『責任と癒し』メモ(追記あり2020年5月7日)

restorative justice(一般的には「修復的司法」、この本では「修復的正義」と訳される)に関する本。

犯罪とか、間違ったことをしてしまった人が、被害者に対してどのように責任をとるか、そして、公正さを回復するか、というような話だ。


この本、いま(4月17日)アマゾンでは1万円、楽天で4,362円 (税込)なんだが、英語ならユニセフのサイトで無料で公開されている。ちなみにぼくは大田区の図書館で借りたら、コロナ禍で図書館が閉まって、長く手元に置くことになった。

英語のサイトは以下。

Restorative Justice new pages

日本のユニセフも出版社と交渉したらどうかと思った。出版社や訳者にもちゃんと対価が払われる形がいいと思うのだけど。

そんなことを先日、日本ユニセフと出版社にはメールで提案したのだけど、まだ返事はない。

~~以下、コメント欄で教えてもらったことを追記~~
サイトにある英語版には共著者 Ali Gohar が紹介され、その Acknowledgment や Preface には出版社から許可を得て、この非営利版が作られ、オリジナルバージョンは北米向けだったが、
Ali Gohar の郷里である、パキスタンやアフガニスタンの状況に適合するように少しだけ書き直し、ハコ囲みの部分は Ali Gohar がコメントなどを加えた、というよなことが書いてありそう。

なので、以下の読書メモにある、「どうして、違うのだろう」という記述は、ここに由来していると思われる。しかし、書き直すのも面倒なので、そのままにしてある。

~~追記、ここまで~~


以下、出版社のHP

責任と癒し http://www.tsukiji-shokan.co.jp/mokuroku/ISBN978-4-8067-1358-6.html から


責任と癒し

修復的正義の実践ガイド

ハワード・ゼア[著]森田ゆり[訳]

1200円+税 四六判 128頁 2008年1月発行 ISBN978-4-8067-1358-6

児童虐待、いじめ、けんか、犯罪が起きたとき、傷ついた被害者と地域コ ミュニティーはそこからどのように立ち直ればいいのだろうか。地域社会 を含めた加害者と被害者との対話を通じて、社会が受けた関係性のダメージからの再生への道を探る。福祉、医療、学校教育を実践の場として、世界各地で取り組まれている修復的正義の原則を、実践に則してコンパクト に紹介。

 

【目次】

1章 概観

   なぜリトルブックなのか
   修復的正義とは~ではない
   修復的正義が大切にするのはニーズと役割

2章 修復的原則

   修復的正義の三本の柱
   「誰が」「どのように」が重要
   修復的正義の目的は事を正すこと
   修復的レンズ
   修復的正義を定義する
   修復的正義の目的
   修復的正義のガイドライン
   修復的正義の道標

3章 修復的実践

   対面を伴う主要なアプローチ
   「誰が」と「どのように」によってモデルが異なる
   目的が異なるモデル
   修復的連続性

4章 「あれかこれか」なのだろうか?

   「応報的司法」対「修復的正義」?
   「刑事司法」対「修復的正義」?
   修復的正義は河である

   補遺  修復的正義の基礎的原則

   原注

   関連図書

   修復的正義の日本における実践のこれから - 訳者あとがきに代えて

   著者、訳者略歴

~~HPからの引用、ここまで~~

遅ればせながら『責任と癒し』を読み始める。

この本は短いながらも1冊かけて、「修復的正義とは何か」という話だが、日本平和学会のHPには以下の定義が掲載されている。

修復的正義とは、犯罪や事件、暴力や人権侵害などの不正義に対応する仕方の一つで、できるだけ広範な関係者の参加と対話を通して、生じた損害や傷ついた関係を修復し、人々の回復と状況の是正をめざす考え方

https://www.psaj.org/2015/08/15/94-%E5%BD%93%E4%BA%8B%E8%80%85%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%96%A2%E4%BF%82%E4%BF%AE%E5%BE%A9%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%99%E4%BF%AE%E5%BE%A9%E7%9A%84%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B/ から

大事件から、それが差別と呼べるかどうか微妙な小さなコンフリクトにも適用できそう。

しかし、上記の平和学会のHPの定義、間違ってはいないと思うものの、これでは何が何だかわからなそうなので、1冊使って説明してあるとも言えるだろう。

この本は「修復的正義」(restorative justice)の話だ。この英語を修復的正義と呼ぶことのためらいはこの本の訳者である森田ゆりさんも持っているとのこと。読んでいて感じたのだが大事なのはjusticeをリストアすること。だから、リストアに重きを置いて、『公正修復』と訳すのもいいかも。

いつも便利な「乱読大魔王日記」に訳語についての記載がある。

http://we23randoku.blog.fc2.com/blog-entry-1124.html

「修復的正義」という訳語への訳者本人の疑義が以下のように紹介されている。

原著タイトルは"The Little Book of Restorative Justice"。「修復的司法(または正義)」は、エイゴで、restorative justiceというのだそうだ。

restoreはパソコン方面でも聞く言葉である。壊れたシステムやファイルを「復元」するとか「修復」するというやつ。justiceというと、私は「正義」と思ってしまうが、これには「国家の制度としての司法」という意味もある。restorative justiceの訳語については、最初から最後まで悩んだと、あとがきで訳者が書いている。

▼restorative justiceは、司法ではない。むしろそれは草の根レベルでの地域コミュニティーが公正な問題解決をもたらすためのプログラムである。(p.97、訳者あとがき)

といって、「修復的正義」が適切かというとそうでもないとことわった上で、十分悩んだ末に、この本ではrestorative justiceには「修復的正義」の訳語が選択されている(restorative justiceは、従来の刑事司法に代わるものではないし、応報的司法や刑事司法制度と二極化して対比するものでもないから)。

これまでに出た本の多くは「修復的司法」という訳語が使われている。

この本を読んでいると、「司法」と訳されるのがいい部分と「公正」と訳されるのがいい部分があるのだろうと思う。

「公正さを修復すること」(修復される公正)あるいは「公正さを繕い直す」とというのが示されている中身に近いと思う。

ちなみに「修復的正義とは」という検索もしてみた。修復的司法ででてくる。
Wikiの説明はダメだと思ったが、NPO法人対話の会という団体の以下の説明はわかりやすい。

修復的司法とは?

