『助けてが言えない』メモ

出版社ホームページ https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8072.html から

1 助けを求められない心理

 1 「医者にかかりたくない」「薬を飲みたくない」

    ーー治療・支援を拒む心理をサポートする……佐藤さやか

 2 「このままじゃまずいけど、変わりたくない」

    ーー迷う人の背中をどう押すか……澤山 透

 3 「楽になってはならない」という呪い

    ーートラウマと心理的逆転……嶺 輝子

 4 「助けて」ではなく「死にたい」

    ーー自殺・自傷の心理……勝又陽太郎

 5 「やりたい」「やってしまった」「やめられない」

    ーー薬物依存症の心理……松本俊彦

 6 ドタキャン考

    ーー複雑性PTSD患者はなぜ予約が守れないのか……杉山登志郎


2 子どもとかかわる現場から

 7 「いじめられている」と言えない子どもに、大人は何ができるか……荻上チキ

 8 「NO」と言えない子どもたち 

    ーー酒・タバコ・クスリと援助希求……嶋根卓也

 9 虐待・貧困と援助希求

    ーー支援を求めない子どもと家庭にどうアプローチするか……金子恵美


3 医療の現場から

 10 認知症のある人と援助希求

    ーーBPSDという用語の陥穽……大石 智

 11 未受診の統合失調症当事者にどうアプローチするか

    ーー訪問看護による支援関係の構築……廣川聖子

 12 「人は信じられる」という信念の変動と再生について

    ーー被災地から……蟻塚亮二

 13 支援者の二次性トラウマ、燃え尽きの予防……森田展彰・金子多喜子



4 福祉・心理臨床の現場から

 14 「助けて」が言えない性犯罪被害者と社会構造……新井陽子

 15 薬物問題を抱えた刑務所出所者の援助希求

    ーー「おせっかい」地域支援の可能性……高野 歩

 16 性被害にあい、生き抜いてきた男性の支援……山口修喜



5 民間支援団体の活動から

 17 どうして住まいの支援からはじめる必要があるのか

    ーーホームレス・ハウジングファースト・援助希求の多様性・

    つながりをめぐる支援論……熊倉陽介・清野賢司

 18 ギャンブルによる借金を抱えた本人と家族の援助希求

    ーーどこに相談に行けばよいのか……田中紀子

 19 ゲイ・バイセクシュアル男性のネットワークと相談行動

    ーーHIV・薬物使用との関連を中心に……生島 嗣



座談会:「依存」のススメーー援助希求を超えて

  ……岩室紳也×熊谷晋一郎×松本俊彦



1 「医者にかかりたくない」「薬を飲みたくない」

    ーー治療・支援を拒む心理をサポートする……佐藤さやか から

変わらなければいけないのは、病院が嫌いで薬を飲まない当事者ではなく、何とか当事者に薬を飲んでもらおうとつい考えてしまうわれわれ支援者や、そうすることでしか地域支援が成立しないような支援システムのほうなのだ。  


2 「このままじゃまずいけど、変わりたくない」

    ーー迷う人の背中をどう押すか……澤山 透 から

   1 まずは正したい衝動を抑える

 ・・・一般にわれわれ援助者は、クライエントが矛盾した言動を行うと、その矛盾を正したい衝動に駆られる。一方で、人間は本能的に、何をすべきか強制されたり、命令されたりすることに抵抗する。

 変化を引き起こす観点から見て、 もっとも好ましからざる状況は、援助者が変化の必要性を提唱し、クライアントがそれに反対して議論となる場面である。 このような論争は、クライエントの抵抗をより強化する。そして、そのクライエントの抵抗というのは、援助者のアプローチの仕方を変化させることによって、増大したり減少したりする。つまり、援助者がクライアントの矛盾を正そうとすればするほど、クライエントは防衛的になる。20-21p

