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zoom RSS 「憲法の涙」メモ

<<   作成日時 : 2016/06/14 20:06   >>

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読書直後に読書メーターに書いたのは以下
タブーなしで論じられなければならないという趣旨と個別的自衛権は認められているというのは欺瞞だという話は理解できるが、あまり面白い本ではなかった。集団的自衛権の行使によって自衛隊員が死んだ時に、推進派はその間違いに気づくだろう(156p)と書くのだが、おそらく彼らは「殺されないより強力な軍備とか、予防的な攻撃が必要」とか言い出すのではないか。現状の政治環境の中で、自民党の改憲の動きが何をもたらすか、という点への洞察が不足しすぎていると思った。


以下、ざっくり

7-9pでは小林節の無節操さへの批判が展開される。そこは同意。
そして、この間の安保法制論議で国民的議論が深まったとは言えない、とされる。安全保障の問題が9条の解釈問題になって、その議論がなおざりにされた、という(10p)。この問題を考える人は増えたとは思うが、確かに安全保障の問題がちゃんと議論されたとは言えないかも。

著者は憲法論については護憲派の方が罪が重いと感じている。12p
それは違憲状態を存続させようとしているから。
彼のロジックで改憲派の批判もしているのだが、「護憲派のいちばんの罪は、その誠意的欺瞞を、憲法を使ってごまかそうとすることだ」と書く。13p

15pでは「非武装中立を本気で求める人は少ない」と書かれ、そういう人には「日本が武力攻撃されたらどうしますか?」とありきたりな質問をしてみたいと書く。まず、武力攻撃されないy法な環境をつくるべきというのが憲法の精神であるにもかかわらず、米国一辺倒でそのような努力がまったくされていないという現実への批判を持つ。例えば、巨額な武器に使われるお金を、その環境醸成のために使う知恵、そして外交交渉力の育成が求められているのだとぼくは思う。日本に攻撃したら、世界中を敵に回すというような環境をどう作るかが問われているのだと思う。もちろん、それは容易ではないということを承知しつつ。ま、そのような選択肢を選んだ時に一番危険な米国とどうつきあうかという難題が残っているのだが。
 そして、その上で、殺されても殺し返さないガンジーやキング牧師のような覚悟がありますか、かりにあなたにあったとしても自己犠牲を押し付けていいのか、と畳み掛ける(15-16p)。同様の話は27pでも繰り返され、絶対平和主義は尊敬に値する生き方だが、普通の人には担えないのだと主張する。
 
 そんなことを問う前に、そうさせない環境をどう作るかという努力が求められているにもかかわらず、ほとんどそこがネグレクトされているという事実の指摘を繰り返しておきたい。そして、普通の人が絶対平和主義の立場に立てるようにするための政治・外交の不断の努力が求められているはずだ。それが9条の精神であり、究極的には世界に必要とされているものであると思う。ただ、世界や時代がそれに間にあっていないという現実はある。
 
 そして、16-17pでは安倍政権は危険だという認識を示したうえで、安倍政権打倒というだけでは、日本の政治は本質的に変わらない、と指摘する。確かにそうだろう。だとしたら、どうすればいいのか、少なくとも9条をなくそうという提案でその政治が変わるとは思えない。筆者が主張するような民主主義の徹底が必要という議論は、その通りだと思うのだが、自民党の改憲プロセスが厳然として存在している中での新9条や9条削除、徴兵制の必要という提案が何をもたらすかという政治籍想像力が著者には欠如していると思う。

