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zoom RSS 100分de「全体主義の起源」(アーレント)メモ (テキストから)

<<   作成日時 : 2017/10/04 08:10   >>

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興味深く読んだ【100分de名著ハンナ・アーレント『全体主義の起源』】のテキスト。番組は見逃した回もある。わかりやすさに向かうことが全体主義を生むとアーレントは警告するのだが、このテキストはわかりやすかった(笑)。


以下、テキストのメモ


「はじめに」今なぜアーレントを読むか

『全体主義の起源』・・・『エルサレムのアイヒマン 』・・・この2作を通じてアーレントが指摘したかったのは、ヒトラーやアイヒマンといった人物たちの特殊性ではなく、むしろ社会の中で拠り所を失った大衆のメンタリティです。現実世界の不安に耐えられなくなった大衆が「安住できる世界観」を求め、吸い寄せられていく——その過程を、アーレントは全体主義の起源として重視しました。7p


第一回 異分子排除のメカニズム

テキストの1回目の結語部分
フランスで、失業率の高まりは、移民が元凶として名指されるようになった。それが主要な原因ではないはずだが、人々の目はどうしても異分子に向かってしまう。

人間は自分たちは悪くないと考えたい。自分たちの共同体はうまくいっているはずなのに、異物を抱えているから問題が発生している、と考えたい。
自分たちの共同体に根本的な問題があると考え、それを直視しようとするときに痛みが伴うが、国内に潜伏する異分子に原因を押しつければ、排除してしまえばいいという明快な答えにたどり着く。
しかし、異分子を排除しても根本的な問題は解決しない。日本でも、何か問題が起こると、「自分たちではない」何かに原因を押し付け、安易に納得したがる傾向がみられる。「反ユダヤ主義」の巻は遠い欧州の他人事ではなく、異分子排除のメカニズムが働く危険は私たちの足元にもある。そのことを意識して身近な事象を見たり、考えたりすることが大切

第2回 帝国主義が生んだ「人種思想」

何とかしてアフリカ人を押さえつけ、生き延びていかなくてはならない危機的状況に追い込まれたボーア人が「非常手段」として生み出したのか「人種」思想だったとアーレントは考察しました。つまり同じ人間の姿をしているけれど、我々=白人と、彼ら=黒人は「種」が違う。その違いに優劣の価値観を持ち込み、劣等な野生には暴力を持って対峙するほかないと考えたわけです 。39p

人権は譲渡できない、奪うことのできないものと宣言され、そのためその妥当性は他のいかなる法もしくは権利にもその根拠を求めることができず、むしろ原理的に他の一切の法や権利の基礎となるべき権利であるとされたのであるから、人権を確立するには何の権利も必要ないと思われた。人間それ自体が人権の源泉であり本来の目的だった。他の一切の法律は人権から導き出され人権に基づくとされたからには、人権を守るための特別の法律が作られるとすればそれは逆説的な事態である。人民が公的行為の対象となる諸問題を決定する唯一の主権者となったように、人間が不正をめぐるあらゆる問いに答えを出す唯一の権威となった。56p

政府の保護を失い市民権を享受し得ず、従って生まれながらに持つはずの最低限の権利に頼るしかない人々が現れた瞬間に、彼らにこの権利を保障し得るものは全く存在せず、いかなる国家的もしくは国際的権威もそれを守る用意がないことが突然明らかになった。 56p

人権は万人にあるというのは幻想だったということです。人権を実質的に保障しているのは国家であり、その国家が「国民」という枠で規定されている以上、どうしても対象外となる人が出てしまいます国民国家と言う枠組み自体も強固なものではありません民族という曖昧な(アーレント曰く、架空の)の概念で崩せてしまうほど不安定なものであり、戦争や革命が起きれば、もはや何の役にも立ちません 57p

アーレントが『全体主義の起源』の第一・二巻で提示したキーワードを整理すると、他者との対比を通して強化される「同一性」の論理が「国民国家」を形成しそれをベースとした「資本主義」の発達が版図拡大の「帝国主義」政策へとつながり、その先に生まれたのが「全体主義」ということになります。 59p


このテキストの著者はこれを「戦後70年を経て再び右傾化の兆しが見える現代の日本とぴたりと符号するのではないか」と言うのだがちょっと微妙。全体主義に行くと言うことはないのではないか。ただポピュリズムが生み出す結果が似たようなものになる と言うことはあるかもしれない。


いくつかの興味深いトリビア、知らなかった。
欧州の人間がアフリカで経験した衝撃や、そこで醸成された人種思想をリアルに伝える文学作品として、アーレントは『闇の奥』を参照。母国(ベルギー)で厄介者扱いされていた男が、原住民を従えて暴力の王国を築いていくグロテスクな過程を描いている。これを原作として映画化されたのが『地獄の黙示録』。