   2 受容・共感的かかわる

・・・葛藤の強いクライエントであればあるほど、相手の話を傾聴し、受容・共感的かかわることが重要になってくる。

 受容・共感的にかかわるために必要なことは、クライエントの話を批判したり裁いたりせずに傾聴し、クライエントの考えや感情、置かれている状況を理解しようと努めるとともに、その理解をクライアントに伝えることである。 たとえば、クライエントに「もう死にたいです」と言われた時に、「死んじゃだめだよ」とこちらの意見をいきなり押しつけるのではなく、「それくらい追い詰められているんですね」「もうどうしていいのかわからなくなってしまったんですね」などと相手の気持ちを推察しながら理解しようと努め、その理解をクライエントに伝えることが大事である。22p

これ、複数で聞けば、そのままODだなぁ、と思う。

   3 相手の変わりたい気持ちに気づき、引き出し、強化する 

・・・(1と2の)二つを実践するだけでも、ある程度、クライエントの気持ちは和らぎ 、関係性も良好なものになっていく。時には、特にこちらが意見を言わなくても、クライエントのほうから「でも、このままじゃまずいですよね」「なんとかしたいって気持ちはあるんです」といった変化に向かう発言が聞かれることもあるだろう。

 ここでもう一度、クライエントの変化を促すためには、こういった相手の両価性のもう一方の側面(変わりたいという気持ち)に気づき、それを更に引き出したり強化したりすることが肝要となる。「このままじゃまずい」とクライエントが発言したら、「どんなことが心配なんですか?」とさらに変化に向かう発言を引き出したり、「変わりたいって気持ちもあるんですね」と変化に向かう発言を強化したりするような応答が有用である。

 それには、クライエントの話を注意深く聞くことが求められる。23p

 そして、両価的葛藤のあるクライエントが「変わりたくない・変われない」といったときに、その理由を聞きたくなるが、これが現状維持に向かう発言を強化するので、「変わりたい」という気持ちのほうに着目し、それに応答することで変わりたいという気持ちを強化する。また、よい考えや行動に気づいたら、それを肯定し、敬意を表することで、クライエントが本来持っている前向きな考えを強化し、自信や動機を引き出すことに役立つ、と書かれている。

   4 助言する、懸念を伝える

 援助者として、助言したり懸念を伝えたりしたくなった時に、すぐにそれをしてはならない。以下の二つを自分自身に尋ねて、二つとも「はい」と言えた時のみ、クライエントに助言や懸念を伝えてほしい。

 ①この件について、クライエント自身の考えや気持ちを引き出す試みをすでに十分行ったか?

 ②さらに、これから提供する助言や懸念は、クライエントの安全や、変わりたいと思う気持ちを強化することに重要だろうか?25p 

(中略)

 ・・・上記の①および②を満たして、実際に情報提供や助言を行う際は、押し付けにならないように配慮するとともに、最終的な判断はクライエント自身が行うことを強調したほうがよい。たとえば「 一般的には……」「医学的には……」といった文脈で控えめに情報提供したり、「もちろん最終的にどう判断されるかは、〇〇さんの次第なのですが」などの相手の自発性や選択権を強調する枕詞を使ったりするとよいだろう。そして、こちらが伝えた情報や助言、懸念をクライエントがどう理解し解釈したかを、「私の話を聞いて、どのように思いましたか?」といったように尋ねることも大切である。26p


   5 1~4を繰り返しながら、かかわりを継続する

もちろん1~4を実践したからといって、すべての迷えるクライエントの背中を押せるわけではない。では、 どうしたらよいのか。

 次に行うことは、早急な変化を求めてクライエントにダメ出しすることではなく、受容・共感的に相手の話に耳を傾け、相手の両価性のもう一方の側面(変わりたいという気持ち)を逃さず、引き出したり強化したりすることである。・・・

