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zoom RSS 「優生学の歴史と日本社会の今とこれから」(市野川容孝さん)PARCでの講座感想

<<   作成日時 : 2017/06/17 06:21   >>

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【2017年度PARC自由学校講座のご案内】
No.6 殺されない・殺させない社会のために
   ──相模原障害者殺傷事件が突きつけた課題を考える
という自由学校の講座受講中。

昨夜は以下
6/16(金) 優生学の歴史と日本社会の今とこれから
      市野川容孝(東京大学大学院総合文化研究科 教授)
 19世紀末に生まれた優生学の歴史をふりかえりつつ、日本社会の今とこれからを考えます。
◎主著:『優生学と人間社会─生命科学の世紀はどこへ向かうのか』(共著)講談社現代新書 2000/『障害学への招待』(共著)明石書店 1999 
◎参考文献:優生手術に対する謝罪を求める会 (編) 『優生保護法が犯した罪─子どもをもつことを奪われた人々の証言』現代書館 2003
https://www.facebook.com/parcfs/posts/1331940143561726:0

市野川さんはけっこう古い知り合いでもある。
『現代思想2016年10月号緊急特集=相模原障害者殺傷事件』には『反ニーチェ』という文章を書いている。簡単な感想は http://tu-ta.at.webry.info/201611/article_2.html でも書いているが、昨夜の話を聞いて、読み取れていなかった部分がたくさんあったことに気が付いて、書き足したいと思った。
また、『福祉労働153号』相模原・障害者施設殺傷事件特集には
社会的殺人 「母よ!殺すな」の先にあるもの』という文章を書いている。

以下、昨日の感想。(フェイスブックに書いたもの)
〜〜〜
市野川さんはこの日の話を、この事件に関する二つの刺さった発言の話から始めた。
一つは渡邊琢さんの追悼集会でのメッセージ、特に以下の部分
事件そのものは犯人が起こしたものだが、重度障害者が地域社会でなく施設でしか生きることができない社会をつくってきたのは、わたしたち一人ひとりである。
厳しい言葉でいえば、今まで見捨てておいて、今さら追悼するのは遅いのではないか。
なぜ、亡くなる前にわたしたちはかれらとつながることができなかったのか。
なぜ、施設に入る前に、地域で生き続けることを支援することができなかったのか。
今、成人の知的障害者の5人に一人は、入所施設に入っている。実数でいえば11万人。
真の意味での追悼は、社会的に忘却されている方々とつながりをつくるところからはじまるのではないだろうか。

もう一つはあの青年の
「事件を起こした自分に社会が賛同してくれるはずだった」
という発言。

市野川さんはこの渡邊琢さんの「今さら追悼するのは遅いのでは」という発言を受けて社会が事件を起こしたという側面を強調する。「立岩真也さんは『本気で面と向かって怒れ』と書いているが」とぼくが質問したら、市野川さんは自分に怒る資格があるのかと思ってしまっているようだ。ぼくは立岩さんの考え方に近くて、資格があろうがなかろうが「面と向かって本気で怒」ったほうがいいと思った。そんなに簡単ではないけれども。

また、市野川さんはこの犯罪を起こした青年の考え方はニーチェやシンガーの考え方の延長線上にあるという。現代思想は何故それらを持ち上げるのか、と怒る。

大きな論点は「社会は彼を承認したのか」というところにあるのではないかと思った。
確かに日本社会は殺された人たちを含む多くの重度障害者を地域で住めないと言って、見えない場所に追いやっている。
見えない場所に追いやることと殺すことの違いをちゃんと見ていくべきではないかと思った。
社会は彼らを施設に追いやることを承認しているが、殺すことまでは承認していない。そして、施設に追いやることを承認するという部分は動きつつある。そう、社会は変わる、変えなければならない。

市野川さんが現代思想の事件の特集号で書いていたのだが、障害者の排除、施設への隔離を正当化するために「愛」とかいう言葉も動員される。憎悪ではなく愛が差別を生んでいるという青い芝の思想を紹介し、だから難しいのだと。
愛による排除と憎悪(ヘイト)の関係をどうとらえたらいいのだろう。

ともあれ、いろいろ興味深い講座だった。
優生思想はヒトラーやナチスとだけ親和性があるのではなく、福祉国家と親和性があることを強調し、NHKがナチスのT4計画についての番組でその非道さのみを強調し、いまとつながる側面が弱かったのではないかという指摘。
優生思想がナチス(ゲッペルス)が障害者を殺すことを正当化するために作った『私は訴える』という映画で使われているロジックが、現在、尊厳死を求める人たちのロジックと全く同じであること。
この『私は訴える』という映画を見てみたいと思った。以前はユーチューブで見ることができたが、DVDが発売されて、ユーチューブでは見ることができなくなったとのこと。

また、その青年を死刑にしてしまうことは「生きるに値しない命がある」という青年の思想を正当化することになってしまうのではないかとという話も興味深かった。彼が死刑にならなければ、「障害者の命が軽んじられた」という批判が起きるかもしれないが、そのねじれを超えて、やはり「殺してはいけない」と主張することが大事なのではないかと思ったのだった。そして、あの青年には、なぜ、やまゆりにいた人たちを殺すべきだと思うに至ったのかということを死ぬまで考え続けて欲しいし、それを明らかにするように弁護団も手伝ってほしいと思う。どんな弁護士がついているのか知らないけれども。

終了後、市野川さんと飲めなかったのが残念だった。

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