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zoom RSS 「ポスト自立生活運動」の課題(「障害者運動のバトンをつなぐ」について)たこの木10

<<   作成日時 : 2017/08/25 18:23   >>

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たこの木に書いた原稿
〜〜〜
「ポスト自立生活運動」の課題
(ほんの紹介、10回目)

今回紹介するのは「障害者運動のバトンをつなぐ」(JCIL編2016年、生活書院)。この本は2014年、京都で行われたシンポジウムの内容がもとになっている。ここに描かれていることを「ポスト自立生活運動」時代の課題と呼ぶことができるかもしれない。ずいぶん前に読んですぐにここに紹介しようと思っていたのに、時間が経って内容を忘れてしまって・・・と、まずはお決まりの言い訳から。
この本を読むきっかけは生活書院の社長の一言。社長が自社の本を薦めるのは当然なのだが、「とくに小泉さんの文章はすごくいいから、ぜひ読んでみて」と言われて購入。で、確かによかったので、小泉さんの文章を中心に紹介。
彼がいいと思った部分と重ならないような気もするが、小泉さんは以下のように書いている。少し長めに引用。 
どんどん事業所が大きくなるにつれ、私の中での「手足論」は砕かれていきました。…介助者が「指示待ち」をしているだけでは、その障害者の生活が回らない・・・
 その結果、介助者も言葉を持ちはじめました。・・・「サービス提供責任者」と呼ばれる人が、障害者の話を聞き、介助者の話を聞き、その中で、答えを無理矢理に作り上げます。
 それは多分ほんとうの答えではないように思います。でも、「サービス提供責任者」や「コーディネーター」と呼ばれる人に責任を一旦預けた方が、障害者も介助者も取りあえずは楽になり、固まっていたその場の固さが取れて回るようになります。・・・。
 「サービス提供責任者」「コーディネーター」を間に入れながら、「当事者主体」を守り続けること・・・なかなか難しい課題です。24-25p

どんどん介助のサービス化が進み、当事者主体ではなく事業所主体の介助になって・・・。介助が、自分でつくるものではなく、与えられるものになっていく。障害者運動としてはこれではいけないと思ってはいますが、
なかなかその傾向に歯止めがかかりません。25p

相談支援専門員のみなさんは、私たち障害者それぞれの「生活のこと」「生きていくということ」について、全く分かっていないことを自覚しながらこの仕事に臨んでほしいのです。26p

自分が主体的に生きられるように、他の誰かが管理してくれるようになりつつあります。自分の主体性を。支援者が管理してくるようになってきています。
これでいいのでしょうか?
自分の「生きる」ことを手放さないために、自分の生きることから気を抜いてはいけないと思います。自分の生活、「生きる」は、自分自身のものなのですから・・・。27p

ここに書かれているのは、制度が進み「自立生活」が広がるなかで可視化されてきた課題と言えるかもしれない。時代は「とにかく地域に出て生活を」というステージから次のステージに移っている。「生きていく困難」を抱えるのは障害者だけではないだろう。障害がある人もない人もさまざまな困難がある。とりあえず地域に出ることをめざした第一世代の「自立生活運動」はそれと同様に「生きる困難」の問題と向き合ことを余儀なくされたと言えるかもしれない。新しいステージを視野に入れて事業を継続することが求められているのだろう。

また、知的障害者の自立生活については以下のように書かれている。
 知的障害を持ちながら地域で暮らす人との関わりは、いわゆる「介助」という枠組みでは通用しません。もっと、もっと、近くにその人を感じ、思う日々が続きます。答えを探しても答えはありません。その人を近くに思い、深く思う中で、それぞれが、答えや折り合いを探していくしかないように今は感じています。29p

 そして、「どこまでも共に責任を持つという覚悟は必要」としつつも、「身体障害者の介護ではあまり感じない、少しほっとする居心地のいい介助現場になることもあります」と書かれ、「頼られている」という感覚の居心地の良さも書かれている (30p)。この「少しほっとする居心地のいい介助現場になる」のは知的障害のある人が持っている力というか、その存在自体の豊かさのようなものに起因することが多いような気もする。この感覚もパターナリズムと紙一重の危険もあるのだろうけど。

最近、大田区で「知的障害者の自立生活はなぜ必要か、どう実現するか」というイベントを行った。その講師をやってもらった北多摩地区のグッドライフの末永弘さんは打ち合わせの時に、それを「自立生活」と呼ぶことについての疑義を話してくれた。「介護付き一人暮らし」でもいいのではないかと。歴史も含めて、名称の変更にはさまざまな議論もあるだろうが、「自立生活運動」はたぶん新しい局面を迎えている。
また、これらに関連して、熊谷さんは掲載されている彼の文章と対談のなかで(対談のほうが詳しい部分もある)、受け継いだバトンをつなぐだけではなく、燃料をくべることが必要だという。3つの燃料について語っている。
一つは言葉を生み出すこと。具体的には「社会モデル」と「自己決定」の例が挙げられているが「自立生活」もそうだろう。「今ある語彙、言葉だけでは、充分にとらえきれていない当事者の経験を燃料としてくべることで、バトンをより強いものになっていくんじゃないか」という。(132pと175-6p)
二つ目は、この文脈から少し離れるが、「社会モデルの不徹底」について。自閉症などに関して、ディスアビリティをインペアメントにしている例などもあり、社会モデルを主張するためにインペアメントとは何かということを明確にしていく必要がある、というもの。132-3pと177-8p)
三つ目は「依存先の分散」。依存先を増やし、一つ一つの依存度が軽くなるのが「自立」と呼ばれる状態だ、という。
これらの燃料をくべ、世話を焼き続けないとバトンは腐ってしまうナマモノだというのが熊谷さんの主張だ。熊谷さんは障害者運動のバトンの問題として書いているが、自立生活運動のバトンの問題でもあるだろう。
また、この本のなかで渡邊琢さんも知的障害の人の「地域自立生活」に言及し、そこで課題が明確に述べられている。
介助者というのは控えめに、黒子的に、当事者の指示を待ちつつその場にいる、というのがそれまでの介助者のスタンダードだと思っていたのだが、そうした態度が、知的障害者との関係ではまったく通用しない。(196p)
そして、それに続けてピープルファースト京都での経験をもとにこんな風にも書いている。
そこには、自立生活センターなどの身体障害者メインのところとは違う、障害者と健常者の関りがあったように思う。・・・そこにはより人間臭い関り、スマートではない土臭いごたごたした関りがあるように思う。


ピープルファースト大田区も求められているかも。

再び、小泉さんの文章に戻る。彼女はこんな風に書く。
私が10年前にCILを始めた当初は、「CILだからこうあるべき」といったもの、重要であると思ってきたものがありました。しかし、いろんな障害者との出会いの中で、この「あるべき論」が通用しないこと、大切にするべき内容がそれぞれの障害によって異なることを学んだのです。31p

これは熊谷さんが一つ目の燃料として書いていることともつながる。運動にどれだけコミット出来ているか怪しいぼくがこんなことを書くのはおこがましいが、新しい水夫も古い水夫もいっしょになって、古いか新しいかよくわからない船を、しのごの言いながら漕ぎ出すしかないのかなと思った。
 

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