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zoom RSS 『原爆体験と戦後日本』メモ

<<   作成日時 : 2016/06/28 21:33   >>

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岩波のサイトから
1945年8月に広島と長崎で原爆の被害を受け生き延びた人々は,医科学,法制度,社会・平和運動などの様々な言説群に媒介されながら「被爆者」として主体化していった.その中で何が原爆体験として記憶され,あるいは忘却されていったのか.被爆者たちの戦後史をたどりながら,かれらの体験や記憶の継承の可能性を考える.



著者からのメッセージ

 本書の冒頭で,戦争体験の継承という問題設定の前提が若い世代には共有されておらず,体験世代が世を去るとともに体験は風化してしまう可能性が高いと示唆した.しかし,継承すべき体験が何であるのかを今一度考えてみることで,別の可能性が開けてくる.
 現在まで,被爆体験は被爆者の所有物であるという前提で議論が進められてきた.だから,被爆者の高齢化によって体験の風化が加速すると懸念されてきたのである.しかし,原爆被爆体験も被爆者という主体性も戦後日本における言説活動の所産であり,原爆被爆体験は被爆者の所有物では必ずしもないことは,本書で示してきた通りである.
 さらに,「被爆体験の継承」という問題意識のもとで語られる「被爆体験」とは,原爆に遭った体験そのものではない.当たり前だといわれるかもしれないが,そうだろうか.原爆の被害に遭うという体験を他の誰にもさせないためにこそ「被爆体験の継承」がうたわれてきた.つまり,「被爆体験の継承」といわれるときの「被爆体験」とは,被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない」という信念を導き出した,その体験を指す言葉だといえる.そうだとすると,「被爆体験」は被爆者とその同伴者とによって形成されたものだということになる.つまり,継承されるべき「被爆体験」は,被爆者と被爆者でない者との共同作業の果実なのであり,被爆者から非被爆者に受け継がれるべきものでは,そもそもないのである.「被爆体験の継承」とは,被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次代に引き継ぐことを指すのである.
――「終章」より



目 次

序章 被爆体験の継承と戦後日本――「体験」から「記憶」へ

第一部 原爆体験と被爆者の間――体験と主体の境界線

第一章 原爆体験の成立――同心円の想像力と「被爆」の意味作用
第二章 「被爆者」の誕生と原爆被害の広がり

第二部 被爆の記憶と戦後日本

第三章 「平和」と「原爆」の間――「平和のための原爆」から「平和のための反原爆」へ
第四章 被爆ナショナリズムと「共感の共同体」の裂け目

第三部 生き残りたちの原爆後――死者の記憶と原爆体験

第五章 物語を求めて――残されし者の哀切と負い目
第六章 つかみ損ねた体験の痕跡――トラウマとしての原爆体験
終章 被爆の記憶を引き継ぐために

あとがき
分析対象手記一覧



直後に読書メーターに書いたメモ
すごくざっくり斜め読みした。メモも書ければ書きたいがどうなるかわからない。被爆者による原爆の絵のことがたくさん取り上げられている。丸木の「原爆の図」についても1行、言及されてるのは見つけた。



序章 被爆体験の継承と戦後日本――「体験」から「記憶」
・・・「戦争体験の継承」を論じるにあたって、「同じ過ちを繰り返さないために」という目的は変わらないとしても、アジア太平洋戦争後の日本では、「過ち」の捉え方が以前とは異なっていた。戦争体験を被害体験として捉えて非武装・反戦平和の教訓を引き出そうとするという点において、戦後日本における「戦争体験の継承」という問題意識は、長い人類の歴史のなかでは例外的なものなのである。4p


被爆者であることと「反核・平和」の理念を信奉することの間に必然的な相関関係はない。原爆による被害を受けたからこそ、核兵器による報復を支持することは論理的に十分ありうるし、海外での証言活動において「なぜ核武装して再発防止に努めないのか」と被爆者が問われることもある。戦争体験が反戦思想や非武装平和主義と結びつくのは、戦後日本における戦争の集合的記憶の形成によるものであって、原爆に遭った体験が核兵器反対の立場に帰結すると当然視されるのも、戦後日本における言説活動の所産なのである。5-6p


