「意志ってなんだろう」福祉労働165 メモ

季刊 福祉労働165号
意思ってなんだろう
  つながりから生まれる経験知へ
 (2019年12月)


http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-2365-3.htm から


「意思決定」が、障害者・高齢者・依存症者・引きこもりなど、立場の弱い人に自己責任を押し付けるための、免罪符のように使われている。しかし、よりよく生きるための選択肢は、出会いと経験、そして、人とのつながりの中から生まれるはず。求められているのは、「意思決定支援」ではなく、「つながりから生まれる経験知」を増やす支援ではないか。当事者・支援者とともに、パラダイム転換をはかる。

【特集 主要内容】

・「意思」と「支援」のパラダイム転換へ向けて
 池原毅和(日弁連)
・津久井やまゆり園入所者への「意思決定支援」何のため?誰のため?
 三田優子(大阪府立大学准教授)
・知的障害のある人の意思決定への関わりについて
 中村和利(NPO法人特活! 風雷社中理事)
・高齢者医療における「意思決定」、家族の役割、ガイドライン
 横内正利(いずみクリニック委員長)

・ALS患者として生死の意思決定をみつめて 
 岡部宏生(日本ALS協会理事)
・ハームリダクション──構造的スティグマによる「意思」の蔑視への反論
 古藤吾郎(日本薬物政策アドボカシーネットワーク)
・つながりの貧困から考える「8050問題」
 川北稔(愛知教育大准教授)
・親の立場から「法人後見」を検証する
 東 京香