 で、個別的自衛権も否定されているのだという原理主義的解釈には著者は9条解釈としては正しいと書く。30p
 
 さらに37p〜原理主義的解釈を批判し、安保自衛隊は違憲だと言い続けることによって、安保・自衛隊を専守防衛の枠にとどめることができるというのを批判する。そのような「若者的純真さを偽装して主張するほうが一層効果的だ、その方が交渉に得策だ」という主張が原理主義的解釈だとして、 38pでは具体的に愛敬さんの名前を挙げて、
彼がそのように主張している、とする。この原理主義的立場を「私生児を作っておきながら、認知しない身勝手な男だ」と批判するのだが、明確なのは原理尾主義の立場に立つ人は自衛隊の父親ではなく、そこに製造責任はない。それが人間として許せない欺瞞だと口を極めて非難し、立憲主義への裏切りという点で原理主義のほうが罪が重い、その狙いは違憲状態の固定化だとまで書く。

ぼくも彼の分類だと原理主義的立場になるのだろう。ぼくはこんな風に思っている。最近FBに書いたもの。
9条、とりわけ2項の「神話」について言えば、確かに一定の影響力を持つ国で、軍隊の廃止を出来た国はありません。そもそも、この国の歴代の政権は、この9条の精神を一度も守ろうとしていなかったのではないかとさえ思います。そういう意味では「神話」のような条文です。
個別的自衛権さえ否定しているのが憲法だとぼくは思います。

しかし、そこには人類の希望が描かれているのだと思います。ぼくは問われているのはその希望をどう具体的に実現するかだと思うのです。

道は容易ではありません。世界中のどの国も実現したことがない道なのですから。軍事力を一切持たずに、交渉だけで平和な環境を作ること。そこには本当に強靭な交渉力が必要とされるでしょう。場合によってはガンジー主義者のように徹底した非暴力抵抗が必要になるかもしれません。それでも、軍隊をもたいない国になるということを世界の民衆を仲間にすることで獲得しなければならない、という話ですから、これは確かに「神話」のような話です。

それでも、それを選択するというのは、人として生きるということへの希望を捨てないという、もう宗教のようなものかもしれない、とさえ思いますし、ぼくはそれでいいのだと思っています。

これを欺瞞と呼ぶのであれば呼んでくださいって感じだなぁ。

9条削除の話はもういいのでカット

そして、51pでは、自衛隊や安保に反対する運動がないって書かれていて、確かにそんな風に見えるのだろうな、と思った。
53pでは、安保がなくなると巨大な政治リスクが生じるが、そのリスクを承知で安保破棄を呼びかけるなら、賛同はしないが敬意を払うと書いている。その場合も「9条を守れ」はいらないとも書いているが、そんなことはないなぁ。

64pでは新9条論や著者の9条削除の主張と従来の護憲は「内部矛盾」ではないと書く。これも心が狭いんじゃないかとぼくは思う。


で、最後の方まで飛んで、154pに書いてある、タイトル「民主主義の学校」これが必要だというのはすごく合意するんだけど、現状の政治力学の中で自民党が3分の2の議席をとって改憲を発議して、こく国民投票になることがいいとは思えない。そもそも自民党は改憲という争点を隠して今度の参議院選挙を戦って、うまく3分の2がとれたら、国民投票に持って行って、おそらくそこでも無関心につけこんで勝てると思っているようだ。そんなに正しさを主張するなら、国民投票で勝てばいいじゃないか、そこから逃げるのはずるいんじゃないか、というのが著者の主張なのだろう。それは、ある意味、ずるいと言われてもしょうがない側面もあるかもしれない。しかし、これだけの政治的なアパシーを醸成させたうえで、自民党の改憲草案みたいなものを見せられて、国民投票に向かうのはリスクが高すぎる。政治の討論ができる土壌が準備される必要がある。熟議が成立するための準備と呼んでもいいかもしれない。その上で、の国民投票をというのならば、それは受けて立つしかないと思う。

で、直後に書いたメモにあるように156pには、集団自衛権の行使で自衛隊員が多数殺され、他国人を殺してしまってから安倍さんを支持した人は気づくかもしれない、そんな愚行を行う権利がある。と著者は書く。そんな愚行は最大限避けたいとぼくは思う。


それにしても、なんでこんな本がそれなりに売れてるのかよくわからない。


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