『戦争は教室から始まる』北村小夜著紹介 おおたジャーナルに書いたもの

戦争は教室から始まる――元軍国少女・北村小夜が語る(現代書館 2008年9月発売)

相当前に「おおたジャーナル」に書いた小夜さんの本の紹介。
あの頃、この本をねたにして小夜さんの講演会を開こうと思っていたんだけど、結局、出来なかった。

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この本は二〇〇六年から二〇〇七年、六回に渡って行われた北村小夜さんの連続講座「戦争は教室から始まる――学校の戦前戦後、断続と連続」の記録。講座の主催は「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会。

ずっと大田区に住み、大田区の学校現場にこだわって生きてきた小夜さんの連続講座を大田区で作れていないのは残念な話だが、「北村小夜さんの『知』と『力』を引き継ぐために」という講座の中身を共有できるのはうれしい。

六回の連続講座に沿った形で、参加した人の文章も掲載され、立体的に理解できるようになっている。

出版元のHPでの本と著者の紹介は以下。
修身教科書と道徳『こころのノート』、「われは海の子」「海」など今も歌い継がれる唱歌の軍国主義的歌詞、「お国のために」の皇民化教育と能力主義教育など、戦前と今の学校教育の類似点、現代につながる「戦争できる国」づくりの思想を当時の資料を基に解説。

北村さんは1925年生まれ。軍国少女として育ち、従軍看護婦として満州で敗戦を迎えて八路軍と大陸を歩き、後教員(特殊学級担任)として子どもを分けるなと言い続けてきた。教育基本法が「改正」され、日の丸・君が代が日常化した学校はすでに戦前であると言う。


定年後は日本語教師として再び中国に移り住んだ小夜さん(この記録も「再び住んでみた中国」という本になっている)、一見、そうは見えないけれどもエネルギッシュな彼女のこの講座記録、今の時代と戦前の連続性を考えていく上でとても参考になる。

小夜さんは戦後の教育の歴史と自らの取り組みについて「大雑把に振り返ると、教育行政は制定直後から憲法・教育基本法の空洞化・形骸化を基調としてきました。私の教員生活とその後の取り組みは、それとの闘いであったように思います」と書く。そして、その取り組みが不十分で、戦前教育の息の根を止め得なかった結果として現在の状況があるのだとし、その慚愧の念で「戦争は教室から始まる」と言って歩いている、という。しかし、一方でぼくは、この本でも紹介されている反動的な動きに対する小夜さんたちのぎりぎりの抵抗があって、現状で踏みとどまっている部分もあると思う。

この本では、戦前への回帰、あるいは戦前との連続の面が強調されているが、状況は単純な回帰や連続ではなく、断絶と連続が複雑に交ざりあっている。この本のなかでさまざまな資料を使いながらていねいに説明されている「回帰」や「連続」という側面には注意しなければならないし、そのことを忘れたようなマスコミも最悪だと思うが、同時に、戦争への反省を自虐史観だと蔑み、戦前への回帰を求める勢力が、単純にそれを推し進めることができない状況も存在する。いまは戦前かもしれない。しかし、それは七~八十年前の単純なそれではない。

確かに学校現場、とりわけ東京でそれは窒息寸前まで来ているようだ。そして、そのことに危機意識を持たない教師や親が少なくないように見えることも恐ろしい。同時に、教育労働運動も教育をめぐる社会運動も教育に関するトータルなビジョンをちゃんと提示しえていないように感じる。いまの日本の学校のようではない学校はありえるはずだし、そんな学校もまだ存在しているはず。戦前への回帰につながる動きを拒否する運動とともに、学校がどんな空間であるべきなのかという議論がもっとあっていいと思う。

小夜さんの勤評闘争時の大田区内でのオルグの話や古傷の話など、紹介したい逸話はたくさんあるが、紙幅が尽きてしまった。

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原稿、ここまで。

PCに消し忘れていたものを偶然見つけたんだけど、これが最終稿かどうか、わからない。

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