以下メモ

で、これは購入して手元に置いて損はないと思った。上記のURLから買えるみたい。

~~~
● 「意思」と「支援」のパラダイム転換へ向けて
  池原毅和(日弁連)

これは保存版だと思った。

こんなリードから始まる。

いま、「意思」という言葉が個人に責任を押しつけるための便利な装置になっている。私たちが、意思を「環境との相互作用の結果」と捉え、社会とのつながりを意識するとき、障害の見え方が変わってくる。いま支援に求められるのは、対話を重視し、ネットワークを再構築すること。意思の社会モデルへ向けた支援である。

そしてこんな問いが問われる。

本当に私個人だけに帰属する「意思」というものがあるのだろうか。自分という存在のどこにどのような形で「意思」があるかを問われて明確に答えることができる人はいるだろうか。8p

さらに、以下はわかりやすい

 人間の心の奥に根源的な「意思」というものはなく、私たちが「意思」と呼んでいるものは、対話的で相互的な関係的現象の一部分であるとすれば、それに対する「支援」というものも従来考えられてきたものとは違ったものとなる。

 私たちは、重度の自閉症などのためにその「意思」が読み取りにくい状態にある人の心の奥底にも何か本人の「意思」があるに違いなく、その埋もれた「意思」を解明することが意思決定の支援であると理解しがちではないだろうか。しかし、「意思」が関係的現象の一部分であるとするならば、もともと、対話的で相互的な関係が形成されていないところに、「意思」があるわけでなく、「意思」は対話的で相互的な関係のなかから形成されていくものということになる。11p

とはいうものの、関係性の中で紡がれる、本人の望むことはあるはずで、それを見つける方法を考えることも必要だと思う。

ここでの池原さんのこの文章の結語としての提案は以下

 どんな人であっても相互依存的・相互的・対話的な意思表示の支援は必要であり、また、その人生の時期によって支援関係は変化する。成年後見制度のような特殊枠組による排除と差別を行わずに、意志の社会的基盤に視点を移し、支援の普遍的な必要性を視野に入れることによって、誰にでも役立つユニバーサルな意思決定支援の方法を作ることが求められている。12-13p

というわけで、「ユニバーサルな意思決定支援」について、ここでは具体的には何も書かれていない。

上記を論証するために池原さんが引用しているのが以下

國分功一郎

「選択は過去の要因の総合として、あるいは、諸々の要素の相互作用の結果として出現する中動態的現象だが、意思はこれらの要因や要素から切り離され、能動態的に何ごとかを始める能力と観念されており、何らかの行為を自ら開始したと想定される時とき、その人にその行為の結果が帰属することになる。逆に、当該行為の結果を特定の者に帰属させるべきであると考えられる場合に、その行為が意思に基づいたものとされる」 (國分『中動態の世界』池原さんの文章から孫引き。この雑誌では8-9p)

なんらかの行為を選択するとき、その行為が意思だけによっているわけではないのは明白。

誰かがその行為を選ぶ時の要素を、いわゆる『意思決定支援』はどのように触れているだろう。

そして、こんな紹介

 障害とインクルージョンの研究者であるジョアンナ・ワトソンは、意思決定支援を被支援者と支援者との間の相互依存的・複合的・動的な決定過程と捉えている。決定を行おうとする者は言語や表情、身振り、心理・社会的反応(例えば、脈拍や呼吸の変化など)の様々なコミュニケーション様式(modilities)を使って意思と選考を表出し、それに対して支援者は無視とは対極の態度としての「受けとめ」(anknowledge)、「解釈」および「応動」(action)という反応を示す。双方の対話関係は、これが螺旋的に繰り返されていく動的(dynamic)過程を辿り、最終的な結論(未来像の形成選択)が形成されていく。この過程は障害のある人に特有なものでなく、人間一般の決定の過程である。環境要素を切り離して個人のみに焦点を当てた認知機能(cognitive skill) の捉え方は人間の相互依存性という根源的な要素を見落としている。人間の相互依存性は非障害者の社会では認められているのに、むしろ障害のある人には別のルールが適用されていると指摘している(Watson.2016)

*Joanne Watson”Assumption of Decision-Making Capacity: The Role Supporter Attitudes Play in the  Realization of Article 12 for People with Severe Profound Intellectual Disability”,Laws,5(1)



  • 津久井やまゆり園入所者への「意思決定支援」何のため?誰のため?
    三田優子(大阪府立大学准教授)

 これはちょっといただけなかった。書きたいこと、書かれていることはわかるし、ほぼその通りだと思うのだが、具体的にどんなことが津久井やまゆり園入所者に行われているかは、ほぼ出てきた結果からの推測だけではないかという印象が残る。自分が関わっていると公表している人がいるのだから、そこから話を聞くべきだろう。話を聞く努力はされたのだろうか。その形跡は書かれていない。少なくとも公表されている資料もあるはずで、その出展も示されていない。それで批判するのはどうかと思う。書かれていることは正しそうだと思うのだが、津久井やまゆり園dねお意思決定支援の批判として考えると、根拠が不十分なのはいただけない。

 ただ、この文章の最後に書かれているのは、やまゆり園で拘束されていて、そこから出てきて元気を取り戻した女性のことだ。その例を紹介した後、最後の一文は以下のようになる。ここはすごく大切なことだと思う。

障害者が主体となり変わり始めると、入所施設そのものがもつ閉鎖性や支援の課題が、障害者との対話のなかで出てくることが予想される。そのとき何をすべきか、意思決定支援が進むのとは別に、しっかり検証すべきだと考える。26-27p


