暴力の向こう側を見つめて「つながり」をつくりたい(けど)(「ほんの紹介」18回目)
暴力の向こう側を見つめて「つながり」をつくりたい(けど)
この3月から6月にかけて、ぼくにとっては形容しがたい大変な3か月だった。同じ福祉工場で働き続けているもの、追われるように現場から引き離されて、ひどい言い方をされて、直接支援とは離れた場所で働くことになった、というようなぼくの個人的なことを書き出すときりがないが、同時にこの数か月の間に何冊かの素敵な本との出会いがあり、今回、どの本で書こうか迷ったのだけど、渡邉琢さんの『障害者の傷、介助者の痛み』のことを書こうと思った。ぼくにとってこの本の焦眉は13章
支援・介助の現場で殺意や暴力と向き合うとき
―社会の秘められた暴力と心的外傷(トラウマ)について
今回はこの章だけの紹介。JCILという京都の自立生活センターで働く琢さんの経験と大切な本との出会い。
~~~
【「殺意」を感じる現場】という節で以下のように書かれている、
関わるまわりの人々みんなに迷惑をかけ、支援者や介護者の人としての尊厳をも揺さぶりをかけてくる人々。そうした人々は、多かれ少なかれ、この社会には一定数いるのだと思う。 ・・・その人たちだって、決して頭の先から爪の先まで、醜く汚れて危険な人だということは決してない。誰だって、ほっこりした優しさや愛嬌など、 魅力的なところは必ず備えている。けれどもその人に他者がどう関わるかというその関わりのありようによっては、そのよさはあっという間に薄れ、汚れや醜さばかりが目立つようになることもある。
ぼくがここで報告したいのは、そうした汚れや醜さがあるからといって、そこにふたをしてみないようにしたり、それらを抱えた人を排斥したりすることではなく、むしろそれらをも「人間の条件」の一つとみなし、そこから「共に生きる」ということを考えていく思考、アプローチである。
順は前後するが、この章は、著者がまっちゃんの支援時にパニックを起こされ、散々振り回された挙句に、悪罵を投げつけられ、殴りたくなったというエピソードから始まる。この暴力を考えるための1冊の本との出会いが以下のように紹介されている。
言葉にならない暴力的な力や感情を理解できないものかと、人と話したり、本屋やネットでいろんな文献をあたってみた結果、ぼくは一冊の本に出会うことになった。ジュディス・L・ハーマンの『心的外傷と回復』という本だ。
この本の読書体験は、衝撃だった。その一言一言、1ページ1ページが、僕が支援・介助の現場で感じつつなかなか解きえなかったことに迫ってきた。309-310p
~~~
『心的外傷と回復』と出会い、彼の行動や言動が決して特殊なものではないと知る。彼がなぜあのようにしつこく人の嫌がることをやるのか、それをやったらおしまいだよ、みたいなことを繰り返すのか、そのことを理解する。そして、ぼく自身の内面の暴力衝動も、ある場面や人間関係における、普遍的な反応なのだと知る。困難はまだまだ続くだろうが、この本の一節一節を心に刻みつけることで、なんとかもちこたえられるかも、なんとかなるかも、という感触を得る。(320p)
もっとも重要なキーワードは 、「つながり」… 323p
トラウマ(心的外傷)を残すような暴力的な出来事によって、人がいかに他者とのつながり、 社会とのつながり、そして自分自身とのつながりを奪われるか。つながりを断絶させるような暴力がこの社会においてどのように巧妙にふるまわれるか。そしてつながりの断絶がその人のその後の人生にどれほどの苦難をもたらすのか、そしてそこからどのようにして人はつながりを取り戻していくことが可能なのか。これまでほとんど語られることのなかった「つながり」の断絶から回復への過程が丁寧に描かれ…。323p
第三の加害者の力
この節では映画「道草」でゆういちろうさんが暴れる背景に施設での職員からの暴力を受けたことがあったこと。また、まっちゃんが夜中に「殺される」と叫ぶ背景にバスの運転手から「殺される」といわれたことがあったことが記述される。
当事者が自己コントロールを失い取り乱した時、身近な人を攻撃するのだが、その攻撃の源がどこにあるかを知ることで支援のあり方はまったく変わる、このように第三の加害者を見つめ、当事者とともにそこに対峙していくというアプローチは支援においてかなり有効なアプローチの一つだと思う、と書かれている。しかし、知的障害をあわせもつ自閉症の人のそれを見つけることはとても難しいだろう。
そんな中で、一度破壊された人間関係の「つながり」の感覚を再び取り戻していくこと、 そのために、労力や忍耐力そして精神力が必要とされ、おそらく誰も単独では外傷と対決できないと言われたように、個々人の内部の力だけではなく、相互に信頼し合う人間の絆の力のようなものが、当事者と支援者の間、及び支援者同士の間で、必要となると思われる。と書かれている。(355p)