犯罪に対する被害者中心の対応で、

1.犯罪によって直接影響を受けた被害者、加害者、家族、地域の人々が、

2.犯罪が引き起こした害悪への対応に、

3.直接的に関与できる機会

を提供するものです。

この対応は、いじめや虐待など、犯罪以外の様々なトラブルの解決法としても広まっています。

http://taiwanokai.org/?page_id=15 から

また、この団体のHPにある事例(架空かも)
「対話の会の進め方」http://taiwanokai.org/?page_id=13 を読むと、大体こんなことか、というのがわかる。


以下、本に貼った付箋にそって。

「日本語版に寄せて」から

~適当に要約~

修復的正義の代表的プログラム

・刑事司法における加害者-被害者の対話

・家族とコミュニティのグループカンファレンス

・ピースメイキングサークル

しかし、単にプログラムでとどまるものではなく、職場での違反行為から社会的不正義の解決に至るまで、正義を回復する方法として、多様な新しい試みをもたらしている。

そもそも修復的正義とは不正義に対しての、非暴力的な平和手段による解決への取り組み・・。

この方法は、私たちがいかに互いにつながりあった存在であるかを思い出させてくれる・・

しかし、簡単に実践できる料理ブックのレシピではない。

それは、ひとつの状況から別の状況へとそのままコピーして使うことのできるものではない。むしろそれは、正義について、人間の尊厳について、価値や文化について深い対話を始めるための一束の考え方だろう。

~~~

はじめに書いたのだが「正義の回復」というよりも「公正さを繕い直す」といったほうがなんとなく近いような気がする。

とはいうものの、この本ではその言葉が使われているので、以下のメモでは基本的に本で使われてる通り「修復的正義」という表現を使う予定だったが、途中からRJという略語も使う。。


修復的正義とは~ではない

・修復的正義の主な役割は、許しと和解ではない。
許しも和解も被害者が決めることである。被害者が加害者を許す、または和解を求めるかどうかに対していかなるプレッシャーもかかってはならない。

・修復的正義は調停ではない。
 修復的正義の会合に参加するためには、不正を犯した人がその行為に対して責任を負うことを認めなければならない。修復的プログラムの重要な要素は、誤った行動を自ら言語化し認めることなのである。「調停」で使われる中立的な言語は、多くの場合、誤解を招きやすいだけでなく、被害者に対して攻撃的ですらある。

・修復的正義の主たる目的は再犯率を下げることではない。
  修復的正義はそれが正しいからするのであって、再犯率の低下は副産物である。

・修復的正義はある特定のプログラムや問題解決の特定のブループリントではない。 
 これぞあらゆるコミュニティに通用する純粋なモデルだというものは存在しない。・・・。これからもさらに対応と実践を通して新しいやり方とアイディアが生まれることだろう。

修復的正義は地図ではなく羅針盤

・修復的正義は比較的軽い事件や初犯者を対象にするわけではない。
 DVはおそらくこの方法の適用に最も問題の多い状況

・修復的正義は新しい方法ではないし、北アメリカで生まれてものでもない。

・修復的正義は万能薬でもなければ、今日の司法制度にとって代わる制度でもない。

・修復的正義は必ずしも刑務所を代替するものではない。

・修復的正義は必ずしも懲罰の対極にあるものではない。

  以上、 10-17p

最後の「懲罰」はretribution 「報復」という意味もある。

 修復的正義が大切にするのはニーズと役割

 この節の18-21pに被害者がこれまで顧みられてこなかったこと、そして、それは以下の4つのニーズが軽視されているということだ書かれる。
1、その事件に関する情報を得ること。
2、真実を語ること(多くの人々が被害者の困難を認める場で、被害者が自分の経験を、それを引き起こした人物に向かって語り、被った影響を理解させることは重要、とのこと)。
3、エンパワメント(自分の力を取り戻す) 
4、償いか復讐か(Restitution or vindication)(この項目がわかりにくかったので、英文にあたってみた。その部分だが以下のように書かれている。Restitution, in fact, is a symptom or sign of a more basic need, the need for vindication. ここがこの本では以下のように訳出されている。「実際、補償とはもっと根源的なニーズ、すなわち弁明欲求のニーズの象徴である」この vindicationを初めは「復讐」と訳し、この部分で「弁明」と訳してしまったので、わけがわからなくなったのだと思う。ここは弁明に統一すべきだったのではないか。いくつかの辞書を調べたのだが、ぼくが調べたvindicationには復讐という意味を見つけることができなかったし。次の文章に使われている「弁明」も同様だ。

 日本の刑事司法の場面でも近年ようやく被害者の参加が認められるようになったのはこの流れだろう。

修復的正義は、懲罰の限界と懲罰の否定的な副産物の認識を提示した。それだけでなく懲罰が本当の責任の取り方にならないことも論じてきた。本当に責任を取るとは、自分のしたことに直面すること他ならない。つまり加害者が自分のしたことの否定的な影響を理解し、可能な限り事を正すためのステップを踏むことである。このような責任の取り方は被害者にとっても、社会にとっても、よいと論じられている。22p 


加害者が公正さの観点から必要としている

(この本での表現は「加害者が正義から必要としていること」となっているが勝手に変えた)22-23p

英文は単純に Offenders need from justice:
~~~

1、次のことに向き合う

 ・自分がもたらした傷や損害を認め語る
 ・被害者への共感と責任を持つ
 ・恥を超える

2、人間としての変革を促進する

 ・加害行動を起こすことに寄与した内的な傷の癒し
 ・嗜癖や中毒などがが回復する機会
 ・技能を高める(これ、何の技能のことなのか不明)