  • 知的障害のある人の意思決定への関わりについて
    中村和利(NPO法人特活! 風雷社中理事)

日常的に会っている中村さんの文章であり、事例も知っているので逆にコメントしにくい面もあるが、池原さんが最初の文書で書いている の実例ということもできるだろう。確か池原さんも少しかかわっていたはず。その取り組みはまだ緒に就いたばかりで、普遍性も語りにくい部分はあるのだが、単純に体験してもらうこと、そしてそれがいつも修正可能であること、というのはとても大切なことだと思う。

さらに、この文章のFGCのくだりで少し触れられているが、中村さんと日常的に会話していて感じていたのは以下のこと。

 いまの状況との関係で、彼がしたいこと求めることを探していく作業は、どうしても事業者や親中心になりがちなので、そこを回避すべきだと彼はいう。その通りだと思う。そして、このげんちゃんのことを話し合う場に親や事業者以外の人がどう入っていけるかがカギだというようなことも言っていたと思う。ここではFGCに参加できたそれ以外のげんちゃんの知り合いは2名しかいないのが課題だと書かれている。さらに、それに続く節「意思決定への支援ではなく協力じゃん?」では「当事者が帰属できるコミュニティをオーガナイズしていくことで、そのコミュニティが当事者の意思決定を支えるように協力していくことではないかと考えている」(33p)と書かれている。その通りだと思うが、そのハードルはけっこう高い

 というのは、多くの重度の知的障害者の当事者はそういう関係を持っていないから。それを意識的に作っていく努力も必要なのだというのはその通りだ。しかし、そういう関係者がいないという現実から始めなければならない。中村さんの文章を逆手に取れば、げんちゃんのように親族・事業者以外のかかわりでFGCに参加してくれる人が二人もいる例は少ないのではないか。また、付け加えれば、FGCには日中活動の支援者もあまり参加していなかったのではないか。

ぼくの思い付きだが、より具体的な提案としては、障害福祉サービス利用のモニタリングなどのカンファレンスをこのような形でどんどん意識的に多くの人に開いていくこと。もちろん、すぐにすべての人のカンファレンスをそのように開いていくことは出来ないだろうが、出来る人から、少しずつでも開いていくという手法は使えるのではないか。


  • 高齢者医療における「意思決定」、家族の役割、ガイドライン
    横内正利(いずみクリニック委員長)

「おわりに」から

・・・。もし、社会が「生きるに値しない生」を認知するようなことになれば、「死ぬ権利」はやがて「死ぬ義務」へと変質していく危険性が高い。 

  そして、寝たきりや認知症「尊厳のない状態」と考えることは誤りである。問題なのは、本人の状態ではなくて周囲の対応である。医師・看護師・介護者などから、物を扱うような態度で接され、家族の「早く死んでくれないか」、あるいは「生ける屍」というような冷たい視線と、第三者の「ああなってまで生きたくない」という好奇と侮蔑の視線を浴びながら生きなくてはならない状況が、認知症や寝たきりの高齢者を「尊厳のない状態」に追いやるのである。 ・・・

 ・・・。不可逆な摂食困難を「生きるに値しない終末期」とみなすことは誤りである。48-49p

ここまではすごく説得力のある納得できる文章なのだが、以下の最後の一文が腑に落ちない。

国民的合意が得られる限りにおいては、本人や家族のどのような選択に対しても公平に対応するという姿勢が何よりも重要である。 49p

国民的合意が得られない場合は、なんとしても生きようという選択はどうなるのだろう。


  • ALS患者として生死の意思決定をみつめて 
     岡部宏生(日本ALS協会理事)

ここはインタビュー記事だが「取材・構成=編集部」(印刷の本でも「編集部」の部分が太字となっているだけではなく、取材・構成という文字より2ポくらい大きなフォントも使っている)とのこと。インタビューとそのまとめには当然、インタビュアーの主観が疑う余地なく入るので個人名+(編集部)と書くのがいいのではないかと思った。とりわけ違和感が大きかったのは「はじめに(編集部から)」という部分。

以下のように書かれている。

・・・自分の生死に関わることを「自己決定」という言葉で表せるのだろうか。果たして、イエス./ノーと白黒をつけられることなど、有り得るのだろうか。人の一生とは、もっと複雑なものではないだろうか。そんな問いがあったのだった。50p

 その通り、人間の生は複雑だ。それは二者択一なんかではない。しかし、自己決定が二者択一だなんて、誰もそんなことを決めていないのではないか。「決められない揺らぐ自分」を発見することを「それは『自己決定』じゃない」と言い切ってしまっていいのだろうか。そんな揺らぐ自分を含めて、何かを決めなければいけないことがあり、その道筋をていねいにたどることと『自己決定』を切り離してしまうことこそ、危険なのではないかと直感したのだった。

で、岡部さんのインタビュー部分だが、「1日24時間を支給してくれないのなら、人工呼吸器はつけない」と主張して、命がけの抵抗を開始し、その間に54㎏だった体重が28kgになったという。そんな抵抗ができたのは【根底に「死んでもいい」という気持ちがあったから】(53-54p)というのは壮絶だ。

『ALSは、もし介護体制が整ったら、生きる選択をする人が劇的に増えると思います。それほど、自己決定は環境に左右されるものです。

 その反面、・・・私は最近まで死にたくなるときがありました。同じ環境でも、意志は変化します』(54-55p)

『意思決定とは、そのときの意志を切り取ったものの連続だと思っています。私のような病気の場合、生死についての意思決定を考え続けるので、このことは思考としてではなく、実感として、身体で感じています。「自分の意思は変わるもの」だと。だからこそ、その人の「決心」や「覚悟」は大事だと思っています。』(55p)

