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zoom RSS 『パリ五月革命 私論−転換点としての68年』メモ

<<   作成日時 : 2018/02/04 19:48   >>

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以下、読書―メーター
https://bookmeter.com/reviews/69669291
に残したメモから、一部補足して転載。

パリ五月革命 私論−転換点としての68年』 (平凡社新書595)
西川 長夫 著

目次
はじめに
第一章 六八年五月以前
   1)そのとき世界は 2)ゴダールの世界
第二章 ナンテール・ラ・フォリー
   1)ナンテールと3月22運動
   2)ナンテール分校からソルボンヌへ
第三章 六八年五月の写真が語るもの
   1)写真を撮るということ
   2)前兆
   3)長い一週間
   4)ノルマンディーの五月
   5)焼かれた車とバリケード
   6)ソルボンヌとオデオン座、そして工場へ
   7)第二の「バリケードの夜」とシャルレッティ・スタジアムの大集会
   8)五月最後の日々 9)そして六月の日々
第四章 知識人の問題
   1)六八年と知識人――予備的考察
   2)森有正と加藤周一――私的回想
   3)ロラン・バルトと「作者の死」
   4)アンリ・ルフェーヴルと祭りの後
   5)ルイ・アルチュセールにおける五月の痕跡
第五章 六八年革命とは何であったか――43年後に見えてきたもの、見えなくなったもの
   1)忘却と想起の抗争
   2)1989年、フランス革命200年祭と東欧革命
   3)五月「革命」と郊外「暴動」――国内植民地について
   4)文明批判と祭り
あとがき
年表
主な文献





ピープルズプラン研究所で行われている戦後研究会でこの本を扱うというので読んだが、研究会には風邪で行けず。長い叙述の末、たどり着くのがウォーラーステインが世界システム論で説く68年の位置づけだったりするのだが、そこに至るパリの経験など、道筋は面白かった。
2018/02/01

ゴダール  
「実際われわれの心は痛み、血を流しているのだが、その血はどんな負傷者の血とも関係のない代物なのだ。そこにはある恥ずかしさがあった。平和アピールに署名するときのような気恥しさがあった」
33p
02/03 02:10

「中国女・・・五月革命を理解するために何か一つを選ばなければならないとすれば、・・・68年関係の山となす書物の中から1冊を選ぶよりは・・・事件の一年前に製作されたゴダールのフィクション、この寓話的な映画を選びたい。・・・ゴダールのこの寓話劇は、予言的であると同時に、事件のより本質的な考察に私たちを誘うからである」
37p
02/03 02:13

【「会報」は運動の新しさの第一点としてそれが少数グループの対立を超えた共同作業であったことを上げている】
(68p)として、西川さんはそれを肯定的に引用するのだが、ここは日本の68年と比べて、どうなのだろう?
02/03 02:37

「学生たちは顔面を布で覆うことはせず、ヘルメットもかぶらず、ゲバ棒も持たなかった。・・・学生たちはむしろ自分お顔を晒すことを・・・望んでいるように思われた。それは祝祭の呼びかけであり、正にデモンストレイションであったという印象が強い。」
88p
02/03 09:17

130pではLCRではなくて、JCR(どんな団体だったかどこかに書いてあったと思うが忘れた)代表としてのダニエル・ベンサイドの発言が紹介される。コーン・ベンディットのセクト主義を超えようという主旨の呼びかけを肯定して、小さなグループの主張を認めながら、マスとしての共通の線を見出していくkとを呼びかけている。130p
02/03 09:27

「工場占拠と大学占拠の動きは止まることを知らず、ストライキ参加者は、17日にはまだ数十万人であったものが、ピーク時の24日には、900万から1000万人」167p
02/03 11:15

コーン=ベンディットのいまが気になって、検索してみた。 Wikiには2005年までのことが部分的に記載されているだけ。 最近の話では https://twitter.com/i/web/status/855188550370734080 にマクロンを推してたとある。事実関係はわからないが、EUのボスニア介入にも賛成していたとか。いまの思想を聞いてみたいとも思う。
02/03 11:26