3、コミュニティに帰属するための社会復帰サポート

4、中には、少なくとも一時的な拘束 

~~~

再び植松死刑囚について考える。

彼はまず、この一番がクリアできない。

問題は周りがそれをあきらめるのか、どうか。

彼は変わらないと考えるしかないのかどうか。

確かに彼が起訴されてから何人もの人が彼と面接してその間違いを指摘した。そこには遺族も含まれていたのだが、一審の判決まで彼の考えは変わることがなかった。

そして、死刑判決が出て、彼は控訴することなく、それが確定した。

それでも、いつか彼がその間違いに気づき、RJのスタートラインに立つことができると考えたい。それをあきらめて、彼を殺してしまってはいけないと思う。


次にコミュニティーという節があり、23p~

コミュニティーが正義(justice)から必要としていること
(ここも英文は単純でCommunities need from justice):

 として、ここまでの文章が3項目にまとめられている。

 1、彼ら(引用者注:コミュニティの成員)もまた被害者だという認識
 2、コミュニティー意識と相互責任を育てる機会
 3、被害者、加害者を含めたコミュニティー・メンバーの福祉に対する義務を引き受け、健康なコミュニティー環境を育てることを勧める。

不思議なのはユニセフのサイトで読める英文ではここは4項目になっている。もしかした、バージョンによって違うのかもしれない。ちなみにそれは

1. Attention to their concerns as victims.
2, Opportunities to build a sense of community and mutual accountability. 
3, Encouragement to take on their obligations for the welfare of their members, including victims and offenders, and for the conditions that promote healthy communities. 
4, Community also want assurance of not to repeat the same and preventive actions.

4番目を訳すと(ぼくの訳なので正確さは保証できない)

「コミュニティは、同様の、防止できる行動を繰り返さないという保証をも求める」

というような感じだろうか。にしても、なぜ、ここが訳されてないのか、聞いてみたい。

また、このコミュニティとは何を指すのかというのも微妙な話だ。「コミュニティを構成するのは何か」という節は36頁以降に記載されているが、RJのなかでも異なった見解があるとしか書かれておらず、答えはないようだ。。

そして、この第1章の最後には大きな文字で

修復的正義とは、罰よりニーズに着目する

と書かれている


2章 修復的原則

英語のこの章の冒頭には

Restorative justice is a based on a simple idea 

(RJはシンプルな概念をもとにしている)

と書かれているが、日本語版にはこの文章はない。

そして、この章の最初に大半の伝統的社会が有していたはずの3つの対応の方法が紹介されている。

・犯罪とは人々とその相互の関係性への侵害である。
・侵害は責任をもたらす。
・最も重要な責任は、過ちを正すことである。26p

28pには聖書が引用され、西洋社会のなかで、正義とは加害者が報いを受けることだが、RJでは、そうではなく、「まず関わるのあるすべての人のニーズと義務に焦点を当てる」と書かれている。このあとに英文ではコーランなども引用されているが、その部分は日本語になっていない。やはり、もとのテキストが翻訳された後に、改変されてると考えるのが無理がないかも。

29頁の表もわかりやすい。英語だと19-20p(25-26枚目のPDF)

しかし、Crime is a violation of people and obligations の訳が、
「犯罪は人の関係性に対する侵害」となっている(順番からの推定)。
翻訳に使った本のバージョンがわからないので、なんとも言えないが、もし、原文が上記の通りだとしたら、相当の意訳。しかし直訳で「犯罪は人々と義務や責任(obligations)の侵害」としてしまうよりもわかりやすのは確か。

また、Violations create obligations は「侵害行為は責任をもたらす」 

このobligationsを日本語にするのは確かに難しそう。

ちなみに英辞郎では以下
~~

【名】

〔慣習・協定・契約などから生じる〕義務(感)、責任、拘束
・This draft is not intended to establish any obligations on the part of ABC Inc. : このドラフトはABC社にいかなる義務も生じさせるものではない。◆契約書
・Companies have a legal obligation to draw up an annual report. : 企業は年次報告書を作成する法的義務があります。

恩義、義理
・Oh, no! I'm tapped out because I spent too much on candies for people who gave me obligation chocolates. : うわあ、義理チョコのお返しでサイフがカラッポだぁ!

債券、債務、負担
社会のおきて◆通例、複数形で用いられる

~~~
三つの異なった質問

Three Different Questions


Criminal Justice         Restorative Justice


What laws have been broken?   Who has been hurt?

Who did it?           What are their needs?

 What do they deserve?      Whose obligations are these?

ここはほぼ直訳されている。で、この章の最後の部分も英語と日本語でずいぶん違う。


修復的正義の三本の柱

その三つとは

1、損害とニーズ
2、義務
3、参加

以下で、それぞれ説明


1、RJは損害に注目する

 「RJは、犯罪はまず人とコミュニティに対する損害だと理解する。司法制度は犯罪を国の規則と法律に対する損害と考えるために、この現実を見失いがち」

そして、ニーズについては、「RJにおいて、正義とは被害者への配慮と彼らのニーズから始まる」「それは損害を具体的、かつ象徴的に、可能な限り回復することを求める」と書かれている。

「被害者への配慮」というのが英語ではどんな表現なのか気になって見てみた。
For restorative justice, then, justice begins with a concern for victims and their needs; 

そして、「第一の関心事は被害者の経験した損害でなければならないが、加害者とコミュニティが経験した害についても関心を払う必要がある」とされる。

「このことは犯罪の原因についても言及することを求めることになる」と書かれている。原文は This may require us to address the root causes of crime. 

