経済の文明史 ポランニー経済学のエッセンス の読書ノート(2021年12月追記)

『経済の文明史
  ポランニー経済学のエッセンス』 

の読書ノート、これも昔、書いたもの。

最後に関連する部分を山之内さんの『マックス・ヴェーバー入門』から引用


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経済の文明史
ポランニー経済学のエッセンス

カール・ポランニー著

玉野井芳郎・平野健一郎編

日本経済新聞社

75年初版 83年6刷

2002年10月図書館でリクエスト
(六郷図書館蔵書)


玉野井さん解題から

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「諸著作のなかから、そのエッセンスとなるような、また今日の状況にとってとくに意義深いと思われる十編を選び出して訳出したもの」「社会学者R・M・マッキーヴァーの言を用いると、ポランニーは「人間の生の本質的な価値の再確認」をめざし」「彼は「幸せな過去に物欲しげな視線を投げていたのではない」(はしがきから)
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・・・ほとんどすべての経済学者はこうした市場経済を想定して、その自己調整的<カニズムをめぐる理論的思考を練磨し彫琢してきたのであった。このような市場経済を前にしてポランニーが問題にしてきたのは、それらが非現実的な誤った想定であるというのではなく、むしろ逆に、まさしく現実的な、あまりにも現実的で特異な、人類史におけるまことに特殊な時代の制度的所産にほかならないという危機的洞察であった。11-12p
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<労働・土地・貨幣>

売買されるものはすべて販売のために生産されたものではなければならないという公準は、これら三つの要因については絶対に妥当しないのである。つまり商品の経験的定義によれば、これらは商品ではないのである。・・・・。労働、土地、貨幣はいずれも販売のために生産されるのではなく、これらを商品視するのはまったくの擬制(フィクション)なのである。にもかかわらず、労働、土地、貨幣の擬制のおかげなのである」29p
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経済的ということの形式的意味と実体的意味(foermal and substantive meanings of the economic)
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宇野経済学とのいちじるしい類似
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市場そのものをその一部として理解することができるような、より広いフレーム・オブ・レファレンスを発展させることに社会科学が成功しないかぎり、一般的なフレーム・オブ・レファレンスとして市場を乗り越えるものは現れないであろう」「これがまさに経済研究の分野における今日のわれわれの主要な知的任務である」295p
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経済学者ポランニーの関心は・・・人類学そのものを開拓してゆくことではなかった。文化人類学に対してポランニーは、どこまでも、この学問の成果を自説の証明に援用するという姿勢をとっていたにすぎないようにみえる。
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・・・ポランニーがいわゆる実体的意味の経済について、互酬(reciprocity)、再配分(redistribution)、および交換(exchange)、という三つの型を基本的なものとして抽象し、それらが経済を制度化する統合の型であるととらえている・・・。
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市場経済をふたたび社会のなかへ埋める(re-embed)」という作業は、まちがいなく現代における最大の社会的実験としての意味をもっている。かくてポランニー経済学は、大いなる転換期を迎えた今日の時点で、誰も一度は通過しなければならない学説の一つとして高く評価されるべきものということができるであろう。
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第二章 時代遅れの市場志向   初出1947年

・・われわれが今新しく直面している問題は、人間生活をどう組織するかということである。競争的資本主義の仕組みが衰えていくにつれ、その背後から産業文明の本性が無気味に顔を覗かせている。そこにはすべてを無力化する分業、生活の標準化、生物(オーガニズム)に対する機械(メカニズム)の優位がある。そもそも、科学には狂気がつねにつきまとう。これこそまさに永遠の課題である。

 しかし、単に前世紀の理想を復活させるだけでは、解決方法は示されない。われわれは未来に対して敢然と立ち向かわなければならない。その結果、機械を社会のなかに吸収するために、社会のなかにおける産業の位置を変える企てが必要になるかもしれないが、それでもそうしなければならないのである。37-38p
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市場社会

