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zoom RSS 「いのちは自分のものではない」メモ

<<   作成日時 : 2016/06/17 07:37   >>

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「いのちは自分のものではない」メモ

高史明(コサミョン)の言葉―いのちは自分のものではない (「生きる言葉」シリーズ) [単行本]

読書メーターに書いたメモ
「文字の数はとても少ない。しかし深い(ような気はする) 」



Twitterがきっかけで、
「星の王子さま」について、高史明(コサミョン)さんがブックレットに書いていた文章が好きだったことを思い出した。
でも、そのブックレットが出てこない。

たぶん以下のブックレットだと思う。
〜〜〜
前夜ブックレット1

「戦後」とは何だったのか

高史明 中西新太郎 清末愛砂 菊池恵介 高橋哲哉 著
季刊『前夜』編集委員会 編
◆高史明(作家) 深い闇の淵に立って――日本近代への問い
◆会場からの質問に応えて
A5変型判80頁  ●2005年7月9日発行●
http://www.ccp14.ac.uk/ccp/web-mirrors/rietan/magazine/Booklet.html 
〜〜〜〜
読み返したいのだけど、見つからず、購入もできず、古本も売っていない。PDFとかで公開してくれないかなぁ。


このブックレットを探してる過程で出てきて借りたのがこの本。

『いのちは自分のものではない』

目次は

序 章 暗闇のただ中で
第1章 誕生―うぶ声をおぼえているかい?
第2章 自我―「自分」とは何でしょう
第3章 いのち―いのちは自分のものではない
第4章 死―人間はみんな死を恐れる


詩集のような文字組の本。



第2章 自我―「自分」とは何でしょう

『星の王子さま』について、この本で引用されているのが以下の部分。
きっとどこかにあるだろうと思って探したら、やっぱりあった。
内藤濯訳
 おとなというものは、数字が好きです。新しくできた友だちの話をするとき、おとなの人は、かんじんなことはききません。〈どんな声の人?〉とか、〈どんな遊びがすき?〉とか、〈ちょうの採集する人?〉とかいうようなことは、てんできかずに、〈その人、いくつ?〉とか、〈きょうだいは、なん人いますか〉とか、〈目方はどのくらい?〉とか、〈おとうさんは、どのくらいお金をとっていますか〉とかいうようなことをきくのです。そして、やっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。
http://ww5.tiki.ne.jp/~gakurou/library/hsnoj0.html

星の王子さまミュージアム主催の翻訳コンテストでは、こんなのも
大人のひとたちは、数字てものが好きで、きみたちが彼らに新しくできた友達の話をしたって、決して一番大事なコトは尋ねたりしません。大人のひとたちは<<そのお友だちはどんな声でしゃべるの?どんな遊びが好きなの?その子は蝶蝶集めをするの?>>なんて、けっしてこんなことは言わずに、彼らはきみたちにこう尋ねるんです<<その子は何才なの?兄弟は何人いるんだろう?体重はいくつくらい?その子のお父さんはどれくらいかせぐの?>>そして、それだけで彼らはその友達のことを知った気になります。
http://www.tbs.co.jp/lepetitprince/tr04_20.html


そして、コサミョンさんはこんなふうに書く。 
大人のひとは、その意識もなく何時しか数の勘定に夢中になっているのでした。

人間は数字を操りながら、その意識もなく数字に操られるのでした。
「数」という、いのちのない世界に巻き込まれてしまうのです。
74-75p


「星たちに耳をすます」とサン=テグジュペリは書きます。

星たちに耳をすますこともできるのです。

そのとき人間は、夜空に瞬く満天の星が鈴の音色を響かせていることに気づくのではないでしょうか。
きっとその鈴の音は、とても不思議な響きをしているに違いありません。

サン=テグジュペリの飛行士は、まさに満天の星たちと一体となっているのでした。共に生きているといってもいい。

今日の私たちには、この感性が希薄なのでした。

それどころか、夜空の星を見つめる機会すら、よほど希薄になっていると思います。
 79-82p抜粋

続いてコサミョンさんはサン=テグジュペリの『人間の土地』にある遭難体験を紹介し、こんなふうに書く。
人間は大地とのつながりに立っています。
ときには足の裏を意識してみてください。


また、コサミョンさんは、「死にたい」といってきた女の子の頭に手を置いて聞きます。

「死にたいって――、君のどこがいっているんだい。ここかい?」
女の子はこくりとうなずきます。
・・・
「君が死ねば、手も足もぜんぶ死ぬんだよね。手に相談してみたかい?――」
・・・
「足をきれいに洗って、足の裏には、とくに念入りに相談してもいいと思う。
人間は大きくなると、何事も頭が中心になって足の裏のことなんか忘れてしまうんだ。しかし、その頭の重みもいれて、君の全身を支えているのは足の裏だろう。死ぬかどうかの一大事だ。足の裏をきれいに洗って、賛成かどうか足の裏の意見を聞いて欲しいな」
・・・・・
数ヵ月後、風船が便箋いっぱいにかかれた手紙が届く。
「なんだ――いたずらか――」と呟いたコサミョンさんに「亡き子の母親」(本には括弧はない)が足の裏じゃないかと気づく。そ足の裏に書いてあったのは
「足の裏の声が聞こえてくるまで、歩きつづけます」
 100-103p(一部要約)
〜〜〜〜


第3章 いのち―いのちは自分のものではない


冒頭部分引用 

人間と地球が引き裂かれています。


人間中心の知恵は、まさに人間を自然の制服者にし、主人にしているのです。ここに人間と自然が分裂し、こころと身体が裂かれてゆくもとがあります。


私たちの今日の暮らしは方とは、まさにこの人間中心の知恵の闇の現れです、
いまその知恵が根本的に問われています。
どうすれば、人間と地球のほんとうの「いのち」の交響曲を聴くことができるのでしょうか。


耳をすませば、とても身近なところからも聞こえてきます。
たとえば、それは一杯のご飯からも。

106-109p
 たったこれだけの文字が4p使って書かれている。でも、それが不思議と心地いい。


続けて、一杯のご飯の数を数えた子どもの話、それは一株の稲穂に実る米の数。sこからイメージされる、お日さまの縁、水の縁、土の縁、お百姓さんの縁、雑草の縁。そぢtr、虫たちの縁。
それはいのちの「縁」の広だりだとコサミョンさんは書く。
120-121p


第4章 死―人間はみんな死を恐れる




人間は死が分かったつもり、そして「生」もまた、わかったつもりの生を生きているのです。


何もかも自分中心です。


しかし、その「自分」には、自分で自分が信じられない闇が潜んでいたのです。


ほんものが見えなくなり、なにもかもが見かけに終わって、本当の人間関係がなくなっているかのように感じられます。人間の危機は、今日、歴史上もっとも深くなっているのではないか。

167-170p



何回も味わえる本だと思う。いつか買おう。

 

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