このaddressは言及というよりも「取り組む」っていう感じなんじゃないかと思うんだけど、どうなんだろう?。

そして、英語版ではコミュニティ以上にその犯罪の下人を知ってる奴はいないよ、みたいなことが書いてある(んだと思う)。
たぶん、翻訳後に加筆された部分なんじゃないかなぁ
~~~
No one better know than the community the root causes of a crime, committed within community. The goal of restorative justice is to provide an experience of healing to all concerned. This focus on harm means includes an emphasis on reintegration and follow up for both victims and offenders. 


2、悪事や害は義務をもたらす

RJは加害者の責任と応答責任を強調する、と書かれていて、「責任と応答責任」の英語が気になってあたってみた。accountability and responsibility 「そうか」と思った。

スタート地点は加害者が自分のもたらした結果(損害)を理解すること。義務の第一は加害者のものだが、コミュニティや社会もまた義務を負う。

3、RLは参加を奨励する

被害者、加害者、コミュニティ・メンバーに重要な役割を与えられている。

正義のために何がなされなければならないかかの決定に参加する。

従来の司法手続きと比較すると、ずっと広範囲の利害関係者が関わる。

・損害とそこから生じたニーズ
・この損害に対する義務(まず、加害者の、そしてコミュニティの義務も)
・そして、その害によって影響を受けた人々の参加による決定

30-32p

要約すると(これだけでは不十分だが、枠組の提供として)

修復的正義は、被害者の損害とニーズを明らかにし、それらの損害を正すために加害者が引き受けるべき責任を明らかにし、その手続きに被害者、加害者とコミュニティが参加することを最低限必要とする。33p

そして、

「誰が」「どのように」 が重要
だとされる。

どのように、という部分では司法制度がその争いとは直接は影響を受けていないない法律や裁判官などによって結果が下されるのに対して、RJは外部の権威を否定するわけではないしその決定の必要も認めているが、当事者である人々が広く協力的に参加できる手続きで、結果を上から下すのではなく、互いの合意によるものとなることを目指す。

利害関係者(Stakeholders)とは被害者、加害者、そして彼らのことを心配しているコミュニティの人々である。36p


コミュニティを構成するものは誰か

RJの分野でもコミュニティは多義的で、どのようにコミュニティがこのプロセスに参加するかについて異なった見解がある。36p

RJの実戦では、その出来事を心配しているコミュニティ、またはミクロな小コミュニティに焦点を当てている。法律司法ではしばしば無視されてしまう地縁としてのまたは関係性の縁としてのみつるなコミュニティに焦点を当てる。 しかし、さらに大きな憂慮すべきことや義務、例えば安全性、人権、そしてコミュニティメンバーの幸福といったことは・・・社会として引き受けなければならない。このような社会的な心配事を解決するのは政府の重要かつ当然の役目だと多くの人が考えている。37p


修復的正義の目的は事を正すこと

とりわけ、この節で植松死刑囚のことを考えた。

この項では以下のように書かれている。以下に長めに引用する。

損害を明らかにする

 修復的正義の中心的考えはことを正すことである。つまり、加害者が被害者(及びコミュニティ )に与えた被害を修復する積極的なステップを取ることで責任を果たすことだ。殺人のようなケースにおいては、被害を修復することは明らかに不可能などだが、加害者が責任を認めるというシンボリックなステップは被害者にとってとても役に立つ。 

 正すとは、修繕、修復、回復を意味するがそれらの言葉は必ずしも適切とはいえない。深刻な悪事が犯されたとき、被害を修復し、元通りに戻すことはできない。二人の子供を殺された母のリン・シャイナーはこう言った。「全く新しい人生を気づかなければなりませんでした。以前の人生からの部屋はほんのわずか居場所があるだけです」

 加害者が事を正すために努力することは、被害者の癒しに十分役立ちうる。 ただし、多くの被害者は「癒し」という言葉が、回復の終了といった意味合いを持つが故に、複雑な想いを持っている。回復の旅は被害者のものである。誰もそれを代わることはできない。ただし過ちを正すことは癒しのプロセスの助けになる。たとえ完全な修復はありえないとしても。

 事を正す責任は、まずもって加害者にある。しかしコミュニティもまた被害者に対して、ときには加害者に対して負うべき責任があるかもしれない。加害者はその責任を間違いなく果たすためには、コミュニティからのサポートと力づけを必要とするだろう。さらにいえば、コミュニティは犯罪の原因または誘因となった状況に対して責任がある。

 理想的には、修復的正義はこうしたニーズと責任と期待を明らかにするための触媒であり、それを行う場を提供する。

 原因に言及する

 事を正すには被害と損害を明確にするだけでなく、犯罪の原因を明らかにする必要がある。それは多くの被害者が望むことである。そのような害が再び犯される原因を減らす努力がされていることを知りたいのである。38-40p



加害者について、以下のように書かれている。

 トラウマは、被害者にとってだけでなく、多くの加害者にとっても経験の中核である。暴力の多くはかつて体験し適切に対処されなかったトラウマの再現化である。しかし社会は暴力に対して、 刑務所収容で対応するためにさらなるトラウマをもたらしてしまう。トラウマのもたらす症状は暴力の弁護に使われてはならないが、それらは理解されなければならない。

 要約するならば、誤った行動を正す努力こそが修復的正義の核心である。犯された不正や悪事を正すには二つの側面がある。①もたらされた損害を語る。②その害の原因を語る。

 正義とはことを正すためにあるのだから、修復的正義は損害を受けた被害者から始めなければならない。

 しかし、修復的正義は被害者と加害者の関係修復、さらにはコミュニティ全体の健康の回復をもたらそうとしているのである。全ての人の心配事をバランスよく大切にするのである。43p


44pで出てくるのは

修復的レンズ

どうして、いきなりレンズなのかとまどう。

「RJは犯罪と司法について今までとは異なるフレームワーク、またはレンズを提供しようとする」 ここでは JUSTICE はしほ司法と訳されているが、司法だけではなく正義についても語られていると思う。

なぜ、レンズなのか定かではないが、レンズが持つ原則として、以下の5つがあげられている。よくわからなかったので、再び英語のテキストに戻ると、以下のように書かれていた。

This restorative lens or philosophy might be described as having five key elements or principles:

英文では哲学が付け加えられている。ここを訳し忘れるということは考えにくいので、これもまた、増補改訂で付け足された部分ではないだろうか。レンズが持つ原則、という考え方が分かりにくいという話だと思う。

日本語ではただ、「原則」と書かれているが、英文では

Five Principles of Restorative Justice 

と記載されている。上記の理由で訂正されたのではないか。

そして、その1~5の原則

1、損害とそれがもたらした被害者のニーズに焦点を当てる。
2、損害に対する責任(加害者の責任と同時に、コミュニティおよび社会が負うべき責任も)を明確にする。
3、包括的で協力的な手続きをとる。
4、被害者、加害者、コミュニティ・メンバー、そして社会も含めた状況に関与する人々が参加する。
5、不正と過ちを正すことを追求する

そして価値の話に移る。

「RJはいくつかの基本的な価値観に根ざしている時にのみ効果をもたらす」

【RJの原則ー輪の軸と輪留めー】と書かれていて、読み飛ばしていたのだが、英文で見ると、ハブとスポーク、そしてそのスポークについているリム(輪)が価値観ということだ。

英文にはここで囲み記事としてコーランからの引用があるが、それはすべて削除されている。

何よりも重要な基本的価値は「尊重」  respect


修復的正義を定義する

実務上の定義として

修復的正義とは、犯された罪悪を可能な限り正し、癒すために、その罪悪による損害、ニーズ、果たすべき責任をすべての関係者が共に認識し、語る協力的な手続きである。

