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zoom RSS 『ポスト資本主義』広井良典著メモ

<<   作成日時 : 2015/12/22 18:39   >>

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岩波のこの本のサイトにある著者からのメッセージ


 今を、希望ある移行期とできるか

■著者からのメッセージ

 ……資本主義というシステムが不断の「拡大・成長」を不可避の前提とするものだとすれば、そうした移行は、何らかの意味で資本主義とは異質な原理や価値を内包する社会像を要請することになるだろう。こうした文脈において、「ポスト資本主義」と呼ぶべき社会の構想が、新たな科学や価値のありようと一体のものとして、思考の根底にさかのぼる形で今求められているのではないか。

 また、幸か不幸か、人口減少社会として“世界のフロントランナー”たる日本は、そのような成熟社会の新たな豊かさの形こそを先導していくポジションにあるのではないか。

 そうした可能性のビジョンを描くことが、本書の基本的な趣旨に他ならない。
(「はじめに」より)


コンパクトでわかりやすい説明としては以下
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2015071902000180.html
【書評】
ポスト資本主義 広井 良典 著  

2015年7月19日

◆脱成長へ 意識変革を予測
[評者]根井雅弘=京都大教授

 「定常型社会」の提唱で有名な著者による「ポスト資本主義」論。その核心は、数百年も続いた「拡大・成長」志向から「定常化」への「静かな革命」が進行していく二十一世紀には人々の意識や行動様式がラディカルに変化していくだろうという主張にある。

 本書の構想は実に壮大である。人類史における拡大・成長と定常化の三つの大きなサイクルを描きながら、資源・環境の制約が深刻となる定常期は、むしろ「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展」へシフトしていくよい機会なのだと捉えている。このような考え方は十九世紀中葉のJ・S・ミルにもみられるが、世界的に高齢化が進み、人口や資源消費がある定常点に向かうような「グローバル定常型社会」においては、国家を中心にした集権的・一元的な社会ではなく、活動主体が多元化し、地球上の各地域も多様化していくことを、最新の研究成果を踏まえながら詳述している。

 評者が特に関心をもったのは、「生産性」の概念を再考し、「労働生産性から環境効率性」への転換を促している部分である。従来、「生産性が低い」とされた福祉や教育などの対人サービスの領域が、新しい尺度ではむしろ「生産性が高い」ものとして浮上し、<人々の関心はサービスや人との関係性(あるいは「ケア」)に次第にシフトし、人が中心の「労働集約的」な領域が経済の前面に出るようになる>という。示唆に富む指摘である。

 それにもかかわらず、アベノミクスのように、相変わらず「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という発想はいまだに根強い。それに対して本書は、「人口減少のフロントランナー」としての日本が、「拡大・成長」の一元的な物差しから決別し、「持続可能な福祉社会」へと進むべきことを主張している。

 論旨は明快であり、二十一世紀の日本や世界が直面する課題を知りたい読者にはおすすめの一冊である。

(岩波新書・886円)

 ひろい・よしのり 千葉大教授。著書『定常型社会』『日本の社会保障』など。
◆もう1冊 

 岩井克人著『資本主義から市民主義へ』(聞き手・三浦雅士、ちくま学芸文庫)。貨幣から倫理までを論じ、市民主義とは何かを示す。



ぼくが読後すぐに読書メーターに書いたのは以下

図書館で借りて、期限が過ぎて購入して読了。広井さんの趣味の(?)(と書いたがほんとはそっちが専門の)科学史などの知見も活用しつつスピリチュアリティにまで言及する幅が広いが、焦点は明確な本になっていると思う。広井さんのポスト資本主義に関する考え方はだいたいわかった。問題はそのように彼がイメージする社会へどうしたら移行できるかではないかと思う。残念ながら、そこに関する記述は読み取れなかった。