【「変わるもの」だからこそ、その人の「決心」や「覚悟」は大事】ということをどう理解していいのか苦しむ。【変わるものとしての大切さ】と【変わらない大切さ】微妙な話だと思うのだった。

また、岡部さんは意外なことに、尊厳死の問題は賛否を分けてはいけないという。あのNHKの番組に出た人は「自分で食べたり排泄できなくなること=尊厳がなくなること」だった。その基準で言えば、自分は完全に尊厳を失っている、しかし、そんあものが尊厳だとしたら、人の尊厳なんてちっぽけなものだと思います、と岡部さんは言い切っています。

人それぞれ違う尊厳があるのに、尊厳死はいいとか悪いとかいうのは違う、ということらしい。賛否を言い合うのではなく、深く考えて欲しい、とインタビューは閉じられている。

ぼくは尊厳死が語られる文脈で、「反対」と言いたくなることは多いなぁ。


  • ハームリダクション──構造的スティグマによる「意思」の蔑視への反論
    古藤吾郎(日本薬物政策アドボカシーネットワーク)

古藤さんはソーシャルワーカーで日本薬物政策アドボカシーネットワークの事務局長。

『ハームリダクションとは何か』という本の編著者の一人でもある。そんな彼のところに昨年の11月の立て続けの逮捕の時に「どうして使ってしまうのか」というコメントを求める問い合わせが続き、しかし、瞬時に感応するのが難しかった、なぜなら【その質問を受けて私のなかに真っ先に出てくる思いは、「どうしてやめなければいけないのか」というものだから】と書かれていた。基本的にこの線で、この文章は綴られている。これはちょっと目から鱗だった。

こんな風に書かれている。

 何かをやめさせるために、その人は病気であると決めつけ、治療を受けさせるという取り組みで良くなった社会は、世界中に存在しない。日本も同様である。薬物に関連する問題はここ何十年を振り返っても良くなっていない。もしそれが効果的であるならば、アルコール依存やニコチン依存をそうすれば良いのかもしれないが、そうはしない。単にエビデンスが出ていないからというだけの話ではない。そうした向き合い方が、本人の意思を、そして権利をないがしろにする行為だからである。・・・59-60p

この流れに抗して、でてきたのがハームリダクションだという。その具体的な適用例が架空事例で書かれていて、ハームリダクションってこんなことなんだというのがほぼわかったような気になる。

そして、興味深かったのが、結語近くに書かれている刑事司法手続きから治療につなげる方法はほとんど効果が出ておらず、そうではなくて、はじめから刑事司法手続きにのせない、あるいは入り口の段階で支援につなげるものに関してはエビデンスがでているという。ここも「そうなのか!」と思った。しかし、同時にそれを刑事司法手続きに乗せないで回復のプログラムにつなげるのも容易ではないだろうなぁとも思うのだった。

そして、さらに目を見開かせられたのは、以下の最後の文章

ハームリダクション・・・。少しずつ、日本のヘルスケア分野の中でも理解が増している。地域社会で新しいアプローチを取り入れた支援がいつ誕生してもおかしくない。すでに実践されているものもある。夜はとっくに明けている。67p

「へ~、そうなのか」と単純に信じてしまうのだった。


  • つながりの貧困から考える「8050問題」
    川北稔(愛知教育大准教授)

つながりの貧困と「8050問題」の連関は容易に想像できる。この文章は「つながりの回復という視点からの支援の提案」とのこと。

 事例が紹介され、包括的な支援の形が図示されている。そのうえで以下のように書かれる。

 そのように個人に関する情報を包括的に集め、きめ細かく提案していくためには、伴走型支援と呼ばれるように個人を包括的・継続的に支える人には欠かせない。 それに対して従来型の支援は、利用する人が制度の枠組みに合わせざるを得ず、例え形式的に制度が紹介されたとしても積極的な利用に結びつかないことも多かったと言える。73p 

確かに従来の支援はそうで、いまでもそれが主流なのが問題なのだろう。

しかし、このエッセー、ひきこもっている人と、そうすれば「つながりの回復」が図れるか、ということが展開されているようには読み取れなかったのが残念。

とはいうものの、この雑誌は「意志」に関する特集だというのを忘れてた。最後の段落で意志の話がでてくる。こんな文章でこのエッセーは終わる。

「ひきこもり」などのカテゴリーのもと意思を一般化したり、支援拒否という形で固定化したりするのではなく、意思そのものを多面的にとらえ育てていくようだ取り組みが求められている。74-75p

まあ、簡単に言ってしまえば、気長に付き合うしかないってことだなぁ。環境の変化を提案は出来るけど、意志を育てたりはできないよ。でも、育つのを見守ることはできるかな?

*「ひきこまっている人」とミスタイプして、悪くないかもと思った。で、さらに言えば、「ひきこまっている人」はいるけど、同時に、ひきこもってはいても「ひきこまっていない人」もいるよね。


  • 親の立場から「法人後見」を検証する
    東 京香

法人後見の課題などが岡山のあの大きな団体の例や(そういえば、あそこの東京進出はその後、どうなってるのかな?)、品川社協などを例にして紹介されている。

最後に国連の障害者権利条約について、条約も「代行決定から支援つき意思決定へ」という言い回しになっているが、条約が重視しているのは、関係性における「支援」であって、「意志」ではないと個人的には解釈する、と書かれていて、ここをもう少し展開してほしかったなぁと思った。

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いろいろ書いたが、メモを残したくなるいい特集だった。

繰り返しになるけど、購入して損はないはず。




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