5月20日のソルボンヌでのサルトルの応答は、コーン=ベンディットの運動のプランについて肯定的に言及。現在形成されつつあるもの、それは徹底したデモクラシーの上に築かれた社会という新しい概念。社会主義と自由の結合、現在の社会に組み込まれることの拒否。194p  古くて新しい、いまも未解決の課題がここにある。
02/03 11:34

西川さんは6月の陰鬱な「敗北」の日々についてはここでは書かないが、40年を経ていま私たちにとって学ぶべきことが多いのは、むしろ6月の敗北の日々であろう。しかし、それはまた大きな1冊を必要とする、(235p) と書く。西川さんに変わって、それが書ける人はいないだろうが、予測できる人はいそうだ。彼はそこに学ぶべき何を見出したのだろう。
02/03 11:44

258pで西川さんは68年をもう少し大きなタイムスパンで見れば、フランス革命以来の右翼と左翼の対立の中に位置づけられるだろう、としながら、次のページで
「しかしながら68年の学生たちは、結局は、フランス革命以来の右翼と左翼の対立という民主主義の虚偽を証明し、大知識人の存在という伝説を打ち砕いたのではないだろうか」
とも書いている。どっちだよ、と言いたい感じだが、68年から始まる未完のプロセスの中で右翼と左翼の対立に終止符は打たれていないと思う。
02/03 12:03

5月革命に関するアルチュセールの評価が356pあたりから紹介されている。
 1、帝国主義に対する世界の階級闘争のなかに位置付ける。 
 2、若者の反抗と労働者の結合  
 3、党と学生の失われた連帯の回復
を説き、そのための党の自己批判と積極的に若者を応援するためにのみ若者を批判することを求める。また、彼はコーン=ベンディットたちを肯定的に評価したという点で党中央とは意見を異にするが、「学生運動の幻想性」を共産党員として批判する立場。356-357p
02/03 12:24

また、アルチュセールがレーニンの弁証法的唯物論への貢献としての哲学に関するテーゼも紹介されている。それは「マルクスの科学的な理論は新しい哲学(弁証法唯物論と呼ばれている)を促すのではなく、哲学の新しい実践を、厳密に言えば、哲学におけるプロレタリア階級の立場に依拠する哲学の実践を促すものである」(161p)
02/03 14:43

上記が7つのテーゼに定式化される。 
1、哲学は科学ではない。 
2、哲学は、理論の形でおこなわる介入の政治的実践である。 
3、哲学は本質的に階級闘争の諸結果の理論的な領域と科学的実践の諸結果の理論的な領域という特権的な二つの領域に介入する。  
4.階級闘争の諸結果と科学的実践の諸結果との結合によって、理論的な領域のなかで生みだされる。
面倒になったので以下略363p
02/04 03:05

上記はアルチュセールによるレーニンの名を借りたアカデミックな哲学会への殴り込みであり、これこそがアルチュセールの5月(364p)。その後、彼は妻を殺害して自ら別世界の住民になったが、その後の彼が描きだすマルクス主義者像にも、同様に、あるいはより強く心をひかれているようである。(365p)と、西川さんは半ば他人事のように書く。この書き方が気になる。
02/04 03:12

第五章 六八年革命とは何であったか――43年後に見えてきたもの、見えなくなったもの    
1)忘却と想起の抗争  
2)1989年、フランス革命200年祭と東欧革命  
3)五月「革命」と郊外「暴動」――国内植民地について  
4)文明批判と祭り
02/04 08:01

68年について、西川さんはアルチュセールの「これは始まりにすぎない・・・・」という言葉にこれほどふさわしい事件はないだろう、と書き、『1968年5月 壁の言葉』(ママ)のまえがきの結語部分を引用するとして、紹介してあった(380p)にもかかわらず、これが巻末の参考文献に掲載されていたかったので検索してみたら、文章全体があった。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/9-4/RitsIILCS_9.4pp.125-168NISHIKAWA.pdf
02/04 08:23

続き)で、面白いことに、この文章の本当のタイトルは『1968年5月―消えない言葉』。単純な間違いなのか、それとも本人が新しいタイトルを付け直したのかは不明。検索したら、立命館のアーカイブには【『68年5月のころ』大空博】という抜き刷りも収録されていて、http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/vol12-3/ozora.pdf ここでも西川さんが大きく紹介されてるのだが、西川さんの文章も含めて初出の文献や日付が書かれてないのはちょっと不親切
02/04 08:40