ワンダーフォーゲル運動…これは、かつてドイツ民族が住んでいた土地を歩いて探訪しようというもの。当初は「心のふるさと」への遠足と、そこでのキャンプファイアを楽しむというアウトドア活動だったようですが、次第に愛国的な意味合いを帯び、ドイツ民族の土地は「本来」はもっと広大なのだという思潮につながったといわれています。



第3回 「世界観」が 大衆を動員する

第三巻「全体主義」のキーワードは「大衆」、「世界観」、「運動」、そして人格です。アーレントはまず、かつては階級というそれぞれの抽きだしに収まっていた人々が「大衆」となって巷にあふれ出したこと、そこに提示されたのが強い磁力を持つ「世界観」だったと指摘します 。61p

「市民」社会における政党が特定の利益を代表していたのに対し、何が自分にとっての利益なのか分からない「大衆」が自分たちに「ふさわしい」と思ったのが全体主義です。全体主義を動かしたのは大衆だったということです。63p

平生は政治を他人任せにしている人も、景気が悪化し世界に不穏な空気が広がると、にわかに政治を語るようになります。こうした状況なったとき、何も考えていない大衆の一人一人が、誰かに何とかしてほしいという切迫した感情を抱くようになると危険です。深く考えることをしない大衆が求めるのは、安直な安心材料やわかりやすいイデオロギーのようなものです。それが全体主義的な運動へとつながっていったとアーレントは考察しています。 65p


この「何も考えていない大衆」という表現が気になる。社会運動はここをどう考えるべきか?「B層」という議論にも似たものがあるだろう。「誰かに何とかしてほしいという切迫した感情を抱くようになる」ことは誰にも起こりうるのではないか、それだけ人を無力化する社会が存在している。ここを超えるために、アーレントのように「自分で考えろ」というだけでいいのか?人が自分で考えることの困難に挑戦できるはず。一方で、人に考えることを拒否させるような社会が存在している。そこにこそ、教育や社会の、そして社会運動の役割があるのではないか。


西欧世界はこれまで、その暗黒の時代においてさえ、われわれはすべて人間である(そして人間以外の何者でもない)と言う事の当然の認知として、追憶される権利を殺された敵にも認めてきた。・・・強制収容所は死そのものすら無名(アノニマス)なものにする・・・


 アーレントがここでこだわっているのは、ナチスがユダヤ人の死をどう扱ったかということで す。ただ命を奪ったのではなく 、そもそも、その人が存在していたという事実まで抹消した――名前も信条も、人格や個性も「なかった」ことにした――というのです。
 ・・・ナチスは「ダヤ人がいない世界」を作ろうとしたのではなく、「そもそもユダヤ人などいなかった世界」に仕立てようとしたわけです 。
 それが可能だったのは、ナチスがドイツ人から道徳的人格を奪っていたからだとアーレントは示唆しています 。隣人が連行されたドイツ人の無関心も、良心の呵責に苛まれることなくユダヤ人を死に至らしめた人々のメンタリティも、全体主義支配を通して形成されたものです 。82-83p

彼女自身はナチスのような全体主義が再興する危険性を具体的な形で言及してはいません 。しかし条件が揃えば現在でも全体主義支配が起こる可能性はゼロではないと思います 。83p

現代でも、 特に安全保障や経済に関して、 多くの人が飛びつくのは単純明快な政策です。完全に武力放棄するか、 徹底武装するか 。思い切った量的緩和こそ最善の策と主張する人がいる一方で、古典的自由主義に則って市場介入を一切やめるのが正解するという人もいますが、世界はそれほど単純ではありません。 85p


ここに書かれていることを読むと『完全に武力放棄する』という結論が否定されているようにも読める。

ぼくは「完全な武力放棄」にあこがれている。だから、こんな風に、「完全な武装放棄」を否定されると反論したくなる。
確かにそこに至る道のりは単純ではない。その理想にどう近づくか、それを単純化しないで、その道筋を考えていくことこそ、必要なのではないか。

日本は憲法の前文と9条で軍隊を持たないという決意を世界に向けて示した。そこに書かれていることはある意味「完全な武装放棄」でもある。軍隊を持たない国家になる(≒国家として対外的に完全に武装放棄する)という結論、これは確かに単純だが、ぼくはこの単純な結論に向けて、複雑な国際社会の中で何が出来るか、どのようにそこに近づくか、そのロードマップを模索し、ひとつずつ政策を形にしていくということこそが大事なのではないかと考えている。だから、このテキストの著者がどのような意図でこれを書いているのかは知らないが、単純な結論に向けて、複雑な社会の中で複雑に考えつつ、そこに向かっていくという姿勢はありだと思っている。

