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zoom RSS 『その花が咲くとき―障害者施設「川口太陽の家」の仲間たち』メモ

<<   作成日時 : 2018/09/11 05:10   >>

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『その花が咲くとき―障害者施設「川口太陽の家」の仲間たち』(松本哲著)メモ

最初に読書メーターに書いたメモは以下
8月26日、著者の松本哲さんの講演会で購入、読了。どんな人も断らない施設。行き場のない多くの人がそこで救われているのは理解できる。そこで行われている支援は一人ひとりに寄り添い、とても暖かいと思う。しかし、それでいいんだろうかという思いも消えない。「施設ではなく地域であたりまえに」という理念とは少しズレがある。緊急避難としてそれが求まられているのは理解できるが、それがゴールではないのではないか。悩ましい。松本さんの実践のすごさがその、ぼくの悩みをさらに深いものにする。


ちょっと、つぼだったのが「目玉焼きを作るけど、卵割れる?」と聞いて「割れる」と答えたので、卵を渡したら、壁に向かって投げたという話。確かに割ってる(笑)。あと、「生まれたときから、家の財布には絶対手をつけてはいけない」と教えられてきた人が仲間の財布からお金を盗んで「家の財布じゃないもーん」という返事だった、っていう話。54-55p

 衝動性が高く、入所施設を抜け出して、盗みや他人の家に上がり込むなどを繰り返していた たかひこさん。生活していた施設で断られ、松本さんのところへ。「あなたはどうしたいの」と松本さんが聞き、「他の家に上がり込みたい、物やお金を盗みたい」と返事があると思っていて、そう言ったら「あなたが来るところはここではないよ。病院に行こうね」と答えるつもりだったが「みんなと働きたい」というので受け入れた、と書かれている。松本さんの施設を入所後も脱走を繰り返し、無賃乗車でアメ横から関西へ行くパターンで問題を起こしては戻ってきていた。その彼がいつものように脱走し、しかし目的地に行く前に警察に捕まり、引き取りに行って、戻ってから話したとき、「ごめんなさい」を期待していたら、彼の口から出てきた言葉は「これからアメ横に行く」。
 ついに松本さんも切れて、彼の胸ぐらを掴み「お前と俺の5年間を返してくれ」と泣きながら詰め寄り、彼の背中が当たったスチールロッカーのガラスが割れ、松本さんが我に返り、彼を見ると困った顔をしていた。それは初めてみせる表情で・・・。そこから彼が落ち着くようになったという話が紹介されている。56-61p

この話で、印象深かったのは2点。一つ目は切れたことを隠さずに書く松本さんの凄さ。

二つ目は盗みなどを続けたいと言ったら、行くべきは病院だと答えようと思っていたという話。実際、彼がそう言ったら、本当に「行くべきは病院だ」と答えたかどうかはわからない。最後の方に書かれているのは入所・通所は職員会議で決定するが、入所・通所を断る理由として確認されていたのは「伝染病」と「家が遠いこと」とのこと。

ここはけっこう気になるところ。仮に彼が病院に入っても回復するとはとても思えず、薬漬けで化学的拘束を受けるだけじゃないかと思う。病院は彼を動かなくさせることはできても回復させることは出来ない。


太陽の家の労働の定義
太陽の家では「働く」ことは権利であり、青年期を迎えた仲間たちの中心的活動と捉えています。
そして、働くことは「何をするか」ではなく「どうあるべきか」というありようで考えています。
太陽の家では
1 社会とつながること
2 働くことを通して一人一人が豊かに育つ(自己実現)
3 お金を稼ぐ (労働の対価として社会から受ける評価)
の3点があれば、その人は「働いている」と考えています。
168p


【働くことは「何をするか」ではなく「どうあるべきか」というありようで考えています】というのは深い。働くとは「すること(Doing)」ではなく「在ること(Being)」。

「何をしているかではなく、どのように存在しているか?」 そこに「働く」ということの核心がある。「『出来る・出来ない』を問題にしない」という言い方があるが、ぼくは「出来る」に徹底的に寄り添っていいのではないかと思う。どんなに重い障害があっても「出来ることはある」のではないか。ALSで「ロックトイン」と呼ばれる状態になっても、彼女や彼が生きていることが家族に生きる力を与えているなら、それは「生きて心臓が動いていること」が働くということになっているのではないか?