 援助者は・・・クライアントが前に進むのを助けるが、その援助の本質は、クライエント自身が自らの問題を解決することに対するサポートにある。 26-27p

 「おわりに」では、これが動機付け面接の精神や技法に沿ったものであると書かれている。かかわりを継続するっていうのはODも同じ。

 「このままじゃまずいけど、変わりたくない」と迷う人の背中をどう押すかという話なのだが、これって、「援助者」(こう言い方もあるのかと思ったが)の価値観によるコントロールとの境目が微妙だなぁと思う。それを防ぐためにも、1対1ではなく、ODのように複数の「援助者」が関り、当事者・「援助者」以外の関係者も関わることが大事なんだろうな、と思ったのだった。



5 「やりたい」「やってしまった」「やめられない」

    ーー薬物依存症の心理……松本俊彦

 つくづく薬物依存症者は誤解されていると思う。たとえば、自分が担当する薬物依存症の患者から、「(クスリを)やりたい」「やってしまった」「やめられない」と訴えられたら、あなたはどう感じるだろうか。悲しい気持ちになるだろうか。それとも、性懲りもなく不謹慎なことを言う患者に、「反省が足りない」「ふざけている」と怒りを覚え、不機嫌になるだろうか。

 いずれの反応も援助者の取るべき態度として不適切だ。というのも、薬物依存症からの回復に必要なのは、安心して「やりたい」「やってしまった」「やめられない」と言える場所、そう言っても誰も悲しげな顔をせず、家にもならない安全な場所だからだ。55p

松本さんはこの本で、この場所の必要性を何度も繰り返し、結語では、それなしには薬物依存の治療や回復支援は、ありえない、と言い切るのだった。67p



6 ドタキャン考

    ーー複雑性PTSD患者はなぜ予約が守れないのか……杉山登志郎

ここで杉山さんは自分の治療現場で、ADHDの親子にドタキャンやドタカム(初めて聞いた)が多いと書く。しかし、「何よりも、このような不安定な親子を治療するとなると、ドタキャンやドタカムをニコニコしながら受け入れる気持ちを常に維持することが必要である。それなくしては、そもそも治療が成立しないというのが、この小論のささやかな結論である」(78p)という。



9 虐待・貧困と援助希求

    ーー支援を求めない子どもと家庭にどうアプローチするか……金子恵美

 複雑な生活課題を抱えた子どもと家庭は、なぜ支援を求めないのであろうか。閉ざされた家庭に入る人は、「支援者の顔は笑っていても、目は行っていない」と語る。困っている時に放置し、問題がどうしようもなく膨れ上がってから笑顔で近づいてくる支援者への敵意がある。その根底にあるものは、助けを求めようにも迷惑だと避けられ、あるいは偏見によって拒まれてきたという体験であり、社会に対する不信である。閉ざされた家庭の問題は、人間関係の困難や資源の活用力など個々の要因のみで解き明かすことはできず、多様な要因が複合的に絡み合って累積し、社会からの介入の阻止が積み重なるプロセスにあると捉えるべきものである。その結果として、子供と親は well-being への意欲や将来展望を抱けず、諦めや不信を表出して、社会との関係を閉ざしている。104p

 家庭の理解者や直接的に家庭とつながる資源が増えるにつれて、関係者間で認識や戦略を共有できると同時に、家庭の入れる時にも対応できる強く柔軟なネットワークとなっていく。支援を求めない子どもと家庭は、関係が作りにくいだけでなく、切れやすい。しかし一箇所との関係が途切れたとしても他につながっている先があれば、支援は継続する。さらに多様な関係者が連なり円環のネットワークとしてつながっていくことは、親子を直接的に支えるだけでなく、関係者が相互に支え合うものとなる。

 親子は柔軟で強いネットワークの中心であり、多彩な関係者との交互作用により生活に変化が生じる。 それは諦めていた人生にポジティブな意味づけを見いだすことであり、自己肯定感を高め、価値や生きている意味を再構築する。子どもは自分のことを心配してくれる大人の存在を感じることで夢と希望を持つことができる。ともに困難を乗り越えてくれる大人に支えられて努力し、達成することができる。