Restorative justice is a process to involve, to the extent possible, those who have a stake in a specific offense to collectively identify and address harms, needs and obligations in order to heal and put things as right as possible.



修復的正義の目的

 スーザン・シャープによる

・罪悪による影響を最も受けた人々の手に決定のカギを握らせる。
・当事者の癒しとなり、そして理想的には転換をもたらす。
・罪悪の再犯を減らす。

目的を達成するために

・このプロセスに被害者が参加し、納得して終える。
・加害者が自分の行動が他の人に与えた影響を認識しその責任を取る。
・もたらされた被害が修復され、勝つ罪悪の理由が明らかになる(被害者と加害者のそれぞれのニーズに合ったプラン)
・被害者も加害者も「終わった」(原注11)という感覚を得て、どちらもがコミュニティに再び帰属する。 

(原注11)「終わる」という言葉は被害者、とりわけ深刻な犯罪の被害者にとっては嫌な言葉である。すべてが過去のことになり、その本は閉じられた……といったことは不可能なことである。しかし、「終わる」ことが前に進むという感覚を意味する結果を修復的正義はもたらしうる。

この「終わった」の英語は  “closure,” 


修復的正義のガイドライン

Guiding questions of restorative justice

1、誰が傷ついたのか。
2、傷ついた人たちのニーズは何か。
3、それらは誰が担うべき責任なのか。
4、この出来事に利害関係のある人々は誰か。
5、事を正すために関係者が直接関与する適切な手続きは何か。

・・・被害者ー加害者対話の形は大量の被害者がいる社会的暴力のケースにはほとんど適用できない。あるいは、ドメスティック・バイオレンスなどのケースに注意深い安全策を講じないで実行してしまうと、修復的正義の実践は大変危険なものになりうる。

 代わりに修復的正義を形作るガイド質問を適用するならば、それは様々な状況に対して使うことができる。51ー52p


修復的正義の道標

Restorative justice signposts

1、ルール違反に注目するよりも不正や悪事がもたらした被害に焦点を当てる。
2、正義の手続きに参加している被害者と加害者の両方に同等の配慮と関わりを示す。
3、被害者のニーズに応えることによる被害者の力の回復とエンパワメント。
4、加害者が自分のもたらした実害を理解し、引受、その責任を果たすように支援する。
5、加害者にとって責任を引き受けることはたやすくないかもしれないが、責任を果たす義務は加害者に害を与えるものではなく、達成できるものだということを理解する。
6、被害者と加害者の直接または間接の対話の機会を提供する。
7、コミュニティメンバーが手続きに参加する意義あるやり方を見出し、コミュニティをベースにした犯罪に対応する。
8、被害者と加害者を、分離し敵対させるのではなく、協力し再統合する。
9、プログラムの実施による予想していなかった結果に注目する。
10、被害者、加害者、司法関係者等の全員に尊重をもって対応する。
      ハリー・マイカとハワード・ゼア  54-55p


対面を伴う主要なアプローチ

Core approaches often involve an encounter

3つ

・被害者ー加害者会合

・ファミリー・グループ・カンファレンス

・サークル・アプローチ


共通するのは、いずれもカギになる利害関係者の会合を伴うということ。
(もし被害者と加害者の出会いが不可能または不適切な場合は代理人が出席することもある) 58-59p

ここで、この日本語訳がわかりにくかった。

というのは、3つのモデルの共通点はencounterなのだが、節のタイトルでは「対面」、3つの共通点の説明では「会合」、不適切な場合の説明では「出会い」と違う言葉で訳されるからではないかと思う。


仲裁者と違ってファシリテーターは和解を押し付けることはしない。59p


ロン・クラッセンによる悪事の解決のために行わなければならない3つのこと。

 For resolution of any type of wrongdoing, three things have to happen: 

・過ちや不正義は認知されなければならない
・公平さが取り戻さなければならない。
・今後の予定が語られなければならない

・The wrong or injustice must be acknowledged.
・ The “equity” needs to be restored. 
・ Future intentions need to be addressed. 


62頁からは3つのモデルの簡単な説明がある。

「誰が」と「どのように」によってモデルが異なる


・被害者ー加害者カンファレンス(VOC)

 対面することに同意があると、訓練を受けたファシリテーターによる会合が設定される。

・ファミリー・グループ・カンファレンス(FGC)

 加害者の拡大家族やコミュニティの人々の参加は不可欠。 被害者の家族も招待。 FGCがケースの法的結果に影響を与えることができる場合、司法関係者が参加することもある。

 FGCの二つの基本的な形

1、北米で注目されているもの。NZのモデルに部分的に依拠し、オーストラリアの警察によって開発。セリフが決まっているスタンダードな台本を使う。進行役は特別にトレーニングされた警官など。恥の感覚を積極的に使う。


2、NZで始まり、今日ではその国の少年司法の規範になっているもの。先住マオリ民族からの批判を受けて1989年に少年司法制度の大改革。裁判所の従来のシステムはバックアップとして維持しているが、大半の深刻な青少年犯罪への対応はFGC。だからFGCはNZでは司法制度として、また、同時に当事者の対話の場として使われている

 カンファレンスはユース・ジャスティス・コーディネータと呼ばれる社会福祉局の有給職員が準備して進行。その役割はFGCに誰が参加し、プロセスをどのようなものにするか、家族が決めるのを手伝うこと。

 このモデルではファシリテーションに台本はない(ガイドラインはある)。当事者家族のニーズに合わせて行う。会議の最中に当事者家族だけで話し合う時間を持ち、加害者の責任の取り方を話し合い、その決定を残りの参加者に提示する。

 FGCのコーディネータは出来事の原因を明らかにし、弁償や関係修復のために加害者が適切な責任を果たすための実行可能なプランの作成を推進する。

 コミュニティのメンバーがいつも参加するわけではないが、VOCより多くの参加者を招待する。加害者家族の参加は重要で、大切な役割がある。これが家族のエンパワメント・モデルとして理解されるゆえん。被害者はその家族や支援者を連れてくる。弁護士やユース支援者や他のケア提供者も参加。NZでは警察が起訴の役割も果たすので警察官も参加。

 このNZ式のFGCは、起きた出来事、その影響、それに伴う感情の表現の場を保障し、紅生姜関係性修復の合意を形成するだけではない。それが司法制度の一環として開かれるので、償いだけでなく、予防やときには懲罰をも含む加害者の今後全体を視野に入れたプランを形成することが求められている。 実際の告訴内容をこの FGCで変更することも可能。ここで作成するプランは参加者全員が同意することになっている。被害者、加害者、警察のそれぞれが同意しなかった場合、プランは実行に移されない。 

 FGCはコミュニティカンファレンスとかアカウンタビリティカンファレンスとかの名称で他の国でも実施されている。64-67p

サークル

サークルのアプローチはまず最初にカナダの先住民族コミュニティのファーストネーションで誕生した。

 サークルが意識的に参加者の輪を大きくする。被害者、加害者、家督メンバー、時には司法関係者、そしてコミュニティメンバーもまた重要な参加者である。起きた出来事に直接・関節の関係があるコミュニティメンバーが参加することもあるし、雰囲気で常時サークルを開いているボランティアとして参加することもある。

 コミュニティメンバーが参加しているので、サークル内の話し合いは他の修復的正義のモデルよりも広く多様であることが多い。参加者はコミュニティ内で暴力行為が増加している状況について、あるいは被害者のニーズと加害者のニーズを語るかもしれない。コミュニティの責任や意義、その他のコミュニティの課題に関することが語られるかもしれない。

  サークルはまず小さな、一つのコミュニティから始まったが、今日では大都市をも含む多様なコミュニティで、犯罪ケースの対応だけでなく他の状況でも行われている。

67-68p



目的が異なるモデル

70pでは、さまざまなモデルの違いを、その目的を検討することで、3つに分類することができる、とある。