そういう意味で、障害に応じて、この「1」さえあれば「働いている」と言えるのではないかと思う。

逆にその存在が社会の側から切り離され、働く権利を奪われ、孤立させられ、誰からも意思を読み取ってもらえないという状況に置かれる場合もあるかもしれない。もっといろんなことができるのに、「出来ない」と決めつけられ、もっと本人らしく働く可能性を奪われていることもあるかもしれない。そのような仕方で「働く権利」を奪われている人もいるのではないか。

ここまで書いて、「待てよ」と思う。もしかしかしたら、この「1」さえ、いらないということもあるかも。 とはいうものの、3の「お金を稼ぐ」ことが可能であれば、そこは追求したいと思う。それにこだわるから、作業所におけるアートの活動に関して、微妙な思いを捨てられない。(そのことについては少し後の方に、もう少しだけ書いてる。)

これに続けて
障害の重い人たちが労働に参加するためには、様々な配慮と工夫が必要になります。
ここでは@量の見通し、A質の見通し、B役割の見通し、
三つの見通しについて考えていきます。168p

量についてはそういうこともあるかと思った。しかし、仕事は次から次にある。「量を最初に提示し、追加しない」というのはどうなのだろう。早く終わったら、次をやってもらうっていうのは当然なので、それを受け入れてもらう努力が必要なのではないか。そして、障害が重くてもそれは可能なのげはないか、とも思う。

質と役割については、書いてあることはその通りで、仕事の質や、自分が必要とされているということがモチベーションを喚起するのだけれども、それを「見通し」と呼ぶかなぁ?も思った。


「太陽の家」では多くの仲間が表現活動を仕事に(174p)
1、バブルの崩壊
2、まさこさんの ポストカードは注目されるようになり 彼女が 心を開くようになった
この二つのきっかけを通して、職員とは180°の方針転換をして
「できないことをできるようにする」ではなく、「本人が好きな事、興味がある事、やりたいこと」を軸に活動を組み立て、その活動を通して社会参加を図るということにしました。それが、表現活動です。176p


 太陽の家ではそれを余暇やクラブ活動ではなく、「仕事」だ(174p)というとき、問題になるのは作品が売れるかどうかだと思うのだが、どうだろう。この表現活動でどれだけの賃金が得られるのか。それとも、賃金は考えないのか。太陽の家での「働く」の定義でも【3 お金を稼ぐ (労働の対価として社会から受ける評価)】とある。それで、どのように稼げるのか。「余暇やクラブ活動」と「仕事」の境目、微妙な問題を含む。
 障害があろうがなかろうが、「好きなこと」と「仕事」の壁は大きい。好きなことを仕事にできる人は少ない。それをどう仕事にするかを苦心し、あきらめる人も少なくないだろう。あるいは初めからあきらめて、好きなことは趣味にするかだろう。この太陽の家ではその「壁」をどう考えているのかを知りたい。
以下のように書かれているが、よくわからない。
 表現活動を仕事にしたいという願いから、仲間の仕事場&外部に開かれたギャラリーとしての工房集が誕生した。
 この仲間たちの姿は、社会の中の障害のある人たちの存在意義を変える、新しい価値観を創造しているように思えます。
 私たちは、このような関係が世界の標準になり、みんなにとって社会がより良い明日になっていくことを願っています。177p



〜〜〜〜
〜〜〜〜

「松本さんや、太陽の家はいつもきれいごとばかり言っているけれど、大丈夫なの?」と言ってくれた人に
「本当に困難な人を受け入れるためには、きれいごとが必要でしょ。そのきれいごとで、躊躇する自分の背中を押して、困難さに向き合っていくんだよ。そして、 実践する中で、きれいごとを具体化していくんだ」と。
「なんで、そんな絶望的な人を受け入れるの?」と言ってくれた人には、
「誰が絶望しているんだろう、私はあなたではないだろうか? 出会う彼らは絶望していない。希望を持っている。自分達はその希望を支えるんだ」と伝えました。 191p

