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zoom RSS 『季刊福祉労働153号 特集:相模原・障害者施設殺傷事件--何が問われているのか』メモ

<<   作成日時 : 2018/02/12 10:36  

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目次は
〜〜〜
特集 相模原・障害者施設殺傷事件――何が問われているのか

仲間たちのいのちを奪った相模原の事件について
土本秋夫

全国の皆さまへ 我々は認めない! いまこそ障害者と共に行動を!
鈴木治郎

相模原障害者大量殺傷事件に思う――元療護施設入所者として
太田修平

療護施設利用者の立場から事件を考える
馬場精二

夏の終わり 障害者大量殺人事件を想う ――ファシズムがやってくる。 いや、もうやってきている。オレの中に彼はいる。
江端一起

隣人を「排除せず」「差別せず」「共に」生きる
河東田 博

重度心身障害者抹殺事件への視点――元療護施設職員から
松浦武夫

津久井やまゆり園事件――本音と建前の日本―この事件を契機に本音で論議しよう
光増昌久

「支援」が支配と暴力に変容するとき
白崎朝子

相模原施設殺傷事件から――親の思い
宮崎裕美子

社会的殺人──「母よ! 殺すな」の先にあるもの
市野川容孝

相模原障害者施設殺傷事件の犠牲者の方々の犠牲を無駄にしないために
池原毅和

精神医療と治安維持との関わりの歴史から事件を考える
内田博文

教育がつくる障害者排除と優生思想――モンスターは誰か
桜井智恵子

コラム・相模原事件について 障害者入所施設より
稲葉 進・田中雅也

社会を変える対話――優生思想を遊歩する 第三回 金子一明×安積遊歩
ケアの思想を蔓延させていくことが、優生思想を超えるための礎に

インターチェンジ 交差点
行政の窓口 明石市障害者配慮条例――施行後の取組 金 政玉
街にいきて コロンビアより帰国して思うこと 奥平真砂子
保育所の庭 バースディ訪問でこそ言えた母の本音 荒井 聡
施設から 藤沢における高次脳機能障害支援「当事者会」の役割 山田大悟

障害学の世界から 第七十六回 長瀬 修
東アジアの障害学国際セミナー二〇一六――台湾の新たな参加

障害者の権利条約とアジアの障害者第二十四回 中西由起子
国連専門機関の働き7 FAO

季節風
介護保障ネット四周年を迎えて――これまでの活動と今後の課題 國府朋江
ストップ! 個別カルテ 共生共育計画をつくろう 高木千恵子
第三十二回DPI全国集会in東京・報告 笠柳大輔

現場からのレポート
ダメ、ゼッタイ。教育機会確保法案――責任を学校に行っていない人に押しつけてどうする
伊藤書佳
第二十二回ピープルファースト大会in横浜 報告
第二十二回ピープルファースト大会in横浜 全国実行委員会

連載 「当たり前」をひっくり返す――フレイレ、ニィリエ、バザーリア 第六回
「ニィリエは自分で考えることを教えている! 」 竹端 寛

以下、読書メーター
https://bookmeter.com/reviews/69834632
から転載・一部訂正
〜〜〜〜
なぜか地震でもないのに夜中に本が崩れてきて、再発見した本。これはメモしておくべきだと思った。読み返したのは市野川さんのバイオエシックスと今回の事件の親和性の指摘とか、桜井智恵子さんのOECDの教育政策と能力主義の問題とか。特集外で金政玉さんが明石市の障害者配慮条例について書いている。目次はアマゾンでしか見つからなかった。


KILC(神奈川県障害者自立生活支援センター理事長の鈴木治郎さん 「容疑者の歪んだ障害観を生み出した土壌は現代社会であり、育んだのは施設の固定的人間関係」という指摘。ぼくが気になるのは「育んだのは施設の固定的人間関係」という部分。「隔離された収容施設の中では障害者と職員との固定的な人間関係が生まれ…こうしたなかで、職員としての容疑者の歪んだ意識と思想が育まれたと言えるのではないだろうか」と書かれる。確かにありそうだが、そここそ具体的な検証が必要な部分だと思う。

しかし、実際には他に誰一人として、彼のようには何人も殺したりはしてないのだから、ちょっと無理があるようにも思える。そして、介助=被介助関係の中で、自立生活を支えてる介助者だって、けっこう酷い感情になることはあるというのを渡邊琢さんが書いてたのを読んだことがあるので、あんまりそこでステレオタイプに考えるのはまずいと思うのでした。