1、代替またはダイバージョン・プログラム Alternative or diversionary programs

  プログラムで解決した場合起訴されない

  あるいは賠償内容などの細部の合意について行われることも

2、癒しと心理療法プログラム Healing or therapeutic programs

3、過渡的プログラム Transitional programs 

  刑務所を出た後の過渡期に関するもの


このダイバージョンがわからなくて調べた。

ダイバージョン(だいばーじょん)


刑事手続用語 - た行

ダイバージョン(ディバージョンということもあります)とは、犯罪に対して通常の司法手続を回避して他の非刑罰的処理方法を採用することをいいます。ある種の行政犯の場合、大量に発生するため、すべてを起訴して刑罰を科すことが困難であり、また、刑罰以外の制裁を受けた者については起訴しなくても社会通念上正義の観念に反しない場合がありえます。そのような場合に、制度的に、行政犯の非刑罰的処理の仕組みを設けて、これに応じない者のみを起訴するという政策を採用することが考えられます。ダイバージョンの典型例としては、たとえば、道路交通法違反についての反則事件や、間接国税に関する犯則事件の通告制度などが挙げられます。起訴猶予についても、司法手続内処理ではあるものの、刑罰的解決を回避するという意味では、ダイバージョンに含まれると考えて良いと思われます(なお、起訴猶予がダイバージョンに含まれるかどうかについては、識者によって争いがあります)。

http://www.taiho-keijibengo.com/114-1.html から



修復的連続性

RJのモデルは「極めて修復的」から「修復的ではない」までの連続性で見ることが必要

どの程度修復的かわかる六つの質問

1.そのモデルは損害とニーズと原因を語っているか?
2.被害者への配慮が適切か?
3.加害者が責任を取ることを具体的に提示しているか?
4.事件に利害関係のあるすべての人々が関わっているか?
5.対話の時間と協働で決定する機会を保障しているか
6.すべての参加者に尊厳をもって対応しているか?
74p

加害者が逮捕されていなかったり、責任を負う意志がない場合にも
犯罪の直後からRJはスタートできる。被害者支援制度は十分に修復的とは言えないが、修復的システムの重要な一部であり、少なくとも部分的には修復的だとみなされて良いだろう。74p

被害者が出席できないあるいはその意思がない場合のプログラムも開発されているが、もっとたくさんあっていいはず。これらのプログラムは全面的に修復的ではないが、地方の全体的なシステムの中では重要な修復的働きをしている。75p

加害者治療プログラムやリハビリプログラムは?

加害者治療は予防の一部とみなすこともできるし加害者の社会復帰という点でも修復的正義とか繋がりがある。しかし多くの治療・リハビリの努力は10代からのやり方を慣習的に続けていて、修復的とは言えないのが実情。75p

コミュニティサービスでは私の考えでは可能性として修復的正義のカテゴリーに入る。

コミュニティサービスは懲罰に代わる最良の方法。

ニュージーランドでは FGC の結果としてコミュニティサービスがしばしば使われている。76p

「修復的」という言葉がたくさん使われるようになったため、その内容を伴わないプログラムや、さらなる損害をもたらすと同時に修復を可能にしてしまうのが死刑


4章「あれかこれか」なのだろうか?

初期の書物では、応報的司法または刑事的司法制度と修復的正義の対応を示すことが多かった。しかし、そのような二極化は誤解を招くかもしれないと考えるようになった。78p

 修復的な司法手続きが当たり前の方法であり、同時に刑事司法制度がバックアップまたは代替手段として機能するという方が、たぶんもっと実現可能なのではないか。 80p

つまり、「あれかこれかではない」「どちらも」という話だ。これは『暗闇のなかの希望』でレベッカ・ソルニットが言ってる話ともつながる。

応報的理論は苦痛を与えることが受けた苦痛を晴らすと考える。しかし実際、それは被害者と加害者両方にとって非生産的である。一方、修復的正義においては本当に報われるとは、依頼者に受けた損害と苦しみとニーズが理解され認められると同時に、加害者が責任を引き受けるよう働きかける積極的な努力がなされ、過ちが正され、その過ちの原因が明らかにされることにある。79p


83ページにはRJの源流として世界各地の先住民の知恵が描かれている。日本社会にも構成員全員が肯定するまで寄合を続けるというのがあったはず。この本には明記されていないが、それらの前提として、濃厚な地域のコミュニティが成立していたという事情があるはず。RJはそれを、コミュニティがそのような形では成立していない現代社会で成立させるための工夫と言えるかもしれない。

そして、この本の結語として、以下のように書かれている。

 ここで言いたいことはとても単純なことだ。すなわち、もし私たちが今日の司法制度を推進している次の三つの質問に囚われ続けるのなら、正義はもたらすことができない。どの法律が犯されたのか? 誰が犯したのか? 犯した者への懲罰は何か?

 神の正義は代わりに次の質問を必要とする。誰が傷つき被害を被ったのか? その人たちのニーズは何か? 誰がどのように責任を負う義務があるのか? 他に誰がこの状況から影響を受けたか? この問題の解決に関係者が参加するための手続きは何か?

 修復的正義は私たちの物を見るレンズの交換を求めるだけでなく、質問を変えることを要求する。

 修復的正義は互いに学びあい、サポートし合うための対話への招待である。それは私たちがもともと互いにつながりやった縁ある存在であることを思い出させてくれる。84-85p


補遺として

ハワード・ゼアとハリー・マイカによる

修復的正義の基礎的原則
が収録されている。WEB上のどこかにないか探したが見つからなかった。
国連のRJ(修復的司法と訳されている)の基本原則に関する文章はいくつかあった、これとは別物。6頁にわたって、掲載されているが、3つタイトルだけここに記載しておこう。

1、犯罪は本質的には人と人間関係への侵害である。
2、侵害は義務と責任をもたらす。
3、修復的正義は癒しを求め過ちを正すことを求める。

あと、この「癒し」という訳語に関しても違和感が残る。

この「HEALING」は癒しというよりも「回復」と呼んだほうがいいのではないかと感じる。

ちなみに最初に紹介した英語版では、本文とこの補遺の間に

Conflict Transformation & Restorative Justice

A Comparison of Two Fields

Lisa Schirch, Howard Zehr & Ali Gohar, October 2003

というのが掲載されていて、なぜか二つのフィールドじゃなくて、宗教的、伝統的アプローチ(など)を加えた3つのフィールドの比較が掲載されている。


修復的正義の日本における実践のこれから - 訳者あとがきに代えて

ここにある訳語の説明に関しては紹介した「乱読大魔王」ブログにある。

そして、気になったのはFGCに関して。

日本で森田さんはそれを「家族えん会議」という名称で実践者養成研修を行っている。

以下のような説明がある。

 私の主宰するエンパワーメント・センターでは、2006年から「家族えん会議」という名称でこのモデルの実践者養成研修をしている。特に学校におけるいじめやけん、窃盗などの問題解決法として、あるいは虐待ケースにおける児童保護の現場において、または児童養護施設で18歳になる卒業していく子どもの自立の準備として、修復的方法を用いることのできる人材への研修をしている。100p

ただ、現在(2020年5月)、森田ゆりさんのエンパワメント・センターのホームページの講座案内 http://empowerment-center.net/koza/ では「家族えん会議」という言葉は見つからなかった。

ぼくは重度の知的障害者の「意思決定支援」(あるいは支援つき意思決定)という文脈でFGCの話を聞いたことがあったのだが、この「家族えん会議」には、そのようなことに関する記述はない。

また、興味深かったのが日本の警察庁がRJの手法を用いた「少年対話会」の紹介。2007年に全国でスタートさせているとのこと。「今後の実践結果に期待したい」と森田さんは書いている。その後、どう展開されているか、少しだけ検索してみたが、パイロット実施の期間に関する考察はあったものの新しいものは見つけることができなかった。


~~2020年5月7日追記~~

この読書メモを読み返しながら、考えたのだが、

刑事事件はともかく、それ以外のコンフリクトの場合、

どちらが加害者でどちらが被害者かを特定できないケースも多いのではないか?

その場合、加害者・被害者という前提を取り除いて、

話し合うことが可能なのかどうか、もう少し考えてみたい。

~~追記、ここまで~~




以下、資料