西川さんのPDFはテキストで抽出できないのだけど、5月革命が既成の社会科学の用語で完全に解釈し説明できるの出れば、新しくも革命的でもない、と主張している。381p
02/04 08:46

【「68年革命とは何であったか」という問いに最もよく答えて居る論考をひとつだけ選ぶとすれば・・・ウォーラステインの「1968年―世界システムにおける革命」】
だと西川さんは書き、その6つの命題を紹介する。  
命題1 1968年は世界システムの内容と本質にかかわる革命であった。 
命題2 1968年の異議申し立ては、世界システムにおけるアメリカの覇権――及びその覇権を黙認したソ連――に反対するものであった
命題3 1968年の抵抗運動の中で、派生的ながらやがて激しさを増していったのは「既成左翼」に反対する反システム運動であった。
以下概要 
命題4 反文化(カウンターカルチャー)運動は、革命の陶酔の一部であったけれども、政治的には1968年の運動の中心にはならなかった 
命題5 「少数者集団」や被支配階層の代弁者としての革命運動は、「多数者集団」の代弁者に擬せられた革命運動に対して、従属的な地位に甘んじる必要はなく、そうしてもいない。 (この代弁者という表現が気になる) 
命題6 社会改革の基本戦略に関する論争は、反システム諸運動間で再開され、今後20年の政治論争で主流を占めるであろう。434-435p 

 この最後の命題6だけ、そのようになっていないと思う。主流の政治はその後50年も主流であり続け、始まりは始まりのまま、ほとんど進展していないというだけでなく、後退しているようにも感じる。西川さんも同意するこのウォーラーステインの歴史観は間違っていなかったのかさらに検証し続けることが必要だと思う。68年に始まったプロセスがあったとしても、それが未完のまま挫折という話もないわけではないだろう。
02/04 10:19

この68年のウォーラーステインの評価に続けて、今村仁司の『近代性の構造――「企て」から「試み」へ』を優れた例として紹介する。以下のように要約している。
「今村のひとつの要点は、資本主義社会に対する告発である「パリの5月」と社会主義社会に対する告発である「プラハの春」が・・・国家権力と経済的な権力を同じ意味合いにおいて突くという点で共通の事件であったという指摘。もうひとつは68年革命は究極的には近代化批判であり、近代の終焉を告げる事件であった
という主張。436-437p
02/04 11:32

西川さんは近代批判という視点から一歩進めて、それは文明批判だったと主張する。西川さんの文明概念については『増補 国境の超え方』2001年に詳しくあるとしつつ、簡単にいえば、自由、平等などの概念を含むと同時に、帝国・開発・植民地支配への無限の欲望を秘めた両義的な概念だと説明する。それが文明批判であるからこそ、ヴェトナム反戦運動に連動していた意味が、より明確に理解できるとし、それに先行する反文明的な要素を含む革命はあったが、68年は西欧的な世界にいける最初の「自己批判」的革命だった、と主張。438-439p
02/04 11:40

この例として二つの壁の言葉が紹介される。そのひとつは
人が来る前には森があった。 
人のあとには砂漠が残る。
というもの。これは「消費社会批判」と見られていて、それはそれで間違いないのだが、さらにすすめて、文明化批判という面から見ていける、さらにこの文明批判は68年世代の日常生活における反文明的「長征」を続ける意欲を持ち続けていて、それが68年世代のひとつの特徴だという。440-441p
02/04 11:46

441p〜は『文明批判としての祭り』という観点から68年革命をとらえている。以下の壁の言葉が紹介される。  
革命は一種の祭りである。
われわれに協力してあらゆる国に
民衆の永続する壮大な祭りの火蓋を切れ
芸術家たちよ、街頭に出よ
行動的なストライキを行え
革命の祭りを組織せよ
生命の太陽と歓喜のために権利を要求せよ
  この壁の言葉について、西川さんは5月の学生の気分をよく伝えているが、少し調子が良すぎると、普段の私なら見過ごしていたかもしれないが、これが敗北が明らかになってから張り出されたから見過ごさなかった、と書く