で、この鈴木さんは【共生できる「ちからをつけることが先決】だと、当事者として捉えているというのだけれども、この「ちから」のカギ括弧が気になるところ。そこで【障害当事者のエンパワメントを考えるときに、本人のニーズに添った自己決定・自己選択が大切で、そのことを保障するためには人権や権利擁護が必要不可欠だろうと考える】と書く。このエンパワメントには違和感がある。

ぼくはたびたび書いているけれども、ぼくにとってのエンパワメントは森田ゆりさんの定義なので、誰かがちからをつける、ということではなくて、本人が自分の素敵さに気づくようなプロセスのことだと思う。【本人のニーズに添った自己決定・自己選択が大切で、そのことを保障するためには人権や権利擁護】っていうのも、もちろん大事だと思うのだけれども、その森田さんの定義との関係でどう整理すればいいのだろう? 18-19p関連、

『相模原障害者大量殺傷事件に思う――元療護施設入所者として』を太田修平さんが書いている。そこで彼は12年、療護施設で暮らした経験から「虐待や虐待めいたことは、毎日、普通の日常として起きていた・・・入職したときは「障害者のためにと張り切っていた職員が豹変するかのようになる場合も・・・施設という職場というか、介護という仕事には、人をそのようにさせる毒物のようなものが潜んでいて、何かのきっかけで、あるいは時間の経過とともに表に出てしまうのではないか」と書く。彼のいた清瀬療護園は東京都の手厚い職員配置があったはず

続き)太田さんが療護施設にいたのがたぶん30年くらい前の話だったと思う。いま、30年前と比べて、大規模収容施設の状況はどうなっているのだろう。千葉での事件や今回の事件を見ると、そんなに変わってないようにも思えるが、積極的に地域移行を始めている施設もあるようだ。そのあたりのことを入所者や職員、また太田さんのような元入所者も含めて、検証する作業が必要とされているようにも思った。

(この先も読み進むと、療護施設自治会ネットワークの現役の人が書いているものもあるが、たぶん、自治会で声を出せる入所施設というのは日本のなかでも例外なのかもしれない、とも思った。)

『療護施設利用者の立場から事件を考える』という馬場精二さんの文章。彼は今も多摩療護園で暮らし、1996年から居住者自治会の自治会長で、2007年からは療護施設自治会全国ネットワークの会長。そして、彼はこの文章の最後に多摩療護園の施設長の平井寛さんの2016年の大フォーラムの発言を引用している。ぼくが平井さんと知り合ったのもたぶん80年代だったと思う。

続き)その平井さんは、この発言の中で以下のように言っている。
・・・
今は地域福祉優先の時代、もはや障害福祉の主役は入所施設ではありません。それでも入所施設はまだまだセーフティネットで奔走しなければならない現実があります。逆に見るならば、地域で解決できる支援力の強化がより一層求められているということです。(中略) 最重度障害者の存在を否定した津久井やまゆり園事件は、元をただせば孤立した日本の社会や、社会福祉の質の遅れが生み出した問題ととらえることができます。・・・

〜〜〜
市野川さんもこの本の論文の結論で脱施設をいうのだが、脱施設をいう時にこういう丁寧さが必要かもしれないと思った。

『夏の終わり 障害者大量殺人事件を想う ――ファシズムがやってくる。 いや、もうやってきている。オレの中に彼はいる。』江端一起さん、いつもながらのエバッチ節。
今こそ、自らに内在する「ファシズムの芽」「ヘイトクライムのタネ」をじっと見つめるべきであると思う。ソコを無しで、反対ウンドーを進めて、アレは、精神病とは何らの関係もない、タダのヘイトクライムですよ、ファシズムですよ、優生思想ですよ、直近の問題は措置入院制度の改悪反対ですよとワサワサと、分らぬことを、さもワカッタかのように言いつつ反対ウンドーを進めることに、怖気を感じる。それでは、今、この社会をファシズム化していこうとする動きと何も変わらぬ、というのが、今時、患者会に拘り続けてきたキーサン革命の鬼・えばっちが、叫び続けなければならないことだと思うのである。



【「支援」が支配と暴力に変容するとき】で白崎朝子さんはGHより老健のほうがよかったという自分の母親の声を紹介する。同様の声はユニット型特養で働く友人からも聞いたという。GHは人数が少なく「死角」がない分、逃げ場がなく、「ホーム」という名に象徴されるDV的な密室になりやすい、とのこと。

また、白崎さんは結語近くで、どうしたら「内なる植松容疑者」を乗り越えられるか、と問題を立て、それは「当事者」と「支援者」の垣根を超えた、率直で真摯な対話と協同であり、信頼関係を創っていく粘り強い模索の中で「内なる植松容疑者」を生み出さない道を見出していきたい、と書く。きれいなまとめではあるが、重度の知的障害の人たちとの「率直で真摯な対話と協同」をどう作るか、容易な話ではないだろう。