~~~~~
~~~~~


乱読大魔王日記http://we23randoku.blog.fc2.com/blog-entry-1124.html


2009.10.21 Wed


責任と癒し 修復的正義の実践ガイド(ハワード・ゼア)


7月のWeフォーラムの分科会の一つで、原田正治さん(『弟を殺した彼と、僕。』の著者)をお招きした。私は実行委員で受付部屋に詰めていて(ときどき会場写真を撮ってまわり)、結果的に分科会には一つも出られなかったのだが(泣)、原田さんの本は先に読んでいて、できればご本人のお話を聞きたいと思っていた。


その原田さんの分科会のタイトルは「赦(ゆる)す権利─被害者救済と修復的司法の可能性」。漢字の多いタイトルの中でも「修復的司法」が何のこっちゃわからんままだった。原田さんのお話を『We』に掲載予定なので、まとめるためにテープ起こし原稿を読んでいるが、読んでみても「修復的司法」はよくわからないのだった。それで、図書館でレファレンスを頼んだら、小さい本と、ものすごいごっつい本がきた。


責任と癒し―修復的正義の実践ガイド 責任と癒し

修復的正義の実践ガイド

(2008/01/18)

ハワード・ゼア



これは小さい本のほう。訳本で、原著タイトルは"The Little Book of Restorative Justice"。「修復的司法(または正義)」は、エイゴで、restorative justiceというのだそうだ。

restoreはパソコン方面でも聞く言葉である。壊れたシステムやファイルを「復元」するとか「修復」するというやつ。justiceというと、私は「正義」と思ってしまうが、これには「国家の制度としての司法」という意味もある。restorative justiceの訳語については、最初から最後まで悩んだと、あとがきで訳者が書いている。


▼restorative justiceは、司法ではない。むしろそれは草の根レベルでの地域コミュニティーが公正な問題解決をもたらすためのプログラムである。(p.97、訳者あとがき)


といって、「修復的正義」が適切かというとそうでもないとことわった上で、十分悩んだ末に、この本ではrestorative justiceには「修復的正義」の訳語が選択されている(restorative justiceは、従来の刑事司法に代わるものではないし、応報的司法や刑事司法制度と二極化して対比するものでもないから)。


著者ハワード・ゼアは日本語版に寄せて、こう書いている。

▼修復的正義とは不正義に対しての、非暴力的な手段による解決への取り組みのことです。ある人々はそれを生き方とか、ともに生きる道と呼びます。というのも、この方法は、私たちがいかに互いにつながりあった存在であるかを思い出させてくれるからです。(p.iv)


このrestorative justiceを考える世界観は、すべてのものは関係性のクモの巣の中で互いにつながりあっている、といったものである。


この世界観では、犯罪は「コミュニティーが負った傷」「関係性のつながりが破られたこと」であり、justiceとは「被害者、加害者、コミュニティーの人々の破られた関係を正すこと」である。


そのときに、破られた傷を修復するには、被害者のニーズが満たされ、加害者が責任を負うことが重要だ、という見方をする。


また、不正を正すことは義務であり、その義務は第一には加害者が負うものとされるが、「相互につながりあった関係性」を考えれば、他の人々、コミュニティー全体も義務を負う可能性があるとされる。


restorative justiceが、刑事司法の見方とどう異なっているかが、29ページにまとめられている。


刑事司法では、犯罪は「法と国家に対する侵害」であり、justiceとは「国家が罪を決定し、懲罰(苦痛)を与えること、「加害者が当然の報いを受ける」(応報)ことが焦点となる。


この違いは、「justice」を求める際の"三つの質問"の違いにもあらわれている。

restorative justiceでは、「誰が傷つけられたのか?」「その人(たち)のニーズは何か?」「そのニーズへの責任は誰が負うのか?」

刑事司法では、「どの法律が破られたのか?」「誰が破ったのか?」「破った者への罰は何か?」


つまり、restorative justiceは、「私たちの物を見るレンズの交換を求めるだけでなく、質問を変えることを要求する」(p.85)ものなのだ。


レンズを変えると、必要な行動も変わる。

▼修復的正義は、被害者の損害とニーズを明らかにし、それらの損害を正すために加害者が引き受けるべき責任を明らかにし、その手続きに、被害者、加害者とコミュニティーが参加することを最低限必要とする。(p.33)


この「損害とニーズ」「責任(と義務)」「参加」の3つはrestorative justiceの主要な柱として、この小さな本のなかでも丁寧に説明されている。


その説明のあとに、修復的正義の実務上の定義が、こう提言されている。

▼修復的正義とは、犯された罪悪を可能な限り正し、癒すために、その罪悪による損害、ニーズ、果たすべき責任をすべての関係者がともに認識し、語る協力的な手続きである。 (p.50)


原田さんの話と関係あるなあと思ったのはここ。


▼応報的理論は苦痛を与えることが受けた苦痛を晴らすと考える。しかし実際、それは被害者と加害者両方にとって非生産的である。


一方、修復的正義においては本当に報われるとは、被害者の受けた損害と苦しみとニーズが理解され認められると同時に、加害者が責任を引き受けるよう働きかける積極的な努力がなされ、過ちが正され、その過ちの原因が明らかにされることにある。


これらのことをポジティブに語ることによって、修復的正義は被害者と加害者の両方が彼らの人生を新たに創造していくことを助ける可能性を持っている。(p.79)


▼修復的と名づけられているだけでその内容を伴わないプログラムや取り組みがたくさんある。そのいくつかは修復的になりうるだろう。しかし中には不可能なものもある。その一つは、さらなる損害をもたらすと同時に修復を不可能にしてしまう死刑である。(p.77)


今日、先輩から、「自殺のない社会をめざして」というイベントがあることを教えてもらった。「自殺防止を、地域社会、さらには社会全体で考えていけないだろうか」というのも、restorative justiceかなあと思ったのだった。


▼修復的正義は、互いに学びあい、サポートし合うための対話への招待である。それは私たちがもともと互いにつながり合った縁ある存在であることを思い出させてくれる。 (p.85)


さて、ものすごいごっつい本(『修復的司法の総合的研究―刑罰を超え新たな正義を求めて』、600ページ超…)は、目次でもよんでみるかな。