これに少し足して、アマゾンのカスタマーレビューも書いた。
 広井さんの趣味の(?)科学史などの知見も活用しつつ、スピリチュアリティにまで言及する幅は広いが、焦点は明確な本になっていると思う。広井さんのポスト資本主義に関する考え方はだいたいわかった(ような気がする)。新しい考え方もあると感じられたし、先行研究についての目配りも行きどどいているとは思うのだが、、ほぼ似たようなことはさまざまなところで語られているのではないか。そのことが悪いとは思わない。もっと、くり返し語られるべきだ。
 ただ、期待したいのは、そのように彼がイメージする社会へどうしたら移行できるかということだ。残念ながら、そこに関する記述は読み取れなかった。 なので、中身的には星5個以上でもいいと思いつつ、4つにしてしまった。広井さん、期待してます。どのようにポスト資本主義社会をわたしたちは手にすることができるのかという話を。


同様の内容のものを広井さんにFBで送ったものへレスポンス(抜粋)
前向きにとらえていただき幸いで、課題の点はさらに深めていければと思います。





以下メモ
〜〜〜〜
序章でまず、人類史における拡大・成長と定常化をめぐる3つのサイクルを説明し、産業革命以降の第3の拡大期が終焉し、第三の定常期に入るかどうかの分水嶺に立っているという。2p

そして、この拡大期から定常期へのサイクル全体が資本主義からポスト資本主義への展開と重なり、(これが)本書の基本的問題意識となる、とされる。6p

そして、この「成長から定常への移行期において、これまでには存在しなかったような何らかの新たな観念ないし思想、あるいは価値が生まれた」ということに広井さんは注目する。7p

そして、以下は仮説にすぎないが、と断って、その時期(紀元前5世紀前後)に生まれた(枢軸時代(ヤスパース)ないし精神革命(伊東俊太郎)に生成)普遍思想(普遍宗教)の群は、そうした資源・環境制約の中で、いわば「物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ」という方向を導くような思想として、あるいは生産の外的拡大に代わる新たな内的価値を提起するものとして、生じたと考えられないか、と書く。8-9p

さらに第4の拡大はあるか、という問いに対して、あるとしたら、人工光合成の成功とか宇宙進出という例を出しながらも、そのような方向に対して全体として懐疑的だと応える。11-12p

社会構想という次元では米国型の格差を生み出す社会ではなく、欧州の一部で実現されているような「緑の福祉国家」「持続可能な社会」ではないかという。13p

24pに記載されている「資本主義」という言葉が現在のような意味で使われるようになったのは20世紀に入ってから、社会主義との対比で使われるようになったので、マルクスさえ、この言葉を知らなかったのではないかという指摘にびっくりした。

資本主義とはなにかという議論がいろいろ紹介され、資本主義と市場主義の違いは何か、という問いに対して、「拡大・成長」を追求するシステムが資本主義だと書かれている。29p
注によるとウォーラーステインは資本主義を「無限の資本蓄積が優先されるシステム」だという。31p

78pで著者は「いま求められているのは」として、以下のように書く。
個人、あるいは市場経済の領域を、そのベースにあるコミュニティや自然にもう一度つなぎ、着陸させていくような社会システムの構想に他ならないのではないか。

これは本書の後半で「緑の福祉国家/持続可能な福祉社会」といった視点にそくしながら提起していきたい、とも書かれている。

これはポランニーの言っていた「経済をエンベッドする」とかいう話にも近いかも。

第5章 自然の内発性 (103p〜)
この章の冒頭では「資本主義/ポスト資本主義」という主題を軸とするこれからの社会の構想にあたって、科学や技術のありようがその核あるいは根底に位置していることは確かだろう、とした上で、このようなテーマを考えるためには、どうしても「近代科学における自然観や生命観といった根底的な次元までさかのぼった思考が不可避となる」と書く。

次の104pに表5-1があって、そこに書かれているのは、
世界の理解に関する4つの立場
A,すべて機械論的
B.人間以外/人間 で境界
C.生命/非生命 で境界
D.すべて連続的

このそれぞれについて、説明したうえで、AとDを例に、「”機械論ですべて説明しようとしていった、人間と人間以外、あるいは生命と非生命の境界線がなくなり、新しいアミニズムに回帰していく”というのが現代の科学において生じつつある状況ではないか」とのこと。115p