 だが、 リスクの高い家庭は揺れ動きが激しい。したがって、将来までを見通した対応を検討・準備しておくことも重要である。具体的には、エビデンスを蓄積することによって、先を見通してチームを作り、協働する。例えば子どもの保護も視野に入れて、児童相談所と地域が早い時期から連携することで、家庭と対峙する役割を児童相談所が戦略的に担い、地域は家庭に寄り添うことができる。108-109p

きれいごとだなぁと思う。そもそも、児童相談所は人手不足で早い時期の対応などに人を避ける状態ではない。一人の支援者さえ受け入れられず、やっと受け入れた親がネットワークを受け入れるなどということがあり得るだろうか? 理想だけが語られているという感をぬぐえない。


10 認知症のある人と援助希求

    ーーBPSDという用語の陥穽……大石 智

BPSDとは、というのをグーグルの音声入力でいれようと思ったが、うまくでてこない。
しょうがなく、つっかえて、ミスタイプしながら以下にタイピング
Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia

認知症の行動・心理症状

「BPSDがあるから薬物を」と、なりがちな施設入所。その行動がBPSDだと捉えることが支援を困難にしていると 著者は書く。

 認知症のある人が抱きやすい心情を想像しながら、援助希求能力という視点でこころと行動の変化を考えることは、さまざまな効用をもたらしてくれる。

 BPSDとして解釈することは、「それは認知症の症状だから薬でなんとかしたい」という認識をもたらしやすい。しかし拒否、暴言や暴力、暴走と呼ばれる変化に薬物療法がもたらしているのは、実は鎮静という副作用の二次利用にすぎないことが多い。こころや行動の改善が得られているように見えても、それは単に鎮静効果によって静穏化されているにすぎない。そしてこころや行動の改善がやられたように見えても、薬物療法は廃用性の筋力低下、誤嚥、転倒などを引き起こし、結果的に本人の QOL を低下させかねない。

 しかしこころや行動の変化を援助希求能力という視点で捉えることは、「助けを求めているのだとすれば何に困っているのだろうか」と、支援する人が変化の理由を検討し、対応を考える姿勢をもたらす。これが援助希求能力という視点を持つことの最大の効用といえる。

119-120p

 BPSDという言葉を使わないで、まずは認知症のある人のこころと行動の変化を、ありのままの言葉で表現するところから始めてみてはどうだろうか。安易に BPSD と言わないところから始めることが、認知症のある人の支援をよい方向へ導いてくれるだろう。そしてそうした理解を支援する人が近くにいる人たちへ伝えていくことは、認知症があっても安心して暮らしやすい街を作ることに寄与するに違いない。123p

これ、重度の知的障害や重い精神障害で妄想などが出やすい人にもあてはまるのではないかと思った。



11 未受診の統合失調症当事者にどうアプローチするか

    ーー訪問看護による支援関係の構築……廣川聖子

ここで受診や支援とつながらない当事者とどうつながるかという例が以下のように書かれている。

・・・直接会えないことが続いても会うことを急がず電気メーターや洗濯物から生活実態があることを確認しつつ機会を待つ。 メモ等を残し気にかけているという気持ちを伝える、支援者であることを強調しない、対象者のタイミングを崩さないイレギュラーな訪問方法を取る、等があり、こうした工夫により少しずつ支援者の存在を認識してもらう。アクセスできるようになってからは、シャットアウトされないよう、会話や観察の隅々から次回以降の訪問につなげられる要素を多く見つける。嫌がる話題は避ける。介入を焦らず本人・家族の訴えをよく聴く、等を意識しながら、本人・家族にとって有害な存在ではないことを理解してもらえるよう努める。また、 顕在化している問題への直接的介入以前に、介入しやすくするための環境調整や、家族との相互関係の中で滞在している問題を把握し支援の優先順位を柔軟に変更する、世帯・環境全てを見渡したうえで必要な社会資源を組み入れた支援体制を見立てる、等も必要である。129p

あと、アプローチを試みる側は、失敗してもめげないことが大事かなぁ?