『社会的殺人──「母よ! 殺すな」の先にあるもの』 市野川容孝さん  リードの文章で市野川さんは「家族ではなく、社会が、彼の共犯者である。 新しい状況、段階で求められるべきことは、日本の障害者運動の延長上にある。すなわち、それは脱施設化にほかならない。

【バイオエシックスのパーソン論 今回の相模原市の事件の青年とよく似た考えが バイオエシックスの一部で説かれ…アメリカの生命倫理学者のエンゲルハート…『バイオエシックスの基礎づけ』1986年で「人格(パーソン)の特徴は 自己意識化することができ、理性的で 賞罰を価値に関心を持ち得るという点…全ての人が人格であるわけではない。 胎児・乳児・ひどい知恵遅れの人、不可逆的昏睡状態にある人などは、人格ではない人…厳密な意味で人格である人々に、不当な経済的、心理的負担をかけないようにすることは、道徳的根拠がある】


『相模原障害者施設殺傷事件の犠牲者の方々の犠牲を無駄にしないために』 池原毅和さんがこの論文で 今回の事件に対する 国の反応の問題に触れ、国が問題にしたのは措置入院の解除や 解除した後の対処が適切であったかどうか ということだっただが、この反応の第一の誤りは、「措置入院制度が 他害行為を防止するための制度であるということを当然の前提にしてしまっていることである」と書いている。(問題が多い)現在の法律でも、措置入院は本人の回復や自立のためであって、他害行為や犯罪を防止するためのものではない。


『教育がつくる障害者排除と優生思想――モンスターは誰か』で桜井智恵子さんは容疑者のメンタリティを知る手がかりとして 法務省による無差別殺人の研究を紹介する。このやまゆりの事件を 無差別殺人に結びつけてしまっていいのだか。植松容疑者は 選んで差別して殺したのだと言っているが。 ここで筆者が この研究を持ち出して 植松と弱者を 結びつける理由は 分からないわけでもないが、 あの事件を無差別と言ってしまうことには 抵抗がある

この『モンスターは誰か』という論文で興味深いのは、桜井智恵子さんがモンスターと名指すのはOECDの「優秀な人材」を作り出すためのスキル戦略というところ。そう、モンスターは社会の側に存在するのだ。社会に役立つ有能な人材を育てるためのOECDで推進するPISA。その OECD の 教育や雇用に関する会議の場での 著者の OECD の 見解への反論が 分かりやすかった。

桜井さんの会議でのOECD側の見解への意見 
「社会に貢献する知識、スキル、態度および価値観とおっしゃるが、その社会の側は個人の良好な生活のために貢献、改善されないのか? 前回の雇用の劣化を 指摘したが、どうお考えか? 教育により経済格差はさらに開くが、個人のスキル・さらなる教育で乗り越えろと自己責任論になっている。 雇用の状況を見ず、 個人の努力の話にするのは 視野の著しく狭い危険な組み立て方だ」



金政玉さんが明石市の障害者配慮条例について、施行後の取り組みについて解説を書いている。(中身の説明は前号に書いたらしい) この名称で怒るだろう人が思い浮かぶけど、これから、障害者権利条例を作ったり改定したりするところは、ぜひ、これを見習うべきだろう。具体的にそのために予算がついているというところが大きい。先日、JDFの集まりでし市長の話を聴いて、本当にそう思った。その時、金さんのことも自慢してた。大田区で友人たちが準備してるものも、全面的に変える必要があるかも。、


134p〜は【施設から 藤沢における高次脳機能障害支援「当事者会」の役割 山田大悟】という短い報告記事がある。ここで紹介されてる当事者会も家族会も支援者主導みたいな感じがするんだけど、どうなのだろう? 大田区のは両方とも運営に苦労してるけど、がんばって当事者主体でやってるところがいいと思う。


そして、最後に興味深かったのが『連載 「当たり前」をひっくり返す――フレイレ、ニィリエ、バザーリア 第六回 「ニィリエは自分で考えることを教えている! 」 竹端 寛】最初にノーマライゼーションを提唱したニィリエはスウェーデンの全国手をつなぐ親の会ともいうべきFUBのオンブズマンをやっていたのだが、「ニィリエは自分で考えることを教えている! 」と非難され、FUBを去ることになったということ。また、ニィリエのノーマライゼーションがヴォルフェンスベルガーによって改組され、別の内容になったというのも知らなかった

部屋が汚くて、積み上げられた本が崩れてくるような状況がこんな出会いをもたらしてくれたことに感謝(笑)

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