続いて、近代科学には二つの軸があると広井さんは書く。
1)法則の追求ーー背景としての「自然支配」ないし「人間と自然の切断」
2)帰納的な合理性(ないし要素還元主義)――背景としての「共同体からの個人の独立」

116p

このような17世紀以来の近代科学の先にあるものを構想すべき時期に来ているというのが広井さんの主張だ。119p
 
そして、
それは反科学ではなく、上記の「二つの軸」を再考することに手がかりがあるの
ではないかと書かれている。120p

このような科学の新しい方向と、ポスト資本主義というテーマを軸とするこれからの社会の構想は互いに接続していく。この本の後半ではそのような考察が進められる。123p

後半の冒頭の節のタイトルが「経済格差と「資本主義の多様性」」であり、ジニ計数の国際比較が紹介される。127p

最近言われるように、日本はOECDのなかでも格差が大きいグループにないってしまっている。80年代までは欧州と同程度だったとのこと。128-9p

そして、若年失業率の問題の原因として”生産過剰”があげられる。これを”過剰による貧困”と呼ぶ。133p

そのような状況へ求められる対応の重要な柱として
1)過剰の抑制(富の総量に関して)
2)再配分の強化・再編(富の分配に関して)
があげられる。

1)へのシンプルな対応が労働時間の短縮である。135p
2)は次の章に


そして、近年、欧州で社会的に進められつつあるという「時間政策」という政策展開が紹介される。
時間政策とは、人々の労働時間(正確には賃労働時間)を減らし、その分を地域や家族、コミュニティ、自然、社会貢献などに関する活動にあて、つまり”時間を再配分”し、それを通じて全体としての生活の質を高めていこうとする政策 136p


ドイツにおいては「生涯労働時間口座」という仕組が90年代末から導入され、多くの企業に広がりつつある。これは、たとえば残業を有給休暇に振り返る仕組み。136ー137p

広井さんは日本では国民の休日の倍増を提案。(2001年)
これは日本人の現状や行動様式を踏まえた苦肉の策。

働いた時間分しか賃金がもらえない非常勤労働者これだけが増えた時代に、時間を減らすことの問題も同時に考える必要があるだろう。

時給でしか賃金がもらえない人に、どういう手だてがあるだろう。


142pでは「時間の流れをもう少しゆっくりにして、社会の時間が体の時間と、それほどかけ離れたものでないようにする」(本川2011)、これを広井さんは「時間環境政策」と名付ける。そのことで、エネルギーの消費も減少する。142p0

そして、ほとんどの経済指標は「単位時間当たりの」量で測られるので「経済成長率」が少し落ちるということは、「生きていくスピードをちょっとゆるめる」ということに他ならない、と書かれている。143p

144pでは「生産性」概念の見直しが言われ、「労働生産性から環境効率性」への転換が提起される。
その観点で見直したとき、これまで生産性が低いと言われてきた福祉や教育などの領域がもっとも生産性が高いことになる。

そして、それは雇用が創出しやすい分野でもある。


冒頭の読書メーターの感想で書いたように、課題はこの変化をどのように導くか、ということにあると思っていて、このあたりにもヒントがあるのではないか。

ヴェーバーを引用すると、利害という動力で動く歴史があり、ここに地球的な観点から、利益があることを明白にするというのは、そのように歴史を動かすときの鍵になるかもしれないが、やはりそこでの価値観の転換が必要とされるのかもしれない。転轍機を動かすための価値観の転換がどのような条件でどのように可能になるのか。

150pで広井さんはこうした方向への転換は市場経済に委ねていても自然には実現せず、ドイツでのエコロジー税制改革などの、それを促すための公共政策が必要であるという。
残念ながら、日本にはそのような政策を正面から掲げる国政政党はない。しいて言えば、国会議員のいない「緑の党(グリーンズ・ジャパン)がそれに近いだろうが、そこでも脱成長でまとまらないらしい。

