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zoom RSS 『分断社会を終わらせる』メモ

<<   作成日時 : 2017/07/18 21:04   >>

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脱成長meeting
http://umininaru.raindrop.jp/datsuseichou/tuo_cheng_zhangmitingu/di13hui_kai_cui_jiang_zuo.html
で井出さんの話をとりあげるというので読んでみた。

分断社会を終わらせる
「だれもが受益者」という財政戦略 (筑摩選書)
井手 英策 ・古市 将人・ 宮崎 雅人 著
この執筆分担については何も書かれていない。


簡単な紹介はここ(民進党国会議員で元官僚からトヨタという経歴の岸本周平さんによる書評)
http://blogos.com/article/156797/  最後にちょっと掲載

井出さん、研究者なのに民進党に肩入れ、という話は、民進党党大会の挨拶 https://www.minshin.or.jp/article/111330 の中で、語られている。けっこう熱いメッセージだ。「本気で誘ってくれる人がいて」と強調してるのだけど、他の党の人に誘われてたら、どうだったのだろう?明確な民進党支持という選択がこの政策を実現させるにあたって、プラスなのかどうかも微妙。


『月刊日本』編集部2016年10月31日
いかにして「分断社会」を終わらせるか - 井手英策
http://blogos.com/article/196222/
ここで途中まで読める。
(100円で購入して最後まで読めるらしいのだが、うまく購入できなかった)

カバー袖の文章
他人に対して冷淡で不機嫌な社会――。それが今の日本だ。
世代間、地域間、性別間、所得階層間それぞれの対立が深刻化し、
私たちはバラバラな存在へと追いやられている。永続的な経済成長をあてにする勤労国家レジームが、こうした状況を生み出した。本書は分断社会を終わらせるべく、すべての人の基礎的ニーズを満たすという「必要原理」に基づく財政戦略を提唱。
暮らしの安全の実現が、格差是正と経済成長を実現させると説く。来るべき未来を構想する、希望の書である。
これが袖の文章なのだが、経済成長をあてにすることの問題がこの本には記載されており、この袖の文章の最後の部分は適当と言えるだろうか?っていうか、この本、経済成長はもうあてにできないという話と、分断社会を克服できれば経済成長ができるという話が未整理に終わっているように感じた。

また、アマゾンに掲載されている文章はこの袖の文章とかなり似ているが、少し異なる。
内容紹介
誰かが得をしている?

相互不信が渦巻くこの社会で、私たちはズタズタに分断されている。

世代間、地域間、性別間、所得階層間それぞれの対立が深刻化し、
バラバラな存在へと追いやられているのだ。

なぜか? どうすればいいのか?

分断社会を終わらせるべく、
すべての人の基礎的ニーズを満たすという「必要原理」に基づく
財政戦略を提唱。

来るべき未来を構想する、希望の書!


 この本、ぼくにはとても興味深かった。知り合いから、井出さんの議論への厳しい批判を教えてもらったが、その批判を聴いたうえでなお、新しいものを感じたのだが、もちろん疑問も残る。井出さんは累進課税の強化を歓迎するのだが、彼の議論を敷衍すると、累進課税も分断を招くものとなりかねないのではないか? などなど

著者たちの現状認識は「温かみのある、情熱や思いやりに満ちた社会、他者への配慮にあふれ、仲間ものために行動することをよしとする誇りある社会、そんな社会はもはや昔の話になろうとしている」(14p)とあるのだが、ほんとうにそんな社会が日本の昔にあったのだろうか?

井出さんへの批判として聞いた話(適当に抜粋)
・貧困の最大多数は、ワーキングプアですが、賃金引き上げの必要についてもまったく触れない。低賃金は与件にされている。
・それは結局、消費税増税の強調になってしまっているから、それを受け入れるかどうかに焦点をしぼる。
・「租税抵抗」などという言い方で、あたかも消費税増税に反対していること自体が問題だとする。
・生活者にとって切実な増税反対の運動を弱めることになるイデオロギー


社会保障財源の問題に関する『福祉国家と基本法研究会』からの提言『新たな福祉国家を展望する』には、上記の批判にも通じるものがあり、ここでの提起とは対立するものとなっているが、井出さんたちが言う【すべての人の基礎的ニーズを満たすという「必要原理」に基づく財政戦略】については【基礎的社会サービスにおける普遍主義】という形ですでに彼らが提起している話でもある。。