12 「人は信じられる」という信念の変動と再生について

    ーー被災地から……蟻塚亮二

 考察の部分で、以下のように書かれている。

 2でみたように、少なからぬ人が、震災前より付き合いの範囲が狭まっている。「より選択的で相手を見据えた対人関係」を目指すことによって、震災が個人や集団に与えたトラウマから再生していけるかもしれない。142p

 震災でつきあいが狭まった人が【「より選択的で相手を見据えた対人関係」を目指すこと】って難しいんじゃないかと思う。それができないからこそ、付き合いの範囲が狭まるのではないか 。っていうか、この「2」で書かれているのは「狭まってもいいんだよ、ただ、全部なくすなんてことはないようにね」っていう話だと思う。

 「いま難しければ、無理して広げる必要はないし、気持ちが落ち着いたら昔みたいに人と付き合えるようになるかもしれないし、ならなくても大丈夫」って伝えてあげることのほうが大切じゃないかと感じてしまうので、ここはもう少し、わかりやすく、こんな風に書く理由を提示してほしかった。

 3で述べたように、悲しむことは他人との肯定的な関係を前提として可能になる体験である。人間に対する感情が凍りついて麻痺している時には、泣くことはできない。したがって悲しむこと、あるいはその悲しみを受け止めてくれる他人の存在は、震災やトラウマからの再生の条件であろう。142

 そう、これを読んで思ったのだった。SNSで「悲しい」とつぶやくことも、それをうけとめて慰めてくれる人がいるからだ。

 ナチスの絶滅収容所に閉じ込められて生き延びた精神科医フランクルは、『それでも人生にイエスと言う』の中で、「生きるうえでの喜びや幸せとは、生きた結果として湧くものだ」という。だから生きる意味を問い続けることは不毛であり、生きる意味ではなく、ともかく生きるという意思が大切だという。143-144

とはいうものの、生きる意味を見失った人に「ともかく生きる」という意志の選択はしにくいだろう。死にたいというような気持ちにとりつかれた人に、先日読んだ本では、まず気持ちに寄り添って、「死にたいほど苦しい世の中だよね」みたいな話から、理由を聞いてみるみたいなことが書いてあったようなおぼろげな記憶、と思ったら、この本だった

たとえば、クライエントに「もう死にたいです」と言われた時に、「死んじゃだめだよ」とこちらの意見をいきなり押しつけるのではなく、「それくらい追い詰められているんですね」「もうどうしていいのかわからなくなってしまったんですね」などと相手の気持ちを推察しながら理解しようと努め、その理解をクライエントに伝えることが大事である。22p



13 支援者の二次性トラウマ、燃え尽きの予防……森田展彰・金子多喜子

図表13-1  トラウマ症状のあるクライアントと2次性トラウマのある支援者の認知の歪み

この図表が149-150pの2ページ見開きで出ている。それなりに面白そうな気もするが、字が小さくて読む気が失せる。

156pでは、「普段からの主演関係の在り方について見直すことが有用であると思われる」として、「その点で参考になるのはオープンダイアローグである」と書かれている。



15 薬物問題を抱えた刑務所出所者の援助希求

    ーー「おせっかい」地域支援の可能性……高野 歩

     薬物依存者の「声」をキャッチする

 刑の一部執行猶予制度において薬物依存者の社会復帰が重視されているのはたしかだが、司法制度の枠組みのなかでは、本人のニュースが社会のニーズに巧妙にすり替わってしまうことがある。就職して生活を再建したい、家族との関係を取り戻したい、二度と薬物を使うことがないような生活を送りたい、といった希望は本人のなかにもあるものだとは思うが、同時に社会から期待されていることでもある。保護観察所は当事者から見れば司法機関の一つであり、保護観察中は司法的に取り決められた遵守事項という社会からの期待に沿った行動をすることが求められる。そのため、保護観察官に「本音」を出すことに抵抗を感じるものを少なくないだろう。「本音」が言いにくい状況では、本人の人数が歪められてしまう危険性があるのだ。176p