50年代半ばに成立した国民的な(被害者意識を基盤とした連帯としての)被爆の記憶は、かつてほどの強度は持ち合わせてはいないにせよ、原爆を想起する際に参照する枠組みとして今でも有効 6p


以下はかなり要約し抜粋
〜〜〜
こうした記憶の在り方は「被爆ナショナリズム」として批判されてきた。・・・。植民地暴力を受けた人びとに対する正義の回復を妨げていると問題提起したところにこの批判の意義はある。しかし、それと同時に著者は、近年の「被爆ナショナリズム」批判の糾弾の一面性を批判する。それが日本国家を批判する際に用いられてきた歴史を見ようとしていない、と。 そうではなく、「被爆ナショナリズム」による連帯感や運動がどのような可能性を拓き、どんな可能性を閉ざしてきたのか、そしてその結果何が起こったのかを検討に踏むめ批判を行うべきだろう、と提起している。 7p
〜〜〜

原爆の体験を分析の対象とするが、「体験」ではなく「記憶」という概念を中心に据える(10p)、と著者は書いているが、本のタイトルは『原爆体験と戦後日本」



第三章 「平和」と「原爆」の間――「平和のための原爆」から「平和のための反原爆」へ
終戦の要因を原爆に帰した「終戦の詔勅」も、平和国家建設への呼びかけも、天皇の戦争責任を免罪し、その地位を利用しようとした米国の占領方針に合致するものであった。「平和国家」として日本を復興させるという米国の東アジア統治戦略のもと、原爆平和招来論は、原爆投下という米国による国際法違反の暴力行使と天皇の戦争責任を互いに無罪放免とする、日米合作のナラティブとして機能したのである。75p


「終戦の詔勅」がどこまで、その後の日米合作を意識して書かれたか、ぼくは知らないが、直野さんが書いているように、その後の物語(「原爆投下という米国による国際法違反の暴力行使と天皇の戦争責任を互いに無罪放免とする日米合作のナラティブ」という指摘はわかりやすい構図ではある。歴史はそのように進んだように思える。そして、昭和天皇の戦争責任はいまだに公的に認められず、米国も原爆投下を反省しないまま、今日に至っている。いつになったら、この欺瞞を反転させることができるのだろう。
〜〜〜〜
この部分をFBに転載して、以下のコメントをもらった。
〜〜〜
知り合いの歴史研究者のコメントから
こういう一般的な指摘は特に直野さんの本の独自な点ではないと思います。あの本の意義は、やはり、被団協(に代表される被爆者)の思想をきちんと位置づけたことと、トラウマ論の検証+被爆者の証言(としての絵画)への援用分析だと思います。但し、一冊の本のなかでその両者が結びついているとは、必ずしも言えないけれど・・・というようなことを書評で書いたのですが、・・・


それへのぼくのコメントは
いやね、明確な表現でわかりやすく整理されてるので、あとで使えるかなぁと。研究者の**さんの視点では、上記のような感想になるのだろうなと気づきました。

〜〜〜
さらにコメント
〜〜〜
そうですね、もちろん、一般的なことを改めて明確に整理してくれているのは、読むほうも頭の整理になるし、助かりますね。どうぞ、めげずに、読み進めて、感想を聞かせてください。

というわけで、これに励まされて最後までメモを書いた。


で、このすぐ後に書かれているように
原爆をめぐって語られる「平和」は、必然的に反原爆と結びつくわけではなく、むしろ、戦争責任を否認する日米のエリートの共犯関係を覆い隠してきた。75p
わけだ。