かっこいいなぁと思う。いろいろたらいまわしにされて、最後に松本さんのところにたどり着いたような人を、施設ではなく地域で見るということが可能なのか、と考えたとき、確かに難しいことは多い。施設であればフォローがしやすいという面は確かにある。そういう意味で施設を通過型を位置付けるのであれば、施設もありかもしれないと思わせる川口太陽の家の取り組みだった。しかし、「選択肢は他にもある」というのは言っておきたい とも思った。



この本の最後、「おわりに」の前に高橋孝雄理事長がコラムで太陽の家の始まりについて書いている。
養護学校の卒業生から「在宅を出さない」という取り組みから始まった。
当時は「在宅も進路」と言われていた時代だった。
そんななかでどんな障害を持っていても入れる社会福祉施設づくりをめざした。
入所の決定は職員会議に任されていたが、
断る理由として確認されていたのは
@現在伝染病にかかっている人
A家が遠すぎて通えない人
というわけで、「実際はどんな人でも入所が決定しました」、
「断る理由でなく、受け止める条件を作る」ことを大切にしてる(202p)
とのこと。ここは見習うべきところ。

 あと、これは真似できないと思ったのが、公務員並みの労働条件と基準を上回る配置。理念としては正しいと思うし、真似したいと思うのだけどよっぽどの寄付がなければ、これは難しそう。発足したころに教員からの寄付があったという話があるけれども、今、どうやってお金を集めているのだろう。

 ともあれ、「スタッフが大切にされることが、福祉の向上につながる」(203p)というのはその通りだと思う。メンバーもスタッフも大切にされる、その大切にされ方は異なるのだろうが、両者が別の方法で大切にされること、すごく重要だと感じている。

「おわりに」で松本さんはこんな風に書く。
 約35年間、障害のある人たちと向き合って今実感していることは、「愛される障害者づくり」ではなく、一人ひとりが自分以外の他者を信頼し愛せるようになることが、豊かに生きていく一番の鍵だと感じています。
「生きていく」とは、次から次へと新たな困難に出合うことです。
 出合う困難に対して鋼のような強さを身につけることが大切なのではなく、 「しなやかさ」「賢さ」が本人の中に積み上がっていくことが重要で、それは大切な人との共同のなかで育まれていくものだと思って います。(206p)

 「『愛される障害者づくり』ではなく、一人ひとりが自分以外の他者を信頼し愛せるようになることが、豊かに生きていく一番の鍵だ」と言われてしまうと、正直に言って、少し鼻白む感じがないでもない。しかし、ここで言おうとされていることもわかるような気もする。ぼくにはこんな表現は出来ないけれども。

 分解すると、まず、「『愛される障害者づくり』なんか蹴飛ばせ」という感覚はある。そして、「一人ひとりが自分以外の他者を信頼し愛せるようになることが、豊かに生きていく一番の鍵だ」と書かれるのだが、まずその前に、おそらく、いろんな問題を抱えた彼や彼女が、ほぼそのままの形で受け入れられること、受け入れられていると感じることが必要なのだろう。まず、変わるべきは障害者本人ではなく、まわりの人たち。そういう環境ができてきたとき、問題を抱えた当時者も、今まで自分以外はすべて敵のように感じていたその態度を少しずつ柔らかくしていくことができるはず。それを他者への「信頼」とか「愛」と表現することもできなくはないが、ぼくの感覚としては「一緒にいる」という感じ、それこそが大事なんだと思うし、ここで、「それは大切な人との共同のなかで育まれていくもの」というのはそういうことだろう。

 再び書くと、川口太陽の家の実践は確かに美しい。そこに愛や信頼がある。そこにはいろいろな困難も当然あるだろう。そんな施設で温かく守られた人生を否定できるかと言われると、なかなか難しい面もある。

 しかし、あえて「しかし」と言おう。その温かく守られた場所から一歩踏み出すことも必要なのではないか。その温かい場所から「地域」という猥雑で、ときに冷たい顔を見せる場所に出ていくことが必要なのではないか、と。



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