上記の批判にある、賃上げの必要性の話とか、そのとおりだと思うし、井出さんたちも強調はしていないが、「低賃金のままでいいとは思えない」というように触れている部分もある。増税の方法についても、一致点をさぐることは可能なのではないかとも思った。

そして、この本での以下の主張はやはり無視できないと感じた。

格差の是正や所得の再分配が必要と聞いて、多くの人が連想するのは、少数の高所得者に課税し、低所得者への給付を強化することだろう。だが、リスクの共有やニーズ充足への支持が高い国では、特定の階層から他の階層へのあからさまな再配分はおこなわない財政制度が作られる。そして、多くの人を受益者とするなかで、低所得層にも給付がおこなわれ、再配分が実現している。(56p)


 日本が、財政再建至上主義の下、国民を分断する予算配分を行ってきた結果、相互不信の社会になってきたとの分析。

まず、勤労国家レジームとは何か。戦後直後は、地方税も合わせると最高税率90%を超えた税だったが、徐々に所得税が引き下げられていった。「所得減税をしながら公共投資に支出を傾けるということは、本当なら黙っていても実現できたはずの公共投資や教育などの公的サービスを、拡充できなくなるということだ」(19-20p)
これを端的に表すものとして、池田勇人の発言が紹介されている。
「救済資金をだして貧乏人を救うんだという考え方よりも、立ち上がらせてやるという考え方」
これが機能していた幸福な時代は続かず、ニクソンショックとオイルショックをきっかけに、低成長の時代が訪れたが、政府はこの高度成長期のサイクルを持続させようと、多額の借金をして、このレジームを維持しようとする政策はいまも続いている。

この「勤労国家レジームの最大の限界は、絶えざる成長を前提とした点にあった」(24p)という。
90年代には日本経済の歴史的転換が起きていて、「勤労国家レジーム」はことごとく失敗し、政策変更が求められていたにもかかわらず、それはいまに至って、行われていない。
そして、以下のように書かれる。
「私たちが問うべきだったのは、成長に依存しない新しい統治のあり方は可能か、という問題だった」(25p)
政府は財界寄りで、非正規雇用化や賃下げは度を越していたが、人びとがそうした判断を受け入れるほかなかったのは、勤労国家レジームという「成長や所得の増大がなければ人間らしく生きていけない枠組み」を私たちが作り出したからだった。(27p)

このように書かれているのだが、そのレジームを作り出したのは本当に「私たち」だろうか?

読み進むと、上記の記述は以下の結論を導くもののためだとわかる。
「お決まりの政府批判、財界批判を繰り返すだけでは、結末が最初からわかりきった物語を聞くようなものだ。新しい政策モデルを示せなかった自分たちの責任を棚に上げて、いくら責任の追及をおこなっても、世の中は決してよくならない」(28p)

ぼくは【お決まりの政府批判、財界批判を繰り返す】ことも必要な場面はあると思う。世論が動いて、政治に影響することもあるだろう。そこで、この著者グループは自分たちの【新しい政策モデル】を示すことになり、民進党がこのモデルを採用するという話も流れてきている。受益者を増やす政策というのがこのモデルの肝なのだが、どこまでのサービスを税金で無償化できるか、お決まりのモラルハザードと使いすぎという批判にどう応えるかというあたりで評価は分かれるものになるだろう。それにしても、彼を呼んだのが前原という右派で、もう右とか左とか、わかりにくくなってるなぁという感じもある。

勤労国家の負の遺産がどのように社会を圧迫しているかを見るために「3つの罠」が提起される。
1、「再配分の罠」29p
2、「自己責任の罠」34p
3、「必要ギャップの罠」38p


1、「再配分の罠」
〜〜〜
負担者はどこまで寛容でいられるか(29p)
「受益のないところに共感はない」というリアルな現実が私たちの目の前に横たわる(32p)
A貧しい人に税をかけても格差は是正できるかもしれない(33p)
低所得者層にもそれなりの「負担」を求めること。中高層所得層にもちゃんと「取り分」を与えること。
〜〜〜
この発想が必要だと著者は訴える。
日本のリベラルや左派は格差の是正を訴えてきた。だが、貧しい人への給付を増やせばよいという単純な問題ではないのだ。日本人の伝統的な価値観、格差是正の「しかた」を徹底的に考え抜かなければ、中高所得層の怒りを買うだけだろう。言い換えればそれは、「善意のリベラル」「善意の左派」が格差拡大の原因となる危険性をはらんでいるということだ。(34p)