81pに紹介されている倉本順美江さんの8月6日の「平和祭」への思いも痛切だ。


第四章 被爆ナショナリズムと「共感の共同体」の裂け目

108-109pには「遭うたもん」の絶望、そして、「遭うてみればいい」という、その後の原爆をめぐる語りではほとんど聞かれなくなった表現が紹介される。

この部分で引用されている、大田洋子の文章も興味深い。そして「夕凪の街と人と」で盲目の被爆者に語らせたセリフもここで引用されている。この落としたもの、そして、それを利用したものへのストレートな怒りがこうの史代の「夕凪の街」にも引き継がれているのだろう。かなりマイルドにされてはいるが根っこのところに同じものがあるのではないかと感じる。

112-113pでは以下のような記述がある。
 被団協が「国民運動」を展開していく時期は、非核三原則の宣言(68年)や首相の平和式典参加(71年)などを通して「被爆ナショナリズム」が制度化され始めていた。国家エリートたちは「唯一の被爆国」を標榜して国民を懐柔しようとしながら、実際には、米国の核戦略の一端を担って、沖縄住民に対する米軍の暴力を容認しつつ、独自の核兵器開発も目論んでいた。それに対して、被爆地自治体、被団協をはじめとする運動体、リベラルな知識人やジャーナリストたちは「唯一の被爆国」を掲げることで政府の二枚舌を批判しながら、被爆者に対する国家補償制度の制定と核兵器禁止の制度化を要求した。「被爆ナショナリズム」は、「上からのナショナリズム」としても「下からのナショナリズム」としても作動したのである。
 しかし、たとえば国家に対する責任追及を含んでいたとしても、「被爆ナショナリズム」は根本的な国家批判とはなりえない。責任を追及する主体が国民として統合されてしまい、「非国民」に対して行使される国家暴力ーー特に植民地暴力ーーを見逃してしまうからである。

直野さんはこのように書いた後に「3、被爆の記憶と植民地暴力の痕跡」として、被害者全体の5〜10%を占めるといわれる朝鮮人被爆者に言及し、日本における原爆の集合的記憶は、それを忘却することで成立しており、現在に至るまでそれが大きく変化することはなかったと書き、その記録について詳述する。113〜128p

そして、次の「4、同心円的な想像力を越えて」という節で朝鮮人被爆者の存在が言説上に姿を現したのは原爆投下から20年を経てからであると彼らは「反核・平和」の主体としてではなく、日本の植民地責任を追及する主体として立ち現れ、被爆の記憶に植民地暴力の痕跡を刻み込むことで、原爆体験に基づく共同性が幻想でしかないことを突きつけたのだ、というのが直野さんの見立てとなる。
 ちなみにこの節のタイトルである「同心円的な想像力」だが、以下のような説明がある。
原爆被害者が「被爆者市民」から「日本人」へと同心円状につながる共同体の成員として「原水爆禁止」を訴える主体となることで、共同体の亀裂を証言する語りは「遭うたもんにしかわからん」という言葉のなかに閉じていった。なかでも朝鮮人原爆被害者は「反核・平和」の証言者として主体化されることなく・・・
とあるのだが、<「遭うたもんにしかわからん」という言葉のなかに閉じ>というのが、よくわからない。朝鮮人は「遭うたもん」ではないか。そのロジックで彼らを排除できるわけがないと思うのだが、どうしてこうなるのだろう。

20年を経たというのはちょうど日韓条約の年で、日韓の合意で日本の植民地暴力の希薄化が日韓のエリートたちによって画策され、それが条約になった年でもある。そして、ぼくの印象では、その植民地暴力への対抗言説が明確に主張され運動として取り組まれ始めたのは、それからさらに10年以上経てからではないかと思う。それが運動として、いつ成立したのかという記述はこのあたりには見あたらなかった。というのは、記録されるようになったということと、運動として主張されるようになったということの間に時間がかかるのではないか、そして、その期間というのもそれなりに意味があるのではないかと思ったからなのだった。


ともあれ、このような同心円状の記録の編成に挑戦した作品として、関千枝子さんの「広島第二県女二年西組」が紹介される。129p
ここでは国民という物語や「爆心地からの距離」という尺度に解消されず、被爆者一人ひとりのかけがえのなさを浮かび上がらせることに成功していると直野さんは高く評価し、冨山一郎や成田龍一も同様だとしている。

