ソーシャルワーカー(SW)の資格の仕組みについて考えたこと(追記あり)

ぼくもいろいろあって、数年前、社会福祉士の試験を経験しましたが、あの資格制度や養成の仕組み、問題が多すぎだなぁという感は拭えません。
 
この仕事でいちばん大切なコアだと思える当事者の権利や人権、あらゆる差別の禁止などについては通り一遍のことしか扱われません。
例えば、国連障害者権利条約と照らして、いまの日本の法律はどうなのか、などを考えさせるようなことはしません。ほぼ国の主張を垂れ流すだけ。
 
制度のはざまで苦しんでいる人がいるときに、SWとして、苦しんでいる個人と向き合うとともに、その仕組みの問題をちゃんと認識して提起すべきなのに、どうすれば提起できるか、どのように提起すればいいか、みたいなことも素通り。
 
持っていても、現場ではほとんど役に立たない人の名前とか歴史とかを覚えさせるという無駄な努力に時間をたくさん使わせる。
 
問題意識を持っている試験委員の人を二人知っているのですが、その二人が作った問題はあまり採用されないと聞きました。
 
こんな国家資格に、どんな意味があるのだろうと思うのです。
 
また、日本社会福祉士会が政権にべったりな感じなのも、どうかと思うのでした。
 
SWって、まあ技術もあるけど、そのスピリッツみたいなものが大事だと思うんですが、そのあたり資格制度でなんとかなるのかなぁと思ったりします。

当事者の権利や、すべての人権の尊重、という部分での理解できない人は、養成コースからはずれて、別の道を探したほうがいいとか思ってしまいます。

ただ、そんな仕組みも使い方次第で、危険かもしれないですが。

スピリッツが何を指すのかという質問があったので追記

ぼくがスピリッツと書いたのは、キリスト教的な霊性ではなくて、なぜSWが必要なのか? 人が人に寄り添ってwell-beingをめざすというのはなぜなのか、あなたはなぜSWに関わりたいのか、という部分をベースにして、人権=人としての権利やさまざまなマイノリティの権利みたいなもの、および、それが保障されなければならないという確信、みたいなものかなぁと。

ここに書いたことと重なる部分もあるのだけど、SWの要諦として『解放のソーシャルワーク』(第1章)に描かれている(1)身体性、(2)文脈依存、(3)社会変革のアクター自認 なども問われると思う。

また、この本では以下のようにも書かれている。
・・・現代社会において、ソーシャルワークの実践が社会問題の解決に資する専門的行為であると主張するのなら、その実践内容は、 混迷する現代社会における新たな公共性の生成に寄与するものでなければならない。このような実践をこなせる実践者を養成するには、従来から行なっている心理学(社会学)的知見のみに依拠した一時代前の近代的な実践者養成方法に拘泥することなく、文脈理解と権利意識への感受性が高く、その上状況に応じたコミュニケーションで人々と対峙できるような実践者を生み出す必要がある。37p

そのスピリッツや「文脈理解と権利意識への感受性が高く、その上状況に応じたコミュニケーションで人々と対峙できるような実践者を生み出す」ために必要なものとして、シティズンシップ教育もあるのではないか。シティズンとして権利を行使する主体であることの自覚、そして、それを自分だけでなく、クライアントを含むすべての人が行使するための思考や実践の方法をSWはしっかりと身に着ける必要があると思う。しかし、日本の教育ではシティズンシップの教育がほとんどできていない。その部分は本来、義務教育からしっかり行われるべきだが、それができていないとすれば、SWを養成するために、その基礎の部分をしっかり教育する必要があるのではないかと思ったのだった。

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