このことを、もっと明確に言っているのが、5章の松本さんの文章でもあるだろう。

177p~は Voice Bridges Prject が紹介されている。保護観察所と精神保健福祉センターと国立精神・神経医療研究センターを結ぶプロジェクト。まったく知らなかった。

知らなかったのが、『ダメ。ゼッタイ。』が国連の   ”Yes to life, No to drugs”の和訳だという話で、前半の部分がなくなってしまっていること。ここで、その前半部分がなければ支援は成立しない、と書かれている。



17 どうして住まいの支援からはじめる必要があるのか

    ーーホームレス・ハウジングファースト・援助希求の多様性・

    つながりをめぐる支援論……熊倉陽介・清野賢司

・・・人が「『助けて』が言えない」背景にはさまざまな理由が想定される。 助けを求めれば助けてもらえるということを知らないこと。助けを求めるやり方がわからないこと。過去に「助けて」と言ったが、結果として助かるとほのか尊厳を剥奪されてしまう経験をしたことがあること。それよりは自分だけの力で生きていたいと思っていること。人に助けてもらうことに罪悪感を抱えていること。自分には助けてもらう価値などないと思っていること。すでに大切な誰かと助け合っており、その暮らしが行き詰まっていることには気づきながらも、親密な関係性の中で助け合っているがゆえにその関係を壊すような第三者には助けを求めづらい状態になっていること。「『助けて』が言えない」理由は多様であり、それぞれの人が「助けて」と見えなくなるまでには固有の歴史と物語がある。198-199p

どうして、ホームレス・ハウジングファーストが有効なのか、という問いに以下のように応える。

 まず第一に考えるべきは、ハウジングファーストが、「どうして基本的人権としての住まいを得ることを前提として考えられないのか」と言う、既存の社会保障制度の今後の課題を提起しているという点・・(略)

 次に目を向けるべき、ハウジングファーストという概念の中核部分である「相撲と支援の分離(独立)」という点であると思われる。治療や訓練などの支援を受けることを、住まいを得ることの条件にしないことによって、既存の支援を受けることに抵抗があるために安定した住まいを得にくかった人が、住まいを得ることができるようになる。・・・(略)・・・治療や訓練などの支援を受けることを強要しないということは、関係性の中での困難を繰り返してきた人に対して、誰かに傷つけられたり、誰かを傷つけてしまうことがない安全な場を提供することにつながる。203-206p

「わざわざ『助けて』と言わなければいけない」「『助けて』と言ったらさらに尊厳が奪われる」構造を解消することを諦めないこと。それが特定の支援者の献身的な努力によってのみ成り立ち得るのではなく、システムとしての有効な支援構造を志向すること。 治療や訓練を受けることを強要せず、深いつながりをもったり、他者に「『助けて』と言う」ことを求めることをせず、安心して居ることができる場所をまずは提供することから支援を始めること。これらはけっして、本人が安心して援助希求が出来る緩やかなつながりを結果としてますことと矛盾しない。私たち対人援助職がなしうる支援、そして社会保障・生活保障の構造には、まだまだ発展の可能性が広がっているはずだ。206p

思い出したのは、数年前、蒲田の生活保護担当が訴えられたこと。当時Eクリニックが生活保護のメンタル支援で入っていて、生保の支給と治療が交換のように扱われていたこと。そうしたい気持ちもまったくわからないわけではないが、やはりやってはいけないことである。


