人間生活の自立と自存

ふと考えた。玉野井さんがサブシステンスにあてた訳語「人間生活の自立と自存」という言葉にはどんな意味が含まれているんだろう。部屋でシャドーワークを少しだけ探したが、出てこない。

そういえば、以前まとめたものがあったかもしれないとグーグルで探したら、でてきた。
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イリッチによるサブシステンスの視点
http://tu-ta.at.webry.info/200605/article_6.html
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ブログは便利(笑)。


ここでも自存ってなんだろうっていうことで辞書を引いたりしている。何度もわかったような気にさせられて、わかっていないことに気がつき、またほうりだして、わかったような気になり、実はわかっていなかったりする。前回、これを書いたときも「自存とは何か」という問いは途中で投げ出されている。玉野井さんはこの訳語をどういう意味で、使用したんだろう。彼が「自律と自存」という言葉をサブシステンスにあてたとき、そこにどういうイメージを込めていたのかということが昨日、帰りの電車の中で(乗車時間10分ちょっとだけど)思いつき、急に気になりだしてきた。

イリッチは「十九世紀初めの歴史を見てみると、貨幣化の進展とともに、貨幣化されない補足的なもう一つの領域が発生していることに気づく。」その貨幣化されない領域も含めて、「いずれも産業化以前の社会に一般的だった領域とは異なっている。二つの領域はともに環境にそなわる利用上の大切な価値を劣化させる。つまり、双方とも、人間生活の自立と自存の基盤を破壊するのである。(「人間生活の自立と自存」の部分にサブシステンスというルビ) 」

とこんな風に使われている。

また玉野井さんはこの訳語について、解説で
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subsistence・・これは(中略)市場経済、産業経済に対置されるキーワードであるが、これの含意する内容もかなり多義的である。地域の民衆が生活の自立・自存を確立するうえの物質的精神的基盤というほどの意味であると解される。それゆえこの言葉には「人間生活の自立・自存」といった訳語をひとまずあてておいた。 285p
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と書く。

つまり、ぼくの疑問はここで玉野井さんが「地域の民衆が生活の自立・自存を確立するうえの物質的精神的基盤というほどの意味であると解される。」と書くときの、『生活の自立・自存』とは何を指しているのだろう ということだ。市場経済、産業経済に依拠しない暮らしというような意味なのだろうか。

こんな風に何気なく読んでいた本のフレーズが突然、気になったりする。そして、ブログで振り返ってみると、同じ疑問を以前も抱いていたりする。その時のことはぜんぜん忘れていたりするんだけれども。

ともあれ、この疑問になんらかの意味があるかどうかはあまり明確ではない。玉野井さんの解釈をめぐって、それは何をイメージしていたのかということを考えるだけなら、それはあまり意味がないだろう。ただ、ここで玉野井さんが何をイメージして、この訳語をあてたのかと考えることは自分のサブシステンスのイメージを広げ、深めることにもつながるのではないかと思うわけだ。

サブシステンスという、この座りの悪い英語を使うのをそろそろやめてもいいんじゃないかと思ったりもする。

ここで、ちょっと思いついたのは「いのちが、その尊厳も含めて大切にされる社会をめざす」という価値感。開発によって、大きくなったり、早くなったり、便利になったりすることよりも、すべてのいのちが大切にされるような社会、そこに向けた転換をどう準備するのかという問題の建て方はどうかと、とりあえず置いてみることにする。

こんな風に考えたのだけれども、こういう表現にもいろいろ危険や弱みはありそうな感じもある。胎児のいのちの問題をどうするというような問いも出てきたりする。ひとつ間違えたら、プロライフだ。

こういう問題の建て方には他にも危険や弱みはあるかもしれない。言語化できないので、よかったら、どなたか指摘してください。


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