 だが、それを見過ごさないもう一つ大きな理由があった、それは次の言葉が並べて貼られていたからだとと書かれている。

黒人は死をおそれない
われわれは常に死んでいく
われわれは君たちの牢獄で死んでいく
われわれは君たちのゲットーで死んでいく
われわれはまいにち幾千となく死んでいく 
 これに続けて以下のように書く。
「牢獄やゲットーで死んでゆく人々の訴えに耳を傾け、自分の内面でそれを自分の声とすることができたとき、私たちは初めて祭りとしての革命に参加することができるのではないだろうか」
444p 
 それにしても「黒人は死をおそれない」ってどうだ。この表現に植民地主義やパターナルな響きは含まれていないか? そんな風に書いてしまう、おそらく白人の5月革命の参加者に多少げんなりするのだが、西川さんはここをどのように読んだのだろう。
02/04 12:03

448pから始まる節で西川さんは「68年5月の際立った現象の一つは、人々が一斉に喋りはじめたことである」と書く。そこでブランショの文章が引用される。そこから少しだけ抜粋。
「不意に訪れた幸福な出会いの中で、爆発的なコミュニケーションが、言いかえれば各人に階級や年齢、性や文化の相違を超えて、初対面の人と・・・すでに仲のいい友人のようにして付き合うことができるような、そんな開域が。企ても謀議もなしに発現しうるんだということをはっきりと示して見せた。・・(少し中略)・・誰もが語るべきことを、書く(壁の上に)べきことを持っていた。では何を? それはたいして重要なことではない。語るということが、語られるものにまさっていたのだ。詩が日常のものになっていた。・・・しかつめらしい改革の試みなど存在せず、あるのはただ(それがたみに極めて異様な)無垢の現前だけだった」
(ブランショ『明かしえぬ共同体』西谷修訳 ちくま学芸文庫 64-65p
02/04 12:18

そんな革命的な空間、もしかしたら80年直後にぼくもほんの瞬間だけ経験したことがあったような気はするが、本当に性の文化を超えることができたのだろうか。そこには性差別ははっきりと残っていたのではないか。まそして、その空間に入ることができない障害者や野宿者はたくさんいたはずだ。
02/04 12:21

450pからは再び、「革命」と「私」の問題が問われる。先に引用したブランショの
「不意に訪れた幸福な出会いの中で、爆発的なコミュニケーションが、言いかえれば各人に階級や年齢、性や文化の相違を超えて、初対面の人と・・・すでに仲のいい友人のようにして付き合うことができるような、そんな開域が」
という部分などが再び引用されて、西川さんは以下のように書く。
【共・に・在・る・こ・と・の可能性。「私」論は個々人の差異に関心が集中しがちであるが、ここで問われているのは、自由で自発的なコミュニケーションの可能性とそれを保証する条件であり、何が語られるかさえも二義的な問題である。・・・・「未だ嘗て生きられたことがなかった共産主義の一形態がここに出現したのだと、人々は感じることができたのだ」というブランショの証言を、私は幾分かはその場に身を置いたことのある者の一人として、承認したいと思う】 
 日本の68年〜69年がそうであったように、それはある意味、特権的な空間でもあったと思し、バリケードの中の祝祭と高揚から一歩離れたときに、それが滑稽なコメディのようにみえるのもまた事実だろう。
02/04 12:41

そのような反論を意識してか、結語部分で西川さんは以下のように書く。
既成の秩序のなかで既成の概念を使って冷静に組み立てられた未来社会像と、68年5月のような祝祭的革命のなかに現出した未来社会像のどちらを信じるかと問われれば、私は躊躇なく後者を選びたいと思う。
 最後にもう一度、「壁の言葉」にかえり、「革命」と「私」の関係にかんするふたつの言葉を引用してとりあえずの締め括りにさせていただきたい。

アナーキー、それは私  (ナンテール)
革命、それは私のこと  (ソルボンヌ)

02/04 12:48

西川さんも選んだ後者に対する信仰のような思いをぼくも共有するが、だからといって、前者を否定し去ることもできない。時代はどんどん悪い方向に向かっていて、破局のその先にはさらなるむき出しの暴力が待っているようにも思えない苦もない現実がある。しかし、その可能性はとても薄くても、やはり後者の可能性に一縷の望みをかけ続けたいと思うのだった。
02/04 12:51

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