G20会議とウォーラーステインの預言

武藤さんの「もうひとつの世界への道を探る」という講座が始まった。
今日、書こうと思ったのはこの講座の話ではなく、ここで紹介されたウォーラーステインの「反システム運動」の世界革命が2回だけあったというくだり。当該部分のコピーが配られたので、あの格調高い文章をタイプしようと思ったのだが、みつからない。Web上にあるかと思って探してみたのだが、全部はない。それは、いずれ、手に入れてタイプしようと思うが、とりあえずWeb上にあったその冒頭部分だけを、以下にコピペしておこう。
===
「世界革命はこれまで二度あっただけである。一度は1848年に起こっている。二度目は1968年である。両方とも歴史的失敗に終わっている。両方とも世界を変化させた。両方とも計画されたものではなく、深い意味で自然発生的なものであったという事実は、それが失敗したということと世界を変化させたという二つの事実を証明するものである。」
===

これを引用して、ぼくが書きたかったのは、彼が1968年に始まったという反システム運動の第二波と共産主義運動に代表される第一波の運動は重なっているということ。いまはまだその移行期にあるということもできるのではないか。ゲバラの「第二第三のヴェトナムを」というスローガンはやはり国家権力をめざす運動だった。革命的な運動が国家権力をめざさないと最初に明確に表明したのはそれから26年後の94年にデビューしたサパティスタの運動だったという印象がぼくにはある。そして、いまだに国家権力の奪取をめざす運動は少なくない。このウォーラーステインの本をもう一度読み返して、第一波第二波の関係を考えてみたいが、それはいずれ。


で、今日の本題はここから。

以下、この言説をWeb上で探す過程ででてきた、彼の<「第三世界とは何もの」であったか>を紹介したい。これは2000年8月の「ル・モンド・ディプロマティーク」の記事で日本語版が幸いなことにWebで公開されている。
http://www.diplo.jp/articles00/0008-3.html

ここでウォーラーステインは現在の事態をかなり正確に予測しているように思う。
こんな風に書いている。

==部分的に引用==
 故障した車の例でいえば、こうした状況では理性的な運転手ならば車をゆっくり走らせると考えるのが妥当だろう。ところが、資本主義経済には残念ながら慎重な運転手がいない。いかなる個人も集団も、単独では必要な判断を下すことができない。多くの行為者が、それぞれの目先の利害に従って個別に行動しているため、下される判断はそれらの集積となる。これからますますカーブが増えるにもかかわらず、車は減速どころかますます加速するに違いない。

 世界経済の新たな拡大期には、資本主義を危機に追いやった諸条件が激化する。技術用語でいえば、揺らぎはますますカオス的になっていく。それと同時に、国家機構の正統性喪失に伴う果てしない悪循環の中で、個人や集団の安全は脅かされる。その帰結として、世界中で暴力が日常化するだろう。

 そして幕を開けるのは極度の政治的混乱である。現在の世界システムを理解するために考案された分析枠組みはもはや通用しないように見えるが、そうも言い切れない。従来の分析で、消えゆく現象を記述することはできる。ただし、転移そのものを記述することは不可能である。
==引用ここまで==

この極度の政治的混乱が始まりつつあるように思う。
ここで彼は転移は記述できないと書くが、この先で転移の枠組みと方向性について書いている。続けて引用する。

==引用2開始==
 目の前の現実は、政治活動によって流れを変えられる性質のものではない。その反面、転移の帰結が予測できず、揺らぎが激しさをきわめているだけに、どんなに小さな行動でも大きな反響を生むことになるだろう。われわれは現在、自由意志を真に発揮しうる歴史的瞬間に立ち会っているのである。

 この長い転移の過程では、大きく分けて2つの政治勢力が対立することになる。別の形態の下であれ、現在の不平等なシステムに結びついた特権を守ろうとする勢力と、より民主的で平等なシステムを生み出したいと考える勢力である。もちろん、前者はそのように名乗るわけではない。彼らは改革者、新民主主義者、自由の擁護者、進歩主義者、あるいは革命家をすら標榜する。だが、用いられるレトリックではなく、提言の内実にこそ目を向けなければならない。