民主党の一部にも考え方の近い議員はいそうだが、それが党の公式見解になっているかどうか、ぼくは知らない。結局、辺野古を容認したのも民主党だったし。

そういう意味では、日本におけるこのような転換がどのように可能になるのか、まだまだ課題は膨大にあると言わざるを得ないかもしれない。

ただ、いまの安倍政権の、露骨に軍事と大企業優先で人々の暮らしを省みない政策はいつまでも続かないだろう。その振り子が振り切れたときに、どこまで戻れるのかというのも、直近で与えられた課題といえるかもしれない。

話を本にもどそう
また、この直後で広井さんは、介護などの領域が概して低賃金で離職者が多いことに示されているように、市場に委ねるだけでは労働の価値が著しく低く評価され、維持できなくなるので、介護や教育の分野への公的財政での支援や、自然エネルギーに関する価格支持政策が、特に重要だという。150p

151p〜始まる第7章は分配の問題。
タイトルは「資本主義の社会化またはソーシャルな資本主義」となっていて、ここではポスト資本主義ではない。

152pには、セーフティネットのピラミッド図(図7・1)があり、一番土台の分が
A、生活保護
中段が
B,社会保障というセーフティネット
最上段が
C,雇用というセーフティネット
となっている。

ここでは、雇用もまたセーフティネットだということになっている。

そして、広井さんはBよりもAが先にあったということに注目する。

救貧法から社会保険制度、そしてケインズ主義による雇用創出という流れを資本主義の社会化、あるいは社会主義的要素の導入と呼ぶ。156p

ちょっと気になるのは、米国資本主義の恐慌からの復活はケインズ主義によってではなく、戦争によってなされたのではないかという意議論。確かに雇用や需要は人工的に作られたが、それはケインズ主義によって、というより戦争政策によって、といったほうが正確だと思う。


その上で、これからの社会システムはどうなるか、という話になる。
その重要な柱として3つあげられている。

1)「人生前半の社会保障」などを通じた人生における共通のスタートラインないし「機会の平等」の保障の強化
2)「ストックの社会保障」あるいは資産の再分配(土地・住宅・記入資産等)
3)コミュニティというセーフティネットの再活性化
157p


戦後日本の復興の前提に、戦争直後の農地改革や中学校の義務化などのスタートラインの平等化やストックの再配分政策があったのではないかと広井さんは書く。162p

そして、これまでのフローの再配分からストックの再配分が課題であり、ストックの社会保障という発想や対応が必要だという。

そして、この「ストックの社会保障≒ストックの社会化」というのは資本主義の根幹に関わる部分で、ここを変えれば、それは資本主義の修正というレベルを超えて、根幹にさかのぼったものであるとされる。155p
もうそれは資本主義とは呼べないというくらいの話で、「ポスト資本主義」というこの本のタイトルにつながるのかもしれない。

広井さんはこの資本主義の「修正」の中身は・・・「資本主義のシステムを順次”社会化”してきたーーあるいはシステムの中に”社会主義的な法を”を導入してきたーーステップでもあった、と書いている。156p

そして、「これから構想しうる(すべき)社会システムはどのようなものになるか」という問いがたてられ次の節に移る。

次の節のタイトルは
「資本主義・社会主義・エコロジーの交差
  ――システムの根幹における社会化とは」156p

  
その柱として3つがあげられている。
1)「人生前半での社会保障」等を通じた、人生における”共通のスタートライン”ないし「機械の平等」の強化

2)「ストックの社会保障」あるいは資産の再配分(土地・住宅、金融資産等)

3)コミュニティというセーフティネットの再活性化
157p


この説明で特筆すべきだと感じたのは日本における「人生前半での社会保障」をGDP比で換算するとOECD中、最下位だとのこと。161p
ま、ひとりあたりの金額でどうなのか、というのも気になるが、一人当たりGDPが大きいはずの米国以下ということなのか。


