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zoom RSS ぼくの大好きなヨクサル、なまけ星のあとを追う (ほんの紹介、11回目)

<<   作成日時 : 2017/12/27 21:25   >>

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たこの木通信2017年9月


〜〜〜〜〜
ぼくの大好きなヨクサル、なまけ星のあとを追う
(ほんの紹介、11回目)

どうしても言い訳から書きたくなってしまうんだけど、ぼくは特にムーミンに詳しいわけじゃない。読んだ記憶と記録があるのは2冊だけ。
「ムーミンパパ海へいく」と
「ムーミンパパの思い出」
7年前に「ムーミン童話とはなにか?」という高橋静男さん講演の記録
http://www.hico.jp/sakuhinn/7ma/mu01.htm
を読んで、読みたくなって読んだのがきっかけ。この講演記録、面白かった。こんなことが書いてある。
 ムーミン童話のほとんどすべての作品に、自分を見失う人々、存在感を失う人々、表現をかえればアイデンティティの危機に見舞われる人々が登場し…

 <大好きなこと>を持つことと、それをもって<他者と関わる>ことが、他者と自己を解放する原動力となる例をニつみてきました。このような解放の様式は、ムーミン童話のいたるところに…

 現代人が西欧の合理主議では人類の未来に「生きられる時間」を持てないことに気づいて、およそ40年が経過しました。ム一ミン童話の誕生は、われわれにとって、一つの救いではないかと思っています。

 ここにきて、やっと気づいたのだけど、この全文を読んでもらえば、ぼくが紹介する意味はあまりなさそう。
 で、そんな難しい話はさておき、ぼくが大好きなのは「ムーミンパパの思い出」にでてくるヨクサル。スナフキンの父親。ちなみにスナフキンの母親はミムラ夫人で彼女はちびミイやそのお姉さんのミムラの母親でもあり、ネットでの情報によると、ミイとミムラは前の夫の子どもとのこと。さらに「しかしヨクサルとミムラ夫人が恋人になった後にミイが生まれているらしい」とあり、興味深いし、そのミムラ夫人に35人の子どもがいるっていう話とその挿絵も面白いのだけど、画像このあたりの話が何に書かれているか、ぼくは知らない。
 で、ぼくの大好きなヨクサルの話に戻るのだけど、彼の人柄を表す、こんなフレーズがある。
 「…。ぼくの親戚に、ひげがたれさがるほど三角法を勉強したやつがいるが、ならいおわるやいなや、モランがきてたべてしまった。うん、それからあと、やつはモランのおなかの中にいるよ。なんというりこうものだろう」

ヨクサルのいったことは、ものごとはつきつめて考えないほうがいいという、彼一流のものの見かたであって、これはスナフキンにも遺伝していました。そこでスナフキンも、それからずっと、おなじなまけ星のあとをおっているのです。 64p

「なにもしないでいるって、いいことだなあ、きみにもわかっただろう」

そして、フレドクリンは彼のことをこんな風にいう。
「ぼくたちは、いちばんたいせつなことしか考えないんだなあ。きみはなにかになりたがっている。ぼくはなにかをつくりたいし、ぼくのおいは、なにかをほしがっている。それなのにヨクサルは、ただ生きようとしているんだ」


「ムーミンパパ海へいく」とフェミニズムの連関とか訳者の小野寺百合子さんのこととかも紹介したかったのだけど、紙幅が尽きて、ヨクサルの話だけになってしまった。
       
〜〜〜〜〜

原稿ここまで

関連URL(もう少し詳しいメモ)
「ムーミンパパ海へいく」メモ
http://tu-ta.at.webry.info/200808/article_19.html

上記のフェミ的な部分は以下
〜〜〜〜
その役割に縛られているムーミンママの矛盾は書かれている。彼女の独白やパパとの以下のような会話もある。
==
おちびさん(ミイのこと)は、夜はどこでねているんだろう。それからムーミントロールもさ……。母親というものは、すきなときに外にいってねるというわけにいかないのがざんねんね。ほんとは母親こそ、そういうことができるといいのにさ  185p

「・・・。わたしたちが夕がた家に帰ってくると、おまえはいつもここにいる――こういうきまりになっているんだ。それをよくおぼえておきなさい」
 こうパパはいいました。ムーミンママはため息をつきました。
「それがたまらないのよ。たまには変化も必要ですわ。わたしたちはおたがいに、あまりにも、あたりまえのことをあたりまえと思いすぎるのじゃない? そうでしょ、あなた」 210p

ちなみに、この「ムーミンパパ海へいく」は1965年に書かれている。女性学もフェミニズムという名称も、ウーマンリブさえなかった時代に書かれた本だ。その時代背景を考えると、けっこう予見的な本といえるかも。

また、訳者の小野寺百合子さんについても紹介しています。
http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/homepage/mumyouanS04.html
ここに写真入で紹介されている。もう亡くなっているとのこと。これによると、夫は開戦に反対したストックホルム駐在の武官


「ムーミンパパの思い出」メモ
http://tu-ta.at.webry.info/201002/article_7.html から
「…。ぼくの親戚に、ひげがたれさがるほど三角法を勉強したやつがいるが、ならいおわるやいなや、モランがきてたべてしまった。うん、それからあと、やつはモランのおなかの中にいるよ。なんというりこうものだろう」
ヨクサルのいったことは、ものごとはつきつめて考えないほうがいいという、彼一流のものの見かたであって、これはスナフキンにも遺伝していました。そこでスナフキンも、それからずっと、おなじなまけ星のあとをおっているのです。 64p

「なにもしないでいるって、いいことだなあ、きみにもわかっただろう」
 ヨクサルはこういいながら(略)
「だけど、ぼくたち、なにかしてるじゃないか? ぼくは舵をとっているし、きみはパイプをすっているし」
 とわたしはいいました。
「どこへむかって、舵をとっているのやら?」
 とヨクサルはいいました。
「それは別問題だよ」
 と、わたしはいいました。(略)
「ばくたちが話しているのは、やっているかいないかということでだぜ。なにをやっているかではないんだ。ところで予感のほうはどう?」
(略)
「なにもないね、アーウー、どこへいこうと、ぼくの知ったこっちゃないさ。どこだってけっこうだよ、じゃ、おやすみ」108-109p
===

このムーミンパパとヨクサル(スナフキン父)の会話の後、パパはフレドリクソンにヨクサルがあんなに無関心なのはおかしいと非難すると、フレドリクソンは

==
「そういっちゃいけないね、それは反対で、ヨクサルのほうが案外いろいろ気をつかっているかもしれないよ。おちつきはらって、てきとうにね。
 ぼくたちは、いちばんたいせつなことしか考えないんだなあ。きみはなにかになりたがっている。ぼくはなにかをつくりたいし、ぼくのおいは、なにかをほしがっている。それなのにヨクサルは、ただ生きようとしているんだ」
「生きるなんて、だれにだってできるじゃないか」
 と、わたしはいいました。109p






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