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zoom RSS 『昭和天皇の戦後日本  〈憲法・安保体制〉に至る道』メモ

<<   作成日時 : 2015/12/20 08:00   >>

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『昭和天皇の戦後日本ー〈憲法・安保体制〉に至る道』メモ


岩波書店のサイトは
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0610550/top.html

ここでの
■ 著者(豊下楢彦(とよした ならひこ)さん)からのメッセージ

 過去20年近く昭和天皇の戦後史を研究してきました.節目節目で重要な資料に出会うことができ,『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』(岩波新書,1996年)や『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫,2008年)という二冊の拙著において,昭和天皇が「象徴天皇」となって以降も,安全保障問題という高度に政治的な問題に深くかかわったのではないかという「仮説」を提起してきました.
 ところが,昨年九月に公表された『昭和天皇実録』は,従来の資料をはるかに凌駕する文字通りの「資料の宝庫」であり,かねてからの「仮説」に裏づけを与えてくれるばかりではなく,一言一句,一行一行の記述のなかから数々の新たな「発見」をもたらしてくれました.
 本書『昭和天皇の戦後日本――〈憲法・安保体制〉にいたる道』は,この『実録』を読み込み,豊富な資料を駆使して,戦後日本の枠組み形成に昭和天皇がいかに大きな影響を及ぼしていたのかを明らかにするものです.


この本、2014年9月に公表された「昭和天皇実録」(宮内庁書陵部編修課全61巻 計12000頁)駆使してまとめあげたもの、とのこと(序13〜14ローマ数字)。
この実録、宮内庁が出しているので、バイアスがかかっているのは間違いないが、膨大な資料に当たった彼らが、なぜこのような表現をしたのかを追求していくことで、問題の在処が鮮明に浮かび上がると筆者は書いている。

近衛文麿が統帥権の問題に関して政府と統帥部との両方を抑え得るものは、陛下ただ御一人である。(しかし、平和を求める天皇の苦慮は痛々しいうんぬん)」と書いたのが自殺後に新聞に掲載されたのをに対して、「近衛は自分に都合のよいことを言っているね」と語ったという証言(藤田尚徳「侍従長の回想」)が記載されている。(12ー13p)側近が自殺した痛みはないのかと感じる。

また、マッカーサーが憲法制定を急いだ課程も資料に基づいた非常にわかりやすい説明が記載されている(25-37p)。

その記述から続けて、そのような経過を見たときに「押しつけ論」が「具体的な実証的な分析を欠いた”情念論”にすぎないと言わざるを得ない」とされる。(35p)

ドイツやイタリアの戦後の憲法の制定過程を紹介した上で、以下のようにかかれている。
「押しつけ論」が論じられる前に、提出されなければならない「問題の焦点は、占領管理のもとにあっても、ファシズムや全体主義体制からの「国家改造」を、いかに主体的にできるか、あるいはできたのか、というところにある」と。37p

44pには大森拘置所の記述がある。戦後直後、捕虜収容所は逮捕される戦犯容疑者が収容される場所になっていたのだった。

2章の結語は、ここまでの詳細な歴史検証の構造を明確に表している。
昭和天皇が、東条英機らA級戦犯7名が処刑される結果となった東京裁判について、マッカーサーに「謝意」を表したということは、自らの免訴のために尽力したからに他ならない。東京裁判が「勝者の裁判」と評されるとき、その象徴的な問題が、この昭和天皇の「謝意」に集約的に示されていると言えよう。それはまさに「日米合作の政治裁判」であった。62p


そして、占領支配のために天皇制の権威をマッカーサーも必要としていたという事実がかかれている。伝えられる美談ではなく、リアルな姿が描かれている。第3章 とりわけ76-78p

また、昭和天皇が日米開戦の直前にローマ法王を通じた時局収集の検討を提案していたという記述も興味深い。著者はこれを例に、「当時の政治・軍事指導者の中で、ここまでの視野を有した人材はほとんどいなかっただろう」と書く。(90p)