ともあれ、この議論の延長でピケティの「r(土地や金融資産からのリターン)>g(経済成長率または所得増加率)」が援用される。172p

ちなみにこの少し前で広井さんはストックの社会保障あるいは資産の再配分についてはずっと論じてきて(2009年と2011年の著作)、これは昨今注目されたピケティの「21世紀の資本」の中心テーマと重なると書いている。167-168p

さらにここで1章に続いて再び広井さんが紹介している「資本主義と市場経済」の対立というプローデルの議論も興味深い。173p



第18章のテーマは『コミュニティ経済』
ここで広井さんは
「これからの社会の構想において本質的な意味をもつテーマが2つあり、それはコミュニティとローカル
だという。177p

191p〜はドイツにおけるコミュニティ経済の様子が紹介されている。

中心街からの車の排除や座れる場所の確保、日本でも真似すればいいと思うのだが、どうなのだろう。先日、川越に行ってつくづく思ったのだが、あれだけ人が集まっているのに車を通すって、どうなのという感じだ。ただ、地元は一方通行にすることを反対していたみたいだが。

また、195p〜は「地域内循環乗数効果」という概念が紹介されている。その節の注(197-198)では「若者のローカル志向」が紹介されている。

199pの節では「福祉都市」の説明。ポイントは二つ
1、中心部からの自動車交通の排除
2、できるだけ中心部にケア付き住宅や若者・子育て世帯向けの公営住宅、保育園などを誘導

そのイメージを具体化したものとして、宮崎駿と養老孟司の対談『虫眼とアニ眼』の巻頭のイラスト

この関連で広井さんが提起しているのが「鎮守の森・自然エネルギーコミュニティ構想」202p
これを岐阜、熊本、長野、宮崎ですすめているとのこと。204p

コミュニティで循環する経済という時の経済システム全体のありかた
1)食料生産とケアはできる限りローカルな地域単位で(ローカル〜ナショナル
2)工業製品やエネルギーはより広範な地域で(ナショナル〜リージョナル
   (ただし自然エネルギーはできるだけローカルに)
3)情報はグローバルに
4)時間の消費(コミュニティや自然等にかかわる志向、ないし市場経済を超える領域)はローカルに
204p
この4)がよくわからない。なぜ、この括弧内のものを時間の消費と呼ぶのか、前に書いてあったかも。

次の説のタイトルは
【地域の「自立」とは――不等価交換と都市・農村の「持続可能な相互依存」】

この「経済の地域内循環」というテーマを考えていくために、もう一つ忘れてはならない論点が
<「地域の自立」とは一体何か>というテーマ。205p
税収が十分にあることが自立ではなく、そこの地域で使うものが持続可能な形で供給できるかどうかという視点。それが都市・農村の「持続可能な相互依存」ということになる。そのためには都市と農村の資源の「不等価交換」の問題の再考も必要となる。206p

次の節のタイトルは
<緑の福祉国家または持続可能な福祉社会>
ここで第3部のまとめにはいる。
現代の資本主義が様々なレベルの格差拡大と過剰という構造的問題を抱えているという認識から出発し、それへの対応として
(1)過剰の抑制
(2)再分配の強化・再編
(3)コミュニティ経済の展開
が挙げられる。
この3つを含んだ社会構想が、この節のタイトルである<緑の福祉国家または持続可能な福祉社会>
206-207p


それは「エコロジーと結びついた福祉国家」とか「脱成長の福祉国家」モデルとも呼べる、とのこと。そして、以下のように書かれている。
福祉国家自体がすでに資本主義と社会主義の一種の結合形態であるので、それは全体として「資本主義・社会主義・エコロジーのクロスオーバー」と把握することがさしあたり可能である。207ー208p


そして、上記の
「(3)コミュニティ経済の展開」の重要性を強調する。
その理由として、秘本主義的な「拡大・成長」ではなくむしろ「(地域内)循環」に軸足を置いたコミュニティ経済が発展していけば、それは自ずと(1)の「過剰の抑制」につながり、そこで様々な雇用やコミュニティ的なつながり等が生まれていけば、それは格差の是正にも一定寄与し、結果的に(2)の再分配の前提条件を緩和させることになるからだ、とのこと。208p