座談会:「依存」のススメーー援助希求を超えて

  ……岩室紳也×熊谷晋一郎×松本俊彦

熊谷 ・・・いくつかの批判をいただいています。そのなかの一つは、「依存先を増やせる人はいいよね」というものです。

 (中略)

  それに対する私の答えは、「依存先を増やす」というメッセージは当事者に向けたものではなく、社会全体に向けて発信したメッセージだ、ということです。「依存先を増やす」というメッセージが当事者に向けたものであると誤解されると、弱さをオープンにして「助けて」と言う義務が個人の側にあると言った新しい自己責任になってしまいます。これは、本人を「助けて」と言える人間に改造する、私が指定してきた当事者に変化を強いる医学モデルであり、社会モデルとは相反するものです。225p

ここはぼくも勘違いしがちだった部分かもしれない。 そう、その人の依存先を増やすのは、その当事者ではなく社会だ、という話だと熊谷さんは言う。確かにうまい反論だと思う。それはロジックとしては、とても正しい。ただ、同時に、依存先はその人が増やそうと思わなければ、増えない性質のものでもあるのではないだろうか。

松本 (依存症者がなかなか助けてと言えないという説明をした後で)

 ところが支援者は、マンツーマンの面接の際にはっきり「助けて」と言ってくれない、こちらの提案に乗ってくれないと、すごく苛立つのです。とくに、「死にたい」と訴える人たちに対してはそうです。彼らは「死にたい」と繰り返し口にしながら、実は助かりたいという気持ちをもっている。ならばはっきりそう言えばいいのに、そうしない。彼らの言動はすべてわれわれを値踏みし振り回してるように感じられる 。こちらの提案は、「やりたくない」「前にやったけれど、嫌な思いをしたから二度とやりたくない」とことごとく却下されてしまう。こういう両価的な状況を、支援者はどう克服したしていったらよいのでしょう。 236p

その問いに岩室さんは、医師には正直に言わない患者が薬剤師には正直に話す例をだし、「医療機関、医療集団が、その患者を支えられる、守ることのできる社会を形成していることが重要」であり「うまく説得できなかった事柄について、自分一人で反省するのではなく、誰か違う人につなげ、その人の所で解決に結びつく仕掛けを作っていくことは必要」といった上で、さらにこんな風に言う。

岩室 多くの支援者はハイリスクな当事者を引っ張り出すというアプローチはやっていると思います。しかし、それにプラスして、社会全体が抱えているリスクを克服するという視点で、熊谷先生も指摘された社会モデルとして介入ができているでしょうか。自分だけで解決しようとしていて、社会全体に対しては十分働きかけていないのではないでしょうか。 まずは自分自身の限界を感じ、受け止め、自分を否定するのではなく、社会の中にある異なるリソースを用いればいい。それぞれの支援者たちの中にそういう意識が必要だと思うのですが、 まだまだ浸透度は低いと思います。 237p

岩室 私が言いたいのは、実は「助けて」言わないうちに助けてもらっている関係ができあがっていることが重要ではないかということです。つまり気がついたらつながっている関係性、依存先の存在が大事だと思うのです。 239p

熊谷 当事者運動の世界で今、運動の縦割りが問題になっています。一つひとつの運動が細分化されていって、社会を変える力になっていかない。それらをつなぎとめて、大きなうねりにしていかなければいけない。最近ではクロス・ディスアビリティといって、 複数の障害をまたいだネットワークをどうやって構築していくのかがキーワードになっています。

これ、どこの世界の話だろう。問題認識はその通りだと思うのだが、誰が縦割りを問題だと認識し、これがキーワードがと考えているのだろう。そのあたりがなかなか見えてこない。

また、これに続く、以下の部分はすごく共感した

熊谷 また、どの当事者団体にも、ど真ん中にいる当事者と周辺に追いやられている当事者がいなます。ですから、自分たちが誰を排除してしまっているのかに気づくことが重要です。運動団体の活動はその求心性にこそ意義があるけれど、対価として誰かをないがしろにしていないか、それを見て見ぬふりをしてはいけないことに気づいた団体が集まって、クロス・ディスアビリティの枠組みを広げていかなくてはいけません