~~~~
日本平和学会のホームページに掲載されたもの

https://www.psaj.org/2015/08/15/94-%E5%BD%93%E4%BA%8B%E8%80%85%E3%81%AE%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%96%A2%E4%BF%82%E4%BF%AE%E5%BE%A9%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%99%E4%BF%AE%E5%BE%A9%E7%9A%84%E6%AD%A3%E7%BE%A9%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%8B/


15日 8月 2015

  1. 当事者の対話による関係修復をめざす修復的正義とは何でしょうか。

修復的正義とは、犯罪や事件、暴力や人権侵害などの不正義に対応する仕方の一つで、できるだけ広範な関係者の参加と対話を通して、生じた損害や傷ついた関係を修復し、人々の回復と状況の是正をめざす考え方を意味します。1970年代の北米における犯罪被害者と加害者の対面をきっかけとし、1980年代にはニュージーランドの少年法制に、1990年代には南アフリカの真実和解委員会などに採用され、世界的に知られるようになりました。


法を侵した犯罪者を国が処罰するという近代刑法の考え方に対し、修復的正義では犯罪などの不正義をまず人と人とのつながりへの侵害と捉え、侵害により生じた被害者や関係者の損害やニーズが責任をもって充たされることを重視します。加害者が責任をよく自覚し、被害者が二次被害を受けることのないよう、対面は周到に準備されます。当事者が集まって影響の重大さを共有した上で協働して事後策を作ることにより、被害者の満足が向上し加害者の再犯が抑制されることが期待されています。


修復的正義は犯罪への対応にとどまらず、学校におけるいじめや非行への対応策として、地域社会における問題解決の方法として、暴力や災害の被害者の癒しを促す方法として、また紛争後社会の復興事業の一環として、広く実践されつつあります。最近では人種差別などのヘイト犯罪への対応や、歴史認識をめぐる紛争の解決について、可能性が模索されてもいます。


修復的正義はあらゆる処罰を否定するものではなく、ゆるしや和解はあくまで生じうる結果の一つにすぎません。キリスト教平和主義に特有の理想論と見なされることもありますが、むしろ世界各地の先住民族の伝統を再解釈・再構成したものと捉えることができます。現行の刑事司法制度に取って代わるというより、相互に補いあうべきものと捉えるべきでしょう。


安保法制では「国民の生命や財産を守ること」と「国の存立を全うすること」とが当然のように一体化していますが、国の存立が自動的に国民を守るわけではないというのが「人間の安全保障」という考え方です。戦争のみならず、犯罪や事故、いじめや虐待によっても、人間の安全は脅かされます。不信を乗りこえて信頼を醸成し、強制力のある裁定よりも社会的ニーズの充足によって秩序を建て上げていくような、修復的実践が求められています。


(片野淳彦)





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

浜島
2020年05月06日 20:22
>4番目を訳すと(ぼくの訳なので正確さは保証できない)
>「コミュニティは、同様の、防止できる行動を繰り返さないという保証をも求める」

ご紹介の英語版(2003)にAli Goharとの共書でもともと北米向けのオリジナルを南アジアの文脈を加味して修正したーとありましたので、より地域の中で人々が共に生きているパキスタン等の経験を踏まえた追加項目なのかなと思いました。

FGC、ずっと気になっていたのでここで知ることができて有り難いです。
浜島
2020年05月06日 20:32
訂正 パキスタンとアフガニスタンの文脈、でした。南アジアだけではないですね。
浜島
2020年05月06日 20:33
訂正 パキスタンとアフガニスタンの文脈、でした。南アジアだけではないですね。
つるた
2020年05月06日 21:12
浜島さん
ありがとうございます。
それで、ムスリムやコーランの話があって、
日本語訳にないことの理由がはっきりしました。