広井さんは、「これが「理想論であり、抽象的な理念」だと響くかもしれないが、ドイツやデンマークは少くとも部分的にはそれに近い姿を実現しつつある、と書いた上で、図8-2と表8-2を用いてそのイメージを示す。209-209p

その表8-2では概括的な国際比較として
1)現代思想A:ドイツ、デンマーク 分権的または脱生産的
2)現代思想B:スウェーデン 「環境近代化」(環境保全を図りつつ経済成長を極力図り、その両立をめざす
3)普通の福祉国家:フランス
4)非環境志向・非福祉国家:日米

としている。



図8ー2では縦軸にジニ計数を置き、横軸に環境パフォーマンス指数をおいて、212pでは両者の相関性を論じる。格差が少ない国は環境面のパフォーマンスも高い。それを広井さんは格差が大きい国では上昇圧力が強いので、経済成長志向になりがちで、格差が小さい国ではそうではないからではないかと説明し、同時に、どのような社会を作っていくのかというビジョンの共有の問題も関わっていると書く。日本社会にはそれがないのではないか、とも。

この8章の最後の説は「日本の位置と現在」
経済成長主義や国際関係における序列意識など、あらゆる面で日本は旧来型のモデルと世界観を引きずっていて、「アベノミクス」はその残滓の(ある意味で最後の)象徴ではないだろうか、と広井さんは主張するのだが、この整理はわかりやすい。ま、最後かどうかはわからないが、どうして、こんなに古いモデルがこの国では大手を振っているのだろうと思う。
214ー215p

222pでは <市場経済と「時間」> の関係が論じられる、
個人・共同体・自然とわけて時間軸の射程の長さと時間の流れの早さが異なるという話で、それは納得できるのだが、親の介護を例に、子が親を見るというように、それがコミュニティ的な営みであったのが市場に移り、個々の行為が断片的にしか評価されなくないので、市場価値として低く(価格が安くなる)見られる。介護従事者の離職の多く、重要であるにも関わらず、安定した雇用の場になっていないのは、根本的にはこうした構造に由来するという部分(223ー224p)は、どうかと思う。

ここは労働マーケットの問題が主要にあるのではないか、政府がつける介護保険報酬の問題もそのマーケットを無視してつけられないのではないかと思うのだが、どうなのだろう?

そこで広井さんは、その価格を政府が市場より高めに設定(公的なプライシング)し、”時間をめぐる「市場の失敗」”を是正する必要がある、という主張だ。

介護などの価値が、重んじられていないというのはその通りだと思うのだが、その話にコミュニティをからませると、よけいに分かりにくくなるような気がする。そもそも、コミュニティ中心だった農村社会で介護労働の価値はそんなに大切にされてきたのだろうか。前提として、多くの人が高齢になっても生産労働に従事できる場所があり、医療の未発達などもあり、介護労働そのものがあまり必要とされなかったのではないか。

このあたりは広井さんに聞いてみたい部分だ。

ただ、政策主導で介護料を高く設定し、それが介護従事者にまわる仕組をつくるのは必要なことだと思う。

ただ、そのロジックは広井さんが主張するような論理ではないのではないか。必要な労働に必要な人を入れるために介護報酬を引き上げるという単純なロジックでいいのではないかと考える。

この話が農産物価格の低さの話にもつなげられるのだが、そのあたりも少し分かりにくい話だ。

確かに日本の多くの農家(とりわけ米作)の収入は不当に低く、それは政策的な下支えがなくなっているからであり、それは選挙で選ばれた政府がやっていることという意味では、社会の価値観とつながっているし、介護に関わる報酬が低いことに関してもそういう面はあるだろうが、しかし、介護に関してははシンプルに人手不足を解消するというシンプルなロジックでいいように思うし、米作農家の問題も、価値観の問題に持って行くよりも主食の自給率の問題として考えた方がいいように思う。