 このようにして、社会の他の諸制度とはっきり区別される「経済領域」が誕生した。いかなる人間集団も生産装置が機能しないことには生存できないから、その装置が別個の独立した領域に統合され、そのため、社会の「残り」の部分はその領域に依存する結果となった。(略)。その結果、市場メカニズムが社会全体の生命にとって決定的な要因となった。当然、新しく登場した人間集団は、以前には想像もつかなかったほどの「経済的」な社会になった。「経済的動機」がその世界の最高位に君臨し、個人は、絶対的な力をもった市場に踏みにじられるという苦しみを受けながら、その「経済的動機」にもとづいて行動するように仕向けられた。そして、功利主義的世界観へのこのような強制的な改宗が、西洋人の自己理解を決定的に歪めてしまったのである。

 この新しい「経済的動機」の世界は、一つの誤謬の上に築かれていた。飢餓にしても、利得にしても、それは本来、愛や憎しみや誇りや偏見と同じく、経済的なものではない。人間の動機には本来経済的な動機というものはない。42p

・・・つまり、人間の経済は原則として社会関係のなかに埋没しているのである。こうした社会から、逆に経済システムの中に埋没している社会への変転というのは、まったく新奇な事態であったのである。44p
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社会の現実性

「今日われわれが直面しているのは、技術的には効率が落ちることになっても、生の充足を個人に取りもどさせるというきわめて重大な任務である」「私が願うのは、生産者としての毎日の活動において人間を導くべき、あの動機の統一性を回復することである」52p
==転載ここまで==



【利得が経済的なものではないというのはどういうことだろう?英語にすると、ベネフィット?ぼくはもう利得といえば、経済的なものだと思い込まされている。】

半世紀以上前にポランニーは「時代遅れの市場志向」なんて言っている。これはあまりにも先走りすぎ。半世紀以上も遅れて、まだぼくたち追いつけてません、ポランニーさん。(苦笑)

ここで、ポランニーは「人間の動機には本来経済的な動機というものはない」というのだが、そういえば、マックス・ヴェーバーは(山之内靖さんによれば)動機についてこんな風に言っていた。以下、『マックス・ヴェーバー入門』(岩波新書)から引用

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 ヴェーバーによれば、市場メカニズムは、その存立が可能になるための条件として、内面的な――つまり、倫理的・道徳的な――動機づけが必要です。このようにヴェーバーの方法は、社会的行為の内面的動機づけに注目するものであり、そのために行為の理論と呼ばれています。また行為を動機づけている文化的意味への共感と理解を中心に組み立てられていることから、理解社会学と呼ばれることもあります。しかし、だからといって、ヴェーバーは外面的な客観法則を無視したわけではありません。むしろ問題の中心におかれていたのは、行為の内面的動機づけと外面的な客観法則との間の、複雑で時には逆説的でもある関連を解明すること、これでした。大塚久雄教授がヴェーバーの方法を「複眼的」と呼んだのは、そのためです。(『社会科学の方法』1966年)16p
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 「人間の行為を直接的に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、「理念」によってつくりだされた「世界像」は、きわめてしばしば転轍機(ターンテーブルのルビ)として軌道を決定し、その軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。」18p
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有名な二人だから、このあたりの連関を調べている人はいるんだろうと思う。時間があったら考えてみよう。(また、老後の楽しみが増えた(笑)


2021年12月追記
2002年に大田区の図書館で借りて読んだこの本
読書メモもその頃に書いたものだと思う。
20年経て、追記。
 「人間の行為を直接的に支配するものは、利害関心(物質的ならびに観念的な)であって、理念ではない。しかし、「理念」によってつくりだされた「世界像」は、きわめてしばしば転轍機(ターンテーブルのルビ)として軌道を決定し、その軌道の上を利害のダイナミックスが人間の行為を推し進めてきたのである。」
というヴェーバーの文章、ず~っと山之内さんの岩波新書から孫引きしてすませてきて、20年経て、初めて出典を調べた。

「世界宗教の経済倫理序論」大塚久雄・国松敬三訳、『宗教社会学論選』所収)








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