戦後の歴史を見ると、どの国よりも海外で武力行使を行っているのは米国だ。中国でも北朝鮮でもない。そのことをまず明らかにすべきだろう。だから、日本が本当に軍事力に寄らない平和を求めて、日米安保からも離れて、軍隊を持たない国家をめざすとして、いちばん危険なのは米国で、日本が米国と違う道を歩もうとしたら暴力的な阻止にかかる可能性がある。そして、その米国の暴力装置は日本各地に存在している。米軍基地という形で。

そういう意味でも、本当の意味で平和を希求し、軍隊を持たない国家になるという選択は結論としては単純だが、実現しようとすると、とてつもないほどの困難が予想される選択でもある。米国の武力に寄らず、もちろん、他方ではどんどん軍事増強を図る中国にくみすることなく、そして、もしかしたら帝国への野望を持ち続けているかもしれないロシアにも配慮しつつ、東アジアの平和を実現するための枠組みを作っていくことは容易な作業ではない。ある意味、針の穴を通すような外交努力が必要とされる。

そして、それは平和を希求する世界中の市井の人々の思いに支えられなければならない。それだけが担保だ。それは歴代の日本の首相の誰一人として、実現しようと口にすることさえなかった方向性であるだけでなく、歴史上、日本と同様の規模の国家でそれを実現した国家はない、世界史的なプロジェクトでもある。

いつになれば、その憲法の平和理念に基づく行動に入っていけるのか、道のりはあまりにも遠くため息が出そうな話ではあるが、ぼくはその単純な理想を複雑な世界で追い求めることをあきらめたくはない。

第4回 悪は「陳腐」である

・・・条件が整えば誰でもアイヒマンになり得るということです。
 そうならないための具体的な処方箋は示されていませんが、「複数性に耐える」ことが、その鍵になると考えていたのは間違いないでしょう。「複数性に耐える」とは、簡単にいうと、物事を他者の視点で見るということです。
 ・・・物事を他者の視点で見るという場合の「他者」とは、異なる意見や考え方を持っていることが前提となります。
 アーレントが複数性にこだわっていたのは、 それが全体主義の急所だからです。複数性が担保されている状況では、 全体主義はうまく機能しません。だからこそ、全体主義は絶対的な「悪」を設定することで複数性を破壊し、人間から考えるという営みを奪うのです。104p

   アーレントは分かりやすい政治思想や、分かったつもりにさせる政治思想を拒絶し、根気強く討議し続けることの重要性を説いた政治学者だと思います。「分かりやすさ」 に慣れてしまうと、思考が鈍化し、複雑な現実を複雑なまま捉えることができなくなります。思考停止したままの政治的同調は、 全体主義につながる—— そのように警鐘を鳴らし続けたのです。
 アイヒマンにならないための手軽な方法も、 全体主義の再来を防ぐ 「分かりやすい 」処方箋も 、残念ながらありません。 ただ、 閉塞的な現状を打破するような妙案があるように思われたとき、少なくてもそれが唯一の正解ではないこと、 まったく異なる案や物語も成立し得るということを認めることができれば、全体主義化の図式に完全に取り込まれることはないでしょう。108p


 ヨーロッパにおける排外主義勢力の躍進やトランプや安倍という政治家の跋扈は全体主義そのものではない。しかし背景に、ここで書かれているような状況が存在しているのは間違いないだろう。とりわけ日本では複数性をどのように担保するかという課題は大きいのではないか 。お互いの違いを違いとして認識した上で合意点を見出すという作風があまりにも存在していないのではないかと感じる。それを意識的に育てる必要があるのだろう。
 排外主義者たちや安倍やトランプ、あるいは菅官房長官は違う意見にまったく耳を貸そうとしないし、他者の声をちゃんと聞くのが苦手なのは、左翼や社会運動もそうだということを自戒する必要があると思う。日本共産党も複数性がほとんどなさそうだ。
 多様性を尊重すると言いながら、教育の場面では、普通学級に障害者がいられない状況が作られ、外国にルーツを持つ子どもへの配慮も薄い。
 子どもたちも菅官房長官の答えない記者会見やかみ合わない国会での議論を見ている。あのようなことが堂々と行われていることを否定する声の少なさは、子どもたちにそうしてもいいという許可を与えているようなものではないかと思う。
 何か大きなことができるわけではないが、一つ一つの場面で小さな声を拾う努力を行い、複数性を担保するような議論の仕方を意識していく、そして、それを拒絶する権力を持った者たちへの抗議を明確にしていく必要があるのだろう。
矢野久美子さんが書かれた『ハンナ・アーレント』(中公新書)から
「アーレントと誠実に向き合うということは、彼女の思想を教科書とするのではなく、彼女の思考に触発されて、私たちそれぞれが世界を捉えなおすということだろう。自分たちの現実を理解し、事実を語ることを、彼女は重視した。考え始めた一人ひとりが世界にもたらす力を、過小評価すべきではない。私たちはそれぞれ自分なりの仕方で、彼女から何かを学ぶことができる。」