 いずれの陣営が勝利を収めるかは、双方の動員力と、そしてかなりの部分、現在のシステムに代わる解決策として優れた現状分析を生み出す能力にかかっている。われわれが1世紀後に、変化が激しくなればなるほど変革は起こらないものだと回顧することを避けたいと思うならば、知識、想像力、実践力を結集させるべき時期にさしかかっている。転移の帰結は本質的に不確定であり、それゆえにこそ、人類の介入と創造性とにかかっているのである。
==引用2ここまで==

そう、現在の不平等なシステムに結びついた特権を守ろうとする勢力と、より民主的で平等なシステムを生み出したいと考える勢力の対立がはじまりつつある。そして、幸か不幸か両者とも「現在のシステムに代わる解決策としての優れた現状分析」をめぐる闘争において決定打と呼べるようなものは出せていないようにも思う。解決策の方向は出されていると思うが、どちらの勢力も十分に人を動員できていない。

もちろん、ぼくは後者のシステムが生み出されることを望む。そして、その方向と山之内靖さんがいう世界像革命という表現が重なる。

昨日から行われているG20の会議は前者がなんとか現状の世界を維持するために目論まれている。しかし、そこで最大の効果を得る合意ができたとしても、末期癌患者のモルヒネに値するものですらないのではないか。

そして、この前者の考え方をとても分かりやすく提示してくれているのが稲葉振一郎さんだ。彼はこんな主張をしている。
==
「やっぱり、景気はよくなくちゃ」という主張をしてきたわけである。この実も蓋もなく、一見して下品な主張の射程距離はしかし、意外と大きい。我々はすでに踏み込んでしまった。グローバル化と産業化の道に踏み込んでしまえば、後戻りはきかない。もちろんその果てには地球環境の大規模な破壊と悲惨な戦争がまっているのかもしれない。かといって立ち止まり、後戻ればおそらくやはり戦争、大量死、飢餓、自然破壊がまっている。転げ落ちないように狭い尾根を踏んでいくしかなさそうだ。
==

前者の経済成長派の人の多くはこんな風にあけすけには語らない。表面では地球環境破壊を防止し、悲惨な戦争はやめようというだろう。しかし、GDPという指標で表される経済成長を求め続けながら、地球環境破壊を止めることができないことはあきらかになりつつある。そこは稲葉さんがあけすけに語るとおりでもある。経済成長を求め続けるその先には地球環境の大規模な破壊と悲惨な戦争がまっている。

GDPという数値で後戻りしても「戦争、大量死、飢餓、自然破壊」に向かわない方向こそが求められている。限られた富をどのように分かちあうことができるのか、分かち合うための知恵、あるいは合意の方法を見つけ出すことができるのか。そのことに社会全体が気づき、異なった世界像に向けて方向転換を計ることができるのかどうか。

田中優さんはこれから10年間のうちにその転換が必要だという。GAIA理論のジェームズ・ラブロックは、もう後戻りできないところに来てしまっているので残された時間を楽しめばいいといっているという話を聞いた。それがどこまで正確な引用なのか、ぼくは知らないが。

正直、どちらが正しいかぼくにはわからない。もしかしたら、ラブロックのいうとおりかもしれないし、稲葉さんの見方があたっている可能性もあるかもしれない。

それを検証する能力がない中で、ぼくはどちらの生がぼくにとって心地よいか、どちらの方を向いて生きることが充実していそうかという風に考える。

ぼくにとって、それは明らかだ。ウォーラーステインの表現を借りれば「より民主的で平等なシステムを生み出したいと考える勢力」として、変革の可能性にかける生き方だ。

ウォーラーステインがいう第二波の反システム運動はその世界革命から40年を経たのに、その果実をまだ明確な形を表せていないと思う。そんな転換が本当に可能なのかどうか、ぼくにはわからない。しかし、そこに向かいたいと思う。これはぼくにとっての「信仰とか祈り」という領域でもある。





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この記事へのコメント

あしゅらこ
2008年11月16日 13:06
なぜか今日の話には心が揺れましたし納得出来るものがとってもたくさんありました。啓蒙力
90パーセントでした。勿論私も後者をめざしてたいと思っております。
2008年11月16日 22:56
あしゅらこさん、コメントありがと。
こんな風に読んでくれてる人がいると元気が出ます。

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