天皇とマッカーサーとの4回会見の漏洩問題について、そも漏洩の問題から見えてくるのは昭和天皇が高度に政治的な問題について、マッカーサーと政治介入に当たるような議論を行っていたという事実であり、それについて筆者は無責任の誹りを免れない、と厳しく指摘している。102p

続いて、その第4回会見の4ヶ月後にでた「沖縄メッセージ」の話になる

当時、米国内に沖縄をめぐる国務省と軍部との対立があり、それに終止符を打ったのがこのメッセージになったという。
国務省は領土不拡大原則から返還すべきという主張で軍事戦略上沖縄が必要という軍部との意見の違いで、暗礁に乗り上げていたのだが、このメッセージを受けて決着に向かったとのこと。(103p)
 それが72年までの米国による占領と、基地だらけの返還につながっている。著者はロバート・D・エルドリッジの「沖縄問題の起源」を援用し、この政策決定への天皇の影響力の強さを肯定しつつ(104p)、しかし、そこで主張されている、その天皇の関与が永沖縄の主権放棄を防いだという議論を痛烈に批判する。
「こうした評価は、沖縄問題を、当時米国が抱えていた他の領土問題との関係において把握するという視点を欠いたもの」としてミクロネシアとナイロビにおける米国の矛盾や北方領土との連関を紹介する。その窮地を救い米国に「代替案」を示したのが「沖縄メッセージ」というわけだ。104-108p



また、安保条約成立前の交渉の段階で、「当時の日米関係において最大の焦点は、講話後の日本における米軍基地の問題、具体的には日本の基地提供問題であった」(145p)という指摘も。

そして、結局、交渉の中で基地を受け入れざるを得ない吉田首相が、まさにそれが嫌でサンフランシスコ講和会議への出席をさんざん渋っていたというのも興味深い。(196p)

それは天皇とあったあとに覆り、行くことになる。「詰問され、叱らえた」のではないか、というのが著者の見立てだ。そして、外務省は1982年に『調書』を公開するにあたってmこの「固辞」にかかわる部分をすべて削除したとのこと。195p

さらに朝鮮戦争が休戦に向かう過程で、天皇がそれを歓迎せず、そのことで米軍基地はいらないという圧力が高まることを危惧している(208p)というのもひどい話だ。

そして、なぜ昭和天皇が考えられるいくつkじゃのタイミングで退位しなかったのかという話で、著者は「自己中心的な考え方でなく、自分が苦労して日本の再建に寄与する」という評価には同意した上で、しかし、戦争評価をめぐって対立関係にあったとも言える高松宮が摂政になることを認めたくなかったので退位という選択肢はなかった、とする記述もある(230-231p)

昭和天皇にとって何より重要な問題は国(皇統)体の護持(221-222p)

結局、昭和天皇は退位どころか公式な謝罪さえせず『けじめなき連続性』が刻印されることになったと著者は指摘する。(236p)

この第二部までの展開は天皇が平和主義者であったという仮面を資料を用いて見事に覆すものだ。


しかし、第3部の「憲法を守り過去を反省する明仁天皇」の持ち上げ方はどうかと思う部分も少なくない。そのことを反天連のAさんに話したら、著者の豊下さん、彼の師匠筋からの系譜を考えると、彼がここまえ書いたことがすごいのであって、明仁天皇への高評価などは当然といえば当然、みたいなことを言っていたので、少し驚いた。



ちなみに読んだ直後に読書メーターに書いたメモは以下
ようやく読了。昭和天皇への資料に基づいた的確な批判の切れ味は鋭い。戦後の沖縄を犠牲にしたいびつな安保/憲法体制のスタートの過程は非常にわかりやすい記述だ。 しかし、他方で明仁天皇への評価はどうだろう。昭和天皇が憲法を平然と犯してまでも守ろうとした『皇統』について、彼は憲法を遵守して守っていこうとしているのだが、その前の天皇の犯した過ちの上にある現在の体制を前提として、こんな風に明仁天皇を評価していいのかどうか気になるところ。



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