ここに書かれているように、この井出さんたちの政策は【中高所得層】の了解をどうとるか、ということにポイントがある。それがなければ、政策は進まないというのが彼ら主張だ。そういう側面は確かにあるかも、と思った。

2、「自己責任の罠」
歴史的にいって日本は小さな政府の国の代表国・・・・・勤労国家レジームの下で、子どもの教育、医療、住宅、育児、保育、養老、介護等々、普通であれば政府が提供するサービスが不十分であるため自ら貯蓄することでサービスを市場から購入…
 私たちは、みんなで税を払ってみんなの生活を豊かにするのではなく、「自助努力」と「自己負担」をつうじて自分の家族と生活を豊かにする道を選んだ。池田勇人の決断・・・
 それから40年を経た2000年代になると、支出の削減を正当化するために「自己責任」という言葉が何度も用いられるようになった(34-35p)

こんなのぼくは選んだつもりはないし、たぶん、ぼく以外の人も選んだつもりはないと思うのだけど、じゃあ、誰が選んだのだろう。確かに一貫して政府は信用できなくて、増税はずっと悪だと思っていた。こういう使い方をしてくれるなら税金を払ってもいいと思える政府を持ってこなかったし、長期間、政府を担ってきた自民党も、納税者にそんな風に思ってもらうことをはじめからあきらめていたんじゃないかと思う。
「自己責任のスパイラルが起きているときには・・・サービスを増やし、それを税による負担でまかなうという政策への合意形成は難しい」と著者は書くのだが、日本ではいつだって、そんな合意形成は求められてこなかったのではないか、とも思う。
 ともあれ、その自己責任論で福祉が縮小され、経済成長が求められるのだが、自己責任故に経済も、よりシュリンクしていくというジレンマを自己責任の罠と呼ぶ。

3、「必要ギャップの罠」
世代間でのニーズのギャップ


これらの罠の中で他者への不信、ルサンチマンが生まれ、小泉や橋下はそれを利用することで支持を得てきた。
その悪循環を断ち切り、新しい分配のために努力を続けるしかないというのが著者たちの主張。43p

そのような方向転換が求められているのに、そうではなく3つの分けれ道の前に立たされているような現状がある。
1、さらに小さな政府で企業にまかせて活性化を図る。(よくて願望、ほぼ幻想)
2、勤労国家レジームのさらなる強化(いまの安倍政権はこれか)
3、ときに増税を行い小さな政府へ。しかし、これは現状で支持を得られないし、従来の北欧型の主張や経済成長を前提にしていてはダメ。

というわけで、著者たちが主張するのは、いまは分かれ道ではなく、行き止まりなのだ。だから新しい道が模索されなければならない、というのがここまでの序章の結語となる。

ここから1章に入るのだが、ここまでにも主張されているように、少数の高額所得者から低所得者への給付は支持を得られないので、全体からの納税を促し、その果実も全体へ行くようにすることが必要だという。56-57p
これが対立を解消する「したたかさ」になるという(58p)。
しかし、これで再配分が行われるのであれば、高額所得者にとっては、やはり自分たちが多く持ち出しているということになるのではないか。小手先という感じがしないでもない。これが実現可能なレジームチェンジになりえるかどうか?

具体的に必要なのは、金持ちには年金を出さないという風にするのではなく、所得や資産に課税ればいいという(86p)
これは説得力があるように思う。

分断を解消する政策が必要だという主張はうなずけるのだが、ここに書かれているような政策で富むものと貧しいものの分断がどの程度解消されるのだろう。その前提として、やはり新福祉国家構想の人たちが主張するように、最低賃金を保障しフルタイムで働いても食べていけないというような働き方をなくす一方で、正社員は過労死するまで働かなければいけないというようなことを止めていくというような政策をもっと前面に出していく必要があるのではないか。意識して、それがだされていないのか、ただ気づいていないのかはわからないが、逆に言えば、そのあたりを調整しさえすれば、共通の政策は作れそうな気がする。
1章の結語近く(93p)で、「過度に分断を生む議論は控えるべきだ」という主張の難しさが語られるのだが、最低賃金などについて語らないのも、そのような配慮だったりするのだろうか?