以下、テキストにはない話

アーレントとシオニズム

シオニストの運動に参加していたというアーレント
そこで気になるのが、アーレントがパレスチナ問題について、どのように考えていたかということ。簡単にググると 早尾貴紀 さんの
『 パレスチナ/イスラエルにおける二民族共存の挫折の歴史』がでてきた。
http://palestine-heiwa.org/note2/200810021429.htm
(注記:本稿は、 『インパクション』165号特集「21世紀のアパルトヘイト国家イスラエル」 に書いた拙稿「パレスチナ/イスラエルにおける民族共存の(不)可能性――ムハマンド・バクリ監督『あなたが去ってから』をとおして考える」を補足するものである。) とのこと。部分引用
〜〜〜
ヨーロッパのナショナリズムのもとで同化と非国民化の二重の圧力に晒されたユダヤ人たちが、自分たち自身のユダヤ・ナショナリズムをつくりだしていった。このユダヤ・ナショナリズムを「シオニズム運動」と呼ぶが、それはユダヤ人が独自の民族意識と故郷をもつべきだとするものであり、かならずしも「純粋なユダヤ人だけの国家」を目指す運動ではなかった。
 事実、マルチン・ブーバーやハンナ・アーレントといった思想家らは、ユダヤ人がパレスチナに故郷をもつ権利を主張しつつも(その意味ではシオニストだ)、「ユダヤ人国家」案には強固に反対した。ヨーロッパの国民国家で排除された自分たちユダヤ人が、強引に移民・入植活動をおこない、ユダヤ人の新しい国民国家をつくってしまえば、先住パレスチナ人とのあいだに摩擦を生み出し、ついには排除と追放をする側に回ってしまうだろうと懸念したのだ。
 そこでブーバーやアーレントは、パレスチナをユダヤ人にとっての精神的な拠り所とはするが、排他的な政治覇権を否定する文化シオニズムという立場をとり、具体的な政体としては、一つの土地を分割せずに共有する二民族共存の一国家を提案した。いわゆるバイナショナリズム運動である。マジョリティ/マイノリティ概念をつくらない、ユダヤ人とアラブ人の対等な共存を理念としていた。
 しかし、ダヴィッド・ベングリオンら主流の政治シオニストらは、軍事力に頼って純粋なユダヤ人国家の実現を目指していった。文化シオニストらの理念は広い支持を得られることなく敗北し、四八年のイスラエル建国をもってバイナショナリズム運動は終焉を迎える。膨大な数のパレスチナ人が殺害されるか追放されることによって、新生イスラエル国家におけるユダヤ人のマジョリティの地位が獲得され、残留したパレスチナ人たちは先住民であるにもかかわらずマイノリティの地位にあまんじ、冒頭で述べたような「二級市民」扱いを受け続けることとなった。
 他方で、パレスチナの地にアラブ人国家は建国されることはなかった。

〜〜〜
ハンナ・アーレントの「シオニズム再考」(寺島俊穂訳、未来社刊)
というブログがでてきた。
https://blogs.yahoo.co.jp/gustav_xxx_2003/67351410.html
これによると、
〜〜〜
矢野氏の博士論文を読んでいると、どうもアイヒマン論争の書に先立ってイスラエル建国を目指すシオニズムを痛烈に批判して、アメリカのユダヤ人社会に大きな波紋を投げかけるスタートになったもの ・・・

1944年にフィラデルフィア郊外のアトランティックシティで開催された世界シオニスト機構の年次大会で「パレスチナ全域を分割も削減もせずに包括する・・・自由で民主的なユダヤ人国家」の創設を決議したことを受けて発表されたものです。
この中で、アーレントはシオニストたちのパレスチナ地域でユダヤ人国家を創設することは、多数派のアラブ人と深刻な抗争を惹起することを強い調子で警告しています。
『(社会主義者シオニストがパレスチナに入植したとき)彼らは約束された土地にすでにいる住民と民族闘争を行うことになるという危惧は全く抱いていなかった。彼らは、アラブ人の存在について考えることすら止めていた。この新しい運動の完全に非政治的な正確を証明できるのは、この無邪気な無思慮さ以外には何もないだろう。』(141-2頁)

〜〜〜〜

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