事情があって、飛ぶ。どうして、こんなことを書いたか思い出せないけど、たぶん、たいした事情じゃなくて、図書館の本を返すとかその程度のことだろう。

第三部 生き残りたちの原爆後――死者の記憶と原爆体験

第六章 つかみ損ねた体験の痕跡――トラウマとしての原爆体験

3 トラウマという臨界領域
・・・原爆がつくりだした<地獄>からの生還は、日々を生きながら「地獄絵」に捉われることであり、見慣れた日常に突如として「あの世」が侵入するということである。
 このように日常と<地獄>という二つの意世界の臨界領域で生きるのは、原爆の生き残りに限られるわけではいないことが、トラウマ研究で明らかに・・・。・・・マイケル・ロスバーグによると、生存者のトラウマは、ホロコーストという極限的な出来事そのものにあるわけではない。むしろ、本来別々のものであるはずの日常生活と「極限状態」が並存するという事態こそが、生存者にトラウマをもたらし、日常世界の理解の枠組みを揺るがしてしまうのだという。・・・カルースが「トラウマの本質は、死に直面したことにあるのではなく、われ知らずのうちにその危機を生き延びてしまったことにある」と指摘する通りなのである。199p

〜〜〜

4 トラウマの表現

そして、そのトラウマの表現の困難を指摘した後で丸木の「原爆の図」が以下のように使われる。
 表象の困難は「原爆の絵」の作者たちが素人だからという技法的な問題ではない。丸木位里・丸木俊作の「原爆の図」も、体験者たちからは「きれいすぎる」と評されている。203p

しかし、同時に体験者からは、よくぞ書いてくれたという評価もあったことは美術館関係者として、付け足しておこう。


そして、リフトンの二つの人格を統合することが生き残りの再生にとって重要であるという主張を紹介した後で、この4節は以下のように閉じられる。
60年という長い年月が経ってさえなお<地獄>の陰が消え去ることはないのであるから、人間が人間でなくなった<セカイ>から生還した者は、「新人間」として生きる他なく、元の「人間」に戻ることはないのだろう。205p


5 「人間」を取り戻す

この節がこの章の最後に置かれていて、その結語部分。
 <セカイ>を生き延びた者は「新人間」として生きる他ないのかもしれない。しかし、「新人間」としての生は「生きながらの死」とは違う。砕け散った自己のかけらを拾い集めて新たにつなぎ合わせながら、生き残りは体験を証言してきた。証言という行為を通して、死者を抱きしめながら、人間性を回復していったのである。それは、証言に耳を傾ける他者なくしては、成し得ないことであった。たとえ、遭った者にしかわからないことであっても、<原爆後>を語る言葉は他者に向けて送り届けられてきたのである。215p


終章 被爆の記憶を引き継ぐために

この終章の冒頭あたりでの被爆者と反核平和運動の記述は明確でわかりやすい。
多少要約して抜粋。
 
 被爆者が言葉を発することが容易ではなかった戦後。それが変化していくのは<地獄>の惨状についてだけでなく、その後の苦悩や痛みについて、耳を傾けてくれる聞き手が現れ、語り合う場が開かれてゆくことによって。(ここで「語る場」ではなく「語り合う場」と書かれていることを見逃してはいけないだろう。)
 
 敗戦後の日本において、被害者意識に基づく戦争の記憶が厭戦感情や平和擁護の訴えと結びつけられながら形成。冷戦の激化、戦争への危機感から、原爆体験の証言は「反核・平和」の訴えとして受け止められるようになった。原水爆禁止運動の広がりによって、被爆者は「三度におよぶ原水爆の被害を受けた日本」という被害者共同体の代表として平和を訴えるよう主体化された。しかし、病気と貧困の悪循環に苦しみ、いつ訪れるかわからない原爆症の恐怖に怯えつつ偏見と差別にさらされながら生きる被爆者の現状が理解されたわけではなかった。218p