119-120pでの「引き下げデモクラシー」への警鐘は必要な主張だと思う。簡単に言えば、公平性を求めるために、生保を引き下げるというような主張だ。そこから導かれるのは、そうではなく、最低賃金を引き上げるべきという主張になるはずなのだが、なぜか、そこには触れられていない、と思ったのだが、著者たちの主張から考えると、最賃を引き上げるのではなく、ユニバーサルな医療や福祉の制度を作れということになるのかもしれない、
そして、それが日本の財政の作り方から出ているという主張。「低位均衡の財政」からの脱却が求められている。

3章では財政の健全性のもつ意味について、考えた上で
いわゆる市場原理に対抗する理念として「必要原理」を打ち出す。この国で形成されてきた「成長=救済型モデル」を「必要=共存型モデル」へと転換し、「救済型再配分」を「共存型再配分」に置き換えていくことの重要性を論じる(128p)

とのこと。

134pでは財政の二つの健全性について説明される。
ひとつめは従来の健全性、つまり収支の帳尻を合わせるということ、
もうひとつがあまり言われないのだが、税金の使い方が納得され、集めやすくなるという健全性。134p
これは大事な視点だと思った。

そして、「必要原理」の話だ。
この社会が陥っている「3つの罠」から抜け出すために、人間の生活・生存にかかわる基礎的ニーズを財政が満たすというアプローチであり、その核となるのが「必要原理」だという。
そこでは、経済成長は目的ではなく、人間が幸福になるための一手段へとかたちを変える。経済成長の必要は否定しないが、それは必要原理にもとづく変革の結果だ(142-143p)という。
そのために弱者だけを救済するのではない全員のニーズを満たすという新しい「公平感」が求められる。従来の公平感は「貧しい人を助ける

147p〜は、ここまで書かれている分断をなくす政策と経済成長の関係が論じられる。ここで主張されているような機会の平等を実現するためには経済成長が必要となると主張される(151p)。その経済成長のためにも格差の是正が必要なのだということもその前に記載されている。
しかし、結果の平等への根強い批判があるので、格差の是正だけを主張しても受けいらられないので、「必要原理」をたて、すべての人へのニーズを満たし、結果として格差が是正されるようなことが必要だというわけだ。152p

そして、この必要原理が結果として、経済成長を実現するという。
そのように中間層の受益も行い経済成長をした次の段階で、高所得層にも受益が行くようにする、これはトリクルダウンの逆の「エンブレース(embrace)」と呼ぶらしい。

ここで疑問が発生する。経済成長のためには、現在のような人口減少を食い止めることが必要だと思うのだが、そのことがここでどのように考えられているか、ということだ。もしかしたら、一人当たりの経済成長として考えられているのだろうか。そして、低所得層や中間層に必要なものがいきわたったときに、本当に経済が成長するのか、という問いだ。
この少し前にいくつかの調査が示されているが、わかりにくい。

156p〜はすべてのこどもに教育が保障されることが所得の向上につながるとあるのだが、すべての人が教育をちゃんと受けられるにしても、勉強ができる子とできない子は残るだろうし、すべての子が教育を受けられるようになったときに、そのような職業がすべての子どもにちゃんと準備されるということはあり得るのだろうか?

考え方としての普遍主義の優位性、経済効率だけを追求することのマイナスについて、そしてそのためには増税が必要なことが163p〜174pにかけて延々と書かれていて、それはそれとして説得力がある。その前提として、経済成長が困難だとされる。それにも同意するが、その根拠は明確には書かれていないので、リフレ派の人たちは経済成長は可能だと反論することも考えられるが。

大事なポイントだと思えるのが以下だ。
「いかなる改革も、人びとの政府に対する支持、民主主義に対する支持がなければ達成できない。その意味で、日本はいま重大な岐路に立たされている」(178p)

どのようにこれが達成できるか、そこで絶望的な気分になる。私たちは不信と分断に満ちた現状から、どのように脱出することが可能なのだろう。どの政治勢力を見ても、そこに向けた1歩を踏み出せるようには思えないからだ。

同様の問題意識は著者たちからも表明されていて、以下のように書かれている。
私たちに残された課題は、この理念の実現可能性を示すことである。以下では、必要原理に支えられた共感=共存の社会をモチーフに、私たちのイメージする日本の姿に具体的な肉づけをおこなって)いきたい。(183p)