また、232pまでのところで説明されている「一本道の科学」ではなく、「多様性」「関係性」に注目するという思考の方向性は注目したい点だ。資本主義の市場経済プラス拡大成長という社会経済システムがそのような「一本道」であり、その次が求められているという説明は納得できるものだ。


また、233pから展開されるローカル/グローバル/ユニバーサルの説明が興味深い。まず、「地域的・個別的」という意味でのローカルに対置されるものは「ユニバーサル」なのではないかとという。それは「宇宙的」で「普遍的」

そして、とりわけ「グローバル」の説明が興味深い。
ローカルとユニバーサルを橋渡しするのが、グローバルであり、
・・・すなわちそれは、地球上の地球上の各地域の個別性や文化の多様性に大きな大きな関心を向けつつ、同時にそうした多様性がいかにして生成、展開したかを、その背景や構造までさかのぼって理解するような思考の枠組みに他ならない。
 言い換えると、世界をマクドナルド的に均質化するような方向が「グローバル」なのではなく、むしろ地球上のそれぞれの地域のもつ個性や風土的・文化的多様性に一次的な関心を向けながら、上記のようにそうした多様性が生成する構造そのものを理解し、その全体を俯瞰的に把握していくことが本来の「グローバル」であるはずだ。234-235p


「地球倫理」の必要性

239pにあるのは「コスモロジカル」から「エコロジカル」という提起。
そこには「地球的公共性」と呼びうる側面も持つ、とのこと。

また、「ローカルな自然信仰とのつながり」という節がある。240p
これを「地球倫理」が要請しているもう一つのポイントだと広井さんは書くのだが、なんとなくわかるような気はするものの、曖昧模糊としている感は否めない。

そして、ようやく結語に至る。ここは印象深かったので、引用。
 突き放して見れば、21世紀は、なお限りない「拡大・成長」を志向するベクトルと、成熟そして定常化を志向するベクトルとの、深いレベルでの対立ないし”せめぎあい”の時代となるだろう。(中略)「超(スーパー)資本主義」と「ポスト資本主義」の拮抗とも呼応する。それは無数の創造の生成とともに、様々な葛藤を伴う、困難なプロセスであるに違いない。
 ・・・(略)・・・世界の持続可能性や人々の幸福という価値を基準にとった場合、定常化あるいは「持続可能な福祉社会」への道こそが、私たちが実現していくべき方向ではないか。これが本書の中心にあるメッセージである。244p



あとがきで広井さんは
「ポスト資本主義」は「資本主義の打倒!」といった意味での”革命”的な内容ではなく、「拡大・成長」から「定常化」への”静かな革命”であり、今後21世紀を通じて人々の意識や行動様式を変えていく――同時にその課程で様々な葛藤や対立も生じうる――、真にラディカル(=根底的)な変化であるだろう
、という。

そして、ドラッカーがポスト資本主義社会という本を出していることを本稿を脱稿してから知ったとして、紹介しているのだが、そこで近江商人の「三方よし」が紹介されていて、そのプレ資本主義の倫理がポスト資本主義の倫理と一定以上シンクロしていると書く。"なつかしい未来(anciant futurres)"としてのポスト資本主義。

そして、この本で十分に論じることが出来なかった話題として「貨幣」と「組織」をあげる。組織については「人口減少社会という希望」で一定、触れているとのこと。

最初に引用した直後の感想にも書いたが、ぼくがこの本でいちばん足りないのは「その移行」の主体が誰であり、その移行をどのように起こすか、あるいは起きるか、その移行をすすめるために何が有効なのか、日本社会で何ができるか、というようなことだ。この狂ったタイタニックのようなメインストリームは確実に氷山にぶつかって沈没するので、救命ボートを準備することが必要だとサティシュは言った。その答えに何か物足りなさを感じるのは「劇的な革命」が起こることを夢みていた時期があるからだろうか。いまは、そんな革命が起きることなど、なかなか夢想できないが、その変化を促すための有効な手だてを知りたいし、ターニングポイントを知りたいと思う。

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