フレイレの危なさ (「百姓が時代を創る」に触発されて)

山下惣一さんと大野和興さんの対談の本である「百姓が時代を創る」本の表紙には以下のような記述がある。

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日本の貧困は外から見えない。


小さい農業で食べていけることを誇りとすべきです。

拡張主義の行き着くところは戦争です


クモの糸にぶらさがっている豊かさからの解放・・。

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読んだのは少し前だが、とても面白い対談だったので、一気に読んだ記憶はある(いつものことだが、数ヶ月前の読書の内容はほとんど覚えていない)。


以下のサイトで少し立ち読みできる。




これを少し参照する機会があり久しぶりに本棚から出した。

で、今日書きたいのは、この本の主題についてではない。


以前読んだとき気になって付箋をつけたところが目に入った。、44pの意識化についての記述。そして、ちょうどそのタイミングでこれに関する記述に出合ったので、ちょっと書きたくなった。


この本で、大野さんは以下のように書いている。


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・・・。ぼくは途上国で農民に農業支援などをするNGOにも足を突っ込んでいて、いまだになじめない言葉があります。意識化という言葉なのですが、「農民を意識化する」というふうに使う。日本のNGOはあまり使わないのですが、欧米や地元のNGOは日常的に使っている。最初にこの言葉を聞いたとき、意味がよく分からなかったのですが、相手の意識の中に、本人があたかも自分で考え出したかのように一定の価値観を植えつけ、方向づけをすることですから、どぎつく言えば「洗脳」ですよね。

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この部分について、気になって昨夜、大野さんにメールを出したところだが、忘れないうちにブログにメモを残しておこうと思う。大野さんに出したメールをもとに大幅に改定して、ここにアップロード。



ここに書かれている「意識化」という概念、たぶんフレイレの概念が用いられているのだと思う。


確かに、大野さんが指摘するように、西欧近代の価値観にどっぷりつかったNGOやマルクス主義者がこれを使うと洗脳になりかねない危険はある。そして、「意識化」という名のもとに実際に洗脳に近いようなことも行われていることもありそうだ。


しかし、フレイレが伝えたかったことは、少し違うことだったのではないか。


このことを考えているタイミングで出会った、これに関する用語解説。F女学院大学の博士課程のごつい知人のHさんが授業の副読本用に作成した本のデータ(本当にタイミングよく飛び込んできたのでこれを書く気にさせられた)


この用語解説を勝手に引用させてもらいます。(Hさん、ごめん)


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意識化(conscientization)

 ブラジル生まれの「教育学者、教育思想家、識字教育の実践者・理論家、教育者……どれもみなしっくりいかない」パウロ・フレイレの実践と理論の最重要概念。「ラテン系言語や英語では、意識と良心は同義言語なので『良心化』さらには『人間化』と訳出してもよいかもしれない。フレイレはこの言葉を、抑圧され非人間化され、「沈黙の文化」のなかに埋没させられている民衆が、『調整者』(たんなる教師ではなく、民衆の苦悩と希望を共有することによって自らの人間化を求めようとする『ラディカルズ』)の協力をえて、対話や集団討論――すなわち、学習によって自らと他者、あるいは現実世界との関係性を認識し意味化する力を獲得しながら、自らと他者あるいは現実世界との関係を変革し人間化しようとする自己解放と同時に相互開放の実践、といったダイナミックな意味で使っている」(パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』亜紀書房、1979年、1頁、訳注)

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しかし、この『被抑圧者の教育学』の解説、本体の翻訳文同様、ぼくには読みにくい文章だ。(誰かが新しい翻訳を準備しているという話をどこかで聞いたんだけど、まだ??)


ともあれ、フレイレが言いたかったことは、抑圧されている状態を内面化している人びととの対話の中で気づきの可能性を引き出していくことの重要性だったと思う。それを彼は通常の詰め込み教育(彼はそれを銀行型と呼ぶ)との対比の中で対話型の教育と呼ぶ。


「パウロには翼がある」というような意味のない例文で識字教育をするのではなく、自らが生きている状況を言語化することを対話の中で促進するような識字を提唱したわけだ。それを説明する概念として、conscientization というのを用いたのだと思う。

(この本もずーっと読んでないのでおぼろげな印象の記憶などによる記述)


 最初に書いたように、ひとつ間違えれば洗脳になりかねない危険なものだという自覚は、これを使う「ラディカルズ」には必要なんだということに、大野さんの記述で気づかせてもらったが、それでもちょっと違和感があったので、メールを書いた。洗脳と意識化の境界についてフレイレ自身は何か書いていたのかもしれないと思う。また、こういう角度からの批判はすでにたぶん存在しているんだと思う。でも「意識化 洗脳 フレイレ」という3つの言葉で検索してもそこに触れたものは日本語では出てこなかった。


ただ、この検索キーワードででてきた以下の書評は少し参考になった。

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『希望の教育学』(パウロ・フレイレ ?/2001 太郎次郎社 ISBN: 4811806638 \3,200)

 『被抑圧者の教育学』の著者が,この本を書く過程で学んだこと,この本に対してなされた批判の検討,出版後の歩みについて語った本。『被抑圧者の教育学』の復習になるかと思って読んでみたが,それほどでもなかった。奥さんによる注がついており,フレイレの思想が対話と批判性,そして社会変革を特徴とする(p.293)とまとめられていた。対話と批判の関係は,次のようにまとめられるだろうか。対話的な関係が教える行為や学ぶ行為を支えるようになるのは,教育者の批判的でけっして安住することのない思考が,生徒の批判的な思考能力を抑えることなく発揮されるとき(p.164)であると。しかし本書は,こういう部分よりは,社会変革の話が多かったように思う。

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新しい訳が出たら、また読んでみたいと思うんだけどなぁ『被抑圧者の教育学』。


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この記事へのコメント

2006年12月06日 19:06
初めまして。「被抑圧者の教育学」で検索して飛んで参りました。
私も今、同著を読んでいる最中なのですが、訳文が読みにくくて大変苦しんでいます。古い本なので仕方がない面もありますが、それにしても、恐らく原文と訳がいまいちかみ合っていない部分が少なからずあるように感じています。或いは、巧い日本語を当てることができていないか(それが訳がかみ合っていないということなのでしょうが)。
言いたいことは何となく分からんでもないけれど、「実践」という単語一つでは賄いきれていないと思いますし、「人間化」や「革命」についてももう少し違う日本語が必要な気もします。
私も新しい訳が出たら再読したいと強く願っております。
何やらいきなりで長文を書いてしまい、すみません。失礼致しました。
2021年08月21日 11:25
ラディカルズというのは団体名のようなものなのでしょうか。それともradicalな人たちという形容詞として使われているのでしょうか。

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