに“ネーション”を建設する一縷の希望になっていました。日本が非武装で行った武装解除の成功が、ペテロイアス将軍の作ったCOINの元になったものなのです。(p.138)


アメリカ軍の増派といい、アフガン新国軍の計画兵力といい、オバマ大統領の「戦争計画」が迷走するなか、NATOは首脳会議において、今年2014年の末までに、アフガンに展開しているNATOの治安部隊13万人の大半を撤退させる方針を示している。つまり、この2014年は、NATOが、史上初めて、軍事的勝利のないままに戦争に区切りをつける歴史的な年になる。

2014年度末のNATO軍の撤退は、アフガンに「力の空白」をもたらし、再度勃興しつつあるタリバンに、おおいに有利に働くだろう。これが、OEF(不朽の自由作戦)という名の集団的自衛権の行使によって、アメリカ軍兵士に、1万9984人の負傷者と、2343人の死者を出した後の結果なのである。

これが、アメリカが今、そして、これからも苦しみ続けるであろう「集団的自衛権の行使」の実態です。今年2014年に、NATOは一応の区切りをつけますが、それは、単に経済的・政治的に(厭戦ムードが支配する)この戦争を維持できないからです。そして、「安倍政権の集団的自衛権」は、アメリカが陥っている現在のこの状況に、何の関心も払っていないのです! こんなことで、「アメリカの最も重要な友人」などと、よく言えるものだと、私は内心思っています。(p.139)


では、アメリカの国益になりながら、同時に日本が世界に貢献できる最上の方法とは何か? それは、(略)今こそ、日本版COIN――すなわち、非武装が原則だからこそできる「ジャパンCOIN」――を引っさげ、世界に“参戦”することです。(略)それが、真の世界貢献と(アメリカからの;構成者注)主体性獲得への第一歩になります。(p.140)


そのためには、安倍政権の言う「集団的自衛権の行使」など、一切必要なものではありません。(p.140)


日本はアフガンにおいて、内政干渉だと反発されることなく行政改革を行い、民衆に信頼される“ネーション”を打ち立てることができるはずです。それは、アメリカを中心に、西洋社会がおしなべて苦手としていることです。(p.140)


では、日本の「美しい誤解」を損なうことなく、集団的自衛権の行使容認も必要なく、非武装を原則として、真の世界平和と、アメリカの国益にも叶い、日本が真の主体性を取り戻すことのできる「ジャパンCOIN」、「非武装の自衛隊による真の世界貢献」とは何か――。

小さな政治ミッションでしかなかったアフガニスタンのUNAMA(国連アフガニスタン支援団)のマンデート(任務)を“少し”拡大し、「国連軍事監視団」を設け、アフガニスタンとパキスタン国境上の監視役として、NATOの代わりに、常駐させることだと考えています。(p.146)


このような国連軍事監視団の任務は、中立性を発揮しなければ両者の信頼を損なうため、紛争当事者国に利害関係のない国の要員が向いています。そして、同じ理由から、非武装で行うことが原則です。(p.146)


だから私は、この任務に、日本が手を挙げるべきだと考えているのです。ここにこそ、日本が「武力を使わない集団的自衛権の行使」――ジャパンCOIN――を実行する、大きな余地が生じていると考えています。(p.146)


国連軍事監視団は、伝統的に「安保理の眼」とも言われ、国連の本体業務中の本体業務です。大尉以上の軍人が多国籍のチームを作り信頼醸成にあたる、非常に名誉ある任務です。その任務に、日本が手を挙げるのです。これは、国際社会・アメリカに対し、日本が持ちうる「強み」と「補完性」を最高の形で発揮できる方法であると同時に、真の積極的平和主義の先駆けとなるための、極めて現実的な方法です。(p.146)


しかもそれは、国連的措置に関する任務であるため、日本の美しい誤解を損なう集団的自衛権の行使容認を行う必要はありません。さらに非武装で行う任務なので、憲法9条の問題においても、一切揉める必要がないものなのです。 (p.147)



こんなにいい方法があるのに、伊勢崎氏以外に、ほとんどこのような話をしていないのはなぜか? それは、政治家も含めた日本人が、海外情勢、戦場のリアルな動静に徹底的に疎いからであろう。その結果、日本は、伊勢崎さんが「日本側の叶わぬ片想いのようなもの」と表現するようなこと(湾岸戦争、イラク戦争への自衛隊派遣と集団的自衛権の行使容認)を、必要もないのにアメリカに貢ぎ続けてきたのである。しかもそれは、結果的に日本の国益を損なうものであり、ほとんど国際貢献にもなっていない、最悪の本末転倒だった……。

今こそすべての日本人が、国際情勢のリアルについて学びなおすべき時だろう。手遅れになる前に。

「日本にこれができなかったら、世界から希望の光が消えてしまう――」

伊勢崎氏は、本書で、そう訴えかけている。
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