【回復、つまり「つながりを取り戻すこと」】 そのポイントとして最初に挙げられるのが原則の確認。
自己感覚は粉々に打ち砕かれている。この感覚は、元来他者とのつながりによって築かれたものであるから、 他者とのつながりにおいてしか体験できない。(91p、この本では356p)
これが原則なのだ。そして、トラウマに苦しみ、イライラやパニックから暴力を振るってしまう当事者、支援者が向かうべきなのは、
「とり乱しているその人ではなく、むしろその人をとり乱させている見えざる脅威」
であり、
「その脅威に当事者と支援者が一緒に立ち向かうような態度が必要なのだと思う」 と書かれて、次のような引用がなされる。
心的外傷体験の核心は孤立(アイソレーション)と無縁(ヘルプレスネス)である。回復体験の核心は有力化(エンパワメント)と再結合(リコネクション)である。(309p、この本では357p)
これに続けていか以下のように書かれている。
まさに当事者を孤立化させること、誰も信用できない状態にすることが 心的外傷体験の核心である。社会との、他者との、自己との、あらゆる「つながり」の感覚の喪失がその核心である。だからこそ、その「つながり」の感覚を取り戻していくこと、つまり、自分はこの社会に生きていてもいいんだ、笑ったり泣いたり遊んだりちょっと言い合いになったりしてもいいんだ、そういう感覚をもつ自分を取り戻していくこと、そして 他者や社会とのつながりの感覚を徐々に取り戻していくこと、そうしたことが回復体験の核心なのだろう。357-8p
もうこれだけあれば、書き足すことはないような気にもなるが、続ける。琢さんは「ひとりぼっちじゃないよ」という声掛けを支援者にも、とりわけ困難事例を抱えた支援者にもするようにしている、とのこと(360p)
心的外傷について沈黙を強いられて来た当事者が語れるように、繰り返し励まし続けることが支援者の大切な役割・・・独りではないことを伝えること。
・・・語ることを通して、他者とのつながりを再形成していくと同時に、自分の精神が加害者にのっとられたような感覚から、自分が自分であるという感覚を取り戻していくのであろう(360p)
同様に介助者もまた、自分が苦しめられている体験を語ることが出来る場が必要である。しかし、良心的な介助者ほど、障害者の否定的なところを語りにくい。その場で自分を苦しめている障害者を否定するように受け止められたら話せなくなる。大切なのは
「困難の中から新たな『つながり』の言葉を見つけていくような話し合い」 361-2p
「だれしも、何ほどかは過去の囚人である」
これがこの章の最後の節。暴言を吐いたり暴力をふるってしまう人の生きにくさ。共同体から排除される。そういう人も含めてインクルーシブな社会をつくるために、『心的外傷と回復』を導きの糸として論じられてきた。そして琢さんは、暴力や暴言に走ってしまう障害のある人の表面的な行動だけでなく、その人が受けて…隠蔽されてきた暴力や暴言の力をも見なければいけない、(362-3p)という。
この節のタイトルにあるように「だれしも、何ほどかは過去の囚人である」が、上述のように生きにくさを抱えた人たちは、運悪く過酷な暴力から逃げられなかった人で、その暴力にそれ以降の人生もふりまわされている。そういう人たちと『共に生きる』という困難。しかし、手を差し伸べ続けること、少なくともじっとそばに居続けること、そのような暴力が発現しにくい環境をつくっていくこと、そして、そのためにはきれいごとではすまされない人間のおぞましい側面と向き合う忍耐や深い洞察が必要だという。
『共に生きる』という言葉は容易に使われがちだが、そんな覚悟が必要だという話でもある。
自分たちといっしょにいないのが『その人のため』だとかのきれいごとの言い訳で、その人と向き合うことから逃げていないか、常に自分たちが試されている。
いま、自分が置かれている状況で現場にいることができないもどかしさを感じながら、この本を読んだ。トラウマを抱えて暴力的な行動をとってしまいがちな人を排除するのは簡単だ。「ここにいるのはその人のためにならない」といえば外の人は納得してくれるから。
同時に、この本に書いてあるように、ひとりでその暴力と向き合うことはできないし、危険でさえある。しかし、ぼくたちはひとりじゃない、つながりを取り戻す可能性は開かれている、というのが、この章の結語となる。
『障害者の傷、介助者の痛み』メモ(その1)概観と13章のみ
https://tu-ta.at.webry.info/201906/article_3.html
という無駄に長い読書メモを書いてますが、支援に関わる人にはメモじゃなくて、この章だけでも、どうにかして手に入れて、全文を読んで欲しいです。
この記事へのコメント