このように4章「来るべき未来の胎動」の序文が閉じられ、本文ではまず、民主党政権の失敗から何を学ぶかという話から始まる。著者たちはここで、民主党が自公と協議しながら決断した消費税増税を評価する。それは1981年以来の増税だったと書かれる。消費税の創設は1981年だった??(調べたら89年なんだけど、財政学者たちがどうして、こんな風にいうのか不明)
その上で、社会保障と税の一体改革も評価しながら、大きな失敗はを犯した、ともいう。それは
「税の使途が決まるプロセスがわかりにくく、かつ受益と負担のバランスがあまりにも不釣り合いだった」という話だ。そして、最大の問題は、これらの事実に納税者の多くが気づかないまま漠然と痛税感を抱いて・・・予算配分の決定が私たちのあずかり知らないところでおこなわれたことである
、とする。189p

著者たちはこの増税(消費税の5%アップ)が成功したことを評価し、その成功の理由はいろいろあるとしながら、以下のようにいう。
私たちの「必要原理」の観点から見て決定的だったのは、「これだけのサービスを拡充するために、これだけの財源が必要である:と、受益と負担の関係を明示した点である。(191p)
〜〜〜
残念ながら、ぼくにはこんな印象は全く残っていない。そして、その議論がちゃんと行われた記憶もない。そして、これから彼らが主張する政策展開のために増税が必要だという議論が、この日本社会でどのように可能なのか、と考えると、繰り返しになるが、やはり絶望的な気分になるのだった。

この著者たちの主張に決定的に欠落しているのは、こういう理由で増税が必要だというような議論が多くの国民を巻き込んでコンセンサスを形成するような議論が、果たして日本社会で可能なのか、というあたりの考察ではないかと思う。
国会でも中身のある合意を形成するような議論が行われなくなって、久しいと感じる。まず、それが可能なのか、それも出来そうにないと思わざるを得ないような現状で、そこでもうほぼ絶望的な気分になるのだが、このような大きな政策変更を行うというのであれば、国会だけの議論だけで不十分で多くの納税者を巻き込んだ議論が行われなければならないと思うのだが、日本社会でそのような議論が行われた時代があっただろうか、そして、それは未来に可能だろうか、そのような議論を行う場を準備することは可能なのか、そこが問われなければならないと思う。

この問題意識は著者グループにも共有されているようで、225pでは「選ぶ民主主義」から「創る民主主義」が提起される。問題はこれを具体的にどのように実現するか、どのようにその仕組みを作っていくかということではないか。そこでの具体性が欠落しているのがこの著者たちの大きな欠落なのではないかと思う。



サイドラインだけれども
212p〜の茨城県常陸大宮市の博仁会のモデルはひとつわかりやすい例だが、これは政策的に実現可能な話だと思う。こういう地道な変革は求められている。

・民進党本周平さんによる書評から抜粋

 まず、これまでの「救済型の再分配」が分断をもたらしたと評価。

 多くの人は自分を中間層だと思っていて、再分配政策は低所得者に自分の税金を使われるという意味で、自分は負担者になると考える。

 その意味で、格差の是正をするための増税には、強く抵抗することになる。

 一方で、北欧の国では、社会保障は普遍主義なので、すべての人が対象になる「共存型の再分配」。そうなると、増税への抵抗感は少ない。

 また、安倍政権は政権奪還後ただちに生活保護の水準を約8%カット。 このような格差を広げる政策を国民が支持をしたというのも、「救済型再分配」が分断を生む証拠。
(つるた注:支持したと言える根拠は不明)

 著者は、社会保障を普遍主義の観点から再構築し、すべての人に負担をお願いし、すべての人に受益をお返しする「共存型の再配分」を提案。

 たとえば、医療や教育について、所得制限を付けずに現物給付すれば、結果として格差の是正も可能になるとする。

 このようなサービスはすべての国民にとって必要なものであり、ターゲッテイングせずに配布するべきであり、結果として所得の低い層ほど利益も大きいため、格差の是正に。

 そうなると、増税への抵抗感も薄まるという。

 そして、これまでの財政再建主義も批判。

 国民が幸せになるために財政があるのに、増税を避けるために必要な教育や社会福祉の予算をカットすることだけを目標にしても財政再建は不可能。

 信頼の社会を築いて、増税への抵抗感を和らげるべきだとの主張。

 これまでの日本の政治を180度転換させる大胆な発想だが、説得力があり、野党再編の旗印になり得る考え方だと思う。



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