この引用の大半に共感したものの、実は最後の2行、例えばどんなことか、想像できない。

また、251pで熊谷さんは森村美和子さんを紹介する。彼女は狛江市にある小学校の特別支援級で、子どもたちの当事者研究を実践していて、そんな中で「子どもたちのなかにも、だんだんと自分の弱さを出し合い、知恵を共有し合えるような文化が生まれてきます」という。

また、彼らが校長先生にインタビューし、彼らの考えが深いことを知り、校長は支援級の子どもたちを見る目が変わる。「困った子」が実は「困っている子」だと気づく。それは、スティグマを解消するきっかけになるように思う、といい、熊谷さんは以下のように続ける。

熊谷 できることを追求するばかりの学校ではなくて、弱さを出し合える関係、そしてそのけもの道が先輩から後輩に受け継がれていく場が学校の中にあると心強いと思います。251p

「けもの道」に関しては、その少し前で、子どもの頃に人生にはいろいろなパスウェイがあることを知っておきたかった、自分には舗装道路しか示されず、そこから外れたところに「けもの道」があり、小中高を通じて、障害を持った先輩と知り合うことが出来ず、彼らが切り開いた「けもの道」を知る機会がなかった、と言っている。

ただ、できることを追求するのがメインストリームで、弱さを出し合うのがけもの道という比喩はどうかと思う。確かに、そんな世の中なんだけど、両方がメインストリームになってほしいなぁ。ここでは現状の世の中がそうだと言ってるだけかもしれない。

そして、253pからはそれぞれが最後の発言を行っている。

岩室 クライエントに一対一で向き合って解決できると思うこと自体が不勉強である――これが、私が自分の経験から学び取ったことです。大切なのは、自分の限界を認め、自分が解決できない問題を周りに投げかけて、アイデアや助けをもらうということです。それができないとすると一対一の支援もうまくいかない。

 ソーシャルキャピタル(社会関係資本)を動員しなければ、解決しないことが非常にたくさんあります。

熊谷 私の場合、 「助けて」と言える人はあまりいないのですが、「『助けて』って、なかなか言えないよね」と愚痴をこぼす人はいます。その違いがけっこう大事だと感じました。

 当事者研究で大切にしていることに「解決を目指さない」ということがあります。つまり、問題をシェアすることにとどめて、誰かが解決を背負わないということです。これは、運動や支援と異なる当事者研究ならではの視点だと思います。

当事者研究では当事者の現状や当事者が抱えている背景について記述し、その当事者が抱えている問題を解決する方法についての記述はしないということだろうか。これ、オープンダイアローグが治療を目的としない、対話の継続を目的とするというのと似ているかもしれない。 

熊谷 ・・・。もしかすると「助けて」と言うことによって辱めを受ける危険さえある。非常に障壁の高い言葉でもあります。そうではなくて、支援者が自分を振り返りながら「《助けて》ってなかなか言えないよね」とボソッとこぼしたほうが、「そうだよね」が返ってきやすいのではないでしょうか。それをきっかけに、「どうしようか」という関係性が切り開かれる。その時点で依存先が一つ増えたことになります。ですから、愚痴の効用というか、支援者の方から問題解決を目指すのではない、正直で無理のない気持ちを表すことが第一歩になるのではないでしょうか。

松本 この座談会は、メンタルヘルス支援の場で「助けて」が言えないという問いかけについて考えるものだったのですが、メンタルヘルスには止まらない広い領域に当てはまる議論ができたと思います。・・・253-254p

別の言い方をすれば、「助けて」と言えない人たちが本来持っている力を信じて、その人自身が自らを助けることができる方法を社会の力などを借りて見つけ出すまでのプロセスを同伴するだけでいいということなのかもしれない、と思った。


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