2000万というすごい数の署名をあつめたあの運動があって、なお、社会は被爆者に対する差別と偏見に満ちていたということなのだろうう。
そして、原水爆禁止運動を契機として、被爆者たちが自らを組織し、償いを求める運動の展開が開始されたとのこと。218ー219p



220pには以下のように書かれている。
〜〜〜
「遭うたもんにしかわからん」という言葉は、体験した者にしかわからない、という孤独感だけを表現してきたわけではない。それが絶望や拒絶の言葉であったとしても、言葉が発せられたというその事実に、誰かに言葉を届けたいという願い――たとえ、わずかであったとしても――を感じることができるからである。
                          
ふと思った。「拒絶します」という宣言には「願い」があるのだろうか。


この本の冒頭で戦争体験の風化してしまう可能性が高いと示唆したと記述し、「しかし、継承すべき体験が何であるのかを今一度考えてみることで、別の可能性が開けてくる」と直野さんはいう。231p

そして、「被爆体験の継承」に関する以下の記述が興味深い。(多少要約)
「被爆体験の継承」という問題意識のもとで語られる「被爆体験」とは、原爆に遭った体験そのものではない。・・・その体験を他の誰にもさせないためにこそ「被爆体験の継承」がうたわれてきた。つまり、「被爆体験の継承」といわれるときの「被爆体験」とは、被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない」という信念を導き出したその体験を指す言葉である。
221p

ぼくみたいに不注意な人間にはちょっと読み飛ばすと難しい文章でもある。
【原爆に遭った体験そのもの】と【被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない」という信念を導き出したその体験】
この両者の違いは何か。直野さんは戦後の特定の文脈の中で【被爆者が「ふたたび被爆者をつくらない」という信念が導き出された】と書くのだが、明らかなのはその文脈を必要とする聞き手が存在するということだ。だから、これに続けて直野さんは以下のように書く。つまり、継承すべき「被爆体験」は、被爆者と被爆者ではない者との共同作業の果実なのであり、被爆者から非被爆者に受け継がれるべきおのではそもそおないのである。「被爆体験の継承」は被爆者が同伴者とともに築いてきた理念を次世代に引き継ぐことを指すのである。221p

さらに続けて、直野さんは被爆者に残された時間を思うと、今までのような形で「被爆体験」を作っていくことは難しく、今日の日本において「ふたたび被爆者をつくらない」という理念を引き継ごうとする者もそう多くはない、その点で「被爆体験の継承」は難しいのだが、悲観的になることはない、という。

「残念ながら」と直野さんは書いていないが、「核時代は当分終わらない」それは(ヒロシマ・ナガサキの)被爆者がいなくなったあとまで続きそうだ。そんな核時代であれば、原爆体験の記憶は形成され続けるだろう。証言や被爆者運動の記録など「被爆体験」が形成されてきた軌跡に触れることで「被爆体験」が想起され、まだ見ぬ未来の創造を志す人びとに受け継がれるかもしれない。日本では難しかったとしても、紛争地の子どもたちには「被爆体験」の歴史が胸に響くだろう。「被爆ナショナリズム」を超えたところにこそ、その可能性があるかもしれない。と直野さんは主張し、この本の最後にはこんな風に書いて閉じる。
 新たな被爆者が生みだされかねない可能性とともに、私たちはしばらくの間、生きていかざるを得ないだろう。被爆者とその同伴者たちが残してくれた「遺産」の行方は、未来に委ねられているのである。222p

〜〜〜
ぼくはこの結語に瞬間的にちょっと物足りなさを感じ、そして「待てよ」と思った。この時代に、彼女の世代で直野さんほど同伴している人はそんなに多くはないのではないか。だとしたら、その同伴者としてもっと語っていい、語る権利が彼女にはあるのではないか、とそんな風に感じさせてこの本は閉じるのだが、ここに続く大量の註や分析対象一覧も興味深い。そして、その註と分析対象一覧に挟まれた「あとがき」をぼくは見落としていたのだけれども、ここに謝辞とともに彼女のかなり強固な(と思える)決意が述べられていた。



あいかわらず無駄に長いなぁ



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