小倉さんの「歴史的主体について?WSFをめぐる争点の整理」について(1) リンク切れについて2021年7月追記

小倉さんがブログで、とても難解だが興味深い記述をアップロードしている。RSSで追いかけているので、掲載直後から読んでいるのだが、なかなか読みこなせない。

以下、残念ながら4つともリンクが切れています。
小倉さんに問い合わせたのですが、
自分の文章の管理ができていないので、どこにあるかわかってません。
もしみつかればご連絡を差し上げます」
というお返事をいただいています。






これ、ぼくの理解の容量をかなりオーバーしている。読み続けて考えているとメモリの容量を越えてクラッシュしそうになる。

もう少し簡単に書いてください>小倉さん(笑)



以下はいつもながら、自分用読書メモ。

気になった部分を抜書きしコメントを加える。



歴史的主体について?WSFをめぐる争点の整理(1)


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WSFが直面している問題は、20世紀の民衆運動、とりわけ冷戦後の民衆運動が制度を超える試みを展開する反面、こうした試みを制度内に抑え込もうとする資本主義側からの新しい攻勢の相克を表している。

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 「制度を超える試み」と「制度内への押さえ込み」、それは今回のナイロビに見られたような明確なものばかりとは限らないというか、明確でないほうが多いのではないか。その区別が意識されないことの方が多いようにも思える。

 目の前に苦しむ人がいるとき、それを改善する処方が、根本的な矛盾を覆い隠す役割を果たすことはあるかもしれないが、その処方が苦しみを軽減することに効果があり、かつ、根本的な矛盾の解決にリアリティが見出せないような現状で、そのような処方を無下に否定することもできないように思う。

 また、制度内的な改良で矛盾がなくなるのであれば、それはそれでいいのだが、やはりそこには限界がある。武者小路さんが指摘している、「非改良主義的な改良」が問われるようなことかもしれないが、この「非改良主義的な改良」というのも、かなり怪しいように思う。それをめざしたとしても、力関係の中で飲み込まれることのほうが多そうだ。

 制度の枠の中で問題事象が解決されるなら、それはそれでいいし、そういった類の問題も少なくない。しかし、それでは問題が解決されない事象があるからこそ、制度を超えることが問われてくる。とはいうものの、どのように制度を超えるのか、そのことはまだまだ不明確なままだ。

 というのを小倉さんは以下のように表現する。

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20世紀後半に新たに登場してきた様々な異義申し立ての諸運動は、グランドセオリーへの関心を欠く傾向にあり、反体制であってもそれが現にある体制とは異なる何を目指すのかについての総体的なビジョンを提起することはできなかった。

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順は前後するが、小倉さんが提起している支配の弁証法とは以下のようなことだ。


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▼支配の弁証法


支配的なシステムが、これに対する対抗的な要素を取り込み、弁証法的な「統一」のなかで、システムの自己維持を達成するという意味で、階級闘争の弁証法は資本主義の体制を止揚するようには作用せずむしろ矛盾をみずからの内部の抱えこみつつその解決を繰り延べして延命する方法としての役割をはたしたにすぎなかった。


このことは、支配の弁証法の外部に常に、この弁証法的な統一に還元できない異義申し立ての登場をもたらすことになる。主流の労働運動が切り捨ててきた農民や漁民、失業者、障害者、移民、野宿者、女性、少数民族、先住民、性的マイノリティといった人々は、労働運動が主要な価値観としてきた「労働の尊厳」に対しても疑問をなげかけつつ、生存の権利を主張する運動を展開してきた隠されてきた歴史がより多くの人々に知られるようになる。(中略)こうした多重多元的なアイデンティティの多様性は、資本主義の主要な矛盾はどこにあり、様々な抑圧や搾取を生み出す根源には何があるのか、という問いを常に提起することになったが、この問いかけのなかで、批判の対象になりながらももっとも有力なパラダイムはマルクス主義のそれだった。


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資本主義は、もはや社会主義あるいはマルクス主義という「反面教師」を脅威とはみなさず、資本主義の歴史的な勝利(歴史の終焉)を既成事実化すると同時に、支配の弁証法の外部にある諸々の異義申し立てに対してあらたな統合、弁証法への繰り込みをはかるようになる。かつての労働同様、人権がここでは重要な統合のための要をなすようになる。同時に、すでに述べたように、構成された「市民社会」とそこでのNGOがかつての労働組合にとってかわり、外部を内部に統合するための制度的な枠組として位置づけられるようになる。労働運動がおしなべて体制内化されるわけではなく、ラディカルな闘争力を保持する部分を残してきたように、市民社会やNGOもまたその内部に、ラディカルな異義申し立て部分を含みながらも全体の傾向としては、資本主義の統治構造のなかに組み込まれるようになる。この意味で、市民社会もNGOも支配の弁証法という罠をめぐって重要な政治的な争点を形成するのであって、その存在自体が政治的な課題となる道を歩むことになる。(続く)

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とりあえず、小倉さんはこんな風に「▼支配の弁証法」というのを説明する。この提起自体がまだまだ論争的な部分を含み持つ提起だが、ある側面から見た状況の説明としては妥当だと思う。この整理で社会運動のダイナミズムが歴史的に立体感をもって表れてくる感じはする。少し違和感が残るのは、この時代に「労働」という問題をどうとらえるか、それをどうこの枠組みで整理するかということがなかなか見えてこないことだ。


とりあえず(1)の読書メモはここまで



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